人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

魂磨きは不必要か?。魂が受けた恨みや怨念が渦巻く死後の世界。想念(霊)世界の浄化もせずに綺麗事で終わらせようとする者達。

 明治25年丹波の片田舎綾部で発祥した大本教から、日本書紀で初発の神と記される【国常立尊】様が【ウシトラ(艮)】金神で有ると出されました。万物の創造神でありながら、その座を追われたです。

 その退くの【艮】の漢字を使って、ウシトラ金神と読ませた大本教神諭は【牛虎】もあるぞよで、牛頭虎パンツの【鬼】が云うで【魂】の存在が解る様に言葉が組み立てられ、そこに仏教の祇園精舎の【牛頭天王】まで紐解ける様な日本語による言葉の仕組みがなされていました。

 そしてもう一つにはその牛頭の主と同様に、頭に角があったとされる【モーゼ】で、その牛頭の神は単に日本の国祖大神では無いと解るようになっているです。大本教霊界物語はそのモーゼの神界における神名として日本語で【天道別命(あまぢわけのみこと)】と記しました。それは事実であったかどうかより、モーゼの神名が【天道別命】と成っているところに鍵があるのです。

 私は一部のスピ的な人達から、貴方の前世はモーゼですか?。そうした質問も受けましたが、それは無いと思いますが、旧約聖書の神と称する霊声からモーゼと同様の役割を告げられたなのです。人類をこの地球から新天地の地球に移行させるです。それを俗に【みろくの世】と呼んでいるです。あまりにも途方もない話で信じるのは難しいのですが、そこに【四十荒野のさ迷い】の形が存在したと言えます。お釈迦様やモーゼを使って仕組んだ存在が在るです。

 

人類は古い天と新しい天との、二つ天道に別れて行く

 

 私に長く解らなかったのは天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称している霊の正体が掴めなかったことだと言えます。大本教の出口王仁三郎聖師は霊界にミカエルと言う名の天使長は存在していない。ミカエルは日本語の【省みる】の意味だと残しておられるだけで、それを紐解くには西洋で言うサタン【ルシファー(光を掲げる者)】は如何なる存在であったかを知るなのです。

 大本教霊界物語では、国常立尊のもっとも忠実な部下の天使長が国常立尊様の汝の敵を殺すなかれに従い、自分の部下達の天使達がその命に従わない反国常立尊派の神々によって無惨に殺されていく様に、遂に我慢が出来ずに反国常立尊派の神々を倒した。時の天使長がその責任を取って地に落とされたとあります。キリスト教で語るルシファーとは、落とされた理由が違っているのです。それが国常立尊の御引退劇へとつながった。常に敗者は汚名を着せられる。

 

 私は豊受姫の命令で何も解らずに現在地に住みましたが、そこは今の世に出ておられる神々では無く、今の世の神達では無い人類が知らない時代の神々の【恨み・妬み・怨念】が閉じ込められている場所と知りました。

 それは大本教神典に国常立尊【三十五万年前】に御引退と出された三十五万年前もの出来事で有り、今の人種は約20万年前ほどに出た人種とされることから解る様な話でもありません。まさに【霊界物語】が語る様な話になるわけです。

 

その【三十五万年前】の数字がある仕組みの秘密を語る

 

私はその仕組みから、これは創造神だと確信出来た

 

 人がその一生において全霊界を見聞するなどは不可能なことです。霊界そのものは非常に多種多様の世界で人が知り得る霊界とは自分の魂が持つ【波動】の世界だけと言えます。その波動で【次元界の壁や層】を構成しており、霊能者と称する人達の中には自分は創造神で三千億次元とか百万次元の魂と言われる方達もありますが、誰も証明出来ない。

 で、霊界を神の高山たるピラミッドに見立てて十合目を十次元とする。識界レベルの判定としても同様に最高神を十次元として見ていく説などがあります。識界レベルで判定される人達の中では、創造神を十次元とするとお釈迦様は七次元。イエスは五次元。ムハンマドは四次元とするなどがあります。それは天使の記章と呼ばれる階級章に照らし合わせると、イエスでも宇宙レベルに入るとキリスト教徒が思うほど高い次元格の魂では無いと解るのです。

 

この地球は低次元レベルの魂が集まる世界とされる

 

宗教世界は魂磨きを説くが、スピは魂磨きを言わない

 

 スピリチュアル標榜者の中には【魂磨き】を否定する方達がかなりあります。古来より言われている自分の【魂を磨く】の言葉の意味そのものが、よく理解出来ていないなのです。それはなまじ霊達が見えていると、自分の魂に汚れが無いと思い込んでしまいます。本人は自分の前に神社の御祭神が姿を見せると、自分は高い位の魂の者で魂が汚れていない者という思い込みに入るからです。

