人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

何をしても自由を赦すのが神ならば、してはいけないことをした者を罰する存在は悪魔だ!。すると閻魔大王とは悪魔なのか?。

 明治25年の節分の夜に丹波の片田舎綾部で【出口なお】と呼ばれる老婆に神懸かりが起きて、その神は鬼門の艮(ウシトラ)金神と呼ばれ、俗に【祟り神】とされている存在でした。その出口なおを開祖とした大本教から【節分の炒り豆にも花が咲く】と宣伝されたことで解る様に、その存在は節分の夜に【鬼は外】と炒り豆をぶつけられている鬼達を統べる総大将で、その配下の鬼のいでたちから【牛頭虎パンツ】の牛虎になります。

 それ自体は大本教神諭に艮金神の艮には【牛虎もあるぞよ】と示されている様に、そこに牛頭虎パンツの【鬼】の字に意味があるなのです。仏教で説かれる地獄の閻魔庁の門番は鬼の姿をしていて【邏卒】と呼ばれ、閻魔庁の別名は【羅】城で閻魔大王は閻羅大王とも呼ばれています。その羅城の門は【来世門】で、羅城の門をくぐるとどのような悪人であっても【来世】が授けられるです。

 

羅王は悪魔とする人達が居る中、来世を授ける神とは?

 

 私が見た霊界などは宇宙に広がる霊界の一部分にしか過ぎませんので確定的なことは言えませんが、地獄界に落ちたすべての魂は赦されてまた人として復活しているではありません。腐った魂は二度と元の魂としては再生されていません。粉々に粉砕された魂は昆虫の様な虫の魂(命)に転生すると言われています。しかし、いくら一寸の虫にも五分の魂であったとしても、人として出る魂が粉砕されていればもう二度と人の様に成れるではありません。

 人の姿をして産まれ出た時が一番神に近い時とされます。動物等で無く人の身として世に出た時、その意義を知るならばそこに【人として出して貰った感謝】が要るのです。

 虫の魂に貴方の前世に人であったことがありますかと聞いても、虫の様な魂に成った者の記憶の中に自分の過去は人で在ったなどの記憶を有する者などいないと言えます。白狐などの狐霊は人間界とを往復していることから、人の身であった時のことを聞き出せます。蛇霊として出て来る多くの霊も元は人間であったが多く、改心すれば元の人の姿に戻るなどで霊能者であればそうしたことを知るところです。魂は【不滅だ!。】等は、次の世たる来世に人として出ることが確定している者が言えることとでしょう。

 

何故にどんな悪人も、羅城門をくぐれば来世がもらえる?

 

閻羅(閻魔)大王は、鬼と云う【魂】を授ける事が出来る

 

 警察官のパトロールを【警邏】と言いますが、霊界の警察官がそうした鬼の姿をしているなのです。しかしそこには閻魔庁は羅城とも呼ばれ、その羅城門をくぐりさえすれば【来世】が授けられるとされていました。

 しかし本人が閻魔庁(羅城)に出頭しないのであれば、何の特典も無いなのです。閻魔庁とは出頭をすれば誰も無条件で天国に案内するではありませんが、地獄界で罪を償って来ると、次の世に人として出られるをして来たなのです。

 

 しかしそこにある【謎】が起きます。頭が牛頭は仏教の祇園精舎の牛頭天王。旧約聖書は牛頭のモーゼで牛が神と関わっていると解りますが、どうして【虎】なのかがあります。大本教が発祥した綾部藩の殿様は熊野本宮の別当家で、その熊野の九鬼神道家では宇宙の元津神を【宇志採羅根真(金神)】としています。そこから読み取るならば、

 

宇宙の元津神は、宇志(牛)で採る【羅】なのです

 

元津神の【羅】王が、人類の輪廻転生を司っている

 

 イスラム教では創造神を【ラー】の神としていますが、日本では【宇志採羅(艮・牛虎)】とするなのです。仏教の牛頭天王。牛頭のモーゼなどを考えれば、そこに大本教神諭予告の九つ花に咲く一輪の言霊の経綸として【ラ】の言霊が浮かび上がって来ます。ただ【ラ】の言霊だけで、その意味を理解せずに創造神を説いたのがイスラム教に出て来た天使と言えます。

 

 

地獄の【獄】は犾の間に言。言葉の働きが霊の姿を変える

 

人に来世を与える力がある事から、【輪廻転生】が起きた

 

 その働きが【艮と牛虎】になり、この日本国の言葉で仕組まれていると解って来るのです。

 

魂と呼ばれる漢字に、【鬼と云う】を何故に秘めた?

