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「神経には軸索部分とシナプス部分がある、という話をした。したのはいいんだけれど、未だに『薬理学理論』ではシナプス部分を放置し続けている。というわけで、今回はシナプス部分について触れていく」
電位依存性ナトリウムイオンチャネル、電位依存性カリウムイオンチャネル、電位依存性カルシウムイオンチャネル……まあ、そろそろ聞き飽きて来ているとは思うけれど、それぐらい重要だからね。
「大前提として。前回、随意筋がどうって文脈で話した通りに、末梢神経は大きく二つに分けられる。自律神経と体性感覚神経だね。最終的にはどっちも扱うことになるんだけれど、まあ前回の続きも兼ねて自律神経のほうを先に話そう。まず、自律神経は交感神経と副交感神経に分けられる」
で、この交感神経が心臓に与える影響だとか、副交感神経が心臓に与える影響だとかを話していたのが前回の講義の一部。
結果だけ見るなら、交感神経活性化は『過分極誘発カチオンチャネルの活性化』『電位依存性カルシウムイオンチャネルの活性化』『電位依存性カリウムイオンチャネルの活性化』──そしてGs共役型GPCRを経由することでGs蛋白を活性化して、ホスホランバンの活性化。つまるところ、SERCAと呼ばれる『小胞体の中にカルシウムイオンを取り込むもの』を活性化して、心臓の拡張能を増強していた。
で、イオンチャネルの活性化によって心拍数は増強され、当然のように心筋の収縮力も増強されている。
これが、交感神経活性化に伴う心臓の変化だった。
まあ、ここまでは完全に復習だね。
「自律神経というのは、交感神経と副交感神経のどちらも二つの神経線維に分割することが出来る。その間を
と言っても、正直何を言っているのかわからないというのが初見の感想になると思う。実際、私もよくわからなかったから。
とりあえず、認識しておきたいのは自律神経というのはあくまで
「例えば、心臓を例に出そう。中枢神経である脊髄の一部。側角と呼ばれる部位から交感神経は始まる。それが脊髄から出てきて、胸部のどこかで神経節というものを作る。ここまでが軸索で出来ていて、この神経節でシナプス──次の軸索への受け渡しが発生する。ここからが、節後線維。シナプス経由で受け渡されたものが軸索を伝わり、心臓付近にあるシナプスで心臓へ受け渡しする。で、御存知の結果になると」
まあ、簡単に言うならば脊髄から出ている臓器への神経経路のひとつ。大事なのは、間に一回シナプスを使ったやりとりを介しているということ。
「副交感神経は脳から始まり──結局。一回シナプスからシナプスへのやりとりを挟んで、心臓などの様々な場所に信号を伝えるのは変わらない。結局、『自律神経』というのは末梢神経でしかないからね」
で、大事なのはそんなことじゃない。
ああいや、もちろん此処も大事ではあるんだけれど。
シナプス。シナプスなのよ、大事なのは。どうやって、節前線維のシナプスから節後線維のシナプスに情報の受け渡しをしているのか。
というか、極論。
『違う神経』にどうやって、軸索経由で伝わってきた膜電位上昇を伝達しているのか。それが、シナプスの仕組みになる。
「そして。今回は自律神経を例に出しているけれど、なにも神経のシナプス部分というのは、自律神経の専売特許じゃない。そして、シナプスによってどうやって動くは何通りかに分類される」
だから、全部の神経はこうやって伝達していますっていう共通の規格があるわけじゃない。従って、それらを順番に見ていくことにならざるを得ないわけで。
「最初は、その中の一つ。アセチルコリンによって動くモノを見ていきたい」
実際、自律神経でも節前線維がシナプス部分で出しているのはアセチルコリンだし。
「さて、ここまでの話がよくわからなかったら、とりあえず全部放置しておいて貰ってもかまわない。色々変に分類するから難しくなる。もっと単純に考えようってことで」
思い出して欲しいのは、神経軸索での『信号』伝達。
「軸索部分では電位依存性ナトリウムイオンチャネルによって、膜電位上昇という
