人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

龍男・龍女と呼ばれる存在から学ぶ。龍女は八歳にして解脱する?。七度の世を経て八度目の世で完成に入る。

 世界の宗教で【龍神】と呼ばれる存在が説かれています。もし自分に霊能力があれば、その龍神と呼ばれる存在を霊的に見ることが出来ます。そうしたことを言うと、オカルトだと反撃される方達が多数なのですが、それはその人にはそうした霊能力が備わっていないの話に過ぎないのです。人は誰しも自分の目で見ないと信じられない者達です。それはある意味、やむ得ないのです。

 そうした龍を見た人達が絵画に龍の姿を描いて残し、彫刻に掘ったとも言えます。もし龍が霊的世界にも存在していなければ、これほど姿が一致した絵や彫り物も存在しないでしょう。

 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊の声を聞いておりましたが、自分が実際に神霊世界に修行に入る迄は世に龍神と呼ばれる存在は寺院の天井や襖絵に描かれる龍の姿や神社等の彫刻に掘られた龍の姿をした様な蛇系の存在だとばかり思っていました。

 

 当時伏見稲荷大社の信者組織である伏見稲荷大社講務本庁の婦人部長で豊受姫の御代をされていた砂沢たまゑ師とその支部講の幹部信者さん達と丹後半島の伊根の漁師民宿で催された少人数の忘年会に出席していたところ、私の横に座る砂沢師に若い男性姿の霊が入身して砂沢師の肉体を借りて酒を飲んでいると解りました。

 砂沢師は通常見られるスピリチュアル標榜者とは霊格と呼ばれる物が違い。荒行を積んだ完全型霊媒者で、その肉体は豊受姫や諸々の御神霊を降ろすことが出来る超一流の霊媒体質者で、当時は稲荷行者としての実力は№1とも№2ともの呼び声が高かった方です。

 実践派の霊能者としては、スピリチュアル界の大御所と自認されている江原啓之さんを遙かに上回っている霊能力の持ち主と言えました。その肉体に神霊と呼ばれる存在が降下すると、不思議な神力や霊力を発揮出来るのです。そうした奇跡力の現出の大型版がナザレのイエスやサイババの様な存在だったと言えるでしょう。私は稲荷神界を通じて、イエスやサイババの奇跡の裏に何があったのかが解ったと言えます。

 

全てのマジックに種があり、神の奇跡にも種が有る

 

 行者の世界を見て来ますと、スピリチュアルを標榜する人達の霊能者としての実力には首を傾げる面があります。単に霊が見えるだけでは、当たり障りの無い世界を語っているにしか過ぎません。テレビ番組のオーラの泉で江原啓之さんは俳優の宇梶さんに憑いていた霊に倒される醜態を演じられましたが、霊世界では【死に神】と呼ばれる様な人を殺しに来るような霊も存在しています。一歩間違えれば自分がそうした霊に殺されるがあるのです。自分ほど凄い霊能者は居ないと豪語する方で、生き霊で私を殺しに来た方もありました。

 行者が関わる霊界はそうした殺し合いをしている様な世界なので、自衛の為に霊剣等を保有する必要があります。また世に神々や天使と呼ばれる存在もそうした霊剣を携えています。そこには何故?。がありますが、それは霊界には剣で切った張ったがあるからです。何故に行者は自分を守る為に印を結びのか?。霊と殺し合いをする為の霊剣を持つのか?。霊的世界を甘い言葉でお花畑と言っていたならば、自分が霊に倒されるなのです。

 霊的世界には霊と霊が戦いぶつかることから起きる【ラップ(騒霊)音】現象がありますが、玉と玉がぶつかると一瞬にして花火の様な大閃光が走ります。それを持ってその玉の命を終えるです。霊界には霊界の光があるのですが、三次元世界の私達にはそうした霊光が見えないがあります。

 

霊と霊がぶつかるとラップ(騒霊音)現象が起きる

 

行者は九字と呼ばれる印を結び、霊達の攻撃を防御する

 

