通常聖書と呼ばれる物はヨハネの福音書を指しますが、その聖書には【初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。】とありますが、これで【神と言葉】の関係が解る方は一人も居ないでしょう。
明治29年旧12月2日の大本教の神諭には【艮の金神はこの世の閻魔と現れるぞよ、この日本は、元は神の直系の分霊(わけみたま)が授けてある。外国霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよ。言葉もその通りであるぞよ。時節参りて煎豆にも花が咲きて・・・・・・】とあります。そこに日本で使われる言葉とは西洋が使う言葉とは違うぞとあるわけです。
どうして民族で言葉が違う?。霊界で言葉の翻訳は?
この大本教神諭の日本人の魂とは俗に【大和魂】のことで、外国霊魂とは一段も二段も上の身魂であるぞよとあることに関しては、明治36年旧6月4日の大本教神諭に【日本も外国も別に違うた事はない筈じゃ。同じ神の造りたる国であるのに、日本、日本と依怙贔屓を致す、世間知らずの狭い勝手な神じゃ」と申すものは沢山現れて来るなれど、ソレは天地の先祖の神の広い御心が判らん、悪の守護神の憑(うつ)りて居る外国身魂であるから・・・・・・】と有る内容に関係しているのです。
日本の国土とは大本教から出された【世界の大陸の雛形】となっています。それが理解出来ない人にはその大本教神諭の文面の理解は難しいのかも知れません。人の魂の輪廻転生から言えば、黒人種から白人種。白人種から黄色人種にが見られます。そして日本生まれ出ることは神に上がる一歩に近づいて来ているなのです。それは日本には皇室の祖神とされる天照大御神が祭られているすることとは、まったく関係が無い事項なのです。
日本神道の世界に入ると、日本は旧約聖書の世界か?
私は子供の頃、キリスト教の家系でも無い自分に旧約聖書の神と称する声が臨んで来ることを不思議に思っていました。しかし自分が日本神道の世界に入って、この日本こそが旧約聖書の神の国ではないかです。
私は多くの霊能者の霊査を受けて、7~8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですよと指摘をされて、大本教から出されたウシトラ(牛虎)金神国常立尊とは旧約聖書の神であると解って来たと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師の自分(出口王仁三郎聖師)と開祖(出口なお師)は旧約聖書に予言された男女二人の預言者であるの言葉は、間違いないであろうです。ただどうして旧約聖書の神が日本の国祖たる神なのか?。そこには宗教の世界では解らない霊界での物語があるのです。するとキリストたる【救世主】は何かとなります。そこに来るのが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】となるなのです。
一輪の言霊に救世主(キリスト)の役割が授けてある
霊界を見聞していると面白いことが解って来ます。それは西洋人の霊が語りかけて来る言葉も自動で日本語に翻訳されていることです。霊的世界の存在を信じていない人は英語が解らない日本の霊能者が、どうして外国人の言葉を理解しているのかは謎だったはずです。
そうした時、日本の恐山のイタコなどに見られることは外国人の霊がズーズー弁で語りかけて来るとなりますが、それはイタコを務めている人がそこに出て来た霊の想いを自分が受け取り、その霊の想いを自分が使っている言葉でしゃべろうとすることからズーズー弁になってしまうなのです。そこにあるのは霊の直接の言葉では無く、自分の意思が入り、純粋な霊媒者が告げる霊の言葉とは違っているのです。それは【想念の伝達】に過ぎないなのです。
この想念の伝達は【霊の憑依】と同様のことであり、そこに出て来た霊の想いを受け取る。スピリチュアルに見られる【霊感】的な要素で、純粋な霊媒者による霊からの伝達とは違って来たりするなのです。神霊からの言葉も完全霊媒者の口を借りて降りる神示と霊感で受け取る物とは違うと言ってもよいのです。
純粋の霊媒者は自分の肉体を霊に貸して、その霊に自分の肉体を貸している間は霊界の違う場所に行っていて、自分の肉体が如何なる言葉をしゃべっていたのか知らないとなります。それが完璧なタイプの完全霊媒者ですが、それが出来る霊媒者の数が極端に少ないことから世間的にはその存在が知られていないとなります。単なる霊感とその違いも理解されていないとなります。
霊の想いを受けて告げる内容と、霊直接の言葉とは違う
霊界には人を欺して喜んでいる霊や俺々詐欺団も多い
霊的世界に関わると霊界には嘘を出して、欺したぞと喜んでいる霊や俺々詐欺師の様な集団で欺しに来る霊団もあると解って来ます。特にこの俺々詐欺団は分担して詐欺に掛けて来ますので、それに欺された宗教家や霊能者は多いとなります。時にはその俺々詐欺集団が大宗教と化すもあります。