だから見方を変えれば、ここからが本題ということになる。さて、どう説明したものかね。
「軸索の膜電位が上昇したことで、シナプスの膜電位が上昇する。すると、シナプスにある『電位依存性カルシウムイオンチャネル』が開き、カルシウムイオンが内側に流入してくる」
軸索部分ではカルシウムイオンチャネルは登場していなかったけれど、シナプス部分では主役の一つだからね。
ここまでは知っている話の応用。
「さて、ここでちょっとだけ視点を移してシナプス部分の内側を見てみよう。筋肉にはカルシウムイオンが貯蔵される袋、小胞体があったのは記憶に新しいと思う。ただ、この袋っていうのはカルシウムイオンを貯めるもの以外にもある。今回、シナプスを介した伝達で関係あるのは『アセチルコリンを貯める小胞体』になる」
小胞体というのは、思ったよりも色々ある。
アセチルコリンを貯めるもの。カルシウムイオンを貯めるもの。
今までは心臓だの筋肉だのと、そういう話ばかりやってきたから『カルシウムイオンを貯める小胞体』しか出てこなかっただけでね。今回、神経では『アセチルコリンを貯める小胞体』が大事になってくる。
「教授! そのアセチルコリンって、何処から来るんですか?」
リーシャは聞き覚えのないその言葉に、原材料が気になったらしい。ただ、大事な感覚なのでそのままでいて欲しいよね。
「TCA回路で出てきたアセチルCoA、あれとコリンと呼ばれるモノが原材料になっている。ならば、次に気になるのは『コリン』の供給元になるけれど──これには、幾つかの経路がある。例えば、コリンは細胞膜の構成部品の一つでもあるから、そこから回収したりね。ただ、メインのコリン回収源はそこじゃない。おおよそ35%から50%ほどは、外部からの
そんなことを言うと、当然気になるのは、その
「過程を省略すると、ここで作られたアセチルコリンは紆余曲折の経路を経て、シナプスから細胞外へ
実際、この再利用経路……もとい、『細胞外からシナプス内にコリンを取り込む輸送体』の働く速度が、アセチルコリン生成の速度に一番大きく影響を与えるからね。
「じゃあ話をちょっとだけ戻して。細胞外からコリンを細胞内に──シナプス内にコリンを取り込みする、この輸送体を『コリントランスポーター』と呼ぶ。これはChTなんて略されて、実はナトリウムイオンと共にコリンを取り込んだりしているんだけれど……まあいいや」
この『コリントランスポーター』を阻害する薬剤として、
まあ、ここで気にして欲しいのはコリントランスポーターを阻害した時の着目している
「そして、シナプス内に入ったコリンはアセチルCoAと出会い、ChAT──『コリンアセチルトランスフェラーゼ』という酵素によって、アセチルコリンになる。じゃあ、そのアセチルコリンになったらどうなるのか? というのが、次の着目点」
ここらへんはもう少しだけ細かく話せないわけじゃないけれど、今回はこれぐらいの大雑把さのほうが楽だからね。電位依存性イオンチャネルの時、不活性化機構の仕組みみたいな話も詳しくやったのは、その後必要になるからだし。
「端的に述べるなら、アセチルコリンは『アセチルコリンを貯蔵している小胞体』の中に入るという内容にまとめられる。じゃあどうやって小胞体の中に入るのか、と言うことになって。当然、それを担う
心臓の筋肉においてカルシウムイオンを小胞体に取り込む時、SERCAがあったように。今回もそういうのがきっちり存在してくれている。
「その役割を果たしてくれるのが、VAChT。正式に言うなら『小胞型アセチルコリントランスポーター』。そして、これを阻害する薬剤として
と、ここまで話すことによって最初まで戻ることが出来る。
『ここまで』と言うのは、アセチルコリンが貯蔵された小胞体が出来たっていう話ね。
「さて、軸索部分を伝わってきた膜電位上昇にシナプスにある電位依存性カルシウムイオンチャネルが開き、細胞内にカルシウムイオンが流入するという話をした。で、じゃあそのカルシウムイオンと『アセチルコリンを貯める小胞体』が何の関わりがあるのかってお話をしなきゃいけなくなる」
