この日本では稲荷信仰・不動明王信仰。観音菩薩信仰が盛んです。そして巷にはその稲荷神、不動明王、観音菩薩と【ウケヒ(宇気比)】をされる方達があります。ウケヒとは神との【誓約】の意味ですが、転じて神霊と会話が出来る事柄を指してウケヒとも呼ばれているようです。通常そうした神霊と会話が出来る方達は、自分は行者と称しておられる方が多いと見受けられます。
巷には自称創造神とか自称救世主と称して居られる霊能者の方も見受けますが、そうした名乗りをされる方達はそれなりの霊能力(神力)を所持されています。そうした自称者の神力に劣らない霊能力を持っていても、そうした名乗りをしないで自分は一介の行者ですと名乗っておられる方達もあるのです。
ただ今はそうした行者と称する方は極端に数が減ったなのです。スピリチュアルと言う言葉に酔いしれていても、霊同士の斬った張ったの経験や体験を持たない人が増えたなのです。霊の世界の殺し合いを知らないスピリチュアルです。
私は行儀が悪い霊能者から死神とか天狗とか龍神を送りつけられて攻撃もされてきました。それで私の肉体はボロボロになってしまいましたが。霊界は神は愛だから何をしても赦される。そんな甘い世界では無いなのです。そこに自称救世主と名乗る人を信じて、結果的には地獄界に案内されているが見受けられるなのです。
行者と成って、御祭神の御神霊の御代を務める
そうした行者筋の方を見ていますと、稲荷神行者と不動尊行者を兼務。稲荷神と観音菩薩を兼務とかがあります。私の神霊界修行のお世話になった方は、当時は伏見稲荷大社の信者組織の講務本庁の婦人部長を務めておられた方で、豊受姫の御代として稲荷行者の世界ではかなり名を知られておりました。近隣の霊能者にその名を告げると、あの方ならば間違いは無いと霊能者からも認められるほどだったのです。
その豊受姫の御代であった方は若い頃は稲荷神信仰者ではなく、四国小豆島の某不動明王の御代をされていたのを豊受姫が自分の御代として引き抜かれたがあります。行者と呼ばれている方達はその能力が上がると、神霊界でより高い御神霊の御代(取次)としてその地位を上げて行かれるがあります。
逆に霊界に関わると金儲けが出来るで、どんどん地獄界に歩を進めておられる方達もあるなのです。庶民には払えない高額の相談料に走り、自分の祭神が知らず知らずに下位の存在に置き換わっていることに本人は気づかないもあるのです。それが大本教の出口王仁三郎聖師が残された天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかりとなっている要因でもあるのです。
神霊界は、常に高次元の神霊と会話が出来る者を求める
そこに有るのは、神霊と呼ばれる存在も次元格に縛られる
行者筋の世界では神霊界を【神の高山(ピラミッド)方式】で神霊の位を見る説がありまして、頂上神を山の頂の【十合目】の神と仮定し、それを次元格で表現する方達が居られます。その場合、頂上神を十次元格とし、お釈迦様やイエスや大本教の出口王仁三郎聖師を八次元格とする向きもあり、巷で自称救世主と称している方達には自分は【七次元界の魂】と称する方が多いと言えます。
世間で一時その名を知られた【五井野正】博士とか、ヨガで知られた【本山博】博士などの自分は七次元界格の魂の名乗りはそれを意味します。幸福の科学の創始者大川氏が、お釈迦様やイエスやモーゼは八次元格の魂とされていたことから、自分はその3体を生んだ本体の上位の魂だから、その上位の【九次元界格の魂】と称して出て来られましたが、突然にその名乗りを十三次元界格の魂に上げられたがあります。そこには何の証拠の示しも無かったなのです。
十次元を最高神とするのは【神の高山の合目】説で
瑞霊(-)と厳霊(|)の組み合わせて【十(テン)】合
大本教の出口王仁三郎聖師は自分は【瑞霊(-)】魂と称されましたが、【厳霊】魂とか【瑞霊】魂を理解していないと、大本教と呼ばれる宗教が何故に起きて来たのか?。その意味すら解らないとなります。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【日本神話の天の岩戸明けなどは、そうした事柄が有ったのでは無い。この私が最後の審判の為に意味を秘めた予告の為の仕組みである。】と告げられた時は、さっぱり意味が解らないことを言われるなと思っておりましたが、大本教と呼ばれる宗教を通じて厳霊・瑞霊でその意味が解って来たと言えます。
日本の天照大御神と素戔嗚尊は、創造神の仕組みか?
