聖書のヨハネの福音書には、【初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。】とする有名な内容がありますが、私はことばを構成する【言霊(ことだま)】が何で有るかと解った時、大衝撃を受けたのです。それまで私が持っていた神観など百八十度ひっくり返ったと言います。それはヨハネの福音書の【ことば】では永遠に説けないのです。それを人々が理解するのは、不可能と呼ばれるほど難しいなのです。
大本教から【言葉は神】の概念として【アオウエイ(アイウエオ)】の言霊の並びが説かれ、大本教から出された【いろは歌】を唱えることで、自分の運命の好転とか病治しが説かれました。
普通の感覚で有れば、日本の【いろは歌】は日本神道で説く祝詞の様な働きで、いろは歌を唱えていれば神社で説く【祓い】の効能があり、自己の魂磨きにも繋がっているなど信じられないような事柄です。しかし戦前の大本教においては、その言霊の力が如何なく発揮されて大宗教になったと言えます。
岡本天明師の日月(一二三)神示は、いろは歌の方ではなくて【ひふみ(一二三)】の並びが出されましたが、この【ひふみ】も日本の古神道系ではいろは歌と同様に【祓い言葉】として使われるなのです。
言葉は自分の意思を他に伝達するだけの働きでは無い?
大本教を訪れた霊能者は、今の大本教に言霊神を見ない
私は稲荷神界から【言霊】の世界に転じて、大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子であった方を師匠とされた言霊師の方に師事し、大本教霊学に基づく【言霊学】を教わりました。
その方は【いろは歌】の言霊だけで、医師が見放した難病者を治癒させるもしていました。霊媒に憑依した霊を大本教霊学の天の数歌だけで霊縛したり、言霊だけで信じられない摩訶不思議な現象を次々と実践するです。その当時は私も言霊だけで、そうした力を少し振るうことが出来ました。その師匠とした方が言霊で出す力を【1】とするならば、私はその半分の力が出せたのです。その言霊師の方が天の数歌を一回上げて解決出来る内容ならば、私は二回上げれば同じ分量に成るです。
その方は某霊山に数年間籠もり、熊笹とか松葉などを食する仙人食の業を積まれた方で、そんな山行は誰でも出来るではありません。山の中の庵では、そこに来た信徒達を正座したまま空中に浮かせていたのです。そうした【空中浮揚】は稲荷神界でも見せて貰いましたが、スピリチュアルではなく行者筋ではそうした奇跡的事象が見られるのです。だがそれを見せる行者の数は多く無い為に、実際にそれを見た人の数は少ないなのです。またテレビなどの前では見せないです。
奇跡的事象を見て来ると、神の概念が変わる
本人に仙人のような霊界修行が無くても、天の数歌による霊の霊縛法を教える神の力を授ければ、誰でも霊を縛するが可能でした。全盛時の大本教の宣伝使達は、そうした神力を大本教の神から受け取って全国を巡回していたなのです。だが今はそうした神の姿が見当たらないと言われているのです。大本教であれだけの神力を世に見せられた神達は、どこに行かれたのか?。
言霊が出す霊力は、祝詞や御経でも発揮でき
人は神霊から力を授かれば、その力を行使出来る
霊能者や行者が御経や祝詞だけで病気を治したり、運命を好転させる。悪霊達をも縛り上げる。古代のシャーマンはそうした祈りだけでそうしたことをして来たわけです。それを見ると、言葉による【祈り】とはいったい何だ!。となります。そうした時、それを諸仏の【真言】だけを唱えていればよいで終わらせると、言霊と呼ばれる存在の意味が解らずにそれだけで終わります。
祝詞や御経を唱えれば、何故摩訶不思議が起きる?
今日まで、そうした踏み込みがなされていなかったのです。
私はその言霊学の修業時代、偶像に宿っている神仏霊とのやり合いでその神仏霊を御経で偶像から抜け出せない様に封じて閉じ込めるもして来ました。それは体験の為か、数は少しでしたが行者筋が言われる霊の封印です。その霊を封印する物質ですが、スピリチュアルでそうした物質は語られることはありませんし、行者筋もその物質の存在を口にしていませんので解っていなかったと言えます。行者筋は御経等の他に【印】も使われるのですが、言霊に印の力が加わると神霊をも捕縛するです。
こうしたことはイエス一人が神の御子だとしているキリスト教等の教義では解らないのです。イエスが説く神では【霊界】のことがまるで解らないを起こしたのです。日本の有能な霊能者筋からは、キリスト教徒は誰も第一天国界(如来界)に進んでいない。天国界に行けても第二天国界(菩薩界)で止まってしまう。何故か?。そうした疑問を口にする方達がありました。
キリスト教のイエス一人を創造神の御子と拝めば天国等の教えは、第一天国界は無理だと言えます。そこには【真理の追究】が起きないからです。
私が伏見稲荷山でお世話になっていた頃、豊受姫から自分の身を守る為の【霊剣】を授からず、行者と呼ばれる方達から豊受姫は貴方に自分の身を守る霊剣を授けないのはおかしいと言われ、豊受姫に尋ねると、貴方を守るのは貴方の本守護神・正守護神のお役目。そうした霊剣は自分の本守護神・正守護神から授かりなさいと告げられました。
霊剣や神刀に霊は宿る!