 その豊受姫が自分の御代として使う霊媒者の肉体に豊受姫や大国主命と呼ばれる様な世にその名を知られた高い御神霊ではなく、一見して未だ若い人間界で言えば高校生の様な神霊がその肉体に入身して酒を飲む?。私は一喝して追い出そうかと思いましたが、何者が豊受姫の御代たる砂沢師の肉体に入っているのかを調べようと、逆に酒を奨めてぐいぐい飲ませました。するとその顔を隠すようにして酒をぐいぐい飲みます。しかし私に対して一言も発しません。ただ酒が飲みたいだけの霊か?。

 砂沢師は酒は下戸なので、酒は神霊が入身しない限り飲まれることはありません。なのにぐいぐいと飲むなのです。それは砂沢師の肉体が飲んではいるのですが、実際に飲んでいるのはその肉体に入った霊なので、砂沢師が二日酔いを起こすはありません。そこで私はどこまで酒を飲むのかと飲ませたのですが、私が飲め飲めと奨めるので一升は飲んだと思われました。

 その翌朝、砂沢師に昨夜先生に入って酒を飲んでいた若い男の神霊は誰でしたかと尋ねたところ、誰だかは解らなかったと言われたのですが、その足で伊根の宇良神社に参拝されたところ、木綿の様な質素な服装で高校生の様な若い感じの男の霊が現れて【自分は伊根の宇良神社の末席を汚す黒龍神で、まだ若い黒龍神なので満足に酒を飲ませて貰っておらず、勝手に宴会の席に押しかけて貴方の横に座っていた男の方からたらふくにお酒を頂きました。】と感謝の言葉を受けたと言われます。

 

 霊媒者に龍神と呼ばれる存在が入ると、生卵を何十ケと食べたり酒でも一升など平気で飲んでしまいます。しかしその霊媒を務めた人の腹にはそうした生卵も酒も残っておらず、本人はそれらを飲み食いしたら。あゝ、腹が減ったとなります。

 

霊媒者が霊媒状態で食した食べ物はどこかに消えた?

 

そこには三次元界と【霊界】の間に物質移転がある

 

 私も霊媒体質で、大量の龍神に憑依されると腹がグゥーグゥーと鳴き、何かを食べるとなります。人間の腹は高天ヶ原の【原】とも言われますが、龍神浄霊は霊媒者の腹(高天ヶ原)を使用して、下痢で浄霊するがあるのです。霊が見えるとか見えないでなく、龍神と呼ばれる様な存在をどれほど浄化浄霊出来るかがその人が持つ神格に関わるなのです。

 単なるスピリチュアル標榜だと、そうした自分が食べた物がどこかに行く。そうしたことは何も知らないかも知れませんが、それだけでなく肉体に発生した異物【癌】も同様に移転するがあります。癌はカルマが原因とも言われており、カルマを取れば癌は消えるとも言われています。某宗教開祖の方は末期癌を消すで、一説に七百万円とも八百万円とも言われる大金を受け取ったが癌が消えずに本人が死んだことで、その遺族から寄進という名で出された大金を返せと訴えられた裁判がありました。

 が、その教団は自分達は癌を消すなどとは一言も言っていない。教団に出された大金は純粋に教団に出された信徒さんのありがたい寄進で、神様に出された寄進なので返す必要は無いと反論していました。宗教法人の教団が癌を消す等の約束で大金を受け取っていたともなれば、これは医療法に引っかかって刑事事件となります。しかし神霊界が末期癌をも消す。そうした事実があることは知る者は知っているのです。

 

病の原因にカルマが在り。カルマを消すで病も消える

 

 世界の人類が平和でありますようにのスローガンで知られる白光真宏会の開祖である五井昌久師は、病は過去世からのカルマが消えて行く過程だと正しい認識を語っておられました。蛇足ながら五井昌久師は世界救世教の岡田茂吉氏の弟子の方の弟子に入り、次に成長の家の谷口雅春師の弟子に成られたのですが、岡田茂吉師と谷口雅春師はどちらも大本教の出口王仁三郎聖師の右腕左腕と言われた直弟子に当たります。そこには大本教霊学の流れはあるのです。

 一部の霊能者と呼ばれる人達の中には、大金さえ出せば癌を消したり。その病を別の人に転移させる等を秘密裏にしているがあります。すなわち【カルマ】を別の存在に移転させるです。

 

