古来より人は社会の荒波で魂を磨けと言われて来た
魂(玉思惟)は個々で大きさが違い、その働きも違う
人の魂は玉型の思惟(深い洞察力を持って生きる)か恣意(自分勝手な気ままに生きる)かの二つに分かれます。西洋で発達した近代神智学などは魂は球体程度のことは理解していますが、鬼が云うの【魂】は【玉形の思惟(シイ)か恣意(シイ)】であるかの理解力があったではありません。この二種類の違いが理解出来ないと【転生】の意味すら間違えてしまうなのです。恣意であると転生を続けなければなりません。思惟に成るとお釈迦様の様に【もうこの世には降りない】となります。
そこにも【日本語】でないと、霊的世界の説明は出来ないとなります。たましいと呼ぶ言葉に幾つかの漢字を振ると、その意味が解るなのです。神が大本教の出口喜三郎師に喜三郎ではなくて鬼三郎と名乗れと言った意味も、大本教に日本の言葉を変換する仕組みを告げさせるでもあったのです。
神は言葉を申し示す、言葉の変換=神界の支配を返還
それは神とは人間が困った時に助けて下さいと頼る様な存在では無いと言うことなのです。自分が神として成長するで、大本教から出された【人は神の子・神の宮】で在り、キリスト教の様にイエス一人を神の御子だと拝むようであってはならないなのです。神は神様。自分を助けて下さいと頼るのではなく、人は自らが神として成長しなければ成らない存在なのです。
私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。私の教えは世界の宗教書には非ず。この日本の民話や諺や童歌などに私の教えは秘めてある。日本以外でこの私の教えを知ることは出来ない。】と告げられましたが、大本と呼ばれる宗教が起きて来るまではそうした事柄の理解は日本でも出来ていなかったと言えます。
ただ日本には古来より【言霊(ことだま)の幸はふ国】と言う不思議な内容があったなのです。
私は神霊界修行を稲荷神界でお世話になりました。キリスト教の牧師から言えば、自分達は主の一人御子たるイエスを拝んでいるのに、貴方は狐霊等を神として拝んで来たのかとなります。しかしそうした論は、イエスの玉と呼ばれる魂がどの程度の物かを知らない論と言えます。この世にイエスとして化現した魂が世に神霊と呼ばれている存在の魂と比較して、どれだけ違っていたのか?。それを把握しての論理ではありません。
伊勢神宮に鎮座している天照大御神と称する霊。出雲大社に鎮座して大国主命と称する霊。伊勢外宮の神であり稲荷大神首座神である豊受姫の霊。こうした霊とイエスたる霊とではどこがどうちがうのだ!。そうした説明が何もなされていないのです。
イエスの最大の間違いは、自分を見て父を知りなさい
イエスを見て万物の創造神が解る者など、この宇宙が誕生して以来、一人として存在していないでしょう。それはイエス自身が【魂(玉形の思惟)】とは何かをほとんど理解していなかったからです。その名残が西洋を主体にした近代神智学に見られます。イエスから抜け切れていない。
イエスが見せたと伝わる奇跡の数々は世に【龍神】と呼ばれる存在が見せる霊力によるもので、俗に金龍、銀龍、白龍、青龍、赤龍、黒龍、黄龍、緑龍等の龍と呼ばれるエネルギーを駆使する存在の力によるもので、それらの龍が見せた奇跡をもってイエス一人が主の一人御子などにはならないのです。
私は龍神、蛇霊、狐霊、天狗などの存在を見て来て、西洋の宗教は何だ?。となりました。
この世に肉体を持ってイエスとして現れた肉体の魂だけならば、この世に肉体を持つ他の人の魂とその大きさが違うではないのです。それは肉体に宿る魂の大きさには限界があるからです。この世に肉体を持って出てる人の魂とは、その魂本体の一部分に過ぎないなのです。
この世に肉体を持って出たイエスにしても、その肉体を守護している【正守護神】と呼ばれる存在が在ったのです。こうした正守護神をスピリチュアルでは【ハイヤーセルフ】という呼び方をしていますが、スピリチュアルのハイヤーセルフ論だとその魂の大きさの説明が的確ではないと解って来ます。通常の人の正守護神とイエスの正守護神ではその存在そのものが違うなのです。
しかしながらスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。ハイヤーセルフだ!。ハイヤーセルフだ!。そうした言葉を連呼している人達から【魂】とはなんぞや?。そうした話は一切出て来ません。鬼が云う【魂】そのものを理解していないからです。
私は稲荷神界で霊界見聞をさせてもらった関係上、【稲荷大神秘文(いなりおおかみひぶん)】と呼ばれる祝詞を読み上げて来ました。その稲荷大神秘文と呼ばれる祝詞の出だしの内容を書きますと、
