人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

金銀財宝で輝く世界を天国と呼べども天人界では無い。人は天人と成る為に修業。神界と天人界は必ずしも同一界ではない。

 世紀の大予言者と言える大本教の出口王仁三郎聖師は、この世は【天人の苗床】と説かれました。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、この世は【魂の修学の場】と伝えて来られましたが、一部の霊能者もこの世は魂の修業場と説いて来ました。そこにはこの世は人が神(仏)と成る為の世界か!。天人と成る為の世界か!。があります。

 スピリチュアル標榜者の中にはこの世は魂の修学の場ではなくて、【この世は遊ぶ処】等と語る人もあります。どちらが正しいではなくて、神霊界には邪悪の神達も有り。正神の世界か!。邪神の世界か!。どちらの世界に導くかです。

 邪神界は当然に邪神達を育てたい。その勢力を増やしたいなのです。しかしその正神、邪神は立場の違いで有り、自分達の反対勢力を邪神と呼んでいるはあります。ただ日本語では【邪の道は蛇】と言うで、蛇神達を邪神とするなのです。

 

天人とは【神】のことかとなると、神そのものでは無い

 

 私達日本人は神社に鎮まる霊達を【神】と呼んでいます。その神の意味は【上、守、火水(かみ)】の意味が含まれて来ます。その火水(かみ)の力を発揮する存在を霊能者達は【龍(流)】神等とも呼んで来ました。

 その龍神が解脱すると天人界に行く。そうしたことが妙法蓮華経には【龍女の解脱】として説かれているなのです。

 

神は霊力で在り、天国界にも地獄界にも存在して来る

 

 天国界とは住人が立派な服を着て、豪華な食事をしている世界。そうした世界だと人々に植え付けたのは宗教と言えます。極楽思想です。天人界はそうした世界では無く、生活的には【質素】な世界ですがその天人界に住む天人達はどなたも【心が穏やかで優しい】なのです。すなわちその心が【宝玉】として輝いているなのです。

 

天人界に悪人は居ないが、神界には悪神や邪神達が居る

 

神と呼ばれる存在の世界と、天人と呼ばれる存在は別界

 

 その天人達はどこかに行くのに自動車にも飛行機にも乗らないで【瞬間移動】が出来ることから、天人界は今の私達が住むような乗り物を必要とする近代的な世界では無く、縄文時代の人の様な質素な格好をしているなのです。天人達は絢爛豪華な衣装を欲しないなのです。それは必要性の問題からです。

 

天人達は自分を着飾らない

 

 その天人達が縄文時代の人の様な白の装束であることが霊能力がある人達に見られているなのです。で、天人と言えば白装束の仙人の様な姿が言われるなのです。それに対して神社などに鎮まる神霊と呼ばれる存在は、人の世界の対比からするとかなり高価な衣装をまとっておられるが見られるなのです。豪華な衣装で威厳を保つです。

 霊能力がある方が神社などに参拝すると男神ならば【衣冠束帯】姿。女神ならばお祭りの時は【十二単衣】。通常だと【巫女】姿で見るなどがあると言えます。そこには神界で働く霊と天人界に住む霊とでは、住む霊世界そのものが違うが見られるのです。大本教霊界物語にはその違いの説明がありますが、その違いの重要性はほとんど説かれていないと言えます。

 

西暦2024年は、龍神界に大変革の動きが起きると見られる

 

その背景は【恐怖の宇宙大王】の出現が数年先に迫った?

 

 世界の宗教は一部の異端の宗教を除いて、基本的に死後の世界を語ります。しかしこの世に住んでいて、死後の世界が在るなど簡単には信じられません。科学や医学は死後の世界の存在証明が出来ずに、死後の世界など嘘と決めつけています。その原因に宗教が説く死後の世界の論理が宗教宗派によってバラバラがあります。どの宗教の説を信じれば良いのかが、さっぱり解らないがあるのです。

 キリスト教やイスラム教を見ますと、我が宗派の教えを信じる者は天国界で異教徒は地獄界に落ちるであって、そこには論理的な検証がなされていません。現実としては自分が信じた宗教によって行き先の天国や地獄が違うではないのです。カルマの原理原則に応じて霊界は動いているのに、その法則を宗教が無視しているなのです。カルマの原理原則から見て行くと、宗教の教えには疑問が出て来るなのです。