霊的世界に関わると、霊界の太陽の存在を見るが出来る
伊勢神宮の天照大御神は日本神話では太陽神ということになっていますが、誰も伊勢神宮に参拝してそこに【霊界の太陽】を見た者など存在しないでしょう。
霊界の太陽という記述は、西洋で知られるスウェーデンボルクの著本にも出て来ますが、霊界の太陽を見た方達から言うと、誰もがスウェーデンボルグの霊界の太陽の記述はおかしいと指摘するでしょう。スウェーデンボルグの霊界本だと、霊界の太陽はチョウチン鮟鱇の灯りか?。となってしまいます。実際に霊界の太陽を見たことがある方達は、大本教の出口王仁三郎聖師の説を支持するでしょう。
本当の霊媒者とは、スウェーデンボルグの様に霊界に行ってる間は死んだと間違われてはいけないと部屋に鍵をして霊界を見聞して来るではないのです。瞬時に霊界に飛び、瞬時にこの世に戻って来ることが可能なのです。私も神霊界修業当時は肉体は自宅の神間に座し、魂は神界に飛んで神々とも出会ってきました。
霊界の太陽を見ると体中から汗が噴き出して来ますが、火炎を上げて出て来る不動明王も出会えば体中から汗が噴き出します。そこに霊界の【火】とは何かがあるのです。不動尊行者であれ、稲荷行者であれ実際の【火】の働きを念力でコントロールされる方達もあるのです。
神を火(か)水(み)と表現出来るのも、日本語の特質
巷で自称救世主と称される方達の中で、自分は素戔嗚尊の魂であると称される方が多いのは、この厳霊(火)と瑞霊(水)の関係からと考えられます。そしてどなたも自分は神の高山ピラミッド説の高次元界の魂と自認されるなのです。
単に神は愛だ!。スピリチュアルだ!。と言っている人達は、そうした霊界の動きの背景に何があるのか?。何も見ようとはしていないなのです。私は幾人かの自称救世主を見て来ましたが、そうした自称救世主達は【愛の言葉】でその信徒達を地獄界に案内している様だったと言えます。その信徒達は【愛】という言葉を出して、奇跡力を示せばそれだけでこの人は救世主だと思ったりしているなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師の【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次(宗教家、霊能者)ばかり。】と残しておられますが、そこには【カルマ(前世からの業)】の解消が織り込まれていなかったとなります。
日本神話の【天の岩戸】とは、日月神示の岡本天明師から神霊世界は【一八十】段の階級が存在する意味だと出されましたが、一八十で【岩戸】と読ませるなどは、この日本に住んでいないと理解が出来ない仕組みと言えます。そしてそれは単なる日本語による言葉の【こじつけ】ではなくて、大本教から明らかにされたこの日本における【神三千年の仕組み】の一環と言えます。
私は日本語の仕組みを見て、誰が仕組んだと愕然とした
日本神話だけを読んでいると、弟君の素戔嗚尊の乱暴に姉君の天照大御神が怒って天の岩戸の洞窟にお隠れになった。そんな子供騙しの話になってしまうのです。いったい太陽が隠れてしまう洞窟など、この地球のどこにあるのだとなります。太陽はこの地球の直径の109倍もあり、隠れる場所など無いわけです。
私は神霊界修業に入った当時は、稲荷神、観音菩薩、不動明王と呼ばれる存在を見て来ました。稲荷神とは【文字が書かれた紙】に宿る霊を信仰するですが、観音菩薩とか不動明王とは主にそうした霊が宿る【偶像】を信仰するです。
イスラム教は偶像信仰禁止で、自分達が支配した地域に在った偶像の仏や寺院をことごとく破壊していることは知られていますが、そこには霊はどうして偶像に宿るのか?。その根本を知るが何一つされていません。それはイスラム教を導いた天使と称する霊達の知覚智証の程度の低さが見られるなのです。
偶像に霊は宿る!。霊は人(霊止)にも宿る!。人も偶像
私は大本教から人は【霊止(ひと)】と出された時、この教えは宗教的には革命的な教えだと理解しました。しかしながら、これは【日本人】で無いと解らないなのです。仏教では万物に【仏性は宿る】と説いています。しかし万物に仏性が宿るだと、神と呼ばれる存在の意味が薄くなってしまうのです。そこらに生えている野草にも神が宿っているでは、逆に神の意味が解らなくなるがあると言えます。
仏教の如来像に霊が宿っても、本当の如来とは言えない
偶像は宿った霊が本物だと、人々に錯覚させるがある
