人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

神は言葉では無く。言葉の響きが神。龍宮の乙姫(音秘め)とは何を意味したか?。響の艮に音波?。

 ヨハネ(バプテスマのヨハネ)による福音書には【初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみ(闇)の中に輝いている。そしてやみはこれに勝てなかった。】とあります。

 

日本においては【命】の漢字を【ミコト】とも呼ぶ

 

大本教はその【ミコト】に【御言】の漢字を振った

 

何故に【命(イノチ)】が【ミコト】に成るのか?

 

 日本では国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔嗚尊等に【尊(みこと)】の漢字を振り、大国主命等には【命(みこと)】の漢字が使われます。

 命を御言(ミコト)とするのは別に西洋の特許ではなく、【言葉と神】の関係が解るので有れば【言霊(ことだま)】の働きが解っては来るのです。私は伏見稲荷山で四年間に渡って狐霊や蛇霊が支配する神霊界を見聞し、それから【言霊】の世界に転じました。そして言霊とは何かが解った時、自分がそれまで持っていた神観は百八十度ひっくり返ったと言えます。

 

聖書の言葉は神と共に在ったは、言葉の意味が違う

 

聖書で創造神を知ろうとするのは不可能に近い

 

 仏教においてはこの宇宙は【無から有が生じた。】と成っていますが、突然に神と呼ばれる存在が現れて、何々有れと言われたから万物が生成されたではないのです。よく言われることに【鶏(親)が先か、卵が先か】がありますが、霊的世界に在るこの宇宙の成り立ちの映像には科学が語る【ビッグバン】の前に宇宙の卵が産まれる過程の映像が在るのです。

 

始めは【女の胎】と言う漢字が教えている

 

 宗教界が説いた宇宙の成り立ちに関しては、霊的映像を見る限り仏教における【無から有が生じた】なのですが、その後の混沌(カオス)から宇宙の卵が産み出されたなのです。その光景を人類に語った宗教は大本教霊界物語以上の物は存在していないと思われます。

 

私が愕然としたのは、西洋では創造神は説けない

 

 キリスト教では【父なる神】を説きましたが、【母なる神】が出せていません。それをイエスの生母であるマリアに代行させようとしても無理なのです。大本教は父なる神の存在を【大国常立尊】として、母なる神を【豊雲野尊】と出しましたが、こちらの方が遙かに真理には適っているなのです。

 私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から【日本神話(記紀神話)の天之岩戸開けなどの話は、この私が人を使って創作させた物語であって、そうした事実があったのではない。そなたはどうして私がそうした神話をこの日本に創らせたのか?。その意味を学びなさい。】と告げられました。岡本天明師の日月(ひふみ)神示において天之岩戸の岩戸とは【一八十】の意味だと出されましたが、その百八十は神霊世界の神々の階級を意味していたとは驚くことではあったなのです。

 

 私は神霊界に修行に入って、日本各地に在る天之岩戸と呼ばれる処に行って見ましたが、どう考えても天照大御神とする太陽が隠れる様な洞窟の話は無理筋なのです。それは太陽そのものが人の様な姿で顕現したとすることに無理があるのです。

 人の【額】には第三の目と言われる心眼が在るとされ、そこに神社等に参拝するとその神社の御神霊が出す【神光】を受け取れますが、龍神と呼ばれる様な巨大なエネルギー体に憑依されると神社の御神霊から受け取る神光では如何ともし難いがあります。また神社のお札の類もそうですが、低級霊には効果があっても相手が龍神と呼ばれる様な存在ともなると神社のお札では、まったく効果が無いなのです。

 そうした時、目を瞑って太陽に向かって天照大御神様。惟神霊幸倍坐世(かんながら、たまちはえませ)等と繰り返して唱えれば、その額(第三の目)の部分に普段浴びている太陽の熱ではあり得ない強烈な光が入って来て、そうした龍神等の憑依霊が外れて行きます。だがそした真言を唱えないと効果は無いなのです。

 

何故宗教が教える真言を唱えると、効果があるのか?