 キリスト教やイスラム教とは違って、仏教には【輪廻転生】の教えが存在します。それは天国と地獄ではなくて【中有界】と呼ばれる世界を見て来ると解って来るのです。

 

 何故にキリスト教やイスラム教には【中有界】の存在が説けなかったのか?。

 

 そこにはキリスト教の教義が冥府の長官を【サタン】扱いにしていたがあります。イエスが創造神の一人御子たる絶対的な存在ならば、輪廻転生を起こす冥府の存在を悪魔(サタン)とするは論理としては解りますが、イエスはそんな偉大な存在ではなかったのです。

 

中有界(冥府)が存在するから【輪廻転生】が有ると解る

 

人の魂に【良心】の点数が出て、天国界はその点数次第

 

 

 岡本天明師の日月神示等に有る【一厘がある神と一厘が無い神】。神と呼ばれていても、そこには違いがある。霊力が有るから神と呼ばれていても、正しい神も有れば邪悪の神も有る。

 

 

霊界は広大で無数の世界が存在、誰も全容が解らない

 

人は死ねば天国で無く、天人に成るまでは生まれ出る

 

 世紀の大予言者として知られる大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だと残しておられますが、そうした宗教家とは【カルマの原理原則】を忘れた宗教家と言えます。他に天国に案内すると言いながら地獄に案内する取次ばかりとも残しておられますが、この取次とは現代ではスピリチュアルともなります。スピリチュアル標榜者に見られるこの世は遊ぶ処です等は、カルマの原理原則を忘れているのです。

 スピリチュアル標榜者の【神は愛だから何をしても赦される】はどこにもなく、そうしたスピリチュアルが蔓延る背景に何があるのか?。それはスピリチュアル標榜者の前に出て来て天使等呼称する霊の正体にあるとも言えます。地獄界の勢力を増やしたい者達が居るなのです。

 

霊界に存在する【俺々詐欺団】に引っかかってしまう

 

 イエスが主の一人御子等、誰がそれを証明したのですか?。なのです。キリスト教やイスラム教は人が死後に渡る霊界の内容に関しては、仏教やヒンズー教に比べると論理が弱いがあります。それは識界レベルとして、イエスもムハンマドもお釈迦様の識界レベルには達していなかったと言われています。お釈迦様は第七識界と言われており、イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とも言われています。当然に神や霊界の説明に差が出ます。

 それは幸福の科学の大川氏の様に、自分がお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体たる永遠の仏陀だと名乗れば良いではないのです。名乗ったからと言って【証明した】ではないのです。それを理解していない人は霊界の俺々詐欺師に引っ掛かったなのです。まずはその方がお釈迦様レベルの識界に達しているかどうかなのです。

 

 霊的世界では、自称救世主のニセ者やニセ天使。ニセ神が続出している様に、まず現状の霊界の様を認識する必要があるのです。伊勢神宮には日本の最高神とされる天照大御神に出雲には大国主命様も居られますが、それらの神が現状の神霊界を全面的に支配をされてはいないなのです。それは神霊世界を見渡した時、誰しも判断出来る話です。今の霊界はいったいどうなっているのだと言えるのです。

 そこに大本教から宇宙創造神の国常立尊様は厳格の為に嫌った神々に悪神として強制的に引退させられた後、中国で創造神ともされる盤古大神(西洋ではジュピター神)が神霊界の主宰神の座に就かれた。だが霊界の支配力が弱く、力のある神達の群雄割拠を招いたと記されています。それが力が有る霊能者がどこを見ても創造神が見当たらないと言われる状態を引き起こしているなのです。

 

 スピリチュアル標榜者の中には、イエス様が人類の罪を背負って下さった等と言う人がありますが、?。それならば地獄界など存在しないはずですが、地獄界はあります。その地獄に落ちた人達は別にイエスを主の一人御子と信じなかったからではなく、イエスを主の一人御子と信じていようがいまいがこの世での自分の善悪の行為の結果で地獄行きです。イエスが人類の罪を背負った事実など、霊界のどこにあるのだとなります。

