私は伏見稲荷山で霊界修業をお世話になっている時、中国で鍾馗神と呼ばれている存在の御案内で中国で創造神とも天子とも称されている【盤古大神】と呼ばれている御神霊に拝謁し、当時はインターネットも無い時代で詳細を調べることも出来ず。盤古大神など初めて聞いた神名なので何か書かれていないかと大本教霊界物語全巻集を買い求めて、俗に言われるあほだら(阿呆陀羅)長い経に接したわけです。
最初に霊界物語を読んだときは、この本は何だ!。となりました。世界の宗教書とは違い【奇想天外】の書です。しかし伏見稲荷山の狐霊神や蛇霊神の存在から【言霊】の世界に転じて、私が持っていた神観は【180】度も変わり。私の前に現れた大本教出口なお開祖霊と出口王仁三郎聖師と思われる霊の出現。その出口なお開祖と思われる霊が私に告げられた【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】から、大本教から出された神諭や霊界物語の中味を紐解くとなりました。
朝鮮に残る予言、最後の審判前【米】一字の教えが起きる
大本教神諭予告【九つ花】に、飯屋(米)の仕組みを見た
私は子供の頃は旧約聖書の神と名乗る霊声から、【人して生きる意味】を教えられてきました。その内容は、
この世は人の上に立つで無く、下座に座るが天人への道
この世は魂の修業場で、創造神を見る為の世界では無い
私が旧約聖書の神と称する声から教わった内容は、大本教神諭の内容に近い物ばかりでした。スピリチュアルと称する人達は、この世は遊ぶところです。何をしてもいいのです。あるがままです。そうしたことを言い、魂磨きは辛いから止めましょう。神は愛だから何をしても赦してくださいます。良心の呵責は重いから捨てましょう。そうしたことを平気で世に発信されています。
私は霊能者とは言い難い霊能力しか持たない者ですが、一部の地獄界の存在を見ることは出来ました。神は愛だから何をしても赦して下さるならば地獄界は存在しないはずですが、霊的世界の現実としては地獄界は存在しているのです。それどころか腐った魂や破砕される魂等。何をしても神の愛で赦されるならば、魂が腐ったり【輪廻転生】を起こす余地すら無いはずなのです。
私が見て来た地獄界は、別に仏教が説く鬼が出て来て逆さ吊りや油で煮えたぎっている釜茹でにしている世界ではありませんでした。ゾンビの様な世界とか得体の知れない物が蠢いている真っ暗闇の世界とか諸々有ったなのです。輪廻転生と呼ばれる中には、【みみず】の様な生命体に墜ちて行く命もありました。そこに見たのは神は愛で何をしても赦しているでは無いのです。
巷で自分が【救世主】ですと称している方達も、スピリチュアルと同様のことを発信しておられます。その人を救世主だ!。イエスの再来だ!。そうしたことを言っている人達が死後に行く世界を見せられると、皆さん地獄界へと向かって歩いておられるなのです。大本教の出口王仁三郎聖師が霊界物語に残された【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】が実態なのです。
最近、ある大きな球団の開祖が亡くなられましたが、一部の霊能者からその宗教開祖は【地獄界】に墜ちたと噂されています。その教祖が書いている書物の嘘も普通ならば解るはずですが、勉強不足でその嘘を見破る人が少なかったと言えます。その宗教家より前に亡くなった某宗教開祖も一部の霊能者から同様に【地獄界】に墜ちたと言われていました。その方の場合はその教団が汚れの黒龍神界なので、汚れの黒龍神に信徒達を天国界に案内するは難しいがあったと言えます。
それらの宗教開祖は、どなたも魂に【良心神(各自の魂の核としてある天帝の分魂とされる直霊)】に点数が出て、その点数の結果で天国界や地獄界が決まるとは説いておられませんでした。その教団の開祖を拝めば式の教えになると、信徒の【良心神】の発露の働きが鈍って来るのです。
教団が信徒の魂の核たる良心神の働きを阻害していた
自称救世主と称している方達の中には、自分の信徒を引き連れて【地底王国】の建設を目論んでおられる方もありましたが、そこに使われる言葉が【愛】なのです。そうした教団の信徒達は教祖が【愛】の言葉さえ出していれば、愛の言葉に酔い痴れてしまうなのです。
愛は盲目で、愛の言葉に酔い痴れて愛の反対を見失った
スピリチュアル標榜者が語る霊界は【中有界】と呼ばれる世界が主体で、神界や天国界では無いのです。スピリチュアル標榜者の教えで天国界に導かれることはまずありません。神の愛で何をしても赦されるは、神その方を【恐れない者】と化すからです。
日本神道界では神は恐ろしいから、神主は土下座して頭を下げて【恐(かしこ)み恐(かしこ)み申(もう)す。】と宣っているのです。神は恐ろしい存在と思う概念と、神は何をしても愛で赦す甘ちゃん存在と思うのでは別の存在を指してしまうのです。
それらの宗教の特徴は、天国と地獄を決める存在の説明不足
誰かを救世主と拝むは、自己の魂に【悔い改め】が起きない
多くのスピリチュアルは【神は愛だから、何をしても愛で赦してくださる。】で、地獄閻魔庁の【閻魔大王】の存在を見てはいません。そこには閻魔大王と呼ばれる存在が有ることの意識の欠如があるのです。為にこの世に生きている時には閻魔大王の存在に気づかず、好き勝手なことを説き、死後に地獄界に墜ちて行くです。
キリスト教においてはイエス一人を絶対的な主の一人御子と思わせる為に、魂の輪廻転生を司っている冥府の存在を【サタン(悪魔)】に仕立て上げる必要はありましたが、悪魔の【亞】の字に何が秘められていたのか?。日本語による言葉の仕組みに気づく者が現れないと解らないことだったのです。
