私は仏教徒ですが、神霊界修行は日本独特の稲荷神界を主体に見聞させて貰いました。世界で蛇霊は神秘的な存在として【神格化】されており、蛇を神として拝むは世界で見られますが狐、それも白狐を神として拝むは日本のみかも知れません。白狐の世界とは、入って見ればそれなりに面白い世界と言えます。感情の持ち方等は人間と同じなのです。
私は白狐の世界を見聞し、白狐界⇔人間界を往復をしている存在を視認しました。そこに人の姿をしている時が天人界に昇格する【チャンス】と解ったのです。そこにはイエス一人を神の御子だと信じれば等の論理は無いなのです。
スピリチュアルでは【愛】の言葉をバカの一つ覚えのように言いますが、愛だ!。愛だ!で如来界に進んでいるような霊の存在はありません。仏教では如来の叡智を説きますが、そこにはスピリチュアル標榜者の様な【愛】一辺倒を言っていないと解ります。この【愛の言葉に踊っている者達の本当の正体は何者?。】かなのです。
大本教神諭に【ユダヤの悪鬼が、この世を泥海にする仕組み。】がありますが、この意味が以外と知られていなかったがあります。その泥海とは霊的な【ヘドロの海】で、この世に関わる霊界で見られます。このヘドロの海を固めるは容易なことではなかったなのです。誰も手がつけれなかったのです。
ヘドロの様な世界の土壌を固めたて大地としたが造物神
大本教の前に起きた天理教において【泥鰌】が出て来て神は泥鰌かと思わせるが内容があり、この言葉だけで天理教を邪教呼ばわりしている方が見られます。この泥鰌は神がヘドロの様な世界の【土壌】を固めた意味なのです。その泥は霊的掃除(浄化)を行っていないと、またもやヘドロになるが在ったわけです。為にこの地上界では土を固める【型】が必要だったと言えます。
ユダヤの悪鬼達とは、そうした霊界の浄霊浄化を何一つ言わなかった存在です。霊世界の浄化など、スピリチュアル標榜で語る人はどこにも存在しません。愛と言う言葉で不都合なことは覆い隠すです。
ユダヤの悪鬼とは、霊的浄化浄霊を一言も言わなかった
愛という言葉で、不都合なことは覆い隠し続けて来た
人は愛という言葉を出されると、その裏に不都合な事を覆い隠す働きがあってもそれを見抜くことが出来ません。頭からこの人は愛と言う言葉を言っているから、間違いが無い人だ!。私は人の魂に出る点数が最初は解りませんでしたが、行者筋からそれは人が持つ良心神の点数だと教えられて納得したがあります。何をしても神の愛で赦されますでは、自己の魂の良心神の存在など解るはずもないことです。
地獄の言葉には【獣】の漢字が入って来るのですが、天人界で無ければそうした動物の姿を取るであり、そこに【輪廻転生】が説かれていたと言えます。そうした動物の世界に住む者からすると、人間として世に出して貰っておきながら【その様は、何だ!。】となります。
白狐とは毛が脱色したで無く、霊的世界に存在する神獣
何故に狐は【瓜の獣】と成っているのか?。【ウリ】に秘密
そうした時、日本のキリスト教の牧師などは自分達は創造神の一人御子であるイエス様を神として仰いでいるのに、日本人は稲荷信仰で獣の【狐】を神として拝んでいると非難される方達があります。世紀の大予言者として実績を誇られた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界物語の中に地獄を覗けば牧師で一杯だと記しておられますが、そこにはキリスト教徒は天国界に入るのが難しいがあります。それはキリスト教の教義はイエスを神として拝むが主体で、個人を崇拝するで霊界論に間違いが多々あるからです。
キリスト教の教義では冥府の長官を【サタン】と定義していますが、死後の世界を意味する【冥府】と呼ばれる世界の存在に対して、イエス一人が創造神の一人御子でイエスを主の一人御子と拝めば人類の【原罪とされる罪(カルマ)】が赦されると言う、あまりにも極端な間違った論理を展開したことに原因があったとなります。
イエスは霊的世界においてどのような地位にあったのかとなりますと、イエスは八次元霊界とする説を言われる霊能者が多いのですが、私はイエスは八次元界には到達していなかったと見ています。八次元界に近い段階の七次元界止まりでしょう。それは自分が救世主ですと名乗る方達の多くが自分は七次元界出身と言われるように、七次元界と八次元界とではそこに霊界の【層】があると見られることからです。イエスはその層を突破出来ていないなのです。
