世界のどの宗教も、人が死後の世界に渡る存在は【魂】と呼ぶ玉として説いてはいます。英語だと魂は【ソウル】で、自分の心の中に有る物としています。そしてそれは光球で【オーブ】玉とも言ってはいます。しかし西洋は魂と思念の区別が出来ていないがあるようです。思念は小さな玉ですが、魂には巨大な光球が存在して来ます。そして魂と呼ばれる玉には【色】があるのてす。
人は十人十色と言いますが、人の魂も十人十色
そこには美しい玉と汚れた玉の持ち主がある
日本語の霊は英語では【スピリット】の言葉になりますが、西洋の教えはソウルとスピリットの区別の説明はかなり曖昧と言えます。日本では【霊魂は霊と魂】の合体です。
魂は肉体の【心臓】の部位に宿り、霊は【血】に宿る
西洋の宗教ではそうした事柄の説明が希薄と言えます。日本だと【心は心臓に在る】と言葉でも解っているのです。
私は日本神道界で神霊界の見聞をさせて頂きましたが、西洋で天使と称して出て来る存在は比較的新しい時代に出て来た者達と思われます。為に彼らは宇宙創造に関してはほとんど知らなかったのではないでしょうか?。もし知っていれば、イエス一人が主の一人御子等とあり得ない事柄を言ったりしていないはずなのです。
そこに西洋から出た天使と称している者達の正体には、疑いを持つ必要があったと言えます。
人類の起源はアフリカの高山から起きた猿人の様な物だと思ってしまいますと、神と呼ばれる存在も魂と呼ばれる玉の存在も人の体を解剖して探しても見つからず。まして人の魂が輪廻転生しているなど、どこをどうやっても科学や物理学の要素からは見つけることも調べることも出来ません。
ノストラダムスの予言詩と呼ばれる中に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない東洋の叡智(深遠な道理をさとりうるすぐれた才知)の飼い葉桶。】がありますが、私は日本では神は龍蛇だとか狐(稲荷)だとされている中で学ばさせていただいて、日本の言葉はそうした世界を教えていることに驚きました。イエスや聖母マリアを信じていればの西洋のキリスト教の教えでは、永遠に神等理解出来ないだろうと言います。
宗教が説く魂と呼ばれる存在は、科学的には立証不可能
しかし、人は【心が苦しむ】を体験出来る。その心とは?
そして神を知るということは、人であった存在を見て神だとするような感覚では神とは実にちっぽけな存在と言えます。人して出た存在が、私を拝めば天国に案内すると言う天国そのものが説明出来ているのかなのです。単にお花畑では済まないのです。現在の霊学では天国と言っても第一天国界、第二天国界、第三天国界の三層天国の上に、創造神と思われる神が存在する世界が在りそうだと解って来ました。それらはキリスト教のイエス一人を主の御子と信じればの天国界とは違っているのです。イエスその者がそうした世界を知ってはいなかったなのです。
大本教の神諭に【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】がありますが、
人は神世界の一員に成れるが、万物の創造神ではない
私は稲荷神界で神霊界修行のお世話になりましたのでよく解ったのですが、稲荷神界は病気治しや現世御利益が主体でした。多くの人は自分の病気治しをして貰ったり、現世御利益を授けられればそれで良しとする向きもありますが、私が神霊界修行の中で疑問を抱いた事柄とは、未だ来てもいな時期に未来に起きる出来事を【予告】して、その予告の内容が実際に起きることです。
私の稲荷神界での修行の世話をして頂いた豊受姫は、【阪神淡路大震災】や【普賢岳爆発】等を事前に伝えられました。その豊受姫の御代をされていた方が東日本大震災の時にも生きておられたならば、その口から東日本大震災の事前予告もされたであろうと言います。
神霊の中には、事前に予告が出来る神が居られる
されど上位の御神霊は、誰彼にと情報を流さない
大本教の出口王仁三郎聖師は未だ起きていない出来事を事前に告げて、その内容は驚くほど当たっていたことは知られています。巷で自分が創造神だとか救世主だと称される方は後を絶ちませんが、そうした方で大本教の出口王仁三郎聖師を上回る予言を出して言い当てられた方は存在していないと思われます。
世に未だ来てもいない出来事を事前に予告して、その事柄が実際に起きたことが予言者と呼ばれる方の予言なのですが、今日まで数々の事柄を予言して言い当てて来た実績では大本教の出口王仁三郎聖師を超えている方は一人も居ないでしょう。
その出口王仁三郎聖師の予言として戦前に広島や長崎に新型爆弾(原子爆弾)が落ちて火の海に成る。その後に黒い雨が降ると予言されて、広島や長崎という地名のみならず広島には原爆投下の後に黒い雨が降って、その黒い雨に当たった人達が原爆症になったことで、その日はお天気で有ったことから黒い雨など降るはずが無いとする国との間で裁判が起きました。そして裁判では広島には黒い雨が降ったと認定されました。
私は伏見稲荷神界で修行のお世話になり、病気治しや現世御利益を授けるは稲荷神信仰の特徴であって当たり前と言います。そうした中で市会議員選挙のレベルの予言だとその立候補者に何票の票が出るの予告がなされて、その票数が出るがありました。そこには白狐達を動員して、当選に必要な選挙の票を獲得させるです。しかしそうしたレベルの予言と、国家間における戦争等の予言とではレベルが違いすぎるとなります。
大地震や大噴火が事前に予言され、それが当たるがある
人類は原子爆弾と言うこれまで体験したことが無い新型爆弾の登場のみならず、大正時代に出された大本教の霊界物語には現在のテレビやスマホのことだと解る様な内容も予告されています。
大本教が予告した内容は百年近く経って、ようやく現れた
百年以上前に予告された神の【立替】は起きるのか?
