スピリチュアルと称して、イエス様。イエス様が説いた愛。そうしたことばかり言うのがスピリチュアルだと思っている人達もありますが、日本では明治維新以後【数霊】と【言霊】と呼ばれる霊学が起きて来ました。
無論、明治維新より以前の日本古神道には【天の数歌(かずうた)】と呼ばれる日本神道特有の言霊による【真言】も存在しました。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。と書いて
ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と。と読む
言霊と数字が結びついている働きです。
この【ひふみよいむなやこと】は単なる数字の並びでは無く、この世が成立して来た順番も語っています。しかし【ひふみよいむなやこと】だけでは、霊的な働きの意味の説明が出来ていませんでした。
そうした中で大本教から【ひと(一)、ふた(二)、み(三)、よ(四)、いつ(五)、むゆ(六)、なな(七)、や(八)、ここの(九)、たり(十)】が出されました。
その数字に漢字を当てて、一霊四魂(ひと)、厳瑞八力(ふた)、三元(み)、世(よ)、出(いつ)、燃(むゆ)、地成(なな)、弥(や)、凝(ここの)、足(たり)です。その後に諸(もも)で【百】。血(ち)で【千】。夜出(よろづ)で【万】を指します。十三の仕組みです。
ただ私がここに示したのは大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子から伝わったもので、今の大本教の教義かどうかは解りません。
この世の成り立ちを数字で説明した
スピリチュアル標榜だと、日本古来の古神道から来ている【一霊四魂】とか【厳瑞八力】などまったく意味が解らないとなります。私は日本神道の世界に入って、その一霊四魂とか厳瑞八力とか三元が理解出来て、キリスト教におけるイエス一人が主の御子だと信じていれば天国等の教えはまったく役に立っていないと解って来たと言えます。イエス一人を主の御子と信じている程度では、それだけでは誰も天国界には行けていないなのです。
私はバラモン教の聖典ヴェーダに残されているとされる【人の胎内に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の霊的体験をして、お釈迦様は真理を正しく説かれたがイエスは真理が説けなかった。しかしそのお釈迦様が説かれた【真理】は今は世に埋もれていると閃いて、お釈迦様の教えとイエスの教えの違いにその真理が埋もれていると探求を続けてきました。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【この国は(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり、私の書は旧約聖書なれども旧約聖書は暗号を紐解く鍵を持たないとその意味を間違える様に創ってある。新約聖書は人の子達が為した書で私の書では無い。】と告げられました。
イエスの言葉が神の言葉ではなく、この日本にある
この日本の国に満ち溢れている私(旧約聖書の神)の教えの意味は、当時は解りませんでしたが、伏見稲荷山で稲荷大神首座神たる豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方。】と告げられて、稲荷神界から言霊の世界に修業を転じたがあります。
その中でお釈迦様の悟りとは、大本教から出された【みろく】と大本教神諭の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水・秘密)】を導き出すことだと解ったと言えます。ただそれを紐解くに当たっては、大本教から出された【言霊】とは何か!。それが必要だったのです。大本教を知らずして、霊の世界を語ると勉強不足になるのです。
大本教では大本教出口直(なお)開祖と二代目教主補であった出口王仁三郎聖師とで【厳霊】と【瑞霊】の型演技。それと三代目教主であった出口直日さんを【龍宮の乙姫】役として、三代目教主補であった出口日出麿さんを【日之出神】とする型演技がなされました。
龍宮の乙姫は【龍宮の音(言霊)秘め】、龍の音秘め?