悟りを得たお釈迦様は、【自分は二度とこの世には生まれ出ない。】と告げられたとされますが、そこには【七次元界】を抜けられたがあるのです。
七次元界を抜けることで、自分は二度とこの世に出ない
日月神示の岡本天明師から【一二三(ひふみ)】【三四五(みよいづ)】【五六七(みろく)】の次元界説が出されましたが、その上にある【八九十(はくと)】の次元界の存在が出されなかったがあります。三と五と七はダブル霊界で横に渡れますが、七から八に行く道は切れているのです。そこまで論理を進めるには、イエスを超えた世界の説明が必要となるのです。
識界レベルの判定として創造神が第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とする説があり。イエスもムハンマドはお釈迦様のレベルには到達はしていなかったと言われています。
私は数少ない【新地球】の存在を述べる者ですが、この新地球とはスピリチュアルで語られる【裏地球】とか【平行宇宙】で隠れた地球が存在するの話では無く、その星には今日まで誰も住んでいなかったことにより霊的にも何も解っていない星とされています。つまり神々ですら、その新地球(みろくの世)のことはよく知ってはおられないなのです。するとそれは裏地球とされる星の話では無いなのです。
神々ですら行ったことが無い星のことなど解るはずが無い
ただ最近になってその弥勒世に渡る門が開門したことにより、一部の霊能者からその弥勒世の一端が告げられるようになって来ましたが、スピリチュアル標榜だとイエスの愛の教えに凝り固まっている為に反イエス(六六六)である【みろく世】のことは解らないと言えます。
西洋の神智学者達は、最高レベルの識界から人類界に降り立つ存在を【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】と呼ばれる存在と見ていたのですが、本質的にお釈迦様の直弟子に【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】たる存在は過去に人としては出てはおらず、この【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】とはその姿を人類の上には見せていなかった万物の創造神と呼ばれる【神の仕組み】の関係上の架空の存在であったなのです。これらもそうした西洋の神智学者の背後に居る霊達を炙り導き出して、世に明らかにする仕組みと言えます。
大本教から【みろく大神】が世に出されて、大本教の出口王仁三郎聖師がその【みろく大神】の型を演じられましたが、これは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)は、五六億七千万】の数字の秘密を解き明かせなければならなかったからです。その五十六億七千万が解らないと、八次元界以上の識界のことが解らないからです。
五十六億七千万の数字には、それだけの意味がある
単に思いつきの数字で【五十六億七千万】の数字が出されたのではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師は地球が出来て五十六億七千万と間違ったことを言われましたが、地球の誕生とは関係が無く霊界の所在からです。それを知るには【龍宮の乙姫】を知る必要があったなのです。ここまで綿密に組み立てられているのかと驚くべきことなのです。
その大本教から、国常立尊の世の立替に【白狐は下郎の役で奉仕する。】が出されました。世の大立替に入った時、国常立尊は【白狐】と呼ばれる存在を使って人類の救済に入られるなのです。龍と呼ばれる存在は巨大な力を持った存在であり、個々の人のレベルを救うとなれば白狐的存在が向いているとなります。
稲荷神界は狐の世界で、キリスト教では説明が出来ない
稲荷の【米】に秘めた人類救済法