次を何処まで詳しく話すかは悩んだけれど、SNARE複合体ぐらいの話はしておこうという結論に脳内では落ち着いた。そこを阻害するボツリヌス毒素とかがあるわけだし、知っておいて損にはならない。
「ここで。小胞体表面にはv-SNARE或いはシナプトブレピンと呼ばれるモノがあり、一方シナプス細胞内側表面にはt-SNAREと呼ばれるモノがある」
ちなみにt-SNAREはシンタキシンと呼ばれるものと、SNAP-25と呼ばれるものの二つに分けられる。
そして何なら、今回話していないだけで関わってくる『係留タンパク』なんて物もあったりする。
「このv-SNAREとt-SNAREはとても仲良しで、お互いが絡まって小胞体をシナプスの細胞膜付近に縫いとめておくというお仕事をしている。ただ、あくまでここで発生しているのは、
ここら辺に興味がある人は、コンプレキシンとかいうモノについて手を出してもいいかもしれない。見方次第では、このコンプレキシンのおかげで『ただ近くにあるだけ』で済んでいる部分があるっていう見方も出来るから。
「ここに、さっき流れ込んできたカルシウムイオンが近づく。すると、小胞体に存在するシナプトタグミンというものにくっつく。そして、シナプトタグミンにカルシウムイオンがくっつくと、『近くにあった』小胞体の膜と細胞膜が、更に近付けられて
「確か……1.5
複雑だから簡単にまとめてあげると、言っていること自体は複雑じゃない。
細胞膜付近に係留されていた『アセチルコリンが貯蔵された小胞体』は、カルシウムイオンが流入すると、細胞膜と融合して、
で、カルシウムイオンが流入するってどのタイミングかと言えば、軸索経由で伝わってきた『膜電位の上昇』によって、シナプスの膜電位が上昇しただけ。
「じゃあ、ここ関係の──『アセチルコリンを貯める小胞体』関係の最後のお話。融合して、中身を送り出せるようになりました、ってだけで終わってもいいんだけれど……絡まったSNAREやらをほどくっていう作業をしなきゃ、それらを再利用出来なくなってしまう」
使ったら、お片付け。
毎回こんな話をしているよね。
「だから、その再利用にNSFと呼ばれるモノがそろそろお馴染みになってきたATPを使って、ほどいてくれている」
SNARE付近の話、ちゃんとやると結構面白いんだけれどね。ここで話すとシナプスでの伝達がメインなのか『小胞体』についての解説がメインなのか、わからなくなっちゃうから。
例えば、ずっと登場してる『小胞体』ってそもそもどうやって作られてるの? みたいな話だって、まだしていないわけだし。
「とまあ、ここまで話すことでようやくアセチルコリンが細胞外に出てくれた。なら、気になるのは『外に放出されたアセチルコリン』がどういう働きをしてくれるのかだけれど──相手方のシナプス。多くの交感神経の場合、節後神経線維の
で、まあそのアセチルコリン受容体に結構種類があることが問題だったりもするんだけれども。
具体的には雑に八種類くらい。そして、それぞれ受容体が活性化した時の働きや存在している場所が変わってくるわけでして。
「アセチルコリン受容体は大きく『神経と筋肉の
例えばM1は脳や神経にある、とか。
M2は心臓や腸管の
「で、それぞれ性質がちょっとずつ違うと。『神経と筋肉の
細かいことを言うなら、カリウムイオンも通る上に、ものによってはカルシウムイオンが通ったりもするんだけれど。まあでもどれにせよ変わらないのは、ナトリウムイオンの通れる孔が開通すること。アセチルコリンがくっつくことでね。
「そして、ナトリウムイオンが通ればどうなるか、なんてのは此処までの内容で習った通り。そのアセチルコリン受容体があった付近の膜電位が上昇する。すると、次の軸索部分や筋肉部分に『信号』が伝達される、という流れになるね」
これで、『神経と筋肉の
一応。この形式の伝達機構の最重要部分だけをかいつまんでまとめておいたほうが、良いのかもしれない。