日本神話の八岐大蛇から取り出した剣とは?
行者筋にはお行儀の悪い方達もそれなりにおられまして、やたらに霊剣を抜いて人に斬って掛かって来る様な人もあります。そうした行者も存在するので、自分の身を守る為に霊剣を保有するです。霊界の剣には妖刀も有り、その剣を持つと人を斬りたくなる。そんな霊剣もあるのです。私は大国主命様が神刀を振るわれる場に立ち会いましたが、神々が持たれる神刀にはそれなりの役割もあるのです。
私は豊受姫から貴方の本守護神は国常立尊様と告げられたのですが、私自身は国常立尊と呼ばれる神を一度も見たことが無かった為に、霊剣等は持たずに来たがあります。しかし大本教が説いた言霊だけで低い霊ならば霊を捕縛する。言霊だけで霊剣に近い作用を行使することは出来たなのです。
しかしある時を以て、そうした霊力が消えました。それと同時期に多くの霊能者と呼ばれる方達も霊力を失ったはずなのです。今は力を持った有能な霊能者から、有意義な霊界からの情報の発信は無いはずなのです。一時は霊能者江原啓之さんや美輪明宏さんが時代の寵児でしたが、今はほとんど出て来られないでしょう。私も含めて、多くの霊能者は昔の教えの繰り返しをしているだけです。目新しいものは無いはずです。
今は神社に鎮座されている御神霊も霊力を失っている
私は伏見稲荷山で修行をさせていただきましたので、当時は【白狐】と呼ばれる存在も見て来ました。しかし今の伏見稲荷山は【神々が住む聖地には非ず】。外人観光客がお参りではなくて観光目的で霊場を霊的に汚しまくっている為に、白狐達もその姿を現さなくなったと言われています。
神霊は自分を信じて来る者はそれなりに守ろうとされるが、服装などもラフな恰好で、物見遊山で来る外国人などに参って来て欲しい対象者ではないのです。
霊場は物見遊山の者が押しかけると、その機能を失う
私は日本神道で霊界修行に入った為なのか、日本神道の世界に【旧約聖書の世界】を見ることになりました。ただそれは今の人類が語る旧約聖書の世界ではなく、大本教が霊界物語が語った【三十五万年前】とする霊的世界と言えます。
天上神の力が動いた時、地上神の力では止められない
創造神による最後の火の審判は、神々の上にも臨む
私が言霊修行時代に使用していたのは大本教から出された鎮魂帰神法による手組みの印に言霊を組み合わせた物で、その元は本田親徳師からと言われています。
大本教では出口王仁三郎聖師の下で綾部市下八田上谷の厄神社における幽斎修業の帰神で、信徒達の神懸かり現象を鎮めることが出来なくなり、そうした帰神法は失せたと言われました。何も知らない時は、霊媒者に霊を懸けるのが面白くてやってしまいますが、霊媒は魂が高い人で無いと霊を懸けるのは危険で有り。霊に憑依された方のコントロールが出来なくなると、自分が逃げ出してしまうなのです。
霊媒者に妾(わらわ)は天照大御神なるぞよと名乗って出て来た霊のお尻を見るならば、そこに狐や狸の尻尾が見え隠れしているがあるのです。スピリチュアルだスピリチュアルだと言っている女性を見ると、そこに蛇霊がまとわりついているなどもあります。スピリチュアル界で大物とされていた方を何人者の霊能力がある人達が見たならば、一致して赤黒色の蛇霊が憑いていたとあり、そうしたスピリチュアル標榜者を見ると、霊媒者はその霊的汚れを受けて吐くがあるのです。
高い魂の霊媒者以外に霊を懸けると、手がつけられなくなる
本当の霊媒者は霊がよく見えるでなく、神格が高い魂が必要
スピリチュアルの世界では、言葉は【光透波】だと言われる方達があります。それは一つに言葉を構成する【言霊】そのものが見えないことから、光の波だと考えたのでしょう。下記の写真は有名な空也上人の象ですが、空也上人の口から念仏教の仏達が出て来る像になっています。
言霊とは何かを理解していない時は、空也上人の口から【念仏】が出て居るとしか受け取れませんが、神とは何か?。仏とは何か?。そうしたことに考えが及ぶと、そこにとんでもない事柄が見えるのです。
空也上人の口から出ている仏達とは【言霊】の働きの仏
日本の新神道系の宗教の中には、仏教で説く仏達とは本当は日本の神々が仏の姿に身を替えてインド地方に出られた等と説くがありますが、この空也上人の口から出ている像の存在が日本の神の姿をしていても、仏教で説く仏の姿であってもかまわないのです。その人の口から出ている【言霊(言葉)の実態】が何を語っているのかなのです。
私達は山に向かってヤッホーと投げかければ、時にはヤッホーヤッホーと山々に響き渡り聞こえます。そこに言霊、言葉の実態があったのです。それは光透波ではなくて【音波】なのです。その音波が霊的にどのような姿に見えるかなのです。