 

 私はそうした事実から伊勢神宮の御神霊は本当の太陽神では無いと言います。日本の総氏神とされる御神霊だとしても、太陽を産み出した神ではありません。大本教神諭にこの艮が世に出ている神々を誑かして使って来たとありますが、世に出ておられる神々や天使と呼ばれる存在は、その姿を見せていない創造神の様な存在の神により背後からコントロールをされているのではないかなのです。

 私は稲荷神界で神霊界修行の世話になったのですが、そこで漢字が金文字で現れる等を体験して来て、言葉を光透波(ことは)とするだけでは【神と言葉の関係】は解らないと言うのです。

 

 新訳聖書における洗礼者(バプテスマ)ヨハネがキリストと認定したのが【ナザレのイエス】ということになります。私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、イエスを高貴な神の御子ではあるが我が子ではないと言われ、ナザレのイエスが旧約聖書が告げるところのキリストではあることを否定されました。それはイスラム教の開祖ムハンマドがイエスは尊敬される偉大な預言者ではあるがキリストでは無いと言ったことと同様のことです。

 

信徒達が犯した罪を、全て救える様な存在があるのか?

 

 そこに自分が天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称して出て来る霊が、本当に正しい霊で有ったかの疑いが生じて来ます。ナザレのイエスを救世主だと思い込んでいると、ノストラダムスが残した【西洋の人がいくら待ち望んでいても西洋からは現れない東洋の叡智の飼い葉桶。】となるのです。

 しかしナザレのイエスは【40】日間も荒野をさ迷い。明けて【41】日目に悪魔を退けて神の一人御子と成られたとするように、大本教神諭予告の九つ花で紐解きで解る九つ花の芯は【41】の数字で示される主の息子の型の演技はしているなのです。

 

 されど旧約聖書の神がキリスト登場の前に現れると予告したのは男女の二人の預言者であり、バプテスマのヨハネと言われるたった一人の予言者ではないのです。そこには何故に【男女二人】の必要性があるのかとなります。大本教から出された厳霊と瑞霊の男女を揃えないと【キリスト】は無理なのです。

 

旧約聖書のキリストとは、九つ花に咲く一輪の言霊か?

 

九つ花は、みろく(369)で56億7千万を出すが?

 

 私は仏教徒の家の子で、キリスト教とは何の関係もありません。そんな私に旧約聖書の神と称する声が臨んだことに、子供でも困惑していました。しかもその声はイエスをナザレのイエスと呼び、イエスは高い魂の御子たる存在ではあるが旧約聖書の神の御子では無いと否定して来たのです。

 その当時、私は大本教のみろく殿の近くに住んでいて、旧約聖書の神と名乗る声ながら、その声の主は大本教関係の神だろうと感じていました。だがそれを証明するには艮金神国常立尊と旧約聖書の神が同一神である論理的証明が必要であり、単なる論証では駄目となります。

 大本教から鬼門の艮(牛虎)金神が世に出された時、その神の性質と旧約聖書の神の性質の同一性が議論されました。しかしそれを証明するのは大変な困難がつきまとうなのです。

 

旧約聖書の神も鬼門の金神も、どちらも恐ろしい神

 

 確かに旧約聖書の神の言葉とされるものを見ると、実に恐ろしいことを述べた神の様に受け取れます。しかし私がその言葉の元に成ったと思われる【霊的映像】を見ると、その映像をそのままに言葉に【直訳】すればそうでも、映像から読み取れる意味を【日本語に置き換える】と、まったく別の意味に成ると解ったのです。

 

性器の割礼とは、【生まれながらの心の器(魂)の割礼】

 

霊界の映像は、日本語に置き換えないと意味を間違える

 

 私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で有る。この私の教えはこの日本で無いと解らない。】と告げられました。それは大本教神諭に【日本の言葉】は世界で使われる言葉とは違っていると説かれているのです。

 大本教の出口王仁三郎聖師は自分が救世主(キリスト)だと名乗り。その一方、自分と大本教の出口なお開祖は旧約聖書で予言されていたキリスト登場前に現れる男女の二人の預言者だとも述べておられます。また自分を【弥勒】と称する等、神霊界の型を演じる獅子奮迅の活躍をされたなのです。

