人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

お釈迦様の死後五十六億七千万後に現れる【みろく菩薩】を仕組んだ存在がある。だが誰もそれが仕組まれた物だとは思わなかった。

 日本古来の日本神道とは別に、明治維新以後に現れた新日本神道と呼ばれる新宗教の一つである大本教から、仏教でお釈迦様の死後【五十六億七千万年】後に現れて、お釈迦様の本当の悟りはこうだったのですよと説く未来仏とされた【みろく菩薩】を仏教の仏としてでは無く、日本神道で言うところの大神として【みろく大神】が世に打ち出されました。

 

大本教が出したみろく大神とは、万物の創造神たる存在

 

 だが大本教から出された艮(ウシトラ)金神・国常立尊と【みろく大神】との関係性は説かれませんでした。方や国常立尊は、国常立尊を悪神とする多数の神達の多数決によって、地上神界の主宰神の座を追われたことから引退の退くのウシトラ(艮)金神国常立尊とし、方やお釈迦様の死後五十六億七千後に現れるみろく菩薩が同じ存在だとすると、まったく意味が解らないなのです。

 それに大本教の出口王仁三郎聖師を【みろく大神】としたことはやり過ぎと言えます。大本と呼ばれる宗教を起こさせた霊界の存在は、大本教を通じて立替の予告をする為の存在であったとする説もあります。立替の予告とされるのは、もしその時に大本教から【みろく大神】そのものが出ていれば、その時点で人類の上に【永遠の神の御国】が到来していたからです。

 

大本教を予告と言うは、人類は未だ創造神を見ていない

 

 その大本教では、みろくの意味で使われる【五十六億七千万】の数字を単に【五六七】で【みろく】と読ませました。今の日本で【五六七】と書いて【みろく】と呼ぶことはスピリチュアルを含めて知られるようにはなりました。それを岡本天明師の日月神示から知った人の方が多いようですが、岡本天明師からではないのです。岡本天明師は大本教で機関誌の編集長をしていたからであり、五六七の基本は大本教にあるのです。

 大本教以後に乱立して出た○○○神示などは、その【みろく大神】の基本論から離れており、大本教から世に出た神示の後継書とはとても言えないのです。そこには【ニセ神達】を世に炙り出させる仕組みがあったなのです。

 大本教をもって【止め】とすることは、大本教神諭に【天理、金光、黒住、妙霊、先走り、とどめに艮金神が現れて】と予告されているなのです。【五六七(みろく)】が出た後に【一二三(ひふみ)】が出たでは、後先の順序が違うとなるのです。

 

誰が考えても、お釈迦様の死後五十六億七千万は無い

 

そこに本物とは言い難い神達の【神示】が蔓延った?

 

 オーム真理教の開祖であった松本智津夫(麻原彰晃)は、自分の前世を【釈尊】であったと称して、その弟子であった上祐史浩(元アーレフ代表)を弥勒菩薩と名乗らせていました。そこにはお釈迦様の本当の悟りを告げる存在が弥勒菩薩だとされている【型】を演じようとしたなのです。

 しかし冷静に考えれば、お釈迦様の死後五十六億七千万年を経過した後に現れる弥勒菩薩がお釈迦様と同じ時代に相見えていることそのものがおかしいとなります。そもそも悟りを得たお釈迦様は【自分は二度とこの世には出て来ない。】と言われたとされており、その代わりとして【弥勒菩薩】が出るのですから、自分の前世は【釈尊】で在ったと名乗った者はその時点で全員が全員【偽者(にせもの)】なのです。

 そうした意味では幸福の科学の大川氏も実に解りやすいニセモノの演技だったのです。しかし現在の神霊界はニセ者達の正体を暴くでは無いのです。ニセ者達を泳がせるなのです。そうしたニセ者達が名乗る救世主に欺されたとしても、それは自分が悪かったなのです。問われるのはその真偽を判定する能力と言えます。

 そこには霊界を見渡しても、万物の創造神の姿が見えないがあるからです。すなわち嘘を出している神霊や天使と称する霊達を掴まえて、それを裁く存在が霊界そのものに見当たらないなのです。

 

それは自分が犯した罪は自分が祓う原理原則が在るから

 

 キリスト教では自分が犯した罪を金で売り買いする【贖罪】が説かれます。それ自体は仏教で説かれる【地獄の沙汰も金次第。】と同様のことであり、【罪】と呼ばれる物はそれを消さない限り流動していると言えます。

 言うなれば【トランプのババ抜き】で、誰にジョーカーを掴ませるかです。

 

罪は流動しているので、金で解決する方法もある

 

 霊的世界では自分の魂の罪の霊的汚れを、他人に押しつけて逃げるがあります。そこに【霊的憑依】と呼ばれる物が起こり、霊媒質者は他人の罪の霊的汚れを被るという現象を起こすなのです。

 