その原点は、中国の落水に現れた亀の甲羅が示した数字
紀元前30世紀頃、中国の黄河の落水で甲羅に不思議な紋を付けた亀が見つかった。
その亀の甲羅には、2.9.4.7.5.3.6.1.8の数を語る丸の紋があった。この型を【三方陣】と呼び。その一つ一つの数字が【霊界】を表していたことから、【龍宮の乙姫(音秘め)様と亀】との関係となり、その中に【ひふみ(123)】の仕掛けも出て来るのです。
大本教神諭に出て来ます【九つ花】とは、大本教で【神旗】とした【九曜紋】旗のことでなければ【十曜紋】旗のことでもないのです。大本教神諭にある福知山舞鶴十里四方外囲いで示された【九の魔方陣】の数理版の数字と言霊を結びつけた物のことなのです。
この九の魔方陣(縦横斜の総和が三六九)から日本語ならば解読できる【五十六億七千万】の数字と【一輪の言霊の経緯(秘密)】を導き出すと、お釈迦様の悟りが何で在ったかが日本語の【言霊】で解るようになっているなのです。
そこに、真ん中の【41】はモーゼが紅海を渡ってカナンの地を目指す【41】年目。イエスが荒野をさ迷って悪魔を退けて主の一人御子と成ったとする【41】日目。大本教の出口王仁三郎聖師がみのか尾張の国の中から現れる女子とした、美濃か尾張の国から出る国道【41】号線などを数字を秘めているなのです。
その日本語による言霊の並べ方の【41】位は、いろはの【み】か?。ひふみの【す】か?。アイウエオの【ラ】か?。が有り。そこに創造神の仕掛けがあると言えます。
【み・す・ら】のどれかで、艮に天(点)を付けると【良】
明治25年(西暦1892)に丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の二代目教主補であった出口王仁三郎聖師は希代の大予言者で、その予言された事柄は数々当たったことが知られています。それだけでなく大正時代に出された霊界物語の中には現代で言う【スマホ】と思われる内容すら存在していました。
大正時代に今の様なスマホの世の中が想像出来たか?
その大本教の出口王仁三郎聖師は【いろは歌】は祝詞だよと出されました。私は稲荷神界に所属していた時はそうした【言霊(ことだま)】のことはよく解りませんでした。だが稲荷神界を離れて言霊学に転じて言霊とは何かと解った時、それまで私が持っていた【神観】など吹っ飛んだと言います。その言霊の存在の前には、仏教の如来も菩薩も明王すら吹っ飛んだのです。
仏典を開いても、無から有を生じたで創造神のことはよく解りません。ただ仏教では虚空蔵(牛歳・虎歳の守り本尊)から出たと解る程度なのです。すなわち艮の【牛虎(ウシトラ)】からです。
言葉を創った神は、仏教の如来や菩薩で説明が出来ない
聖書のヨハネの福音書で知られる内容は【初めにことば(ロゴス)があった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。】は有名な内容ですが、それで人々がどれほど【ことばは神であった。】が理解出来るかなのです。
西洋では【一二三四五六七八九十】と書いて、【ひふみよいむなやこと】と数霊と言霊とを結びつけることは出来ません。大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスと比較して何一つ劣っていないと述べられましたが、神霊界の天使に見られる【天使の記章】としては、大本教の出口王仁三郎聖師はイエスより階級は上にあると思われます。
私は子供の頃、【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教えであり、そなたはイエスの愛の教えを説く者達の数がどれほど多くても、そうした数の多さを恐れずに乗り越えて行かなければならない。】と告げられました。
イエスの愛の教えは真ん中が無いドーナツ型のパンとは、魂と呼ばれる存在の真ん中に在る【核】。そして魂の【心棒(杭)】と呼ばれる存在が解った時、なるほどイエスの教えはドーナツ型の真ん中が無いパンの教えと言えると解ったのです。
日本の神智学では、愛ばかりを言っている人達は【蛇霊の容器】と化した人と言われていますが、愛と蛇とは深い結びつきがあるのです。
神は愛だで、個々の魂が積んだカルマは解消出来ない
神も自分が汚した尻は自分で拭けの原則は変えられない
霊的世界に関わると、トイレの夢が頻繁に出て来るようになります。そうした夢に出て来るトイレの多くは、そのほとんどが汚いのです。美しく磨かれた綺麗なトイレはめったにはありません。この夢の中のトイレ(便所)とは【便(人の更生)】の意味で、正しい神の教えを説いている宗教施設(場所)を指します。
世界に魂の更生に相応しい宗教は極端に少なくなった
一部の霊媒体質者は自分を犠牲に、下痢等で浄霊をする
