世界中で魂の存在は説かれますが、キリスト教やイスラム教では魂と呼ばれる存在が輪廻転生している等の教えは存在していません。それは一つに魂は私達の目には見えないエネルギー体で、それを説明して行くには【意識】とは何か?。この宇宙の誕生は仏教では【無から有が生じた】と説かれてはいますが、無から何が発生したのか?。そこには大本教から説かれた【霊・力・体】等の説明が要ります。キリスト教の場合はそもそもその【三位一体】が、大本教等とは違っているなのです。
そうした内容を系統的にまとめて解説するのは非常に難しい話で、大本教の出口王仁三郎聖師が【神の九十九折り】と言われた様に縦に走ったり横に走ったり(経緯)して織りこなしていかなければなりません。そうした難しい説明よりもイエス一人が主の御子だと信じれば天国などと信じ込ませた方が手っ取り早いとなります。そこにキリスト教には【真理】が無いとなります。確かにイエス一人が主の御子と信じるだけでよいのであれば【真理】など必要が無いのです。
日本では伊勢神宮には天照皇大御神と呼ばれる神霊が、出雲大社には大国主命と呼ばれている神霊が鎮座されているのは霊能者であれば誰でも視認できます。だがそれらの神々が【魂】に関して、その神霊の取次者や霊能力者を通じて私達人類に詳しく説明して下さったかとなると何の説明もありません。それは説明することそのものが非常に難しいのです。
世に出た神々や天使が魂とは何かを説明していない
大本教神諭には【世に出た神々の心の持ち方が悪かった。】とありますが、神霊界と呼ばれる世界に怠慢が有ったとなります。そこに大本教が述べた国常立尊の御引退劇と呼ばれる事柄があったとするならば、日本語ですが【艮(ウシトラ)】と呼ばれる引退の言葉であらゆる物を解説出来る不思議な事柄は、それが出来るだけの力を持った神が存在していながら世から隠れていたとも言えます。
人の肉体に宿っている魂とは、三次元世界の生命体に宿れる様に魂そのものが小さいがあります。もし人間の肉体に高次元霊界の大きな魂(神)を直接に降ろすと、その肉体人は発狂して廃人になります。それぐらい難しいのです。大本教の出口なお開祖の娘であった福島久さんにはそれが起きた節があります。その福島久さんに降りた神示は全てが嘘ではなく、部分的には正しい物も含まれるなのです。
神と精神。人の肉体に神霊を降ろすと発狂する危険
為に神霊の言葉の取次たる存在は、特別な育成が必要
霊能力者の間でお釈迦様にイエスにモーゼ。大本教の出口王仁三郎聖師。弘法大師や日蓮聖人等は特別の存在と見做されているのは、その魂の霊界における次元格が高かったがあります。自分が救世主だと呼称された本山博さんとか五井野正さんは七次元界出身と自称されましたが、有名な宗教家達はそうした七次元界とか八次元界等の高次元霊界の格が高い魂であったと言われています。
無論、世間には自分は三千億次元界の魂だとか、五百万次元の魂だとか、おお法螺を吹く人達も居られますが、神の高山説では創造神を【十】合目神と見做して見るがあります。天は【テン】で、10合目と仕組んであるのです。もし自分が十三次元だと称してしまうと、厳瑞の意味が崩れるように仕組んであるのです。自分は十次元以上の者と名乗る者は贋者の類いなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語の第十三巻のアホウドリに、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと発表されましたが、十三の数字にはそうした仕掛けもなされているのです。十三次元と名乗る阿呆も世に出て来るです。
創造神を【十】合目とするのは、厳瑞霊の意味がある
創造神と呼ばれる神は稲荷大神秘文では天に次玉(つぐたま)であり、とてつもない巨大な玉となります。夜空を見つめると星の数は何京(京は一億の一億倍)なのか解りませんが、その全宇宙を支配するのが創造神だとなります。その大宇宙と比較すれば、人間など実に小さな存在だとなります。そのちっぽけな人の身が、自称でも自分は救世主などは基本的におかしいのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、自分が【救世主】だと名乗る者は全て【贋者】の告げられましたが、夜空に輝く星々を見れば自分が救世主だと名乗っている様な者は間違いなく贋作者と言えます。もし自分がそうした人物に引っかかったとすれば、その人は夜空の星々を見ていなかったとなります。貴方に夜空に輝くそれらの星が創れますかと、そうした自称救世主に問うべきことだったのです。イエスもまた救世主等はあり得ないのです。