世の大立替を宣伝した大本教は日本で創造神とされる【国常立尊】は、その性格が厳しかったことから、神々から鬼と嫌われて神界の主宰神の座から多数決によってその座を追放されたとしました。それは今から【三十五万年前】としましたので、今の人類がそれを歴史的に知ることは出来ないのです。そこで【霊界物語】となりますが、この世だけを見ていれば霊界のことは解らないのです。
ただそこに最高神の座から追放された神なので【引退の艮(ウシトラ)金神】の名が生じたなのです。
が、【艮の牛虎で鬼と云う魂】の総親神とも示された
私は鍾馗神の御案内で中国で天子とも創造神ともされる【盤古大神】に拝謁して、大本教から出された仕組み(世の大立替)の背景を探ったと言えます。大本教の霊界物語にこの盤古大神は【木星神】と記載されたことから、ローマ神話で世に語られて来た【ゼウス】とか【ユピテル】に当たる神だと解ります。西洋では【ゼウス】を最高神として仰いでいるのは事実と言えます。
大本教から予告として出された世の大立替とは、この宇宙開闢以来の大立替と予言されたこともあり、自分個人の幸せを祈っている様な話では無いと言えます。その背景に【何が在るのか?】です。
地球は宇宙で唯一の【魂の更生(甦)場】の側面を持つ
私は神霊界修業の中で大本教神諭にある【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み。】の存在に気づきました。
霊界を見渡すと、ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にした
スピリチュアルの99%は、霊的汚れの浄化をしなかった
スピリチュアル標榜者のお題目は、【神は愛だから何をしても神の愛で赦して下さる。】で、自分が霊界の掃除たる浄化をせずに汚しに汚しまくった。
スピリチュアルで、霊的浄化をした人が世に幾人居る?
ほとんどは口先だけで、何一つ祓えずに清めてもいない
ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にするが解っていなかった
スピリチュアルの世界では自分が霊的汚れを祓いました。清めましたと豪語されている方は多数あります。しかし霊的な汚れとは、神社に行けば神主が祓い串で祓いました。清めましたと言われる様な言葉で片付くような話では無いのです。
誰しも【カルマ(業)】と言う言葉そのものは聞きますが、実務派の霊能者であればカルマ(業)はそんな簡単に祓えないと知ります。何故ならば人は自己の過去の罪を洗う為にこの世に降りて来ているのであり、その過去の業(カルマ)が噴き出した時の災いを知るからです。人のカルマが集約されると天変地異につながる。それは自分が勝手に取れるような安易な物では無いなのです。
神社の祓い串で祓える霊とはチリや埃の類の霊的な汚れであり、罪と呼ばれる事柄に起因した【罪悪の祓い】では無いなのです。
人が積んだ魂のカルマとは、神社の祓い串では祓えない
この世の天変地異は、人類のカルマの吹き出しとされる
私は二番目の師匠であった言霊師の方から【おまえは霊界の霊的掃除をしているバキュームカーの様な存在だ。】と告げられましたが、一銭の金にも成らない霊界の掃除屋として取り組んで来ました。しかし私の力だけでは霊界の汚れが完全に清まるだけの力は、多勢に無勢で祓えるだけの力を持ってはいません。
霊界の汚れは龍男龍女と呼ばれる存在が浄化をして来た
その症状は、霊的汚れを吸って下痢を起こす。異常に眠る
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言って霊的世界の見聞は出来ても、霊的世界の汚れの拭き掃除に助力して来なかった者はいくら霊的な世界が見えたとしてても、誤った道を目指したとなります。
スピリチュアルの神は愛だから何をしても神の愛で赦されますなどの論理は、冥府の閻魔庁の存在を何一つ見ていなかったなのです。キリスト教の様に冥府の長官は【サタン】だと言っていれば良いのか?。なのです。スピリチュアル標榜で神は愛だから何をしても赦されると言っている人は、閻魔庁の存在を見たことが無いなのです。
閻魔庁の羅城門を何故に【来世門】と呼んだのか?
人は生まれ変わるの輪廻を司ったのは【エンマ庁】
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