罪は金で消せないが金で流すで、宗教家は金で罪を被る

 

 スピリチュアルは金儲けになりますで、セミナーと呼ばれる会を催して生徒に蛇霊や狐霊を着けて霊的世界を見させることが出来るなどがありますが、その結果として自分が地獄界に向かうがあります。それは霊的世界を利用してする金儲けには【罪】が流動して来るからです。そうしたスピリチュアルセミナーでは、この世での自分の罪が【カルマ】として積まれることはまず教えません。と言うよりも、スピリチュアルだと叫んでいる人が生きている時は霊界を利用した金儲けは【罪】に当たることが解らないのです。

 前世でシャーマンだった人で今世で苦しんでいるが多いのは、霊的世界を金儲けに利用したかどうかなのです。

 

 私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人がこの世で積んだ罪は肉体の死で、この世に置いて元の霊的世界に帰る。次にこの世に降りて来た時に、その過去の罪を背負う。】と告げられました。すなわち罪とは肉体の【死に非ず】なのです。人の肉体の死によって人の罪は消え去るではないのです。

 

人がこの世で犯した罪は、肉体の死を持って消え去らない

 

 日本仏教の曹洞宗の御経の修証義(しゅうしょうぎ)に記載される【人は過去・現在・未来の三時】に分けてその罪を解消するとある様に、この世に生まれ出て、過去の罪を解消する存在が【カルマ(業)】と呼ばれている事柄なのです。

 世に人は死ねば終わりだから悪をしなければ損だという方達がありますが、創造神の絶対法則である【業(善悪の行為は因果の道理によって、後にその結果を生む)】が働いており、スピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても赦されるなどの論は地獄界に御案内の論なのです。生きている時は解らないが死後に後悔するなのです。

 ただそれは神社に鎮まる神々が正神界の神なのか邪神界の神なのかの論議だけでは説明がつかず。その神霊の霊力によって神として君臨している為に、創造神と呼ばれる神の存在証明が重要となるのです。

 

 私に対して自分には一億体の白龍神が従っていると私に言って来られた方は、【おまえは天帝からの言葉の仕組み等と振りかざしているが、天帝に仕えるところの天使の一人にしか過ぎない。いざとなればおまえなどは数の力でひねり潰すぞ。】なのです。この世に関わる霊界で天帝の名を出しても、それで神々が従うではないのです。

 

今の神霊世界は力の支配で在り、話せば解るでは無い

 

そこに勝てば官軍、負ければ賊軍の習いが起きた

 

 大本教から艮金神国常立尊の引退の経緯が世に出されたことは意外な話ですが、そこには五十六億七千万のみろく大神の仕掛けが絡んでいるなのです。

 

人の魂はカルマの原理原則、業による【縁起】の中にある

 

 日本におけるスピリチュアルは西洋の神智学の影響を強く受けていますが、西洋の神智学で言われる世界教師のマイトレーヤとされている存在は仏教の弥勒菩薩のことです。が、そもそも仏教に弥勒菩薩と呼ばれる存在が取り込まれたのは仏教が中央アジアに入り込んだ後に、古代ペルシャ地方等に在った【ミスラ】神信仰の光と司法の最高神がお釈迦様の弟子であった様な形で弥勒菩薩として取り込まれたなのです。後世の作り物です。

 ですから弥勒菩薩と呼ばれる存在は【大乗仏教】が創った産物と言えます。それらはお釈迦様の死後に起きた内容なのですが、五十六億七千万と言う数字を載せたのは如何なる存在かなのです。

 

お釈迦様の死後に誰かが五十六億七千万を仕掛けた

 

 私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に【拝火教のことを学びなさい。】と言って来ました。しかし私が子供の頃はインターネットそのものが無く【拝火教】などは田舎の図書館には何の専門書も無いで、解りようがない宗教でした。

 私自身は自分が摩訶不思議な体験をして、鍾馗神の案内で中国で創造神ともされている盤古大神(木星神とされる)と呼ばれる神に拝謁しましたが、盤古大神など聞いたことも無い神でした。その盤古大神のことが書かれていないかと大本教霊界物語を買いましたが、その全巻の購入費は当時の私の一ヶ月分の給料に匹敵しました。だがその霊界物語でも拝火教のことはよく解りませんでした。ただ盤古大神に関しては解ったなのです。

 今は無料で知識を得られるインターネットの便利な時代に入り、拝火教の原点と言うべき【ミスラ】教に辿り着いて、その神がみろく菩薩に繋がっていると解って、ようやく五十六億七千万の【みろく】の大仕掛けが解って来たと言えます。

 

お釈迦様の悟りは、みろく菩薩でないと世に出ない?