人の肉体に入る魂も分派されて新しく出た最初は魂自体がひ弱な面があります。そこに魂は【生まれ変わりの回数が多いほど】魂はしっかりして来ると言えます。人の魂の生まれ変わりそのものは【カルマ(過去の業)】が起因ですが、それだけが輪廻転生の原因では無いのです。
蟹などは脱皮して大きく成長しますが、魂もそうした【生まれ変わる脱皮】によって成長するがあるのです。そこに人の魂はオギャーとこの世に生まれた時点で【各自の魂が放つ光の色や量】が違うがあるのです。
人の魂は生まれ変わりが多いほど、魂が固まってくる
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言っている人達の中には、自分は一億回もこの地球に転生して来た等と叫んでいる人達がいますが、そうしたあり得ないことを平気で口にするのがスピリチュアルだと思っている様な人が残念ながら居られます。そこにスピリチュアル標榜では魂の【奇魂】が働いていないとなります。まず【道理】で判断せよです。
大本教から人(ひと)は【霊(ひ)止(と)】であると出されたことは、非常に画期的なことだったのです。人が【霊止】であると解っていないと、【霊媒】の意味が解りません。霊媒者とはその肉体を外部の霊に貸して、その霊がその肉体の口を借りて他の存在と会話して来る存在です。
そうした霊媒者とは恐山のイタコで知られる口寄せ的な存在だと思われている節がありますが、霊能者が巫女として使う霊媒者はイタコ的な【霊の思い】を受けて、自分がその思い(想い)を代弁して語るのとは違います。単に霊の思いを告げるのは霊の憑依であり、その霊に肉体を貸すのは憑依でなく霊媒(巫女)なのです。巫女たる霊媒者に神霊が入れば、その肉体に入った神霊の顔形がはっきりと視認出来ます。霊媒(巫女)者の顔が変わることで、どなたが巫女(霊媒)の体に降りられたかの判断も出来るなのです。
霊媒者に弁天様などの降臨があると、その顔が大変な美形に一変したりします。それを実際に見た人は醜女がいきなり美女に変わるに驚くことになります。その霊媒者の周囲に居る者はその霊媒者の顔が変わることでそうしたことが解るがあるのです。
自分の肉体を霊に貸せるのが、本物の霊媒(巫女)
こうした霊媒者は【完全型霊媒】と呼ばれて、霊媒をしている人の意識はその肉体を貸している間、まったく別の場所に行っているのです。自分の肉体を霊に貸していても自分もその霊がしゃべった内容を聞いているのが【半型霊媒】で、その霊が出す言葉に自分の意識を混入させて来るがあります。そうなると【サニワ(審神)】が非常にやりにくいとなります。その霊の言葉なのか?。それともその霊媒者の意思なのかがサニワ(審神)者にも解らなくなるからです。
こうした事柄は行者筋ならば日常として接するがあります。一般的には狐憑きとか狸憑きとか蛇憑きと言われるような動物霊(必ずしも動物霊では無くて、霊が動物の姿形を取る)の憑依。多いのが自殺した霊に憑依された等で、憑依された人の口を通じてその霊の実体に触れるがあります。但し霊界には【愉快犯】と呼ばれる霊も多数居て、霊媒者に懸かって人を欺したと喜んでいるも多いなのです。そこにサニワ(審神)の必要があるのです。しかしスピリチュアルだとその審神(サニワ)がされていないなのです。
霊媒体質者は、体質として自殺霊を引き寄せてしまう
日本では肉体人におかしな霊が憑依すると【狐憑き】とか【蛇憑き】だと言われますが、西洋では【エクソシスト(悪魔払い)】が言われています。ただキリスト教ではエクソシストで知られる悪魔払いの牧師の地位は非常に低く。また人に霊が憑依する事案を理解していないがあります。それはキリスト教そのものは霊界の実相を知るではなく、イエスの名の下だけの宗教だからと言えます。
ある日本のテレビ番組で、アメリカでポルターガイスト現象が起きる場所でキリスト教の悪魔払いの牧師と日本人僧侶の霊能者(慈雲和尚)を立ち会わせたところ、キリスト教の悪魔払いの牧師は聖書と聖水を用いて【悪魔よ!。汝はイエスキリストの名の下に立ち去れ!。】だけで、そのポルターガイスト現象は鎮まりませんでした。