 

地獄界に落ちた貴方に、来世を授ける羅城の門番が鬼達

 

 私が子供の頃は【旧約聖書の神】と名乗る声が臨んでおり、その旧約聖書の神と称する声は私に【魂の輪廻転生】を説いて来ました。旧約聖書の神を唯一神として説くキリスト教やイスラム教やユダヤ教には【輪廻転生】の教えが存在していません。有るのは天国と地獄の二元論のみです。輪廻転生とは仏教やヒンズー教が説く宗教の世界の観です。そこに大きな【謎】を残していると言えます。

 

旧約聖書の神と称する声が、何故に【輪廻転生】を説く?

 

 仏教は祇園精舎の【牛頭天王】を守護神として起きた存在です。私自身は霊界修行の中で自分に牛頭の存在が出て来て、自分にも【モーゼと同様】の役割があるのだろうかとなりましたが、モーゼが紅海を渡る時の霊的映像として海龍達によって海の水がせき止められる奇想天外の光景に接し、もしかするとこうしたことは人智では解けない仕組みかとなりました。

 

 日本ではその牛頭天王を素戔嗚尊と混同するが起きました。日本神話だと素戔嗚尊は伊弉諾尊単独の御子で【牛頭】はおかしいとなります。もし牛頭天王が国常立尊であるとするならば、日本の素戔嗚尊は国常立尊その方では無いとなります。

 そこに大本教は素戔嗚尊は豊国姫の精霊体とすることで、話の辻褄を合わせてくれました。豊国姫とは国常立尊の妻神であり、国常立尊と素戔嗚尊の関係は人間世界の感覚に当てはめると親子関係に等しいで説明をしたなのです。国常立尊と素戔嗚尊の間に神界における親子関係があり、大本教から出された艮金神と素戔嗚尊は親子の関係にあるとすれば、さらなる深い仕組みが見えて来るのです。

 子供の頃に私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、日本神話はこの私が人民を使って創作させた物で有り。そうした事実が在ったと語るのではないと告げられた。

 

日本神話を紐解くならば、この神の仕掛けが見えて来る

 

  私自身は縁があって霊界に関わり、魂と呼ばれる存在は【輪廻と転生】をしていると解って来ました。過去世では【牛の世界】にも転生していたのです。そこから牛(宇志)とは何か?。蛇とは何か?。狐とは何か?。龍とは何か?。そうした事柄の追求に入って行ったと言えます。

 聖書は【羊の言葉】ですが、羊の言とは譱(善)の意味なのです。ただ羊は争わないなのですが、素直だけでは狼(良心神を説かない獣)達に食べられるなのです。

 

日本人は仏教徒で、閻魔大王を悪魔とは言いません

 

されど閻魔大王の使いの鬼達に炒り豆をぶつけるは愚挙

 

 

 その背景には何が秘められていたのか?。

 

 

虎の字には【七】が隠されて、末で八形に開く?

 

寅は演劇で、寅も虎もそこに創造神の大舞台がある

 

牛虎の鬼達は雷様で、七つの太古(太鼓)を鳴らした

 

 私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、この世は【神の舞台】を見せるところ。ただ私が書いた筋書きは世に出ておられる神々は知らぬこと。その筋書きは私一人だけが知っている。そなたもこの私の筋書きは知らずに神の舞台を演じるのみ。】と告げられたなのです。

 未だよく理解出来ない当時は、どうして今は神代の七代目なのか?。聖書は七日目は安息日としたのか?。謎だらけだったのです。しかし劇の【虎】と演劇の【寅】で解って来たと言えます。

 

今の世は日本神話で七の代。聖書は七日目の安息日

 

真理(ダルマ)は七転八起で、七の世を閉めて八の世

 

 これらを大集成させた仕組みが【五十六億七千万のみろく菩薩】なのです。その弥勒菩薩をマイトレーヤと言っていた者達は誰一人として意味が解っていない者達だったのです。西洋のスピリチュアルに見られるマイトレーヤ世界教師論などは、一人として弥勒菩薩の意味が解っていなかったと言えます。

 その証拠として、世にみろく菩薩と称した存在者で誰一人として、お釈迦様の悟りが何であったか?。たどり着けた者がいなかったなのです。お釈迦様の悟りは【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】だったからです。

 これら一連の仕組みは、大本教と呼ばれる宗教が起きて、その中味を解説して行くと解る様になっていたなのです。

 

日本で説く【雷】様は、神成り、神鳴りの意味

 

牛虎を悪魔呼ばわりしている間は、創造神が解らない

 

 そもそも世界の宗教界における【悪魔の定義】に問題があったなのです。悪魔の【亞】は、最高司令官を墓に葬った。亡き者にした意味で、万物の創造神を世の表から葬った者達が悪の意味なのです。こうした内容は通常の辞書を見ても書いてはいません。またインターネットを見れば何でも解るというようなものでもないのです。

