人はこの世の肉体のルーツを求めるが、魂のルーツは?
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【そなたの前世は人の魂胆が読めぬお人好しで、魂胆を持った者達に好いように利用されて最後は悲劇の武将でこの世の命を終えた。今生のそなたは人の魂胆を見抜く力の養いである。】と告げられました。
確かに世の中には自分の利益の為には、他人を騙したり落としたり泣かす者達が後を絶ちません。自分が地位や名誉を得ると、その自分を利用しようとする人達がやって来るは歴史を学べば普通なのです。
人に欺されるは、欺す者が一番悪いが欺された者も悪い
人は人を欺す者よりも欺された者の方が罪は軽いのですが、欺される者にも罪があるとするのは、ただのほほんとしていて世間をよく見ていなかったがあるからです。各自の魂はこの世に修学の為に降りているのであって、スピリチュアル標榜者が説く遊ぶ為にこの世に降りて来たわけではないのです。遊ぶことに呆けて、人を欺す者が世に居ることを学ばずに欺されたならば、欺されることは罪なのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【お人好しも度が過ぎてはいけない】と叱られていました。
この世は修学の場で、悪は罰を受けるが活動は許される
疑うも必要で、神の言葉すら疑うでないと邪神に欺される
この世に降りて来て、人はこの世には善人と呼ばれる人も悪人と呼ばれる人もあるを知ります。霊界を見聞すれば善神も悪神の存在も見ます。何故?。
その旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたが何者か?。神々に解らないようにしておく。もしそなたの本当の身分が解れば、己の立身出世を目論む者達がそなたの周囲に集まって来る。その時に集まって来る者の魂胆が見抜けぬようでは、自ずから道を誤ってしまう。そなたが未だ何者か世間に解らない頃にそなたの元に集まる者であれば、誠の者とも言えよう。】と言われたなのです。 人は誰しも権力や財を持てば、その周囲には必ず人が集まります。そして自分に対しておべっかいとかゴマ摺りをして来る人達が出ます。そうした人達は権力者や金持ちにはペコペコして、自分より下者には威張り散らすがあります。上に立つ立場の者であればあるほど、そうした人を見抜く者に成らないといけないと言われるのです。
人は権力を得ると、魂胆を持つ者達が自分の周囲に来る
私はその旧約聖書の神と称した声が本当に旧約聖書の神かどうかは確かめようはありませんでしたが、霊界修行の中で人の魂胆が読めぬお人好しでいいように利用された悲劇の武将が誰であったかは解りました。私が持つ【気性】は、今日に伝えられているその武将の【気性】と似ているのです。
私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と称する声は、【今生のそなたは前世のそなたとまったく同じではない。前世のそなたとはその顔も体つきも違う。その身体能力、生まれ育った社会環境。その家族。その仲間達。全て今生とは違う。生れ出る時代の環境によって人は違う。されど今生のそなたの「心」は、前世のそなたの「心」と同じ物である。】と告げられたのです。
輪廻転生は同じ姿で生まれるではなく、人としては別者
輪廻とは、自分の心が【過去も来世も同じ心】を持つ
人の生まれながらの性格は、過去世から続いている性格
私はその悲劇の武将霊がその部下達の霊と共に、私の家の仏壇や神棚に入り神霊として居る状態を見て、私はその武将霊を【御館(親方)様】と呼んでいました。その時、ふと親方様と御館様?。頭領のことをどうして【親方】と言うのだろうかと疑問を浮かべました。
その武将姿の霊が私の前世で在ったとしても、肉体の私とは別の存在として霊的には出ているのです。そこにはこの世に出ている肉体の私に宿る魂と、霊界において神霊と呼ばれて多くの霊を従えている自分という二つの存在です。同じ心を持っていても、別の自分が存在して来るなのです。
人の魂にも、その魂を生んだ【親方】が存在して来る?