それを見ていた日本人僧侶である霊能者は、そのポルターガイスト現象を起こしているのは幼くして死んだ子供の霊だと解り。その子供の霊をきちんと霊界に導くで、そのポルターガイスト現象は鎮まりました。だが日本でもそうしたことが出来る霊能者は町の拝み屋として扱われ、その社会的地位は低いとなります。
私は霊界修行の中で子供で亡くなった霊がきちんと霊界に旅立っていないを見て来ました。自分が幼いと自分が死んだことが解らず、霊界から自分を向かえに来てくれた先祖霊のことをよく知らないことから、着いて行くことを拒否して霊界で自分が迷ってしまうなのです。その子供の霊が暴れることで起きるポルターガイスト現象は別に悪魔の仕業でも何でも無いのです。
拝み屋と呼ばれても、神霊の取次は簡単には出来ない
スピリチュアルでは霊など簡単に見られますが歌い文句です。日本の神社においては神霊と会話が出来る様な方が宮司を務めている事例は数が少なく、日本の神社本庁のトップでも神霊が解るでは無いのです。日本の神社本庁のトップに座った人の醜聞は時々ニュースで聞こえて来ますが、日本の神社本庁のトップにそうした霊能力を持っておられた方が就いたの話は聞きません。それはローマ法王庁にも言えます。世界宗教の最高指導者達は実際の神霊とは何かを知らないなのです。
私が伏見稲荷大社講務本庁が主宰する教師養成講座(伏見稲荷大社は神社本庁には属さず。稲荷神社の神主に成れる教師免状を受ける講習)で知ったのは、当時の伏見稲荷大社に勤める神職で豊受姫と会話が出来る方はたった一人だけでした。この方は権宮司で伏見稲荷大社を退職されましたが、どこの神社も似たり寄ったりなのです。大多数の神職は神霊と会話が出来ないのです。
しかし町の拝み屋と呼ばれる方達の中には、稲荷行者として豊受姫と会話が出来る方が何人も居られたなのです。私が最初の師匠とした方は、その稲荷行者としては筆頭格の霊能者と言われていた方でした。神霊と会話が出来る町の拝み屋と呼ばれる方が地域の神社を守る為に神主の職を目指しても、日本の神社本庁は学歴主義と社家の世襲制度で最初から低学歴者はオミットをしているのです。霊と会話をしているのは、単に拝むの低俗の者達の先入観念からです。
町の拝み屋で神霊と会話すると言っても、そこに高学歴の者が居ないでバカにしているがあります。神霊は魂の学びの為にその人を社会の底辺に落とす。そうした事柄を知らないなのです。
神社の神主として勤め、死後はその神社が管理する霊界に入って同様に神主をする。しかしそれは非常に狭い霊界で、膨大で高次元界が存在する霊界を知らない。為に神社に出て来る使いの神霊と会話しても、その神霊達は何も知っていないにぶつかるのです。
今ではそうした神霊と会話が出来る方達は、極端に減りました。
神は学歴が無いと会話をしない?。神は学では解らない
神霊の取次が出来る方が町の拝み屋などに成っているのは、この世での苦労をしないと人の心を理解して語る神霊の言葉の意味が解らない為に、逆に無学歴の方が多いのです。天理教の中山開祖。大本教の出口なお開祖など無学歴の方が開祖となっているのは、神は【学歴】では理解出来ない存在だからなのです。
日本の神社本庁が神主職の身分を高学歴に制限しているのは、神に仕える者は偉い者だ!。で神の実態を何も理解していないがあるのです。それは人の考えで物を言っているなのです。
私は旧約の神から東大よりも、神の灯台を告げられた
私は地元の田舎の高校を出ました。今は国立大学に行く様な後輩の話を聞きませんが、私が高校生の頃は東大や京大に進学した同級生や先輩達も多く、私の数年前に卒業された方は東大に入って事務次官にもなっておられます。私の幼なじみ二人も京大に進学しましたが、私は旧約聖書の神から【私はそなたを社会の底辺に置く。社会の底辺をウジ虫のごとく這わせて、人の心の在り方を学ばさせる。】と告げられました。
大切なことは【東大】に進んで社会の偉者(エラモノ)に進むではなく、神の灯台守として成長しなさいと告げられたなのです。だが社会の底辺を歩くとは容易な話では無いのです。人は誰しも上の世界に行きたいから向上心を持つのです。社会の底辺に沈むとその向上心の阻害が起きるからです。しかし旧約聖書の神は私に便所のウジ虫の如く【這え】と言われた。そうでないと言葉の道(這え)が解らなかったのです。