膜電位上昇が伝達されると、シナプス部分に存在する電位依存性カルシウムイオンチャネルが活性化され、カルシウムイオンが流入する。すると、シナプス内の小胞体に貯蔵されていたアセチルコリンが放出され、それが
つまり、『向こう側』で膜電位の上昇が発生する、という流れ。
「一方、M1からM5まである方は同様にアセチルコリン受容体ではあるけれど、イオンチャネルではないという特徴を有し、その正体はGPCRになる。細かく分けるならM1、M3、M5はGq共役型GPCR。M2とM4はGi共役型GPCRだね」
細かくとは言ったけれど、これは認識しておかないと困る話でもある。
GqタンパクとGiタンパクは下流の経路がまったく違うからね。
GqタンパクはIP3受容体とか
「じゃあ、アセチルコリンはこのまま放置されるかというとそんなことはない。きちんとアセチルコリンからコリンに戻してあげないといけない。そうじゃないと、アセチルコリン受容体付近に過剰なアセチルコリンが──つまり。アセチルコリン受容体が活性化し過ぎてしまうからね」
さっき一瞬話したのがここらへんの話。
アセチルコリンをコリンにして、再取り込みするっていう流れ。
「『コリンエステラーゼ』というものによって、アセチルコリンはコリンになる。そしてさっき話した、ナトリウムイオンと共にコリンを取り込む『コリントランスポーター』に吸い込まれて再利用という流れで、一周かな」
正確にはコリンエステラーゼにも二種類存在する。
きっちりアセチルコリンだけをコリンにする『アセチルコリンエステラーゼ』と、アセチルコリンに似ている、コリンがついているものを雑にコリンに変える『ブチルコリンエステラーゼ』。
アセチルコリンのコリンへの分解という側面に限れば、アセチルコリンエステラーゼの方が素早く分解してくれて、ブチルコリンエステラーゼはかなりゆっくり分解している……なんていう特徴があったり。
さて、じゃあようやく薬剤などの話をしよう。
「今話したそこそこ長い経路。その各地を阻害する薬剤があるから、ちょこちょこ覗いて『アセチルコリンを放出するシナプス』の話は終わりにしよう」
シナプスには色々なパターンがある、と最初に言った通り本当に色々ある。
ノルアドレナリンだったり、GABAだったり、グルタミン酸だったり、
「話した経路の順番に。まず最初、シナプス部分にある『電位依存性カルシウムイオンチャネル』──SNAREやシナプスタグミンあたりに関連するカルシウムイオンを供給していたあのチャネル。これを阻害してしまうイートン・ランバート症候群という症状がある。こうなると、カルシウムイオンが流入しなくなるから、アセチルコリンが出てこれなくなってしまう」
LEMSみたいに略されることが多いこの病気は、電位依存性カルシウムイオンチャネルを間違えて『体内の異物』だと認識して攻撃してしまうことが症状の原因なので、これを根本的に治療するのは結構難しい。どうしてカルシウムイオンチャネルを『体内の異物』だと認識してしまうのか、っていうのを排除しなきゃいけないからね。
「次に、
あくまで、取り込みをしているのはコリンであって。アセチルコリンじゃない。アセチルコリンはアセチルコリンエステラーゼによって分解されるからね。
「そして次に。ボツリヌス菌というものによって作られる毒素は、SNAREの働きを阻害するものがある。というか、数十年前位に有名だった第二級禁忌魔法『病毒麻痺』はこの仕組みだったね。もちろん、禁忌だから使わないように」
本当にこの世界は単離が楽でいいよね。
地球だと『純度100%の物質』を作るのに、どれだけ苦労することか。まあこっちでも魔法陣は作らなきゃいけないんだけどさ。
「で、流れ的にこの次はアセチルコリン受容体に関連する薬剤かな。これは結構沢山存在する。なんなら、受容体の種類ごとに分けられてる……どころか。珍しく、アセチルコリン受容体を
全部あげても仕方ないから、一部だけご紹介。
「M1やM3を働かせる
他はメタコリンや、
「一方。『神経と筋肉の
ニコチンは多分聞き馴染みがある人もそこそこいるとは思う。だから、煙草を吸わずに食べたりすると大問題になるわけでして。