 キリスト教ではイエス一人が絶対的な神の一人御子で、イエスを信じる者達は天国界に入り、そうで無い者達は地獄界に墜ちる。その地獄界たる冥府の長官を悪魔(サタン)と位置づけたなのです。それと比較するとお釈迦様の【悪魔は実態を持たない表れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】は完璧に近い理解力に基づいていたなのです。

 

 愛は悪魔にもあるが、悪魔に良心は無い。イエスにはその違いの理解が足りていなかったと言えます。

 

キリスト教は【輪廻転生】論が無い為、悪魔を間違えた

 

 確かにイエス一人を主の御子と信じて天国界に救われるのであれば、それを妨害する冥府の長官を悪魔(サタン)と定義したことは、宗教の教義の概念からすると必ずしも間違っていたとは言えません。しかしそれは【真理】ではなかったなのです。真理を説くことが【キリスト】ならば、ナザレのイエスはキリストと呼ばれる資格に該当する魂ではなかったのです。

 西洋におけるスピリチュアルの先駆者は、イエスの霊界における次元界の高さがどの程度の段階で在ったかを理解しきれていなかったなのです。

 

 私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私の書は旧約聖書なれども旧約聖書は暗号書で、暗号を紐解く鍵を待たないで読めば意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。私の教えは世界の宗教界に載ってはいない。私の教えはこの日本の民話や昔話や童歌や諺に秘めた。この私を知ることが出来るのは、この国(日本)に住む者だけである。】と告げられた。

 私自身、西洋のキリスト教社会やイスラム教社会に生まれていれば、この日本の言葉による仕組みに辿り着かなかったと言えます。お釈迦様の悟りの仏教国で日本古来の神道の国に産まれ出て、日本語という言葉をしゃべることから理解できたのです。

 

 そこには【型】と呼ばれる事柄であったと言えます。この【型】は大本教から世界の型は日本に在り。日本の型はこの大本教に在ると出されたことで、【型】の概念が初めて世に出たのです。

 私が解き明かした大本教神論予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯】にしても、それは【米】の型の示しであり、米食ではない民族向けにはなっていないなのです。その大本教からこの日本列島は世界の【雛形】論が出されました

 

それを【滑稽】だと笑うのか!。似ていると思うのか?

 

 

 

 

 日本列島を見ているだけだと南米大陸に該当する地が見当たりません、その場合、南米大陸は台湾を当てるのです。かって台湾は日本の領土でしたが、中国の人で有っても台湾の人には魂的には日本人と同じ大和魂が付与されていたなのです。そこに台湾の人達には心情的に自分達は日本人だと言う感覚があったりするなのです。

 

 日本人として【大和魂】を貰うのか、西洋人の魂を貰うのか。そこにどれほど魂の格式に違いがあるのか?。

 

 大本教神諭に日本人の魂は西洋人の魂と比較すると一段上の魂とありますが、それを日本人も西洋人も無い。元は一つの神から別れたのではないか?。それを日本人だけを依怙贔屓するのは心の狭い神だと批判する者達はあります。それは何も知らない者達の意見だと一笑しています。そこに輪廻転生で魂が住む場の意味もあるのです。

 キリスト教の愛の思考に犯されると、神の世界の【階段】が見えて来ないのです。神の世界は次元と呼ばれる階段が存在しており、その階段は正神界も邪神界も【百八十段】有るとされています。その【一八十】段の意味が天の岩戸の【イハト】の意味と明かしたのが岡本天明師の日月神示(ひふみ神示)と呼ばれる物なのです。

 

天の岩戸開けとは、神霊界を【一八十】段で位置づけ

 

 大本教神諭には、かって神の世界で【下剋上】が起きたとします。すなわち下位の神達が上位の神の地位を奪った事柄です。その時に起きたのが【力の強い者が勝つ】の獣の神の論理なのです。今の神霊界はその力の強い者が勝つ【獣の社会論理上】の産物なのです。

 それが起きたのは今から約35万年前とされており、この世に住む人類の歴史では解るような話ではありません。為に大本教からは【霊界物語】として出されたと言えます。霊界と呼ばれる世界を歩いてくると、6度目の世の終わりの時に【水の審判】と呼ばれる事柄が遭ったようだと見えてきます。

 六度目の世の霊界を【冥途】と呼ぶが、そこに【六】の字を秘める 。

 

間もなく、物質の第七(質)の世の終わりが近づいている

 

物質の質(七)の世が終わると、永遠の八(8)の世が来る

 

 

 

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