私は伏見稲荷大社講に所属している時は、稲荷神、観音菩薩、不動明王と呼ばれる神仏をよく見ていましたが、伏見稲荷大社講を離れて【言霊】の世界に転じると、そうした神霊や諸仏との関わりが一気に薄くなってしまいました。言霊の追求と既存の神霊界とは必ずしも同じ土俵とは言えないのです。
稲荷神界で多用する【稲荷大神秘文】を読みますと、【それ神は唯一にして、御形無し。虚にして霊在り。天地開けてこの方、国常立尊と拝し奉れば】と、天地開闢の神は【国常立尊】と書かれてはいますが、稲荷で【言霊】と呼ばれる存在まで理解出来るではないのです。
聖書に記載される【言(ことば)は初めに神と共に在った。】は有名な内容です。しかしそれで【言葉と神】を理解出来る者は、西洋で説く天使と称される者を含めて一人も存在しないでしょう。キリスト教徒は創造神が何々有れと言われたら、万物が出来た。そうした感覚の意味の【言葉】としか理解出来ないからです。
私は自分の目の前の光景を真っ暗闇にされて、地獄の底から響いて来る様な恐ろしい霊声が臨んで来て、その声の【恐ろしさ】から神霊界修業に入りました。そして伏見稲荷山で豊受姫から告げられたのは、貴方の言葉による教えは【天帝の詔(みことのり)に等しい物】という言葉でした。だが当時は言葉による教えと言う事柄すら、何のことか解らなかったなのです。
闇は、門から【音】が出る。音は【日立(光)】を生じた
神は【光だ!】を言うので有れば、その前の【闇】を知る
私達日本人は【浦島太郎】伝説を知ります。浦島太郎は、助けた亀に連れられて龍宮城に来てみればです。この浦島太郎伝説は、丹後半島の伊根町の宇良神社に関係しているとされています。その伊根からは国常立尊の御引退島とされる【冠島】が見えるがあります。
そして伊勢外宮の豊受姫は、その丹後半島の与謝宮の【籠】神社から出られた女神として世に知られます(雄略記)。丹後の豊受姫伝説では豊受姫は籠神社からその冠島に通われた。そこに国常立尊と豊受姫の関係が言われるなのです。
私は浦島太郎伝説の助けた亀に連れられての龍宮城での時間が、この世の時間とどう関係しているのかを探ったなのです。そこに出て来るのが大本教から告げられた国常立尊は今から約【三十五万年前に御引退】とする三十五万年という数字なのです。私はその三十五万年とみろくの【五十六億七千万】の数字が連動している事柄に気づいたと言えます。どうして大本教は五十六億七千万と三十五万年前の数字を出したのか?。その意味です。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた国で、この私を知るのに外国の宗教書を学ぶ必要は無い。この日本だけで事足りる。私の教えはこの日本の格言や諺。日本の民話や童歌などで知ることが出来る。】と告げられましたが、浦島太郎伝説にもそうした事柄が秘められていたのです。
大本教国常立尊御引退は【三十五万年】の数字に隠し
五六億七千万の数字には【龍宮の音秘め】を隠した
大本教から三代教主を【龍宮の乙姫】役とし、三代教主補の出口日出麿師を【日之出神】とする演技がなされましたが、この意味はほとんど解読されていないのです。
私はこれら一連の仕組みを知った時、愕然とした。人類の歴史上、日本語による仕組みなので日本人に限定はされますが、今日までこれほどの仕組みをした神が存在したであろうか?。です。
私はこの仕組みが解った時、私がそれまで持っていた【神観】は吹っ飛び、まったく違う【宇宙大王】の存在を理解したなのです。
私は子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声から、【私は人類を新天地。新地球に移す。】と告げられましたが、それを可能とするだけの神力を持った神が存在しているのではないか?。そうした疑いを持ったと言えます。
稲荷神、観音菩薩、不動明王。そうした神とは異次元の神
私は神霊界修業時代、稲荷神、観音菩薩、不動明王と呼ばれる存在にお世話になりました。それ以前にも弘法大師の取次をされていた盲目の尼さんにもお世話になりました。だが日本語による【言葉の仕組み】を見た時、これまで神とは人が困っている時の救いや病気治しが主体と思われていたが、そうではなくて私達人類が大本教が説いた【人は神の子・神の宮】の概念の上に立っべきと言えます。
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