私の肉体の祖父は養子なので血脈は生じませんが、私の家系の先祖霊として出て来られた方は霊能者の調べでは日蓮聖人の御分霊でした。日蓮聖人として私の前に出て来られる霊と先祖霊として出て来る霊とでは、微妙な違いが存在しており完全に同一霊とは言えないでした。それは日蓮聖人とその分霊の家系の御先祖霊とでは所属している霊界の次元格が違っていると解って来ました。
人の魂は本体と分魂では、魂世界での次元格が違う
キリスト教のイエス一人が創造神の御子だと信じた者は天国に入るなどは、人を欺している典型的な教えと言えます。それはその天国界に入る魂は、いったい誰が産んだ魂なのか?。魂の親に関して何の説明もないからです。キリスト教の教えとは、そうした何も無い【すっからかん】状態なのです。
全ての魂の根源は、全て唯一神と呼ばれる神に行く
イエス一人が主の御子説は、魂のルーツを忘れさせる
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【人がこの世で自分が積んだ罪は自分に帰結するものであり、他人の罪は自分が代わりに被るものではない。もし他人の罪を自分が代わりに被ろうとするならば、自分が持つ徳分の中でしか換えることは出来ない。】と告げられたのです。それはキリスト教が説いているイエスは人類の贖い主とする教えは嘘であると言われたなのです。
誰であっても自分が犯した罪は自分に帰結すべきものであって、誰かを拝んだら自分の罪が消えるなど。論理的におかしいと気づくべき教えだったと言えます。またイエスの有名な教えの一つに、自分の頬を叩く者があれば反対の頬を差し出せがあります。一見すると素晴らしい教えだと受け取ってしまいます。
しかしそれは自分の頬を叩く者に対して、自分の中で自分は聖人君子だろう的な優越感を作り出す教えです。人は誰しも電車の雑踏の中で【自分の足が踏まれたら、踏まれた者はその痛みが解るが、自分の足を踏んでいる者にはその痛みが解らない。】を学びます。そうした体験は誰もが積んで来たはずなのです。
愛で何事も赦すは、その人の魂の学びに成るのか?
そうした体験を積んで来た時、イエスの教えはおかしいぞとなります。自分の頬を叩いた者にもっと叩けと反対の頬を差し出せば、そうか!。もっと叩かれたいかと更に叩かれます。【他人の頬を叩く者は、叩かれている者の痛みが解らない】を理解していなかったなのです。逆に殴り返せば自分の頬を叩いた者にも、叩かれた者は痛いを教えることにはなるのです。
私の肉体の父は私が泣き虫でいじめっ子に泣かされて帰って来ると、一発殴り返して来い。自分は力が強いと誇っている者は、弱い者を殴ることには慣れているが、逆に自分が殴り返されたら弱いと言います。その時に人を殴っては行けないと気づくと言いました。私は自分は弱いけれども、殴られたら例え一発でも殴り返します。絶対に自分の頬を殴る者に、反対の頬を差し出すはしません。
そこには【正負の原則(五分五分)】が在るのです。何事も許してあげるは正しいではないのです。
旧約聖書、目には目を歯には歯をは人の痛みを知る
自分を殺した者を殺し返しても、閻魔大王は罰せず
旧約聖書の神の教えとは、人を叩いたら叩かれた者は痛がる。それを自分の身で体験しなさいがあったのです。人は痛みを体験すれば、人を叩かなくなるからです。ところが目には目を歯には歯をは残虐だ!。そうした誤った論理が蔓延したなのです。それは魂は輪廻転生をしている。それ自体が解らないと、残虐と捉えかねないのです。
神は愛で何をしても赦すは、神を理解していない
しかしながらイスラム教における泥棒をした者は手が悪いのだ!。で、その手を切り落とすなどは、その論理を出す【思考】そのものがおかしいと解ります。人は手癖が悪いから盗みをするではないのです。そこにあるのは【意識】の問題であって、悪をしては行けないの教えの希薄。また食べて行けない等の貧乏で犯罪などを犯す世のシステムの問題です。そこに意識が回らないと行けないのです。イスラム教における罰は明らかに神がする行為ではありません。まさに残虐者そのものなのです。
イスラム教国家の一部にある結婚式を挙げる前の男女に性行為があれば、石を投げて打ち殺すなども神がする行為ではありません。そこにはもっと深い意味が存在したのです。イスラム教は神の教えを曲解したと言えます。そこにミカエルとかガブリエルと名乗る霊達がそれに関わったなのです。識界レベルで言えば、彼らはとても天使長とか大天使の職が勤まる様な識界レベルの存在では無いなのです。
ミカエルやガブリエルには如来の叡智が無い