霊世界には俺々詐欺団の宗教が創った大教団も見られる
そうした霊界の俺々詐欺集団が創った宗教団体に入信しても、連れて行かれるのは地獄界。この世ではそうした宗教団体に大金を巻き上げられる。
一般的に霊の想いを受けてその言葉を告げる人を巫女とかシャーマンとかイタコとか口寄せとかその言い方は違っていますが、そうした存在を【霊媒】者と呼んでいます。そうした中でスピリチュアル標榜者が語る自分の霊感と完全霊媒型者が出す霊の言葉とではまるで違うことが世間的には理解されていません。霊感を振りまく人の数は多いが、完全型霊媒者はその数が極端に少ないことから解らないのです。
完全型の純粋な霊媒者だと、その霊媒者の肉体を占有した霊が直接にその肉体の口を借りてしゃべるので、英語圏の西洋人の霊ならば英語でこちらに語りかけて来るとなります。そうなりますと日本語しか解らない日本の霊能者は、相手がしゃべる言葉が今度は自分には解らないとなります。それはその霊の想いを受け止めてその想いを告げるのとは意味が違うからです。
しかし宗教の世界では、そうした異国の霊がしゃべる言葉はどうなっているのかの議論すらなかったことが解ります。説明もされていません。
宗教の世界ではキリスト教はイエス一人を主の御子と信じてさえいれば人類の原罪が赦されて天国に行けるの一点張りですし、イスラム教はアラーの神は偉大なりと唱えていれば天国界式の教えで、死者と成った霊との会話はどうなっているのとか、そうしたことにあまり言及していません。
イスラム教においては霊は偶像に宿ることは理解していて、偶像禁止だと仏教の寺院等を破壊して来ましたが、ではどうして霊は偶像に宿っているのか?。その理由が解っていたとは言えません。イスラム教の開祖ムハンマドはお釈迦様とは違い、識界レベルが低かったがありますが、基本的に西洋で天使長とか大天使とされたミカエルとかカブリエルと呼称していた霊そのものが、霊界での識格が低かったもあります。
特にキリスト教は中世ヨーロッパに見られた霊と会話したと言えば、イエス以外の者に神と会話など出来ないとして魔女の烙印を押して、掴まえて裁判で火炙りの刑と言う暴挙を積んで来ただけなのです。為にキリスト教はキリスト教自身が過去に犯した罪のカルマの数々で、もうどうにも成らないところまで来ていると言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師が残された【地獄を覗けば牧師で一杯だ!】も嘘とは言えないのです。
ただキリスト教系とされるモルモン教の聖書を読みますと、天使が伝えた事柄として異国の霊で使っている言葉が違っている霊との会話には【自動翻訳機】と言う言葉が出て来ます。今は便利な時代となって異国の人との会話は文字に起こして、文字を通して異国の人と会話することが出来るようになりつつありますが、そこには【翻訳機】と呼ばれる機械が必要になります。
しかしモルモン教の聖書に出て来ます【自動翻訳】には機械は無いはずなのです。それは私自身外国人であった霊との会話に、そうした機械を必要とせずに、私自身外国で生まれ育った霊の言葉を日本語で受け取っていたからです。別にその霊から言葉の意味が理解出来ないと言われたこともありません。その言葉の翻訳が機械的なことでないことは、そうした外国人だった霊との会話の【声質】はその言語を替えようが同じ【音質】であることから、その霊だと解って来るからです。
霊にも変えられない物に、魂の霊臭や霊の声質がある
私は子供の頃はその姿を見たではありませんが、旧約聖書の神と称する声から教えを受け続けていました。それで何れ自分は神霊世界に関わらなければならない時が来る。そうした覚悟をしていました。それはそうした神界の用務の為に、今生は人として降りたと聞かされていたからです。人は霊的世界など関わらなくてよければ、関わらない方が人間としては幸せなのです。スピリチュアルは儲かりますと言っているのは、スピリチュアル界だけなのです。
神の世界は奉る(たてまつる)で、奉仕の精神で進む
この世は霊世界の存在を知るで無く、汚れた魂を磨く
そうした覚悟の上で私が神霊世界に関わったのは、私の目は開いてているにも関わらず、何の光も見えて来ない真っ暗闇の中に落とされて、私にこんな恐ろしい声があるのかと震え上がらせる霊声が臨み、そのあまりにも恐ろしい【霊声】から神霊世界の修業に入ったと言えます。それは私が子供の頃に聞いていた旧約聖書の神と称する声とはまったく異質の恐ろしい声だったのです。
そして4年間ばかり稲荷神界で豊受姫にお世話になり、日本神道の天津神、国津神、仏教で語られる如来、菩薩、明王などの世界。そして眷属と呼ばれる龍神とか蛇霊、狐霊の存在。それに仙人や天狗と呼ばれている存在も見て来ました。世に言われている霊的事物は全て有るなのです。霊界には天国界や地獄界だけでなく、【中有界】と呼ばれる世界が在り、その中有界こそ【輪廻転生】の大元の界と言えました。