大本教の広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海に成るの予言が当たったことは知られていますが、そのことに関して【広島や長崎に新型爆弾が落とされて火の海に成る。】と解っていながら、神はどうしてそれを阻止しょうとしなかったのだ!。艮金神国常立尊は悪神であるなどの感情論が起きていました。
そこには【神とはこの世に住む人民に幸せを与える者だ。】と言う、この世の意味を間違えた論理が走っていると言えます。
日本に原爆投下が解っていたならば、止めるのが神?
そこに誤解があるのは、一部の霊能者達が語る【この世は宇宙の魂の刑務所の様な場所である。】なのです。すなわち自分の魂を汚したことにより、日本神道で語る根の国・底の国(地獄界)に落とされている者達なのです。
そしてもう一つの要因として【国魂(国玉)神】と呼ばれる存在です。世界の人民で言葉が違っている。神は唯一であるならば、どうして世界の人々で使う言葉が違っている?。その疑問に突き当たるべきなのです。白人は日本人をイエロー・モンキーとかバカにして来ますが、人種によって肌の色が違っている。そこにも何故なのか?。がなされなかったのです。
神の世界から見れば、この世は根の国・底の国(地獄界)
元の天国に帰れない魂が輪廻転生の旅を続けている
スピリチュアルに見られる【神は愛だから、何をしても神の愛で赦して下さる。この世は遊ぶところです。人は自由好き勝手に生きればいいのです。】などの論は、日本の江戸時代において罪の贖いとして八丈島に島流しがありましたが、魂に罪を背負って地球と呼ばれる星に島流しになっている自分を自覚しないで、神は愛の権化だとする誤った感覚の弊害論なのです。
それはキリスト教のイエス一人が創造神の御子だと信じる者は、何をしてもイエスが愛で信徒の罪を被って(背負って)下さるで、イエスを一人を生け贄すれば良いの論を信じているなのです。
誰かに自分の罪の償いを押しつけ、その罪を償わない
そんな論で天国界に行けると思うのは、浅はかそのもの
仮にも霊的世界を見聞できる能力があることからスピリチュアルの言葉を呼称するのであれば、世紀の予言者として名高かった大本教の出口王仁三郎聖師が告げられた【地獄を覗けば牧師で一杯だ!。】の地獄界を覗いておくべきだったのです。地獄界を覗けばキリスト教の牧師のみならず、多くの宗教家もまた地獄界に落ちているのが解るのです。
地獄界には、この世で自称救世主や宗教家達が一杯居る
そこに見られるのは罪の償い論に、贖罪で罪を売り買い
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【自分が犯した罪分は、この世で自分が払わなければならない。他の者に自分の罪分を押しつけてはならない。自分が他人の罪分を代わろうとするのであれば、自分が過去から積んで来た徳分の中からその徳分を吐き出さないと行けない。】と言われて来ました。すなわちそこには魂の輪廻転生の過程の中で積んだ【借金返し】が念頭になければならないのです。
他人の罪を自分が被る場合は、自分の徳分から支出する
イエス一人に罪を負わせる犠牲論は、真実に蓋をした
イエスが見せた奇跡の数々は【龍神】と呼ばれる存在を抜きにして語ることは出来ません。それはサイババもしかりです。霊界が見せる奇跡の数々は輪廻転生が在るとすれば、それを起こす【冥府】の存在も説かれなければなりません。しかしキリスト教の教義では冥府の長官を【サタン(悪魔)】扱いにしており、そこには【悪魔】の定義がなされていません。
キリスト教ではイエスの教えと違うことを言う存在が悪魔(空く間)で、仏教と比較すると真理が説かれていません。イエスの教えには間違いが多数存在しているのです。無論、日本においても国常立尊は鬼門の艮金神とされ、節分の夜にはその異相の存在たる冥府の長官は閻魔大王のことだとしても、悪を取り締まる牛頭虎パンツの配下の邏卒達は【鬼は外】と炒り豆をぶつけられているなのです。