 しかし霊的世界に関して疎い方達は、その【型】を演じるそのもの理解がほとんど出来ません。

 

人の目には見えない神霊界を解らせる為には【型】が必要

 

 出口王仁三郎聖師は霊界物語の第十三巻に記載される【信天翁(アホウドリ】の中で、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと発表されて、巷には自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと自称する人達が多数輩出しました。それは【十三】の数字の意味がニセ型なのです。

 無論、そうした自称救世主の方達は単に名乗ったのではなく、そこには霊的世界が見せる【奇跡の現出力】を持っておられたなのです。自分に何の奇跡も現出させる力も無いのに、自分が救世主ですと名乗る者が世が居るのかとなります。何の奇跡も見せずに自分が救世主だと名乗っても、誰も信じてはくれません。

 

そこに、真理を説くよりも【奇跡】の現出合戦が起きた

 

人は【奇跡】を見ないと、人の目に見えない神を信じない

 

 しかしその奇跡力を振るう人達は、その奇跡の力がどこから出て来ているのか?。その認識が出来ていないがあります。ある自称救世主はその方に臨んだ光が創造神だと思っていましたが、私がその方にサニワ(審神)の方法を教えたところ、その光は大蛇霊だと白状したがあります。自分では創造神と思った巨大な光は大蛇霊が放つ光であったなのです。

 出口王仁三郎聖師は大本教から出した変性女子(素戔嗚尊)の役のみならず、大本教の出口なお開祖に降りた出口王仁三郎聖師が【みろく様】のみろく神も、自分はニセ者であり。本当のみろく大神たる存在は昭和20年に降臨したと述べておられます。

 この昭和20年に降臨したとするみろく(マイトレーヤ)説は英国神智学協会のベンジャミン・クレームが世界を講演して説いた世界教師マイトレーヤが昭和20年にヒマラヤに降臨したとする等が西洋の神智学でも言われたがあります。その1945年とは終戦の年ですが、その終戦の年から世の大立替の時が【カウント・ダウン】される仕組みが存在しているなのです。

 

 その西洋から起きた神智学協会のロゴを見ると、その周囲を蛇が囲む。

 

 

西洋における神智学は蛇の知恵から起きている

 

西洋から起きた神智学のマーク

 

西洋の神智学のマークは、弥勒神の紋章とするが

 

大本教は弥勒の紋章は【○十】で、その解釈は違う

 

 そもそも最初からお釈迦様の弟子に弥勒菩薩たる仏は存在しておらず。西洋の神智学では56億7千万の数字に秘められた意味すら紐解けていないのです。それは何神かは解りませんが、そうしたことを日本の言葉で仕組んだ神が存在しているのです。みろくの意味は【369】であり、それを出さないと【五六億七千万】の数字を導くのは日本語でない限り無理な話なのです。また【みろく神】を反イエスの【666】にさせるのも同様のことなのです。

 日本神話には黄泉(よみ)の国から【甦る(黄泉帰る)】が出されていますが、日本語の仕組みなので西洋人に意味など解りません。魂の更生で【甦る】であり、表音文字ではそうしたことが解らないなのです。

 

 神霊世界を見聞して来ますと、【頭上の蛇】に関する出来事に遭遇します。イエスはその弟子達に【蛇の様に賢くあれ!】と説いたと言われていますが、蛇は【知恵】を意味します。しかし知恵は人の心の【善悪】は解らないのです。蛇霊が囁く言葉に乗ると、お釈迦様の悟りで有った【人に内在する良心神】は出て来ません。その理解が出来ないのです。

 私にはそれがどなたかは解りませんが、【イエスのパンの教えは美味なれども、真ん中の無いドーナツ型のパン!。そなたはイエスの愛の教えを恐れずに乗り越えなさい。】と告げられて、愛では解らない人に内在する良心神に行き着いたと言えます。それはお釈迦様の悟りであり、それを一輪の言霊で紐解ける仕組みが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(火水)】と成っているのです。

 

頭上の蛇は【知恵】でも、心の【善悪】を知らない

 