キリスト教徒はイエス一人が主の御子で凝り固まった為に、【真理(魂の直霊)】をまったく知らない教えになってしまいました。
スピリチュアル標榜でも【ハイヤーセルフ(高い霊世界での自分たる魂)】を説きますが、日本神道ではそのハイヤーセルフは【正守護神】と言います。更にその上に【本守護神】の存在を説きます。
私は初めて豊受姫の元に行った時、豊受姫は私に対して【貴方の本守護神は国常立尊様です。】と告げられて、多くの霊能者に調べてもらったところ、全員が全員ではありませんが7~8名の霊能者から貴方の本守護神は国常立尊様ですと告げられました。私はそれまで正守護神とか本守護神等の言葉すら知らなかったのです。
しかし【本守護神】は誰かと解っても、【正守護神】が誰かがなかなか判明しませんでした。私自身霊界見聞をしていて、本守護神が出ている人達は確認出来ても、正守護神は簡単に解らないを見て来ました。
正守護神とは、自己の前世霊で神の位を得た魂のこと
本守護神、正守護神、肉体の魂は大きさは違う
魂を汚す度合いで、その魂が住む識界次元が違って来る
自分の魂の親元たる次元界に帰るには、魂の汚れを取る
この本守護神とされる存在は、神の高山説では【八合目以上】の神と呼ばれます。イエスは神の高山説では【八合目(八次元)】の存在とされますが、それは八次元界の神々と同じクラスで、別にイエス一人だけが創造神の御子と呼ばれる様な存在では無いなのです。当然にイエスに全人類の罪どころか、キリスト教徒の罪すら引き受けるだけの神力は存在していないのです。
イエスよりも高次元界の存在の魂と見做されているお釈迦様は、自分が開いた仏教徒が犯した罪を自分が肩代わりしようなど一言も発せられませんでした。私の元には自分が救世主ですとかメシアですと称する方からメールが来ましたが、自分で他人の罪を取って上げますと言う方は実に【奇特】の方なのです。
スピリチュアルでは貴方の前世は何々でしたの前世商売が行われています。特にそれは霊能者江原啓之さんの登場からブームになったがありました。だが自分の前世など【嘘八百】告げられても自分で見ないと解らないと言えます。霊能者と称する人に嘘をつかれても証明が簡単に出来ないわけです。
文鮮明の統一教会の様にニセ霊能者を用意して相談者のデータを集めておいて、あたかも本物の霊能者の様に装って多くの人を食い物にする宗教団体があります。そうした教団の幹部はそうした人を欺して食い物にした事実を知りながら抗弁を繰り返しますが、人は一度【邪神が説く真理】に狂うと、してはいけない基本すら失うのです。そこに多くのスピリチュアルは愛を説いても、良心という教えを捨てさせるなのです。
人の魂は輪廻転生をしているにも関わらず、自分に自分の前世が解らないことに関して旧約聖書の神と称する声は、【人がこの世に出て来るのはその前の人生において失敗が有り。その失敗を更生する為にこの世に出る。その失敗を覚えていると、またもや失敗をする。それをさせない為に自分の前世を忘れてこの世に出る。人が自分の前世を思い出さないのは、この神の恩寵からである。】と告げられたのです。
人がこの世に出るのは、過去の失敗の【更生】で甦る
精神世界の存在を語る人達は【次元界】と呼ばれる存在を語ります。現代の科学はそうした次元の存在界を証明するところまで進んでいません。しかし人間は神の分与の存在である為に、異次元と呼ばれる世界を見ることが出来る能力を潜在的に秘めています。肉体を持った私達は三次元界に所属する為にその身(み・三)を持ち。肉体の死(し)を持って四(し)次元界にと進みます。
日本語における、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十は単なる数字の進み方ではなくて、次元界と呼ばれる世界の進み方も説いているのです。岡本天明師の日月神示(123神示)において、今の世は【三四五(みよいづ)】で次に新しい時代として【五六七(みろく)】が示されましたが、それは次元界を語ってもいるのです。
仏教においてお釈迦様の死後五六億七千万年後に現れて人類を弥勒の世に案内する弥勒菩薩とは、その【五六七】次元との関わりから出された神仕組みなのです。大本教の出口王仁三郎聖師は最初は自分が救世主だとかみろく大神とか称しておられましたが、全て贋物と発表されたのは本物ではなく【型見せ興業】だったからです。
大本教に創造神が与えられたのは、型を見せる仕組み