「で、当然のように働かせる薬剤だけじゃなくて阻害する薬剤も存在する。アトロピンというM1からM5までを雑に阻害するものから、M1とM4を集中的に狙って阻害するピレンゼン。『神経と筋肉の
さ、じゃあ最後はアセチルコリンエステラーゼの阻害薬。
一番使われているのは、なんだかんだここら辺なイメージはある。
「というわけで、この経路の最後は『アセチルコリンエステラーゼ』──アセチルコリンをコリンに変える酵素へ影響する薬剤。注意したいのは、これが阻害されるということは漂っている『アセチルコリン濃度』が上がるということ。つまり、アセチルコリン受容体が活性化するということを意味している。そこだけは留意しておこうね」
何かを阻害するから、全般的に機能が落ちるとは限らないってこと。アセチルコリンエステラーゼを阻害すると、アセチルコリン受容体は
「これ以上薬剤を増やしても仕方ないから、ここでは代表的なものを二つだけ紹介するにとどめておこう。一つは、アセチルコリンエステラーゼを
類似の効果を持つ薬剤は、ネオスチグミン以外にもエドロホニウムやフィゾスチグミンなんかがあったりする。
まあこの中でもちょっと効果に差違はあって、例えばエドロホニウムはネオスチグミンよりも、
「こういう薬剤は、重症筋無力症やさっき話したイートン・ランバート症候群みたいな状態に使うことが出来る。今挙げた二つはどちらも、『放出されるアセチルコリンが足りない』っていう共通点があるからね。その少なめなアセチルコリンを、アセチルコリンエステラーゼが分解しないようにしてあげることで、回復させるという症状への対処手法がある」
それはそれとして、そうなった原因は叩かなきゃいけないのはそうなんだけれども。とりあえず症状は治したいというお気持ちでね。
「一方、不可逆に阻害する薬剤代表はサリン。これはアセチルコリンエステラーゼにくっついて不活化させ、基本的には離れない。だから、これを吸い込んだりすると、大問題になる。全然命に関わったりするからね。悪用は絶対にしないように」
サリンを吸い込んだ時に出てくる有名な症状の一つに、ピンホール縮瞳というものがある。
副交感神経に存在するシナプスは、『アセチルコリンを放出するシナプス』である。
だから、サリンを吸い込むと副交感神経というのは活性化される。理由は明白。アセチルコリンエステラーゼが不可逆に阻害されて、シナプスとシナプスの間にあるアセチルコリン濃度が上昇するから。
それで。副交感神経が活性化すると、それによって支配されている『瞳孔を縮める筋肉』が働いて、ピンホール縮瞳なんて言われる症状が出てきたりする。
「一応プラリドキシム──PAMなんて呼ばれる、『アセチルコリンエステラーゼからサリンを引き離す機能を持つ薬剤』もあるにはあるけれど、これだって完璧じゃないからね」
もちろん、不可逆的にアセチルコリンエステラーゼを阻害する薬剤……というより毒物はサリンだけじゃない。
「と、『アセチルコリンを放出するシナプス』についてはこれぐらいかな。結構色々薬剤や毒物が出てきたけれど、機序が最優先かな」
薬剤の名前と効果を一対一対応で覚えるよりは、何処に作用するかを考えて、そこから作用を考えるほうが気が楽だとは思う。
「じゃあ、話題を変えて、次は『ノルアドレナリンを放出するシナプス』について──だけれど。安心して欲しい。基本的には『アセチルコリンを放出するシナプス』とほとんど変わることはないからね」
むしろ、神経という同じ括りで大胆に変わられても困るというか。小胞体に包まれるところも、再利用が大事なのも、一緒。
まあ、『アセチルコリンエステラーゼ』みたいなものはないけれども。ノルアドレナリンはちょっと違う形で分解される。
「まず、ノルアドレナリンの材料をチロシンという食べ物に含まれているモノ。これが『芳香族L-アミノ酸
『アセチルコリンを放出するシナプス』も、コリンとナトリウムイオンを共に取り込んでいたからね。ナトリウムイオンが流れ込む勢いを利用するのは、思ったよりも活用されている。