誰しも節分の夜に炒り豆をぶつけられている鬼達とは、悪鬼と断りを入れなければそれは閻魔庁の邏卒達だと解っているはずです。それを知らなかったは無いでしょう。何も考えないお気楽からです。
悪魔とは、魂の【核(良心の働き)】を空く間化した
日本神話では伊弉冉尊が【黄泉の国】に旅立ち、伊弉冉尊を黄泉の国(冥府)まで追った伊弉諾尊は伊弉諾尊の配下の醜女達に追われて、黄泉(よもつ)平(比良)坂で桃の実を投げることで天人界に戻る黄泉帰り(甦り)が説かれていますが、その甦り(黄泉帰り)には新しい魂に誂える【桃の実】の存在が秘めてあるのです。
大本教から明治五十五年の世の立替説として、三月三日の【桃の花】。五月五日の【桃の実】が出されました。意味することは誂えの桃。挑むにある【兆】は【二つにはじけて割れる】時で
世界は二つに別れて、新しい世界に入る魂は誂えられる
ただ魂と呼ばれる存在は誰でも新たに自由に生み出せるではありません。既存の魂の分裂で魂そのものは増えて行きますが、それは分裂であり、新しい魂を生み出せる神とは【鬼と云う】存在で、大本教から出された牛虎(ウシトラ)金神には魂を生み出す(新しい命を生み出す)神の意味があるとなります。
キリスト教はイエスは処刑後に蘇ったで、冥府(霊界)の存在の教えは皆無に等しいがあります。為にキリスト教の信徒はこの世を去った後にイエスが再来する日まで、どこに居ればいいのだ?。の論理となり。そこに教えの矛盾が生じてしまいました。既にイエスがこの世を去って二千年以上経過しているのに、未だに神の【千年王国】論にしがみついていると言えます。
キリスト教にも仏教の様に神の御国(みろくの世)の到来の日まで【輪廻転生】の教えが存在していれば、その日までは流転という教えも出来たのでしょうが、あまりにもイエス一人だけを神の御子とする間違った過大評価な教えをした為に、キリスト教徒は逆に天国への道が難しくなったがあります。
私達日本人は神社などに参拝すると、そこで病気治しや現世御利益を受けることから神の存在を認識するはありますが、大本教から【人には神とも成れる結構な魂が授けてあるにも関わらず。】と出された事柄に関しては認識しているではありません。
多くの人が神社に参るのは現世御利益を貰えることが主眼であり。自分自身が神と成れる【神の子】等、あり得ない話としか理解出来ないのです。
大本教からこの世は【天人の苗床】と出されたが
そもそもその【天人】とは如何なる存在なのか?
この宇宙を創ったのは【火水(かみ)】と呼ばれるエネルギー体で、その宇宙創成のエネルギーの体の流形たる姿を【龍神】と言うのです。その龍神が宇宙を創成した後に、その流体(龍体)を脱いで人型に変化した存在を初発の【天人】と呼ぶなのです。
日本神道系で説く【本守護神】とは、その【天人】達
その次元格としては、【八九十】次元の段階とする
私達人類の魂がこれから向かおうとしているのは、その【八九十】の段階ではなくて、俗に【五六七(みろく)】の世と呼ばれる段階なのです。この世と呼ばれる私達が住んでいる世界は岡本天明師の日月神示(ひふみ神示)に【三四五(みよいづ)】とされている三次元・四次元・五次元で構成された世のことですが、その世は間もなく終わるなのです。
しかし、
仏典に龍女の解脱が無かったなら、天人の関係が不明
最近、これまでは一線の霊能者として、病を治すヒーラー型霊能者として活動されていた方達のリタイヤが進んでいます。これまでに無い出来事が見られます。そこには神霊世界に大きな変革の兆しが現れたと見られます。特に顕著な変化が龍神界に見られると言えます。それは【威風堂々】と列をなしている龍神達の存在です。それらの龍はこれまでのどこかの神社に鎮まっている神霊の配下の龍とは別物と言えます。
これまでの龍神界の龍神達は、その体に憑いた汚れが洗いきれていません。そうではない汚れを洗い終えた龍神達と言えます。
いったいどこの龍神達が現れて来たのか?
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