現代の宗教の多くは、人の魂の更生場所たる便所につながっていないのです。非常に力がある霊能者の元に行くと、そこでどこにそんな便が自分の胎内に有ったのかと言うほどの大量の便が出ます。こうしたことは行者筋ならば知っているのですが、大多数のスピリチュアル標榜者はそうした事実すら知りません。
それはスピリチュアルでは魂の汚れを浄化するが何一つ解っていないからです。世界の宗教の教会そのものが汚れた便所と化しているのです。それではこの世は魂の更生の為に【甦る輪廻転生】の場として支障が起きているなのです。
魂の更生場の意義を失った地球は、存続の必要性が薄い
この日本では【姓名判断】と呼ばれる占いが存在します。私達の【氏名】を告げる言葉の音波(言霊)の個々の響きと数霊の働きとを結びつける占いです。それと私達日本人が名前として使用している【漢字】の画数をも併用するです。
西洋においては各自の生年月日に基づく【占星術】が主体ですが、自分の姓名として使う漢字の画数で占う姓名判断等、西洋人からすればびっくりするです。私は神霊界修行に入り驚いたのは【数霊】と呼ばれる霊的な働きです。数霊と書いて【かずたま】とか【すうれい】等と呼ばれています。
易学の世界では【数霊】の働きは常識ですが、宗教界ではほとんど数霊の働きを説いて来なかったがあります。キリスト教等のイエス一人を創造神の御子と仰いでいれば良いでは、そんな数の霊力の働きなど何の関係も無いとなります。ただキリスト教では【十三】の金曜日を悪魔として言っているだけです。
それに比べると、日本は九は【苦】。四は【死】につなげる
九と四の十三で【串(九四)刺しの磔(はりつけ)】が出る
イエスが串刺しの刑に処せられたは、別にイエスが人類の原罪を背負ったからではないのです。スピリチュアルと称してイエス様は人類の原罪を背負って下さったと言っている様では、何も解っていないとなります。
西洋におけるスピリチュアルとは白魔術とか黒魔術と呼ばれる様な事柄をトランプカードとかタロットカードで占うが主体です。こうしたカード占いでよく当てる方はその方の背後には必ず俗に言われる魔女的な守護霊が存在していて、その守護霊的存在が霊的世界の情報を加味して相談者に回答をアドバイスするです。
よく当たる霊感占い師の背後には、必ず霊の存在がある
大正時代に現代のスマホや空中メール等の登場を予言した大本教の霊界物語は、霊界でも特別高い世界から降りた予言内容だとは解りますが、多くの人はそんな高い世界の大事の予言よりも、今の自分の恋愛の行く末とか就職や仕事や金儲けを知りたい。そうした流れになるのは人間としての性(さが)なのかも知れませんが、そうした占いは蛇霊や狐霊の世界に結びつくなのです。それではこの世の目的たる自分の【魂磨き】が入って来ないなのです。
この日本では数霊の働きだけでなく、方位も言います
私は自分が稲荷神界に籍を置いて、俗に金神の巡航などと言われておりますが、その人にとってはその時間には行ってはいけない方向があり、その方位を犯せば大事故に出会ったり死に到る。そうしたことを見聞して来ました。そこに自分が信仰する神霊がその人がそうした方向に行かないように【足枷(あしかせ)、足止め。】と呼ばれる術を掛けて、その方向には行かせない様にするがあります。
そこに信仰をすれば大難が中難に、中難が小難にがある
人に金儲けや名声を与えるのが守護神では無く、魂磨き
昔、霊感少女としてその名を馳せて。その相談者の多くは一流の政治家や経済人ばかりで、テレビが無い時代だったので映画館のニュースでその映像が流れていた霊感師藤田小女姫さんは、自分がハワイに行けば殺されて命を落とすかも知れないとの予知を持ちながら、その小女姫さんのご子息がハワイから母親の小女姫さんに助けを求められたことからハワイに行き、親子共殺される事件がありました。
霊感師として【予知能力】を持ちながら、災難に出会う方向に行ってしまったなのです。人は誰しも今日は出ない方が良いと言う霊感を感じたが、その霊感を無視して強行して事故に出会った。そうしたことがあるのです。それは人は霊的世界の住人だからです。
その方向に行けば、自分は事故る等の方位や数霊がある
神を信仰していても、数霊や方位の災いは止められない
藤田小女姫さんの場合、霊感はよく当たるけれどもその背後に居たのは【狐霊】であったと言われていましたので、その方位に行けば殺されてしまう予知力を得ながら守護霊たる狐霊の力では及ばない処に行ってしまったとなります。
私は霊能者から死に神を送りつけられたり、霊能者の生き霊が天狗霊と共に私を殺しに来たり。いろいろ遭遇しましたが、守護霊と呼ばれる存在によって【瀬戸際】の体験を積まされて来ました。
そうしたこともありまして、私は霊的世界はスピリチュアルで説く【お花畑】だけでは危ないと言います。
貴方が神と信じる存在は貴方をどこに導く?。瀬戸際
狭い地球に縛られて、大宇宙に向かわないと閉じ込めらる
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