「これが『チロシンヒドロキシラーゼ』と『芳香族L-アミノ酸デカルボキシラーゼ』──それぞれTH、AADCと呼ばれる酵素によってドパミンと呼ばれる物質になる。このTHが『ノルアドレナリンを放出するシナプス』における、速度を決める一番大きな要因だね」
ドパミンは、ドーパミンとも呼ばれる。個人的にはドーパミンの名前のほうが聞き覚えがあったりするのはどうしてなんだろう、と思いながらもドパミンを使っている。
で。実は『ドパミンを放出するシナプス』もあるんだけれど、それはここからの酵素が存在しないシナプスだったりする。
「ドパミンとなったチロシンは、小胞体に取り込まれる。さっきで言うならVAChTだね。あれと同じように、こっちにもVMAT──『小胞モノアミン
ここで、VMATについての豆知識をひとつ。
いやまあ豆っていうほど些末な事項ではないんだけれど。
ドパミンは単純な濃度勾配によって小胞体に取り込まれているわけじゃない。アセチルコリンもそうだけれど、小胞体の中はその『貯めこむもの』が沢山あるんだから、濃度勾配的には小胞体から出ようというお気持ちにならざるを得ないわけで。
そこで、水素イオンを使っている。水素イオンが流入する勢いを利用して、VMATだったらドパミンを。VAChTならアセチルコリンを小胞体に取り込んでいる。
じゃあその水素イオンの濃度勾配はどうやって作っているのか、と言われれば『
「で、軸索の膜電位上昇で電位依存性カルシウムイオンチャネルが働いたり、SNAREが色々やったりして、小胞体から細胞外にノルアドレナリンが投げ出される機構は同じ」
ここはアセチルコリンの時に散々説明したからね。流石にもういいでしょ。
「で、そうすると気になるのはノルアドレナリンの受容体。アドレナリンと呼ばれる似たようなものも同じ受容体を活性化するから、大体『アドレナリン受容体』と言うけれど……これは、大きく5種類に分けられる。α1、α2、β1、β2、β3の5種類だね」
この中でよく出てくるのは、α1、β1、β2かな。
α2はちょっと一段落ちて、β3はもう一段落ちるイメージ。
「で、これは朗報なんだけれどアドレナリン受容体は五種類とも全てGPCRだっていう嬉しい情報がある。まあ、どんなG蛋白と共役するかはちょっと違うけれど」
ちなみに、第四講義でちょっとだけ話したβアドレナリン受容体っていうのは、ここの話。
GPCRの脱感作……『長時間使い続けると、反応が鈍くなるよ』みたいな話をしたはず。
「α1は
それで、それぞれが何を起こすかみたいな話は一回脇に置いておくとして。
「そして、『ノルアドレナリンを放出したシナプス』側にはNATやUptake1と呼ばれる輸送体があって、これによってノルアドレナリンを再利用しようとしている」
このNATが、アセチルコリンの時のChTの代わりかな。
芳香族L-アミノ酸
「で、細胞内に取り込まれた全てのノルアドレナリンがまたVMATで──という流れにはならないことは、わかると思う。このままだと、ノルアドレナリンは増えてくばかりで
で、これはさっきと違って向こう側のシナプス表面にある、みたいなことじゃない。ノルアドレナリンの分解は、『ノルアドレナリンを放出するシナプス』の中で行われる。
「NATによって取り込まれたノルアドレナリンは、モノアミンオキシダーゼ、或いは『MAO』と呼ばれる酵素。それと、カテコールO-メチルトランスフェラーゼ、或いは『COMT』と呼ばれるものによって、分解される」
ちなみにMAOは神経内に存在していて、一方でCOMTは肝臓にあったりする。で、分解されたノルアドレナリンは尿として排泄されるっていう流れ。
「さ、じゃあ『ノルアドレナリンを放出するシナプス』で登場する部品はこんなもの。ここからは薬剤の話だね。何処を阻害すると、どんな効果が発生するのかっていうのに、気を付けなきゃいけない」
同じような所を阻害していても、アセチルコリンの時とは結果が違ったりするからね。
「まず、チロシンからドパミンの産生を阻害する唯一のものが、α-メチルチロシンというもの。これはチロシンヒドロキシラーゼ──THを阻害するという効果を持つ」