 大本教の出口王仁三郎聖師は霊界に【ミカエル】と言う名の天使長は存在していない。ミカエルとは日本語の【省みる】の言葉の意味だと述べておられます。この頭上の蛇が天上世界に帰る時が【巳帰る(ミカエル)】の言葉の意味なのです。

 旧約聖書が語る本当の天使長とは、人の中に入り込んだ蛇霊を帰らせる働きのことで、モーゼ外伝では【蛇の尾を踏む者】とされる【巳帰る】の意で、ミカエルと言う名を名乗る天使長のことではないのです。

 大本教の出口王仁三郎聖師が自分を【素戔嗚尊】と名乗ったのは、出口王仁三郎聖師の魂が素戔嗚尊の系列の魂であったということと、素戔嗚尊には【武塔神】の異名がなされているように【軍神】であり、西洋で語る天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと称する霊達の天使の刀などはその前では何の役にも立たないがあるからです。

 何故にミカエルとかガブリエルと名乗る霊は間違えたのか?。

 

そこには十里(トリ)で八根(ハネ)を持てがあった

 

 それは仏教で説かれた【みろく】とは、西洋で神智学と称する者達が言うところの【マイトレーヤ】そのものが、最初からお釈迦様の弟子に存在していなかったという事実と照らし合わせると、そこにそれらを仕組んだ神が存在しているなのです。

 

人の魂は脳に宿るのか?、心臓に宿るのか?

 

 

 

西洋における神智学者達は、神は蛇霊説を採った

 

そこに爬虫類宇宙人等も説かれる

 

 聖書には龍とは【霊界で年老いた大蛇霊】とありまして、日本における行者筋に龍とは何かと聞きますと、【龍とは霊界の海山川(or火海山等)で各千年の合計三千年修行した大蛇霊】のことだと言われます。が、大本教の出口王仁三郎聖師も世に言われる龍神の多くはそうした大蛇霊のことではあるが、そうでない存在の龍が在ると述べておられます。しかしながら、その大蛇霊で無いところの龍のことがあまり詳しく記述されていないがあります。

 

龍とは霊界のエネルギー体で、【流神】を意味する

 

 大本教が世に出した艮金神国常立尊御引退説は、多くの神々が蛇霊の囁きに乗っ取られて多数決の原理で国常立尊を地上神界の主宰神の地位から追放して、その後に主神の座に就いたのが中国では盤古大神(木星神でギリシャ神話だとゼウス)と呼ばれる神のことで、私は鍾馗神の案内でその盤古大神に拝謁したなのです。それで私は盤古大神とは何神かを調べることで大本教霊学に入ったがあります。

 そうした神界のことを何も知らない私は、それを調べるのに大変な労力を必要としたなのです。私の前に出て来られる神々や如来や菩薩や明王達は誰もそうしたことを誰も語ってくれず、奇跡力で人々を驚かして神の存在を説く。それはインドのサイババで解る様な奇跡力さえあれば誰にも出来ることです。が、それでは【真理】には行き着かないなのです。

 サイババは何も無いところからメイドインセイコー社の腕時計を出して、霊界からの贈り物だと人々を驚かせていましたが、霊界を見聞してくればお菓子や食べ物を空から降らせるもあります。また歩けない躄り(いざり)を立たせる。目が見えない人の目を開けさせる等、そこには科学の目では見えないものがあるなのです。豊受姫の御代をしていた私の最初の師匠も、そうした奇跡の数々は世には見せていたのです。

 

神は言葉では無く、言葉は【音波】の働き

 

その音波の衝撃は、光(音は日立)すら生む

 

 大本教で演じられた三代教主直日師の【龍宮の乙姫(音秘め)】役と、その夫の出口日出麿師が演じた【日之出神(日立)】は一つの型演技でもあったなのです。音と光は【対】と成る役割と言えます。

 

西洋の宗教には【龍宮の乙姫(音秘め)】が出ていない

 

 私達は【龍宮の乙姫様】と言えば、浦島太郎物語が頭に浮かびます。私は豊受姫伝説を追っていて、その【龍宮の乙姫(音秘め)】様とは何を語っていたのかが解って来ました。 仏教には【龍神】の存在は説かれるが、それは聖書で語る事柄とは違っているのです。

 

 

 

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