夫神(それかみ)は唯一にして。御形(みかた)なし。虚にして。霊有り。天地開闢(あめつちひらけ)て此方(このかた)。国常立尊を拝し奉れば、天(あめ)に次玉(つくたま)。地(つち)に次玉(つくたま)。人に次玉(やどるたま)。以下略。
稲荷大神秘文では、本来の神は唯一であり、虚でその形は無い。天地が開闢してからはその神を国常立尊と拝して来ました。その結果、天には天に宿る玉。地には地に宿る玉。人には人に宿る玉が出来ましたと教えているのです。一概に魂と云っても、天と呼ばれる大きな魂(玉)。大地と呼ばれる魂(たま)。人と呼ばれる魂(たま)があるです。
私は霊的にはイエスと覚しき存在に三度ばかり遭い。そのイエスと覚しき存在の魂の玉も見て来ました。イエスの魂は神霊の玉とは言えますが、天として存在する玉。大地として存在する玉。そうした天地そのものを意味する玉と比較した時、イエスを創造神の様な存在として見ることそのものが大きな間違いの元と言います。
イエスをいくら拝んでも、救世主と呼ばれる様な力を持って人類を救える様な存在ではありません。いったいイエスが救世主として何かを救世したか?。そんな事実すら過去のどこにも無いのに、勝手な救世主論だけが一人歩きしたなのです。
イエスはお釈迦様と同様に宗教世界の【先達(せんだち)】とは言えますが、イエスはお釈迦様より【叡智】が優れていたではないのです。そこに識界レベルの判定として、創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。弘法大師や日蓮聖人は第四識界とする向きもあります。
キリスト教会は【神は愛】だと説きながら黒人奴隷売買の先兵となり、この地上世界に大きな【カルマ】を産み出しました。キリスト教にはカルマの概念が無かったのです。全ての罪は全てイエスが受けてくれるです。その残された【カルマの精算】はキリスト教社会全体に及ぶことになります。
人には誰しも【魂】が存在します。その人に宿る玉は稲荷大神秘文では【人に次玉(やどるたま)】で、野球ボール程度の大きさなのです。それ自体はスピリチュアルでも語られる自分の霊界における本体たる魂をコップ一杯の水に例えると、この世に出ている肉体に宿る魂とはスポイトの一滴の水のような物だとなるのです。
スピリチュアル標榜でもスピリチュアル界の大御所と自認される美輪明宏氏や霊能者江原啓之さん当たりならばそうした魂論を展開されるでしょうが、ハイヤーセルフだ!。ハイヤーセルフだ!。と言っているだけのスピリチュアだと、この【コップ】本体の説明が出来ていないのです。
このコップ一杯の水を日本神道では【正守護神】とする
各自の魂の正守護神は通常【五・六・七】次元界に在る
ある自分が救世主だと呼称する方は自分は七次元界の素戔嗚尊の魂で、その配下に三輪山の六次元界黒龍神団が就いた。その三輪山の黒龍神達を動員して貴方の正守護神を見つける為に六次元界をくまなく捜索させたが、あんたの正守護神の存在は見当たらなかったと言って来られました。その六次元界を捜索したは、既存の神霊界の感覚なのです。
私は大本教神諭を通じて、大本教で演じられた【神の型】を解説して来ました。大本教では数々の予言をして、その予言の数々は当たりました。その予言とは広島や長崎に新型爆弾が落ちて火の海になる等や当時の世界大戦に関する出来事が主体でしたが、大正時代に現代のスマホの様な物の登場も予告されて来ました。それらはスピリチュアルで見る貴方の恋愛とか就職の様な個人レベルの予言ではありませんでした。
すなわち大本教からは【未来を見通す】神の存在が世に出され、その大本教は【世の大立替】という今の世から新しい世(みろくの世・永遠の8の世)が来ることを予告したのです。
永遠(8)と無限(∞)の末広がりの【八の世】の到来
大本教を知らないと、みろくの世の到来が理解出来ない
世界の宗教を見た時、イエスやムハンマドを通じて天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称する霊が出て来て、キリスト教とイスラム教で血と血で争うように仕向けていますが、そこに起きている現象はその背景に【神界の覇権】争いがあります。今の神界の現状は【勝てば官軍。負ければ賊軍】で、神界は統一されてはいません。
私は鍾馗神と呼ばれる神の御案内により、中国で【盤古大神】と呼ばれる神に拝謁するまで、そうした神霊世界のことは知りませんでした。豊受姫から私の元に中国の鍾馗神が行かれたとは聞きましたが、盤古大神など聞いてもいない神だったからです。
そこに大本教から日本書紀で創造神と記載される国常立尊ですら、神界の主宰神の座から追放されるほどの神界の権力闘争の話が出されたなのです。そこに在るのは、伊勢神宮とか出雲大社に参拝と言うようなレベルの話ではなく、宇宙的規模で展開される【神界最終戦争】があるのです。