でも、全身のチロシンヒドロキシラーゼを大雑把に阻害するから、使い時が結構限られているという欠点もある。
じゃあどういう時に使われているかと言えば、褐色細胞腫由来の高血圧とかかな。
褐色細胞腫というのは、こういう神経とは別枠でノルアドレナリンやアドレナリンを作っている副腎の一部に発生する異常で、それらが沢山作られてしまうという状態だからね。
「じゃあ、次にコカイン──麻薬として使われたりもする物質は、NATを阻害する。これが発生すると、当然ながら細胞外で漂うノルアドレナリンが取り込まれなくなる。そしてアセチルコリンと違い、ノルアドレナリンは取り込まれないと分解されない。だから、ノルアドレナリン濃度はどんどん上がり、アドレナリン受容体の活性化はどんどん上がっていく。だから、結果的には神経での伝達を強化するという流れになる」
ここで一捻りさせてくるのに、もう一段階捻りがあるのが複雑なところ。
「次に、レセルピンはVMATを阻害する。つまり、『細胞内には取り込めるけれど、小胞体には取り込めない』という状況にノルアドレナリンは陥る。ユラリア、この場合どうなると思う?」
「細胞内にはMAOがあります。なので、小胞体に取り込まれないままにノルアドレナリンは分解されていきます。そして細胞外のノルアドレナリン濃度は減少しているので、アドレナリン受容体の活性化は落ち……神経での伝達は減少します」
欠陥がないね、相変わらず。
講義で説明されたことをパッと理解出来て、理論として応用出来る能力って、上澄みも上澄みでしょ。これが家に帰って復習してから、とかならわかるんだけれど。
「ただ、大量のレセルピンを投与した時は話が変わってくる。MAOで分解しきれないほどのノルアドレナリンがシナプス内に貯まり、やがて
NATは確かにナトリウムイオンの力を借りているけれど、逆に言えばそのナトリウムイオンの濃度勾配による力以上に、ノルアドレナリンの濃度勾配が出来てしまったら、逆流する可能性だって十分に存在する。
別にイオンチャネルや輸送体って、全部逆流防止弁が付いているわけじゃないからね。
濃度勾配や電気的な問題で、事実上の一方通行であることが多いだけ。
「だから、大量のレセルピンはノルアドレナリンをシナプスから小胞体関係なく漏洩させることに繋がる。よって、一過性の神経伝達活性化に繋がってしまう」
まあ、レセルピン自体地球ではほとんど使われなくなってたけれど。レセルピンは実のところVMATを不可逆に阻害するから、VMATが新しく作られる……具体的には数日間以上回復しなかったりするし。
「次は、ノルアドレナリンを分解してくれるMAOの阻害薬。MAOIだったりモノアミンオキシダーゼ阻害薬だったりに分類されるものとしては、イプロニアジドやブロファロミンがある」
ちなみにイプロニアジドはMAOを不可逆的に阻害、ブロファロミンは可逆的に阻害する。
そして、実はMAOにはMAO-AとMAO-Bがあり、ノルアドレナリンを分解するのはMAO-Aだっていう情報があったりする。
MAO-Bは
イメージ的には、MAO-Aは末梢神経関係。MAO-Bは中枢神経……大体は脳関係ってイメージ。
だから、MAO-Bだけを狙う阻害薬であるセレギリンは、パーキンソン病という脳の病の治療薬として使われていたりもするんだけれど。
「ただ、MAOは名前が『ノルアドレナリンオキシダーゼ』じゃないことからわかるかもしれないけれど、ノルアドレナリンだけを分解してくれるわけじゃない。だから、ノルアドレナリン分解を阻害して、濃度を上げると同時に『それ以外のMAOによって分解されるもの』の濃度をあげていることにも留意して欲しい。だから、こういうところから副作用が出かねないってこと」
ちなみに、セロトニンは
で、その結果として過剰にセロトニン濃度が──特に脳内で──上がると、セロトニン症候群という状態になる。頭痛や