カルマ(因業)は霊的世界の異物として、存在する

 

 明治に入り刑法で呪詛が禁止されましたが、それ以前は呪詛として殺しを依頼された人を祈り殺すも陰で行われていました。その時には【式神】とか【死に神】等の存在を使うもあります。私も霊能者から死に神を送りつけられて病になったり、霊剣で攻撃されたりがありました。その死に神から私を殺そうとした詫びから、人を殺したい時には何時でも私を呼べ。その者を殺してやると告げられたことがあります。神霊界はこの世とは【論理】が違っているなのです。

 今の神の世界とは、正義とか公正とか平等の論理が走っているではないのです。

 

今の神霊世界は勝てば官軍、負ければ賊軍

 

神の世界に誠や正義を求めても、見当たらない

 

 それから二十年ほど経過した後、私は豊受姫の分魂を持つと言われていた女性達と神霊界の御用の旅をしていた道中で、その時の伊根の宇良神社の黒龍神と言った男の神霊が今度は青年の様な姿で私達の前に現れました。その衣装は昔の木綿の様な衣装とは違い、高価な絹物の衣冠束帯姿で出世したと思われました。

 そして私と同行していた豊受姫の分魂を貰っていた女性に、伊根の宇良神社の主宰神たる御祭神が大怪我をされたが私達の手には負えない。それで豊受姫様のお力でなんとか助けて欲しいと願って出て来たと言います。私に会うが目的ではなく、私が同行していた豊受姫の分魂の女性に用事があったなのです。

 

 豊受姫は与謝郡の一宮である天橋立の籠(こも)神社から伊勢内宮の天照大御神の食事の為に伊勢外宮に出られた神と言われており、伊根の浦島伝説の宇良神社とは関わりがあります。その青年姿の黒龍神が泣く姿を見て、その翌日に私達一行は伊根の宇良神社にその御祭神の怪我の様子を見に参拝したがあります。

 伊根の宇良神社は浦島太郎伝説で知られる神社ですが、その浦島神社には龍神と呼ばれる神霊達が鎮座しているとなります。その宇良神社に鎮座する龍神の存在で、私は龍神と呼ばれる存在も人の姿形を取ると解ったのです。

 

世に龍神と呼ばれている存在も、人の姿形で現れる

 

龍神と【籠】神社。私は豊受姫で龍宮の乙姫を知った

 

 一般的には龍宮の乙姫には日本神話の【豊玉姫】を当てる方が多いのですが、私は豊受姫に龍宮の乙姫姿を見たなのです。豊受姫は【衣食住を司る神】と言われていますが、物質界と龍宮とは密接な関係を持つなのです。

 大本教から予告として出された【みろくの世】は、人民が【衣食住】に困らないように、龍宮城の乙姫殿がその財は吐き出すとなっています。

 

みろくの世の嬉し嬉しの財は、龍宮城の乙姫殿が出す

 

 人は恨みや怨念を抱いて死ねば蛇霊と化すことは行者ならば語ることです。しかしその恨みや怨念を捨てると、元の人の姿に戻るがあります。人の姿を取るのか?。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と呼ばれる姿を取るのかは、その霊の【心の状態】を表していると言えます。すると人とは何かとなりますが、それは大本教が世に出した【人とは霊止(ひと)】であるとなります。

 霊能者やスピリチュアル標榜者の中には自分には【龍神】様が就いていると言われる方達があります。それはその人を龍神が守護しているではなく、その人自身が龍神の魂の持ち主で在るがあります。

 

龍神の魂で人として出た存在は【龍男・龍女】と呼ばれる

 

世に一代で偉業を為した人の中には、龍男・龍女が多い

 

 この世に人として生まれ出た龍男、龍女の存在は仏教や日本の新神道系の教団からはその存在が説かれておりますが、西洋のキリスト教やイスラム教世界には存在して来ません。そこにはイエスやマリアも龍男・龍女であったことを隠そうとした勢力があったなのです。

 大本教からは龍男や龍女が居る世界が龍宮城で天人達の世界に準じているが、天人達の世界に進む為の【解脱】が出来ていない。龍神は神だが未だ【畜生】の部類に当たるとしています。そこには【天人】には霊力が無く、【龍人】ならば霊力が有るとなります。