 そのスピリチュアルを自称している人達が前世においてキリスト教に関わっていた意識を持ちながら、今生はキリスト教など関係が無い日本国に生まれ出ている。自分が輪廻転生している意味を理解していないに陥っているなのです。過去世でイエスを神と拝んでいた自分のことは思い出せても、この世に出ている意味を理解していないなのです。

 スピリチュアルのルシファーが悪魔などの説も、今日ではヘブライ語とラテン語の翻訳の過程で生じた言葉の間違いからであると解って来ています。お釈迦様の弟子にみろく菩薩と呼ばれる存在が最初から居なかったのと同様に、ルシファーもまた悪魔として存在して居なかったがでっち上げられたなのです。そこには何神かが【意図した】霊界の仕組みがあるなのです。  

 

 私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【人は死んでは生まれる。死んでは生まれるを繰り返している。人がこの世に生まれ出るのは魂の修学の為に降りているのであって、この世は魂の修学の場として私が創った世界である。】と告げられた。

 大本教ではその神を旧約聖書の神とは呼ばずに、ウシトラ金神国常立尊として世に告げたがあります。その神の働きは【閻魔大王】として、地獄界をも支配するです。地獄界の長官だから悪魔(サタン)ではないのです。だがイエス一人が主の御子式にすれば、イエスを信じていれば罪人を罪に問えないとなります。如何なる大罪者でもイエスを信じる者は解放しなければなりません。だから閻魔庁を悪魔呼ばわりはおかしいとなります。

 また大本教神諭に【牛虎】と示してあるように、牛虎を【鬼と云う】で【魂】の漢字を導き出せるように仕組まれていました。私は中国の盤古大神に拝謁して【漢字(感じ)】の仕組みが解って来たです。

 

 私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が私に告げた内容は、旧約聖書で語られる天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する者達が言う内容とは違っているがありました。そこにはその旧約聖書の神と称する声が私に告げた中味には【旧約聖書は我が書であるなれども暗号書で、その暗号を紐解く鍵を持たないと言葉の意味を間違えるように創ってある。新約聖書は人の子達が創った書で私の書では無い。私の教えはこの日本にある。】です。

 そして最後の審判に関しては、西洋ではなくて【日本神話の天之岩戸開け】のことであるとも言われたなのです。岡本天明師の日月神示は、その岩戸(イハト)を神界の階級は一八十段の意味だと出されましたが、そうしたことはこの日本でないと出せないのです。

 

 キリスト教やイスラム教は天国界と地獄界の二元論で、西洋の人達はキリスト教やイスラム教に出て来た天使長ミカエルや大天使ガブリエル等と名乗って出て来た霊の言葉だけを信じた経緯があります。その天使長とか大天使と称した霊達に問題があったかどうかの検証が何もなされていませんでした。

 スピリチュアル標榜者の多くは自分の前に天使長ミカエルや大天使ガブリエルと名乗る者が出て来ると言われますが、誰も天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと名乗った霊に何の疑問の質問も浴びせていないのです。すなわち日本神道で説く【サニワ(審神)】が何もなされていなかったなのです。

 私は日本神道の世界に修業に入り、そこに出て来た神霊が本物かどうかを調べるサニワ(審神)をする重要性を学ばさせて貰いました。そこに相手が自分は○○大神と名乗っていようが、その神名の名乗りで判じるのでは無く、その返答次第でその神霊の姿が蛇霊や狐霊の姿に【身変える】を見て来たです。

 

蛇霊の意味は?。狐霊の意味は?。そこに狼の睫毛!

 

自己の良心を毛物化させることで、言葉が示す動物姿

 

 世紀の大予言者として実績を持たれた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にミカエルという名の天使長は存在しないと述べておられますが、このミカエルの本来の意味は最後の審判時に蛇の尾を踏む物の意味で【巳(蛇)帰る】の日本語の働きを指していると思われます。大本教の場合はその【巳(蛇)帰る】の意味を【省みる(かえりみる)】だと出したなのです。