「さて、次にあげるのはチラミンというもの。これは通常はMAOによって分解されるんだけれど、MAO阻害薬の服用中に摂取すると、『ノルアドレナリンを貯めこむ小胞体』の中に、VMATを通して入り込んでしまう。そうすると、ノルアドレナリンが入る猶予がなくなり、細胞内でのノルアドレナリン濃度が上がり──さらにMAOが阻害されていることもふまえれば──レセルピンを多めに投与した時と同様の。つまり、小胞体関係ないノルアドレナリンの漏洩が発生してしまうことになる」
で、わざわざMAO阻害薬を投与している上にチラミンを投与することはあるのかってのが問題になると思うんだけれど。ここら辺が飲み合わせ、もとい食べ合わせ問題になる。
「そして、注意しなきゃいけないのは君達もしばしば夜食に嗜むかもしれないチーズやワイン。ああいったものに、チラミンはそこそこ含まれていることかな」
じゃあ、最後。
もちろん『ノルアドレナリンを放出するシナプス』の最後とかじゃなくて、講義って意味でのね。
「ここまで話すと、オクトパミンという薬剤の効果を何となく想定出来るようになってくると思う。オクトパミンの効果は基本的には単純。こっちはMAO阻害薬とか関係なくVMATを通過して、『ノルアドレナリンを貯めこむ小胞体』の中に入って、ノルアドレナリンの入る余地をなくしてしまうという効果を持っている」
これの特徴は、徐々に状況が推移していくということ。
まあ、MAO阻害薬存在下のチラミンも類似の状況にはなるんだけれど。
「最初は小胞体内にノルアドレナリンの入る隙間がなくなり、細胞内のノルアドレナリン濃度が上昇する。それがMAOで対処しきれないようなものになれば、シナプスからノルアドレナリンが漏洩していく。これによって、一時的にアドレナリン受容体は活性化される」
ここまではさっきと同じ。
ここからは、さっきのある意味では
「ただ。その状態が続くことはない。MAOがきちんと存在しているから、小胞体の中に入り切れないノルアドレナリンは分解されていく。オクトパミンが投与されてから直ぐは、押し出されるから瞬間的にノルアドレナリンの濃度勾配が生じるけれど……それが
つまり、最終的にはどんな効果になるかというと。
「結果として、アドレナリン受容体の活性化が弱くなる。イメージとしては、シナプス内のノルアドレナリン在庫を枯渇させる感じ。長期になるとね」
グアネチジンやグアナドレルなんて名前のものも、類似の効果を持っているけれど省略。
本当は、アンフェタミンとかの話もしたいんだけれどね。あとはエフェドリンとかかな。風邪薬にも入ってるし。
まあそこら辺は機会があったらということで。
「というわけで、『アセチルコリンを放出するシナプス』と『ノルアドレナリンを放出するシナプス』の話はこんなところかな。要は、シナプスっていうのは合成してから小胞体に貯めこまれて、それが放出されるという過程を辿っているだけだからね。多少、中身が違っても基本骨格が変わることはない」
グルタミン酸、GABA、セロトニン、ヒスタミン、ドパミンと色々あるけれどね。大体は変わらない。もちろん薬剤は違うけれども。
「ところでこれは余談なんだけれど。最近、何やら色々と物騒らしいよ。色々な方面がドタバタしているとか」
具体的には教会とか、王宮とか。
それぞれにはそれぞれの事情があるだろうから、ドタバタと忙しくなること自体は別に否定しない。
ただ、それをなるべくこっちまで持ってきて欲しくないわけで。
いやまあ、『神聖大結界』を解析させた身分で何を言うのかって話ではあるんだけれど。
あれはあっちが先手だったから。ちょっとした自己防衛の一貫に過ぎない。
「誰だって自分の
これを、雑にまとめると『因果応報』とか『陰徳陽報』とか、そういう感じの言葉になったりもする。便利だね、四字熟語って。
「だからこそ、
この中に紛れ込んでいる、
この講義に毎回参加していたとしても、理解出来ない可能性があるってことは自分自身が一番理解している。
ならば、この講義内容とこの進め方で途中参加して理解出来るはずがない。
はたして、何の為に参加してるんだろうね。
「もう一度言おう。どうやら最近、色々と物騒だからね。色々な方面がドタバタしているとか。
ちなみに本日の課題は小テスト。
出来れば前から取っていってね。