 

龍神は神的存在で神と呼ばれるが、畜生界とされる

 

 そこに畜生界から解脱する必要があるのです。仏教の妙法蓮華経の提婆達多品第十二には【龍宮】に関する記述が出て来ます。その中では文殊菩薩が龍宮の衆生達を導いて来ているとあります。その現代口語訳は、

 文殊菩薩は【私は海中において、ただ法華教のみを説いていたのです。】とありますが、そこに龍宮城は【海中】に在るとなっています。

 私達日本人は日本昔話の中で【浦島太郎が助けた亀に連れられて龍宮城に来て見れば、鯛やヒラメの舞い踊り。】している海中の龍宮城の話を教えられるのですが、霊的世界を知るならば海中にも空中にも土中にも【龍宮城】的な世界は存在しているのです。

 そこには私達人間と同じ姿をした人の存在が見られるのです。しかしそれは私達の様な三次元世界の存在では無い為に、自分に霊的力がないとその存在は掴めません。為に存在しない世界と思われていたなのです。

 

 霊的世界の存在を頭から否定する人達は仏典に【龍男・龍女】の存在が記されていても、それを認めることはまず無いでしょう。それどころか、その人自身が自分が龍男や龍女でありながら、その肉体は自分が龍男や龍女であることが解らないがあります。それはこの世に人として出る時は、過去の自分の魂の【記憶】が消されるからです。が、一部の人にはその記憶が残り、自分は龍男であったとか龍女であったであり、自分を龍が守護していることを霊的に見るとなります。

 

龍男・龍女でも、肉体を持つと自分が龍と自覚しない

 

 私は霊界修行に入って、そこに龍神と呼ばれる存在だけでなく、龍男・龍女と呼ばれている人達の存在を知ったと言います。と言うよりも、私も今の人類が誕生する以前は白龍神として存在した身ではあるのです。ただ私自身は既に【龍男の身を解脱】しているのです。

 そこに妙法蓮華経の提婆達多品第十二に書かれている八歳の龍女の解脱は理解は出来るですが、それがどうして【八歳】に成っているのか?。そこに疑問があったなのです。どうして十歳ではいけないのか?。にります。【八】の数字には何が隠されているのか?。

  法華教において龍女が解脱する時が【八歳】に成っているのは、その【八】に意味があったなのです。何故ならば浦島太郎が龍宮城に行っていた期間とは、人間界の時で語る【八歳】では解る様な時間ではないからです。浦島太郎の伝説は短い時間と思っていたが、途方もない長い時間であったとなっているでしょう。

 

 大本教では大本教の教祖は【七代女子の教祖で続く】の予言がなされました。今の大本教の教祖はその正統の教祖の系列では無い系列が教祖の職に就いていますが、本来の教祖の系統は既に七代の女子が誕生しています。そこに有るのは、大本教は出口一族の女子の教祖で七代続くのでは無く。妙法蓮華経の【八歳の龍女の解脱】として説かれている事項のことなのです。

 

 それは今は七度目の世であり、龍神界と呼ばれる世界の働きによって、八度目とされる世界が開かれるなのです。

 

聖書は神は六日で世界を創られ、七日目を安息日とした

 

日本神道は、今の世は神世七代目の質(七)の世とする

 

 大本教は大本教が発祥した綾部の大本教の土地に関して、その地を【陸(あげ)の龍宮城の館門】としました。すなわち【出口】姓は龍宮城の門の司の意味です。そこに出口王仁三郎聖師による神門の鬼(王仁)の演技もなされたなのです。

 私達人類はアフリカの高山から発した猿的な存在が進化したのでしょうか?。そんな思考では霊界の存在は理解出来ないとなります。

 

 霊界に関わっていますと、人には【魂】と呼ばれる科学ではその存在の証明は出来ない物があると解って来ます。それは丸(円)い玉(球)で、深い思考力(思惟)の玉で【玉思惟】なのか?。自分本位や自分勝手な思考をする恣意の玉の【玉恣意】なのかの違いはありますが、どちらも人の目には見えない。レントゲン線にも写らない霊的な玉なのです。死者の生前の体重を計っても計測は出来ません。