 そうしたことを知るには、この地球が関わる霊的世界を現実に支配しているのが蛇霊や狐霊と呼ばれている存在であるとの認識が必要だったのです。スピリチュアルでは何かと言えば宇宙人を持ち出して来ますが、日本の神社等に祀られている存在を見れば蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や龍神や天狗や仙人等で、スピリチュアルで宇宙人とされている霊的存在も蛇霊であったりしているなのです。今日ではそれらは【爬虫類宇宙人】とも言われているです。宇宙人と呼ばれる存在も【蛇】で出て来る。

 スピリチュアルで音楽をかけるとその周囲の者達が踊り出す。俗に踊る宗教がありますが、その人達を操って踊らせる存在をそのスピリチュアルでは宇宙大元霊と称していましたが、蛇霊系の龍神と呼ばれる存在であったりがあります。そうしたことは龍神と呼ばれる存在と霊界で戦った者で無いと解らないがあるのです。

 

人は死後の世界で、蛇(巳)霊の姿に身変える魂が多い

 

その巳(蛇)の姿から脱却させるが本来の天使長の役目

 

 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声の教えを聞いていました。無論、それが本当に旧約聖書の神なのかどうかは解りません。それを確認するにはそれなりの霊能者を探し出す必要があるからです。ただその声の主は私に不思議な映像を見せられたのです。

 それはアラビア半島の紅海に数えられない龍神が垂直に立って海の中に壁を造り、その龍神達の壁の間が道となり。その道をモーゼに導かれた人達が逃げて行く映像です。まるで映画のワンシーンなのですが、その海水が龍神達で割られて創られた道を行く人達にはその海水の道の壁の存在が龍神達であるとは知らずに進んでいる映像です。

 それを私に見せたのは私が子供の頃から臨んでいた旧約聖書の神と名乗った霊でしょうが、それが本物の旧約聖書の神かどうかは私にも解りません。もし無数の龍神を動員してそうしたことが行われたのであれば、そこには本当の神の霊力を見せたとはなります。

 私に自分は一億体もの白龍神を従えているとか、三輪山の神は六次元界黒龍神で自分の指揮下に入ったとか言って来られる方達はありますが、重要なことは【実際に霊力】を振るえかなのです。私の様な【口先】による解説は、そこに力の現出を見ないと意味はありません。私は口先だけのチャラ男で終わるなのです。

 

何の力の示しも出来ない神は、神としては生き残れない

 

 私は霊能者とは言い難い者ですが、霊的世界の存在を知る為に少しは霊達を見る力があり、龍神と呼ばれる存在は見て来ました。また私自身が易者の方から龍眼だと指摘されるように、元は龍男であった要素を持っています。

 霊界では霊的映像を創り出すがあり、その霊的映像だけでは証拠とは言えません。実際にその光景を創り出してこそ【神】なのです。

 

されど紅海を行くは、日本語で【後悔】を渡るにつながる

 

 大本教から出された国常立尊は【三十五万年前に御引退】は、この世と神界時間を対比させると、そこに【四十年】の数字が出て来ます。大本教神諭に予告された九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)が【四十一】番目の言霊であることは、モーゼの四十年間荒野のさ迷いと関係しているなのです。

 大本教の出口王仁三郎聖師は、自分(出口王仁三郎師)と開祖(出口直師)は旧約聖書に予言された男女二人の預言者だと述べられておりますが、大本教から世に出された仕組みの数々は旧約聖書の神が仕組んだ物と言えるのです。

 

私は日本神道界に入り、見たのは旧約聖書の世界

 

 イエスも四十日間は荒野をさ迷い。明けて四十一日目に悪魔を退けたで神の一人御子に成られたは、型の演技としては短かすぎるなのです。四十日間では三十五万年間の仕組みが出せないのです。そこにこの地球の一年間は【365.22】日も出るのです。

 

モーゼの四十年間のさ迷いは、大本教と連動している

 

 大本教から出された神仕組みに出て来る56億7千万を導く為の【369】。それらの数字を展開させる為の【龍宮の乙姫】。龍宮の九霊界に含まれる【123(ひふみ)】。みろく神が反イエスであることを教える【666】。また国常立尊御引退として出された【35万年】間などは、そこには数字の謎が秘めてあるのです。

 

大本教神諭の【神も時節に敵わない】に数霊の働きがある

 

しかし世界の宗教は【数霊】を説かず。理解もしなかった

 

 

 

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