 魂は【光の球】なので、光には汚れが無いと言う思い込みの前提論に立ってしまいがちです。黒龍神には本来の汚れが無い黒色の龍と大多数の汚れから黒く見える龍が言われています。その汚れた黒龍を浄霊すれば金龍ともなりますが、その汚れた黒龍の状態で火を噴いたり霊能者に太陽の様に見せるもあり、霊的世界の汚れを取る魂磨きの意味があまり理解されていないと見受けられるのです。

 

自称救世主の霊太陽光に惑わされ、地獄に向かうもある

 

霊世界は魂に汚れがある未浄化の【魅】が見えやすい

 

 その魂が仮に高次元界であっても、必ずしも【正神】とは言えないのです。何故ならば悪神・邪神と呼ばれる存在も【高次元界】に存在しているからです。スピリチュアル標榜で間違える論理が、高次元界の存在ならば正神だの思い込みなのです。

 日月神示の岡本天明師から【天の岩戸】の意味は【一八十】の段階の数字の意味だと出されましたが、日本語の言葉の仕組みの重さを無視するスピリチュアルだと、どうして岩戸で【一八十】に成るのか?。そもそもそれが理解出来ないのです。日本語による言葉のこじつけとしか理解出来ないのです。

 日月神示には【善悪表裏一体】と【悪も抱き参らせそうろう】が出て来ますが、キリスト教では冥府の長官(閻魔大王)を悪魔(サタン)とする教義で解る様に、地獄界のどん底まで降りたならば【でんぐり返しの岩戸】で最高創造神の側に行くともなるのです。地獄界の長官=天帝が成り立って来るのです。

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【日本神話の天の岩戸開けなど、そうした事実があったのでは無い。私が最後の審判に備えて創った仕組みである。そなたは日本神話の天の岩戸開けが何を語るのか学び知るがよい。】と言われましたが、岡本天明師から【岩戸とは一八十段】の意味と出されたことで、日本語で無いと天の岩戸開けの意味は解けなかったのだと理解したなのです。

 

 

 

 霊が見える見えないは自己の肉体が【霊媒体質】であることから起きる要素が強いのですが、しかし霊媒体質だと【霊の憑依】を頻繁に受けやすいがあります。霊の憑依を受けると自分の肉体は苦しみ、肉体に【嘔吐や下痢】が起きます。霊媒体質者は神社のお守りが外せないがありますが、そんなお守りも長く通用しません。お守りそのものがすぐに霊の汚れで真っ黒になったりするのです。

 一番危険だと言われるのは【龍神の浄霊】で、その霊媒体質者の肉体の命に関わる為にしてはいけないとされています。それがどれほど凄まじいものか、それは実際に龍神浄霊を体験した者で無いと解らない事柄なのです。男の肉体の私でも自分の腹が妊婦腹の様に膨れ上がり、トイレで便で流してもまたもや妊婦腹に成り繰り返しなのです。その苦しみは悶絶なのです。

 私が豊受姫の命令で現在地に住まわせられたのは、豊受姫が私に【そなたがしなければならない神業とは、肉体を持たない自分達の様な神には出来ない。肉体を持ったそなたでないと出来ない。】と言われ、肉体を持った者の意味が解らなかったのですが、次に師匠とした言霊師の方から【おまえは霊界の歩く掃除屋たるバキュームカー。】と言われて、類い希な霊浄化をする能力を持った肉体だからと解りました。

 

肉体が他の霊の汚れを受けると、嘔吐や下痢を起こす

 

優秀な霊能者の元に行くと、即座にトイレ通い

 

 霊媒体質で他人の霊の憑依を受けやすい人は、汚れた魂の持ち主の前に行くと吐き気を覚えたりします。肉体は気づかなくても汚れた霊波動が襲って来るからです。

 私が学んだ言霊師の方の家のトイレは当時はくみ取り式でしたが、相談者が来るとその肉体が浄霊の為にトイレに入り大量の便を出すので、そのくみ取り式トイレは定期で無く臨時臨時のくみ取りをしていました。人の体の中にそんなに便が有るのか?と疑うほど大量の便が出ますが、その肉体を通してその肉体に関わっている霊の汚れが排出されるのです。

 

 魂の汚す危険が説かれて来たのはそうした事柄からであり、魂磨きを否定するスピリチュアル標榜者を見た時、この人達は霊世界で何を見てきたのだろうと【疑問】を持ちます。

 その人から自分の前には伊勢神宮の天照大御神様が、出雲の大国主命様が臨まれると言われても、いい加減な神示を受けて喜んでいるのではないか?。そうした疑問を抱かざるにはおえないわけです。私は実際に伏見稲荷山等で御神霊が行者をからかって、いい加減なことを言われるを多々見て来たからです。

 その神霊の御代(取次)としてその神霊の神示を常時受け取る霊能者と、そうではない通り一遍の霊能者とでは受け取る中味が違って来るなのです。

 それは大本教の神諭に艮金神国常立尊の言葉として、【この神が世に出ておられる神々を誑かして使ってきた。】とありますが、霊界の総元とされる【虚空蔵】から出て来る仕組みそのものに言葉を狂わせる【誑かし】が入っているからです。

 

神様のお告げとは、実際にそれが実行されてなんぼ!

