キリスト教ではイエス一人が主の御子と信じる者は天国界で、異教徒は地獄に落ちるがお題目です。人は死後に天国か地獄に行くにしても、それでは仏教で語られる善人は天国で悪人は地獄と言う普遍的な教えではありません。
しかし仏教は個々の人がお釈迦様の様に【仏陀の道】に進むことを説いているのであって、西洋で語られる様な万物の創造神の存在を説くではありません。
仏教は、人をお釈迦様の様に【仏陀】の道に行かせる
もし霊能力者の間で語られる神の高山説で十合目の神。すなわち創造神が世に出たとするならば、この世界は一瞬にしてひっくり返っていてもおかしくないのです。この地球は創造神と呼ばれる神が住む世界では無く、罪を犯した魂が更生する宇宙的刑務所。大本教からは天人の苗床と称されるように、魂にとっては修学的な場所であるからです。この世は創造神の存在を告げる場では無いなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この世の人の一生とは、魂の世界からすると修学旅行に出たような短い時間である。】と告げられました。魂が今の人間の肉体に入り込んだのは宇宙の歴史的からすると比較的に浅いのです。それ以前は魂の容器は人の様な姿では無かったのです。
しかしこの世は魂が修学に出ている場だとすると、この世の命を終えたら本来の【場所】に戻ることになります。それが霊界なのですが、それがこの世に住む者には正しく説明されていないなのです。
未だ人類の上に十合目の国常立尊は出ておられない
しかしながら大本と呼ばれる宗教を先兵として予告されてきた関係上、万物の創造神が人類の上に降り立つとすれば【綾部】の地に成るとする向きもあるのです。私の神霊界修行の世話をしていただいた伏見稲荷山の首座神である豊受姫は、綾部は万物の創造神が降り立たれる聖地と告げられたがあります。
その大本教の二代教主補であった日本における大預言者の出口王仁三郎聖師は、自分と出口なお開祖は旧約聖書に予言されるキリスト登場前に現れる男女二人の預言者であるとも述べておられます。しかしそのキリストの意味はイエスの様な人間だと思う大勘違いを起こさせたなのです。
ナザレのイエスの教えを見ると明らかな間違いを幾つも出していることから、人の身であると誰しも間違いを出しかねないのです。だとすれば【誠のキリスト】とは、人の身では成りえないのです。ロゴスに真理が在るとすれぱ、言葉を出す人間のことではなくて、それは【言葉の仕組み】そのものと言えます。
ロゴスとは言葉であり、誠のキリストとは言葉の仕組み
イエスの教えに間違いが多いのは、その弟子達の霊的力量が低すぎたがあったなのです。もしその弟子達の霊的能力が高いと、師匠の教えで解らないと疑問をぶつけます。すると教えをする方も慎重にならざるを得ないのです。だがその弟子達が師匠に教えを聞くだけで、何の疑問も出すだけの力量がないと、師匠の話はごもっともで終わりです。で、師匠も間違いに気づかなくなるのです。お釈迦様の十大弟子達の方が、イエスの弟子達よりも遥かに霊的な力量が高かったと言えます。
私は神霊界修行でサニワ(審神)をして来ました。私は神霊が言う言葉で解らないことがあると質問を浴びせます。それに対する神霊の答えに少しでも疑義があると、さらなる追求をしていきます。すると私の質問に神霊が答えられないで黙ってしまうがあります。そこで私はその神霊に対して【貴方は本当に神なのか?】と詰問に入ります。すると私の疑問の追及に答えられない神霊は私から逃げ回るを起こすなのです。私の元にはやって来なくなるなのです。
豊受姫の御代で在った最初の師匠から、【貴方は神様に対してあまりにも疑問をぶつけられます。それでは神様たちは貴方を恐ろしがって貴方に近づいて来られません。】と言われるので、私は私の質問に答えられない神など必要はありませんと答えたがあります。
私は何かと天使長ミカエルの名を出す方に、その天使長ミカエルに私の元に来るように頼んでいます。もし私の元に来れば【質問責め】をします。私の元には自分は億体からの龍神を従えていると言って来られる方もありますが、私はその神でも人でも何億でも何十億もの龍神を従えていると言われても、それで怖いとは思わないのです。私は【真理】を求めるからです。
大本教神論は、言葉のキリストとして【九つ花】を予告した
朝鮮に残されていた最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は下りないが、そうでなかった者達の上には天罰が下りるとあるのを読んで、どうして【米】一字で教えが出来る?。私はあまりにも不可能ことが書かれていると思っていました。
その【米】一字が、大本教神諭予告【九つ花】で解けた
何故に大本教は仏教の【みろく】大神を世に出したのか?