音波は【龍の姿】をしている。これが龍宮の音秘め
大本教霊界物語の全【81】巻は、言霊の数を教えている
仏教の曼陀羅図の【81】仏も、【言霊】の存在を教える
日本語は世界最多の言霊で、ヘブライ語は世界最少の言霊
ヘブライ語であろうとギリシャ語であろうと、言霊の数が少ない言葉で説かれた神とは【真理】を語りきれない。
言霊とは【音玉】で、音玉は破裂すると【光(日立)】を産む
音の漢字を分解すると【日立】と成る。そこに音秘めがある
大本教神芝居、日之出の神と龍宮の乙姫殿の揃い踏み
予言教団として数々の予言を的中させた大本教は【予言の為の教団】で、予言の為の神芝居をしたとも言われています。その中で最も重要な舞台が三代教主を【龍宮の乙姫】様の役とし、その夫で有る三代教主補の出口日出麿師を【日の出神】とした演技が一番難しかったと言われており。三代教主は龍宮の乙姫役を演じるにはあまりにも力量不足で、そこに出口王仁三郎聖師の【この大本に現れた変性女子はニセ者で、待っていたならばみのか尾張の国から誠の女子が現れ来るだろう・・・・】という予言が出たとも言われています。大本教からはそれだけの素材の魂が出ない。
私の元には自称救世主のみならず、自分が美濃尾張の女子たる【龍宮の乙姫】ですと称される女性達からメールがありました。そうした女性達に貴女が龍宮の乙姫様だと誰が言ったのですかかと問うと、どなたも自分にそうした神の声や霊の声が臨んだと言われます。
龍宮の乙(音)姫様から、日の出神を出す仕掛けが最難関
私は霊能者とは言い難い霊能力しか持たない者ですが、少しは霊的世界を見聞してきました。霊界には【霊界の太陽】が有り。その太陽は私達が見る現実界の太陽とは違う物だと言います。そして火を噴く龍神。水を吐き出す龍神。そこに神霊のエネルギーたる【火(か)水(み)】の働きを言葉で知るなのです。
その霊界の太陽ではありませんが、霊玉と霊玉がぶつかると破裂して、一瞬にして花火の様に【霊の光】を放ちます。しかし霊能力がある人でないと、そうした霊光を見ることは無いでしょう。そこに霊界に対する知識の欠如が発生したと言えます。
人類は創造神の存在がよく解らない世界に置かれている
肉体から魂が脱けないと、人は霊世界の実感は出来ない
キリスト教の様にイエス一人が主の御子だとしていれば、【次元界】と呼ばれる霊的世界が見えて来ません。逆にイエスがどの程度の次元界出身の魂であったかと解って来ると、イエスよりも高い次元界に存在する神々が有ると解って来るなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、自分はナザレのイエスに何一つ劣っていない。素戔嗚尊の魂で【救世主】だと称しておられました。ところが自分は【似せ者】だったと告げられたことから、巷には自分が本物の素戔嗚尊の魂で救世主だと称する方達が多数出ました。が、出口王仁三郎聖師の魂は神の高山合目説では八次元界格とされていたのに、後発で自分が素戔嗚尊ですと称された方達の自称次元界はそれよりも低い七次元格呼称がほとんどなのです。
有能な行者筋の霊能者が調べたところ、大本教の出口王仁三郎聖師の魂は素戔嗚尊神界の魂であるとことは確認されています。では何をもって、自分は【ニセ者】と言われたのかです。一つに出口王仁三郎聖師の魂は素戔嗚尊の魂であっても、頂点に立つところの素戔嗚尊の魂ではなかったなのです。そして大本教の出口王仁三郎聖師が演じられていたのは【スの神】なのです。その【ス】の神を神界の【真柱神】とするのは、ニセ型に成るのです。
出口王仁三郎聖師の【似せ者】発言は、邪神を集める為
今は【ラ】の神を閉じ込めて、【41】位の言霊に秘めた
太陽神たる【ラー】を隠して、天の岩戸を閉めてある
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【日本神話の天の岩戸明けは、その様な事実があったのでは無い。この私が最後の審判に備えて人たる者達を使って創作させた物語で有る。そなたは何故に私がそのような日本神話を創らせたのか?。それを解き明かすがよい。】と告げられました。霊界の太陽を超える光の世界!。このような光の世界が存在するのか?。
神とは一介の人の身では語りきれない。いったい誰がこんな仕組みを考えたのか?。
ただ恐(かしこ)み恐(かしこ)みもうす
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