 

 神社に参拝して、そこに出て来られた御神霊の内容とは、そのほとんどが【よくぞ参って来られました。参拝されたので良いエネルギーをあなたに与えます。】そうした【たわい無い内容】ばかりでしょう。

 

どの神社の祭神も、人は何故に生きるのかを言わない

 

 お釈迦様は人は何故に生まれて来るのか?。死ぬのか?。そうした疑問から菩提樹の下の瞑想で悟りを開かれて、仏教という教えを開かれた。しかしその内容は世間で一般的に【仏の慈悲】と言われている様な内容ではなく、【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】とする内容だったのです。

 ただそれは大本教から【五十六億七千万のみろく大神】が出され、大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】から導ける一輪の言霊【ラ】を持って、ウシトラ金神の【鬼が云うの魂の閻魔大王】を言霊と連動させて紐解く必要があったなのです。

 

お釈迦様の悟りが【慈悲】だと、【輪廻転生】は出ない

 

いったい誰が【五十六億七千万】の【みろく】を創作した?

 

 魂とは【玉形の思惟Or恣意】で、自己の魂を汚した人の魂の表面には黴(カビ)状の【毛物】が発生してきます。磨かれた魂とは、その表面が【クリスタル】の様な輝きを持っているのです。

 スピリチュアル標榜で玉思惟(魂)磨きを否定する人達は、そうした魂そのものを見ていないのです。もし魂を見ていれば、魂磨きを捨て去る様な教えそのものに傾かない。いくら自分は高次元界の魂だと言われても、それは邪神界における高次元の道を行っているなのです。邪神界でも六次元界には行けることが解っています。そこに来るのが第六天魔王だったりするなのです。

 

肉体は人の顔をしていても、魂は【毛物(獣)】ともなる

 

そして、どす黒くなった魂は【鼻をつまむ様な悪臭】を放つ

 

 霊の世界では霊は【どのような姿形にも化ける】ことが出来ます。しかし絶対にごまかせないと言われているのが【霊臭(れいしゅう)】なのです。日本神道系の神々だと【花の香り】。仏界だと【お香】の匂いが漂って来ます。神界であれ仏界であれ、神仏はその匂いはごまかせないと言われているなのです。

 

霊は姿をどのようにも変化出来るが、香りは変えられない

 

 人の魂は本来は高い次元界に存在すると言われていますが、高次元界の魂は地球界などには降りません。降りているのは【分魂】と呼ばれる私達の様な魂の存在なのです。そこに本守護神・正守護神・副守護神が説かれます。

 大本教からこの世は【天人の苗床】と説かれましたが、私は旧約聖書の神と称する声から【魂の修学場】と告げられました。滝の行者の異名を持った行者【金井南龍】師は【地球は魂の刑務所】と出されましたが、いずれにしてもこの地球は一部のスピが説く【魂が遊ぶ為に降り立った。】場所では無いのです。分魂として出た魂が勉学と悔い改める場所なのです。

 

地球は汚れた魂の集まりで波動防止で【魂が肉体】を持つ

 

この世は、自分が望まないで降り立った魂など一つも無い

 

この世に出る条件の【神との契約の示し(禊)】を忘れた

 

 この地球は【天国界】では無いのです。そして【地獄界】でもないのです。この世は魂が【善悪を学ぶ】の場なので、為に【悪神の横行も赦されている。】なのです。

 

この世で人に騙されて泣くとも、自己責任の範疇になる

 

この世で善業を学べば天国界に、悪業を学べば地獄界に

 

 この世では人を欺す者達は後を絶ちません。それはこの世が天国では無く、魂の修学場として創られた世界だからです。美味しい話は転がっていません。この世に降りて来て、イエス一人を創造神の一人御子として拝めば天国に行けるなどのそんなおいしい話はどこにもないのです。

 そこに自称救世主と称する者達に導かれて地獄道を歩いている信徒の姿を見るがあるなのです。大本教の出口王仁三郎聖師が残された【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】なのです。

 閻魔庁は【艮に点(天)をつけた良心神点】で判定している。

 

人の魂に来世門(羅城門)を開ける閻魔庁は

 

閻魔大王(羅王)は愛で何もかも赦してはいない

 

 ただ、閻魔庁は羅王(閻魔大王)で【来世門(羅城門)】を管轄しているが、この地球の霊場や霊の浄霊をしているではないのです。霊場や霊を浄化清めるのは本来は宗教の役目で、これまでの宗教は霊的に汚れていない場所に神社仏閣教会を建立して来たであって、霊的に穢れた場所を清めるではなかったのです。

 そして今はそうした魂(心)を浄霊する場所たるイヤシロ地(霊的な汚れが存在しない土地)も少なくなったなのです。

 

 

人の魂の汚れを浄化する為の教えをするのが宗教で

 

人の魂の汚れを、浄化浄霊するのが本来の宗教家

 

 

 

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