私の場合は、そうした言葉の仕組みを解読させる為の方向へと自然に導かれて行ったことから解けたと言えますが、普通ならば気がつかないのです。
亞の漢字を見ていても、素通りしてしてしまうなのです
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声から人としての生き方の学びを教わっていたことから、伏見稲荷山で神界修業のお世話になったことで、霊能者と呼ばれる方達に自分の霊査を頼みました。霊能者と呼ばれていてもその霊能力は人によって大きく違い。その霊能者の背後に存在する神霊の魂の格の高さや霊界の次元格によって、見ている霊世界がまったく違うと解りました。
私は霊界修業に入った最初の頃、ある霊能者から貴方は高い霊世界から神達を教育する為に降り立たれたが、この世は蛇や狐と呼ばれる低い神が活動する世界。貴方に出番などありませんよと言われてしまいました。大本教からはこの世は【天人の苗床】と説かれましたが、他では我が派の教えを信じれば天国式で天人に成る為の【心の在り方教育】が実施されておらずに、この世の目的が見失われているのです。
そしてその霊能者が大宗教家に成る成らないは、その背後に存在して来る【霊団】の力にもよるなのです。大きな霊団を従えた霊能者の方は、それなりの大教団を創り出して来たなのです。
神霊界は数で勝てば官軍、負ければ賊軍の習いが起きた
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたには、この私の神力を何も与えない。為にそなたが説くことはバカにされるであろう。この私がそなたに私の神力を授けるのは、最後の最後の時である。】と告げられました。そんな最後の最後の時が来るなど解ることではありません。それは【嘘】かも知れません。この世は【虚空蔵】から起きたからです。ただ、【そなたの背後にこの私が居ることが解らない神ならば、さほどの神では無い。】と告げられたのです。
私は多くの霊能者に霊査をして貰ったところ、そうした霊能者の中の7~8名の方から、【貴方の本守護神は国常立尊様です。】と告げられたことにより、自分が子供の頃に旧約聖書の神と称していた霊声の主は【国常立尊】と呼ばれている神霊であったと解って来ました。そうした霊能者の中には貴方には国常立尊様と天之御中主様、閻魔大王様が就いておられると告げられる方もあったでした。
私自身は豊受姫からも、貴方の本守護神は国常立尊様で天では天之御中主と呼ばれている存在と告げられました。が、私自身が自分の目で見たのは、修業時代の最初の頃に私の前によく出て来られた日蓮聖人と思われる霊と一緒に出て来られた【閻魔大王】様だけで、私にはその閻魔大王が持たれる罪人の罪を免除する能力が同様に有るということだったのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は、艮(牛虎)金神国常立尊様は【閻魔大王】様でもあると記しておられますが、出口王仁三郎聖師と出口なお開祖は旧約聖書に予言されるキリスト登場前に出ると予言された男女二人の大預言者であるとも述べておられます。それらを統合すると、
艮金神国常立尊=閻魔大王=旧約聖書の神が成り立つ
この地球は高次元界で無く、魂が修行する低次元霊界
ただそこに、どうして魂は【肉体】という事物を身に付けないといけないのか?。その論議がほとんどなされていなかったのです。西洋でもエホバの神(国常立尊)は本来は自由な魂の行動を制約する為に魂に不自由な肉体を身につけさせた悪神説がありますが、そこには人の肉体には魂の汚れを浄化する働きがあることが見落とされています。西洋であれこの日本であれスピリチュアルの言葉を発している方達は、人の肉体には魂の汚れを取る働きが有ることの知識の欠如があるのです。
大本教から日本書紀には天地開闢の最初の神と記載される国常立尊様が、天から地上界に降り地上神界の悪神達の多数決によって地上神界の主宰神の座から追われて鬼門のウシトラ(艮)金神とされたとするだけの説明では、私はある事柄が抜けていると言います。
それは私に臨まれていた旧約聖書の神と称する声は、【私は全神々がこの私に対して束に成って掛かって来たとしても、私一柱でそれらの全神を倒すことが出来る。】と告げられたことなのです。
全神々に勝てるのに、敢えて退いた創造神の意図は?
そこに八(8)の世で、二つの世界に別ける意図!
もしその旧約聖書の神と称した霊の言葉に【嘘】がないとすれば、他の神々が何を言おうとしても、創造神とされる神に勝てる神など存在していないはずなのです。ただその創造神はどこに居る?、となれば、今の私達人類の目には触れていないとなるのです。
大本教によれば豊受姫は綾部の大本教が聖地とする本宮山に降り立たれた神としますが、私が神霊界修行のお世話になった豊受姫は綾部は今日までの人類が知らない【宇宙創造神】が初めて地上に降り立たれる場所とも言われました。
それは日本書紀で宇宙開闢の神と記載される【国常立尊】様のことではなく、岡本天明師の日月神示では国常立尊様が【人民に成り代わって、日々謝りをされている天の大神様。】として出された存在。大本教からは国常立尊様より上位の創造神として【天之峰火夫皇大御神】の神名で出された神のことなのです。そこに【八の世】と峰の言葉ではなく【蜂】の言葉の掛け合わせがあり、天の火の峰が動いて来るなのです。
人類の前に恐(かしこ)みの宇宙創造神が出現する!
そこに大本教神諭の【神も時節には敵わない】がある
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