もしその【型見せ興業】の予告が無ければ、誰も本番がどのような物になるのか解らないがあったなのです。世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、広島や長崎に新型(原子)爆弾が落とされて火の海に成る。その後に黒い雨が降ると予言されてその通りになりました。
ほとんどの日本人は広島に原爆が投下された後に【黒い雨】が降った事実は映画化(田中好子さん主演)されて、初めてその事実を知ったが多かったと言えます。だが大本教の神は原爆投下の後には黒い雨が降る。そうしたことも解っていたので事前に告げられたなのです。
大本教の神は原爆投下の後に黒い雨が降るを予言した
それらの出来事は、三次元世界に住んでいる者達はその上に高次元世界があると認識するのは難しいのですが、死後(四五)の世界が在るなのです。
三次元界よりも、死後(四五)の方が次元界が高い
私は自分が神霊界に修行に入る前までは、家系の先祖霊や日蓮聖人や豊受姫や大国主命様を見ていても、この世に肉体を持っている自分が自分としか考えていませんでした。自分に神霊が見えるということは、自分がこの世とは違う世界に行ったからに過ぎないなのです。そうた感覚はこの世に居る人達の99.9パーセントの人は霊世界と関わったとしても、そうした感覚だと思います。
だが肉体に宿る自分と言う魂と私の正守護神として出て来る魂の大きさを見ると、その大きさがまったく違うなのです。スピリチュアルでも高次元界に存在する自分の存在は説いていますが、玉(心)の性質は同じでも生きる世界(次元界)が違って来るのです。
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達を見ているとピンキリで、日月神示で語られた【三四五(みよいづ)】の世界しか見えていない人達もあれば、新しく来る永遠の【五六七(みろく)】世を説く人達もあり、そうした人達は【正守護神や本守護神】と呼ばれる存在も告げて来るなのです。
特に【本守護神】と呼ばれる段階の霊は、イエス以下ではないのです。スピリチュアルでイエス様は人類の贖い主と言っている様では、貴方は自身の魂の【元親】を認識しているのですかとなります。本守護神とはイエスよりも次元格が高いのです。
各自の魂の元親は本守護神で、イエスでは無いのです
大本教神論の明治35年旧7月16日には【世界の人民には、一人に守護神が一人附けてある。】との記述があります。仏教においては酉歳は不動明王が守り本尊として守護しておられる。牛歳と虎歳は虚空蔵菩薩が守護しておられる等は世に語られますが、キリスト教のキリスト教徒やイスラム教のイスラム教徒にも大本教神論が説いた守護神が附いているのかとなりますと、就いているなのです。
人を守護する霊の存在は西洋でも守護天使として語られていますが、大本教神諭にある【一人に守護神が一人附けてある。】とは、明らかに違っています。そんなことはイエスもムハンマドも、彼らを指導した天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと名乗る霊も何も言わなかったとなります。
スピリチュアル標榜だと【ハイヤーセルフ】と呼ばれる存在を口にします。セルフとは自分自身で、ハイヤーは高級で【ハイヤーセルフとは、高い霊世界に存在する自分自身に助けられるで自分の守護神】を意味します。
スピリチュアルでも、肉体と霊界の自分は解っている
スピリチュアルでも【多次元世界に生きる自分】を説いています。多次元世界とは三次元世界に生きる自分。それと共に四次元とか五次元世界に存在している自分。そうした存在が有ると言うことは解るのです。すなわち人は死ねば霊界に渡るでなく、元からこの世に居る自分と霊界にも居る自分の存在は解っているのです。
一般的守護神とは、自分が稲荷神信仰すれば稲荷神。不動明王を信仰すれば不動明王やその眷属の童子達。そうした信仰をすることによって自分を守護してくれる存在を守護神と思っていますが、そうした守護神とは信仰による指導神とか背後霊と呼ばれたりする霊で、ハイヤーセルフと呼ばれる自己の魂による守護神ではないのです。
日本神道で言う守護神には
本守護神、正守護神、副守護神、指導や信仰神等が在る
スピのハイヤーセルフとは日本神道では正守護神に該当
大宣伝をされて来た【五六七(みろく)】の世とは、肉体にの中にある個々の魂が自分の魂の【親方(正守護神)】の元に帰結するか、それとは永遠に離れるかの話になるなのです。
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