昭和初期に京都帝国大医学部の金関丈夫助教授が遺骨を持ち出した百按司墓(沖縄県今帰仁村運天)

昭和初期に京都帝国大医学部の金関丈夫助教授が遺骨を持ち出した百按司墓(沖縄県今帰仁村運天)

遺骨収集の調査の経過

遺骨収集の調査の経過

 昭和初期に京都帝国大(現・京都大)の研究者が沖縄県の墓地から持ち去った遺骨の返還を県民らが求めている問題で、京都大が28日までに、同県今帰仁(なきじん)村の「百按司(むむじゃな)墓」から持ち去った遺骨少なくとも26体を同村に運び、今帰仁村教育委員会に移管したことが分かった。アイヌ民族の遺骨を除き日本の大学が収集した遺骨を現地に戻した先例は乏しく、全国の大学や博物館に影響を与えそうだ。

 京大に同遺骨の返還を求め子孫の沖縄県民らが2018年に提訴した琉球遺骨返還訴訟は京都地裁、大阪高裁とも請求を棄却したが、京都地裁判決は「琉球民族として遺骨を墓に安置したいという心情には酌むべきものがある」とし、大阪高裁も付言で「遺骨本来の地への返還は世界の潮流」と明記。原告と京大、教育委員会が話し合いで解決するよう促していた。

 今帰仁村教委に移管されたのは、百按司墓から持ち去られた少なくとも26体。控訴審で京大は遺骨の保管状況の写真を原告側に開示し、うち3体には「1051」「1058」などと標本番号が墨で遺骨に書きこまれていた。

 京大医学部の清野謙次教授(1885~1955年)研究室は戦前、南樺太(現ロシア領サハリン)のアイヌ民族墓地などから現代人を含む千体以上の遺骨を収集し人類学研究を行った。沖縄からは、京大医学部の金関丈夫助教授が29年に約80体、三宅宗悦講師が33年に約70体の遺骨を持ち帰った。

 今帰仁村教委によると、21日に引き渡しを受けた遺骨はコンテナ15箱に収められていた。京大側から、頭骨以外の人骨が混在しており26体以上の可能性があると伝えられたという。

 京大と同教委が昨年結んだ返還協議書は「再埋葬はしない」との条項が盛り込まれている。引き続き研究対象や学術資料として扱うためとみられる。百按司墓は同村指定文化財で、同教委は遺骨を歴史文化センターで保管する方針。遺骨返還訴訟で原告側は再び墓に戻すことを求めている。

 沖縄県出身で元原告の松島泰勝・龍谷大教授は「沖縄に戻ったことはうれしいが、移管ではなく子孫の元に返還された上で、埋葬ではなく伝統通りに再度風葬し、祖霊神を供養するための活動を始めたい」と話している。