 

数々の予言を当てた大本教は何故【みろく大神】を出した

 

 明治31年旧12月26日の大本教神諭には、【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ。】とあります。この【九つ花】とは同じ大本教神諭明治31年旧11月6日に【九つ花は誠から咲かせる花であるから、三千年の経綸を致した。】とあるようにお釈迦様が世に出る前から仕組まれた物で、誠と示される事で解る様に言葉で成る仕組みを指します。

 この【九つ花】の解説は本来ならば大本教から出されるのが筋だったのでしょうが、大本教からでは無いのです。大本教に在籍していた当時は出口なお開祖派で反出口王仁三郎派で知られた後に神道天行居の開祖となった【友清歓真(九吾)】師に、ある神が大本教神諭の【九つ花】とはこういう物(九の魔王陣)と教えたことから世に先んじて発表されました。

 友清歓真師が出したのは、大本教から出された【ス】の言霊は間違いで【ラ】の言霊。そのラの言霊は【天之御中主(真性天照御大神)】を意味しているです。

 

 その友清歓真師の解き方そのものは間違っていません。真ん中の【41】は【ラの言霊】で、意味することは【天之御中主(真性天照大御神)】で間違いではないのですが、九つ花の紐解きとしては2~3点程度なのです。すなわちそこから【五十六億七千万】の数字を出す【みろく(369)】の意味を読み切っていなかったからです。

 

みろくを語るのであれば、お釈迦様の悟りと連動

 

 そしてもう一つに五十六億七千万の数字に秘められた意味は

 

物質の【七の世から、精神の八の世に代わる】

 

 日本語の【イロハ】の41番目は、【ミ】

 日本語の【ひふみ】の41番目は、【ス】

 日本語の【アイウエオ】の41番目は、【ラ】

 

 みろく菩薩とは、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられた【拝火教】の最高神【ミスラ】神のことであり。そのミスラ神の性格は【光と司法】とされます。大本教神諭は艮金神を【この世の閻魔】と告げましたが、仏教の閻魔大王だけの感覚だと閻魔大王は裁きの神ばかりが入り、【光と司法】の神の感覚が抜けてしまうなのです。

 

天の岩戸開けは、何故に司法の裁きなのか?

 

 私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【日本神話の天の岩戸開け等の事実はどこにも存在していない。全てはこの私が最後の審判に向けて人を使って創作させた物語である。そなたは私がどうしてあのような日本神話を創作させたのか?。その意味を調べるがよい。】と告げられたがあります。

 艮(牛虎)金神国常立尊で牛頭に虎パンツ。節分の炒り豆で打たれる【鬼】は掴めますが、そこに【光と司法】の要素は見いだせなかったとなります。私達日本人は日本神話の天の岩戸開け神話だと、天皇家の祖神とされる天照大御神が洞窟にお隠れになって世の中が真っ暗闇に成りました。そうした子供騙しの話を聞かされるとなります。その光の話には何の【司法】も含まれていないことから西洋で語られる最後の審判の【光】とは結びつかないがありました。

 伊勢神宮に鎮座されている天照大御神として出て来る御神霊には男神と女神があり。その男神の方の着物の胸の付近には金糸鶴の刺繍。裾には金糸の亀甲紋が縫われていたことにより、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から告げられた。【私の教えは聖書には非ず。日本の昔話や童歌に入れた。もっとも重要なのは「かごめ歌」である。】と告げられて【鶴と亀が滑る】の意味を探ったがあります。

 

光と司法の神で、天之岩戸開けの意味が出て来る

 

 もし弥勒菩薩の原典となる【ミスラ】教に辿り着いていなければ、大本教が告げた艮金神・国常立尊神(みろく大神)とは人類の想像など許さないほどの神で在るとの認識に立てなかったでしょう。私は私の前に自分には一億体の龍神が従っていると言って来られる人がいても、その人は何一つ怖くないがあります。それはその方に本当に一億体もの龍神が従っていようとも、こうした【五十六億七千万】の数字と言葉の仕組みを組み立ててることが出来ないからです。

 そこに仏教の祇園精舎の守護神【牛頭天王】とは、お釈迦様と呼ばれる方を世に出す仕掛けの中に【五十六億七千万の数字】を秘めておられた。ただその解明には【日本語】と呼ばれる言葉を必要としたなのです。

 

 私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と言われましたが、それは嘘では無かったなのです。

 

大本教神諭予告九つ花に、五十六億七千万を秘めた

 

 大本教から仏教の五十六億七千万のみろく菩薩の【みろく大神】が世に出されたのは、三千年前から仕掛けてある言葉の仕組み。 

 ただそれらの仕組みを理解するには、仏教で説くこの宇宙は【无(ム)から有を生じ、混沌(カオス)から生じた。】一連の仕組みを理解した者でないと解らないとは言えるのです。スピリチュアル的な要素で見たり知る霊界では、こうした大仕掛けは解らないのです。何故ならば世に出ておられる神々その方達が、そうしたところまで踏み込んでおられないからです。

 

 

 

 

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