神界戦争は、国常立尊派の龍神と反対派の龍神が戦う
自称救世主と称する方達は、どなたも自分には龍神が従っていると言われます。そうした龍神達が多く従っていないと、神界の最終戦闘においては逃げ回らないといけなくなるからです。神霊界に何らかの関わりを持つ様な人の魂ならば、通常は五次元界か六次元界を捜索すれば【正守護神】を見つけることは出来るはずなのですが、私の場合は私の正守護神は特別の任務を持つので【五・六・七】次元界では見つけることは出来ないのです。
いくら自分は凄い霊能力者だと言われても、そうしたことが必ずしも解っているとは言えないのです。八次元界と呼ばれる様な世界に見る龍神と五次元とか六次元と呼ばれる様な世界で見る龍神とでは【天地の様な差が】あるのです。
宣伝される【五六七】とは、自分の正守護神と同一神界
日本神道は、肉体の魂と正守護神の【神人合一】を説く
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声の主は私に【あの世(霊界)は多種多様の世界で在り、計り知れない広大な世界で在る。人がその一生をかけても見聞などとても出来ない。為に自分の力で全てを知ることが出来ないので、人が見た知識を自分の物としなければならない。自分は見ていないからと言って、そんな世界は無い等と否定すべきでは無い。自分は見ていないけれども、その人は見ているのかも知れない。他人が見た物を否定するのではなく、そうした世界が在るかも知れないと考えなさい。】と注意を受けて来ました。
私に臨んだ旧約聖書の神と称する霊も小さな存在かも
何故ならば、私はその神の実力を目にしたでは無い
私は霊能者ではありません。霊的世界の解説者として霊界の一部を見聞して説明をしているです。しかし自分は凄い霊能者だと称したい方の中には、私の霊能力を推し量ろうと嘘を言って来られる方もあります。もし私が霊能者として優秀な者ならば、自分が出す嘘等簡単に見破るだろう式です。で、私に嘘をついて来られる。
しかし私は幼い頃から旧約聖書の神と称する声から、自分は見ていなくてもその人は見ているかも知れないで、その人の言葉を最初から嘘だと決めつけて言わないようにしているのです。黙って聞いていれば嘘であれば何れボロを出して来るです。
それは霊をサニワ(審神)する時、その霊を贋神と決めつけずにその神だと聞いておいて、その話がおかしいぞとなると追求に入るです。問題は疑問を呈するには、それだけの知識量を必要とするなのです。何の知識も保有しないと疑問を疑問としてぶつけられないのです。スピリチュアルで直感だ!。直感だ!。と叫んでいる人達が簡単に霊に欺されるのは、【疑問】を提示しないからです。
自分で嘘を出して喜ぶ。それはその程度の存在でしかないのです。イエスに関して起きた霊的事物にしても、サイババの奇跡にしてもそうですが、霊的世界を見聞していればそのメカニズムは解って来ます。彼らは霊的世界宗教世界の偉大な先達の一人であっても、完全に神霊界を語り切れてはいないなのです。
その人の魂(心)の本質を掴むには、スポイトの一滴とされる肉体に宿っている魂では無く、その魂を出した【コップ一杯の水】と形容されるコップ本体の容器の大きさとそのコップの水の汚れを見ないといけないとなります。
肉体にある自分はスポイトの一滴の分量だとしてもその水を汚せば、コップ本体に戻るにはその水を【浄化】しなければならないのです。スピリチュアル標榜者のお題目である【神は愛だから、何をしても赦してくださる。】は、その汚れた水の浄化を何一つとして理解していない者達の発言と言えます。
汚れたスポイトの水を元のコップの水に戻すは出来ない
私の本守護神は伏見稲荷山の首座神である豊受姫から貴方の本守護神は【国常立尊様ですよ。】と告げられました。私が出会った多くの霊能者の7~8名の方からも貴方の本守護神は国常立尊様ですと聞かされたことからその様に思ってはいます。しかしあんたにそんな偉大な神等就いていない。あんたは欺されているのだと言われる方達の方が圧倒的に数が多いのも事実なのです。それは霊能者だからと言って、何もかも見えるとか解るでは無いなのです。
ただ私にはどうして日本の言葉で創造神の説明が出来るのか?。そうした不思議が残るのです。豊受姫が私に言われたように、【貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物】であるならば、日本語による言葉の組み立ての不思議にどれだけ気づけたかとなるのです。
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