昭和初期に旧京都帝国大(京都大)の研究者により沖縄県今帰仁(なきじん)村の風葬墓「百按司(むむじゃな)墓」から研究目的で持ち去られた遺骨を巡り、少なくとも26体が村教育委員会に移管されたことが、29日までに分かった。
遺骨の返還を巡っては、琉球王家の子孫という県民らが2018年、当時遺骨を保管していた京都大に遺骨の返還と損害賠償を求め、京都地裁に提訴していた。京都地裁、大阪高裁とも訴訟は棄却したが、23年の大阪高裁の判決では、付言(ふげん)で「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべき」と指摘し、関係者による話し合いを促していた。
村教委と京大は協議を重ね、昨年12月に返還協議書を交わした。遺骨が「保存状態が良好で貴重で重要な文化遺産」とした上で、埋葬処理しないことや、人類の貴重な学術資料として持続的に保存することなどを返還の条件とした。
遺骨は現在、村教委が管理する村歴史文化センターの収蔵庫にあり、今後も同施設で保管する。村教委によると、遺骨は21日の夕方、縦と高さ約30㌢、横約60㌢の特注コンテナ15箱に納められて届いた。頭骨以外の骨も入っており、京大からは26体以上の可能性もあると伝えられているという。京都大から送る際には村職員も立ち会い、中身や梱包(こんぽう)方法などを確認した。
村文化歴史センターの玉城靖館長は「遺骨は墓の形成過程を知る上でも重要だ。関係者が閲覧を希望する場合は、柔軟に対応していきたい」と話した。
関連記事