 しかしそこに霊媒体質者が居るならば、そこに霊媒体質者が居ることで魂が写真に写るがあります。テレビの超常番組などに写り出される【オーブ玉(思念)】等もそうした類と言えます。オーブ玉自体は小さな物で、スマホでも写るでしょう。また最近は監視カメラに幽霊と呼ばれる存在が写るケースが多くなっていますが、それは時代の流れとして現実界と霊界の接近が起きていると言えます。

 

 魂を写した写真として、玉の形態がよく解る一枚(オーブ玉とは違う)。

 

 太陽も地球も月も球体。私たち人の魂もまた球体。

 

 魂が【玉思惟】と解るのは日本語の世界で西洋では無理。それは何を語るのか⁉。

 

 

  明治25年に丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の神諭には、人の自己本位、自己中的な生き方を戒めています。しかし日本においてのスピリチュアル標榜者の多くは神は愛だから何をしても赦して下さる。この世は魂の修業場ではなく遊ぶところですで、自己中、自己本位の生き方を説きます。

 

それでは龍女の解脱にはほど遠いとなります

 

 スピリチュアル標榜で案内する世界とは天国界ではないのです。大本教の出口王仁三郎聖師が残された神典には、天国に案内すると言いながら地獄に案内する者ばかりなのです。

 

大本教から出された人は霊止(ひと)は革命的な教え

 

人の魂は心臓の部位に宿り、霊は人の血の中に宿る

 

 この論理が解っていないと、エホバの証人の様に輸血を神の大罪と勘違いするが起きます。それは【血(チ)が意味するのは霊(チ)】で、霊に憑依されるとその憑依された人の思考が犯されるがあります。それが汝は他人の霊(血)を食べてはならないなのです。

 

他人の血を自己の肉体に入れると違う【思考】が入る

 

 しかしこの世で生きるか死ぬかの瀬戸際の時、他人の血(霊想念)を自分の体内に入れたとしてもそれは長い時間ではないのです。人の心臓は【汚れた血(霊)を浄化】しているのであって、魂(心臓)がしっかりしていれば他の想念(血)を入れたとしても大きな問題ではないのです。

 それは動物の血も同様であり、血が滴る様な獣の肉を食べるとその獣が持つ想念を自分の血に取り入れるが起きます。それは獣としてこの世に出ている生命体にも過去世には人として出た想念が残っているからです。獣食の西洋人の気性が荒く、東洋人の気性が優しいのは獣の想念を受ける肉食主義と米の様な穀物主義の違いも一因なのです。

 そこにイスラム教などにみられる動物の血(霊)は、作法に従って処理しなければならないがあるのです。ただそれは何故なのか?。キリスト教やイスラム教には【輪廻転生】の基本論が無い為に、意味不明を起こさせているのです。

 

そこに仏教は動物の肉を食べない【精進料理】を言う

 

 血(霊)の汚れだけを言うのであれば、動物の肉食は止めてベジタリアン(菜食主義)にすればいいのです。で、菜食主義の僧侶に成れば死後は如来で、西洋人の様に肉食ばかりしていると地獄界かとなりますとそうではないのです。自分の中に入って来る他人の想念をどう浄化(消す)かするかに関わるからです。

 西洋のキリスト教の愛の考え方は非常に偏っており、鯨の肉を食べるのはけしからんと怒り、愛だ愛だと言いながら牛や羊を家畜として殺して食す。そこにある【愛】とは何だ?。となります。キリスト教徒は天国界には遠いとされるのは、基本論理が仏教と比べて間違いが多いからと言えます。イエス一人にキリスト教の全信徒の【カルマ】は被りきれないのです。

 

 イエスは魂とか霊の役割。カルマとか輪廻転生を理解していたではないのです。そこに識界レベルの判定として創造神を第十識界とするなら、お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。ムハンマドに到っては第四識界とされているなのです。第七識界を超えていないと霊界を説明するのは難しいとなります。

 

 為に自称創造神と言われる方達が説く内容は、どうしても自分を拝めば天国にとなってしまうのです。

 

 

 

 

精神世界

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。

このブログの人気記事ランキング

JUGEMおすすめブログ

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< May 2025 >>