私が生まれた時から私を見守っていたと言われた豊受姫が私に言われたのは、【私はそなたが中学を出た時点で働かせることを考えていたが、そなたの母親が持つ神力(豊国姫の力)に邪魔されてそなたを中学卒で働かせることが出来なかった。それでは苦労が足りていない。】と言われました。この世はスピリチュアルで言う遊ぶ場所ではなくて【魂は苦労を積む】場所なのです。
お釈迦様はこの世は苦界、スピはこの世は遊ぶ処
この世は苦界で魂は玉思惟、この世は遊ぶ処で玉恣意
スピリチュアル標榜でも自己の肉体から自分たる霊魂(意識)が【幽体離脱】を起こした出て行った経験でもあれば、自分が抜けた肉体を別の霊が支配している霊媒者とは、どういう存在なのかが解って来ます。しかしそうした経験を持たない人には、死後の世界に生きている霊魂の理解はかなり難しいのです。
スピリチュアルの世界ではスピリチュアルは金儲けになりますよで、何十万円もの金を払えば蛇霊や狐霊を憑けて貰って自分の肉体の目で霊が見えるように成るはあります。しかし霊が見えるようになることは霊的世界の存在の認識にはつながりますが、人はこの世に魂の浄化の為に肉体を貰って出て来ている。肉体には霊の浄化能力があるとの認識までは繋がらないのです。
人は霊止で霊を止めるが、霊波動が違う霊だと苦しい
女性は妊娠で、別の霊を胎内に入れ時に悪阻が起きる
肉体の性と魂の性の違いは、自分で選んで後から文句
最近はよく出て来ます【性同一障害】とは、魂と肉体は別物であることから起きる症状と言えます。魂が男性の肉体を選んだが、その魂の本質は女性の要素の魂であった。肉体は女性だったが魂の本質は男性であった。そこに肉体の性と魂の性との違いの違和感が起きるがあります。
スピリチュアルの世界では魂は【中性】という説を取っているようですが、中性だと性同一障害が起きえるかとなります。万物には【プラスとマイナスの陰陽】の原則がありますので、魂は【中性】だという原理は必ずしも正しい論とは言えないのです。
それは大本教から陽魂たる【厳霊(プラス)】と陰魂たる【瑞霊(マイナス)】が出されましたが、この問題は単にスピリチュアル標榜だと解らないのです。
日本神道は男神と女神を同じ神名で、比古と姫とに分ける
日本と呼ばれる国は非常に特殊な国で、西洋の論理では理解出来ないがあります。そうした事柄の一つとして、日本の神道に見られる男神(陽)と女神(陰)が結婚すると、同じ神名で表記する神霊の【合体(結魂)】が起きるを理解していないと解りづらいがあります。こうした論理は魂論を何も語らないキリスト教社会では出て来ません。あるのは霊界でイエスとの結婚論だけです。
私などキリスト教の教えなどちんぷんかんぷんだと言います。イエス一人を創造神の御子と信じれば神の花嫁と成る。私は女性と結婚はしたいが男性と結婚するなどお断りだと言います。主の花嫁の意味が理解出来ていないと言うのです。
日本の靖国神社が戦犯であった東条英機の霊を合祀したことを問われて、当時の靖国神社の宮司は合祀した霊は一体の霊と成るので、東条英機の霊だけを今更分離できないと抗弁しましたが、それは日本古来の神道の考え方とは異にしています。
この男神と女神の合体とは、日本では男神を○○彦。女神を○○姫として、結婚をされた神は同じ○○の名乗りでも下には【彦(比古)や姫(日女)】の違いで表すがあります。その代表的事例として知られるのが【金山彦神に金山姫神】です。
この神々の結婚の様に関しては大本教の霊界物語には記載されていますが、西洋ではスウェーデンボルグの霊界日記に霊と霊の結婚が記載されています。魂の世界では陽魂が陰魂を包む形で飲み込むことが【結魂】であり、その時に【エクスタシー(恍惚)】と呼ばれる事柄が発生して【絶頂感】が起きます。そのエクスタシーとは神仏と触れたからではないのです。魂と魂の結魂による性の違いを超えた絶頂感なのです。
魂と魂は【結合】も出来れば、結魂から分離も出来る
が、霊波動が違う魂同士を結魂させることは出来ない
靖国神社の宮司が言う英霊達を合祀すると一体の神と成るので分離が出来ないではなく、霊は波動が違う同士はそもそも結魂自体が出来ないので合祀で一体の霊とは成らないのです。靖国神社で日本の為に亡くなった英霊達を祀るということと、靖国神社に多くの英霊達が居るということは個別の話であって、神社の神主だからと言って霊の世界が解るではないのです。
人の魂の【輪廻転生】は、人の魂を神上がりさせる為
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