大本教から出された【みろく】は、【369】が必要で
真ん中の【41】に【一輪の言霊の経緯】が秘められる
イエスは40日間荒野をさ迷い、41日目に神の御子となる
モーゼは40年間荒野をさ迷い、41年目にカナンに入る
私は子供の頃は綾部の大本教に勤める神職の人達が住んでいる地域に住んでおり、その地域に住む神職の子供達は私の遊び仲間で、そうしたこともあって綾部の大本教神苑は私の遊び場でもありました。その神職の子供達と大本教みろく殿の中や廊下を走り回り、罰としてみろく殿の廊下掃除をさせられましたが、その褒美として食堂で御飯も頂きました。私にとっては大本教は心の故郷とも言えるのです。
そんな私に旧約聖書の神と称する声が臨み、私にいろんな教えをして来たと言えます。その内容は通常の宗教書が説くような内容では無く、私に【人としての心の在り方】を一貫して説かれたと言えました。
私の良(ラ)心神とは、その旧約聖書の神が教えた心
良(ラ)神を教える為に、艮(魂)に点(天)を付ける
お釈迦様の悟りは、人には良心と呼ばれる神が内在する
大本教神論予告【九つ花】で、五十六億七千万が解ける
大本教神諭に【この神は病気治しの神では無く、心の立替、心の立て直しの神】とありますが、人の心の持ち方を説かれたのです。世に説かれる宗教は【病気治しや現世御利益】が主体であり、それに死後の世界の安心立命で天国や極楽に往生の保証です。されど我が宗派の教えを信じる者は天国で異教徒は地獄に落ちるでは、そこには【真理】が何一つ説かれていないがあります。実際には宗教の教えでは天国界には進めていないなのです。
ただそうした教えの中で、その旧約聖書の神と称する声は【私は今の世を終わらせて、人類を永遠に嬉し嬉しの新しい世に渡す。】と告げられたのです。その過程の中で私の魂は神界の用務に就き、肉体のそなたはバカを演じていればよいと言われたのですが、別に演じなくても豊受姫から私のことは【あれはオッチョコチョイ】と言われる天然バカ振りがあるのです。名実共にオッチョコチョイの天然バカと言えます。
しかし私の魂は、前世では【策略家】として世に知られた武将なのです。そして一部の霊能者の方達は、天に存在する貴方の魂の本体は元は国常立尊の天使長だったと言われるのです。そして私はその本体ではなく、その魂の分魂に過ぎないなのです。それはこれまで説明をして来たように、この世に降りている自分とはスポイトの一滴の水に過ぎないなのです。この世で肉体を持つ魂とは【いと小さき存在】で、自分を見て主を見よなどの言葉は絶対に出してはいけないのです。
旧約聖書の神は魂と肉体は、同一では無いと説かれた
そこに大本教から【霊主体従】と【体主霊従】の教えが出されました。肉体には肉体の【自我】と呼ばれる物が発生し、必ずしも肉体に存在する魂の命令に従わないがあるのです。それが【体主霊従】であり、魂の命令通り動く肉体が【霊主体従】と呼ばれるわけです。
肉体には肉体の我があり、魂には【真我】が存在する
昔は【真我】とは何かとなった時、【悟り】と結びついており。かなり的確に真我の意味が捉えられておりました。しかし今は無茶苦茶な論理が蔓延り、神は絶対愛などとまったく方向違いのことを言う方が増えて来たと言えます。
そうした方達の論理は魂は【玉形の思惟】が理想である。そのことが根本的に欠如しているのです。もしその方の魂は【玉形の恣意】の方だとすると、神は何をしてもいい好き勝手を許しておられるで論理が違って来るのです。
私の場合は子供の頃に【イエスの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教え。】と告げられており、さらに子供の時に【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えていきなさい。】と命じられて来ました。実際に天国界に入るのは神の愛などでは無く、魂に出る【良心神】の点数だと確認して来ましたので、そうした神は愛だの論者の数は多くても【真理】からかけ離れた者の意見に私は沿えないとなります。
人は【霊止(ひと)】であり。この世で暮らす肉体は【食べないと生きられない】宿命を負います。そうした時、魂に存在する【真我】の声に従っていると、この世では生きてはいけないを起こすがあります。そうした時、魂の声よりも肉体の自我の働きで【体主霊従】の立場を取るともなります。
私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、私に【人はこの世で生きて行くに当たり、食べて行くためにはこの神を捨てても構わない。この神を信じてその為に死ぬではなく、この世を生き抜くことが大切である。生きて時節を待つ。その為にこの世で悪行を犯したとしても、生きるが為の悪はこの神はその罪を問わない。】と告げられたなのです。
スピリチュアルの神は愛だから何をしても赦されるではなく、この世を生きる為に犯した悪は罪には問わないなのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、小説【罪と罰やレ・ミゼラブル】を読みなさいと告げられました。そこには神の教えはあるのです。小説の罪と罰やレ・ミゼラブルは深く考えさせられる内容です。
人は【食】べる為には【良】心を閉ざさないといけない
日本の神霊界をバックにする方達はその【霊主体従】と【体主霊従】を言われますが、イエスだ!。イエスだ!。そんなことばかり言っているスピリチュアルでは、その言葉の意味すら解らないとなります。
そうしたスピリチュアルの方の前世にはキリスト教社会に生まれた等があり。そのキリスト教社会時の意識が魂の中に宿ることで、何時までもそのイエス第一主義の意識を引きずられるとなります。どうして自分は今回はキリスト教社会に生まれないで、古来より【言霊の幸はふ国】と言われた日本に生まれ出たのか?。その意義すら気づかないとなりまのす。
肉体の私は間もなくこの世での使命を終えます。しかし私の心(魂)は肉体の死で終わるではないのです。私は旧約聖書の神と称する声が私に告げた内容を信じるならば、前世では腹に魂胆を持った者達に良いように利用されて悲劇の武将でこの世の命を終えたようですが、今生は本当のキリストと言える【真理】を得ることが出来たなのです。
恨みの艮金神、艮(牛虎)に秘めた鬼と言う【魂】論から
五六億七千万で、釈尊の悟りの良心神と8の世を知る
私が知る神は、私を見て父を見よなどでは説明は不可能
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