魂は中有界を経て、悪しき想念を落として天国に向かう
中有界に留まる限り、魂は輪廻転生から脱却は難しい
で、霊界を語る人は誰も特別に大きな嘘を言っているのではないと解って来ました。霊界はその人が見る世界の見方によって、神や霊の世界の解釈が違っているなのです。すなわち次元と呼ばれる界によって、霊達は隔てられた界に在るです。お釈迦様で言われる八次元の世界から降り立った様な魂と六次元の世界から降り立った様な魂では、まったく違っているです。そこに【天使の記章】と呼ばれる【神霊には階級がある。】なのです。
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。私の教えはこの日本の国の中に在る。この私のことは日本以外の国では解らない。】と告げられました。
私の家の浴室の前に大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊が【漢字】と描かれた浴衣姿で出て来られましたが、そこに【漢字】から学べのアドバイスがありました。その出口王仁三郎聖師霊は私に【アラーの神とは、ア門ラー】と暗示されたのです。アイウエオのアの門から入って、【ラ】に到るのがアラーの神。それはミカエルだとガブリエルと称する者達が言うアラーの神とは違っていたなのです。
大本教から出された牛虎金神の意味は、牛頭虎パンツの【鬼が云う】は【魂】と呼ばれる漢字を教える為の仕掛けです。艮の漢字に【点(天)】を付ければ【良】の漢字になる。そこに大本教から【天に帰る】までの【艮(ウシトラ)】が出ました。悪魔とは魂の真ん中の【核】の部分を【空く間】にすれば悪魔と成る。全て日本語で神の存在が解ける様になっているではないかです。
私達は盗みをする人を【泥棒】と言いますが、どうして泥の棒なのだろうと思っていましたが、魂は丸い玉で、円い球には必ず【心棒】があります。この心棒が泥の棒と化した状態が泥棒で、魂の心棒はこの世の苦の【辛抱】で磨かれると解りました。悔い改めるとは、その魂の心棒たる【杭】を改めるです。そこには魂は永遠に不滅では無く、腐るもあるなのです。
大本教神諭の【この世の閻魔大王】として現れるも、この世の閻魔とは人の魂の中にある良心神のことであり。魂は【○に・(黒点)】でこの世の【円真(エンマ)】として解るようになっているのです。それを日本の言葉で解らせる為に、出口王仁三郎聖師は日本の【尊は御言(みこと)】のことであると出されたと言えます。
国常立尊とは【日本の国に常に立つ御言(みこと)】となるなのですが、それは【日本語】のことであるとなるのです。そして日本では神を【尊や命】の漢字で表しますが、命は【イノチ】も振ってあるわけです。新訳聖書の初めに言葉は神と共に在ったよりも、命は御言として在ったの方が解りやすいでしょう。
人は祝詞や御経を上げても言葉の仕掛けは知らなかった
霊界を見聞していますと、金色の発光で【漢字】が出て来ます。俗に【金文字】と呼ばれているのですが、この金文字には特徴があるのです。
霊は嘘の言葉を出すが、金文字で出た言葉に嘘は無い
日本語の特性は【漢字】がないと【感じ】が掴めない
新約聖書において【初めに言葉は神と共に在った。】は有名な出だしですが、これで【神は言葉なり】を理解することは不可能と言えます。識界レベルで創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界と言われていますが、【言葉と神の関係】に関しては大本教の出口王仁三郎聖師が世に出て来られるまでは誰にも解らなかったと言えます。
私は自分が神霊界見聞をさせて貰って【金文字】に触れたのですが、それは霊界と呼ばれ空間上に現れる光の金文字なので、写真に写るではありません。ただその金文字を見ていると、その母体は【象形文字】であると解るのです。何故に、象形文字はエネルギーを発している?。スピリチュアルでは万物は【光から生まれた】としますが、光が元となって万物が産まれた。為に万物は光の残影を持つなのです。その万物の象形が文字と成ったのが【感じ(漢字)】なのです。
そして漢字の【神】は、言葉を申し示す【神】と成っているなのです。それをエネルギーと見る時は火水(かみ)と呼ばれるです。そこに西洋人には【神は言葉】は理解出来ないとなるのです。
この世に現れた事物は【象形】でエネルギーを有した
象形文字(絵文字)で伝える【絵伝】は解釈力が必要
霊的世界に関わっていますと、不思議な出来事に出会います。それは出版された本でも悪臭を放っている本もあれば、香しい匂いを放っている本もあります。それは日本で出された本に書かれた文字が象形文字から起きることで、西洋のアルファベット文字の様な表音記号ではそうした霊的事物が発生して来ないなのです。
汚れた言葉を放つ本は、その文字からも悪臭を放つ
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