人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

自分勝手な物言いをする人達は死後に天国界には行けない。この世でのメリットデメリットでは無く、感謝と奉仕の精神が天国界を決める。

 宗教の世界では我が宗派の教えに従う者は天国界で異教徒達は地獄界に落ちるが定番ですが、行者筋ならば人が持つ【良心(魂の核の部分として存在し、天帝の直霊で邪心と対峙する)】の働きにより出る点数で、死後に行く世界は一人一人で違うと言います。行者筋がスピリチュアル標榜者を嫌うのは【神は愛だから、何をしても赦される。】等の間違った発信で、それを信じた人を地獄界に落としているからです。

 

旧約聖書、自分が蒔いた種の果実は自分が刈り取る

 

イエスに全信徒の罪を被るだけの力など存在しない

 

 その宗教宗派の教えを信じれば天国界に行けるとする教えでも、その教えが真理に基づくまっとうな教えであれば、その教えを信じて行動した人は天国界には進めますが、自分が過去世に罪を犯していた場合は輪廻転生をしてまでその罪を消さなければならない。そうしたことは仏教以外の教えには見当たらないがあるのです。

 キリスト教などは【真理(キリスト)】から言えば間違った教えと言えます。それは【真理】を人の事だと勘違いさせたからです。ですからキリスト教には【魂】の説明論が無いなのです。大本教から【人は神の子・神の宮】論が出されましたが、それは【魂(牛虎)】論に則っているのです。

 

過去世で蒔いた悪の果実は、どうやって刈り取る?

 

 キリスト教徒になってイエス一人が自分の罪を被ってくれると思っても、イエス一人に大多数の信徒が犯した罪の重さは負いきれません。霊能力者からキリスト教徒はどれほどの愛の実践者で有ったとしても第一天国界(如来界)には進んでいないことが謎とされます。愛の実践だと菩薩界(第二天国界)までは進めるでしょうが、イエスの教えでは如来界に進むのは無理と言えます。

 大本教の出口王仁三郎聖師は自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われましたが、神の高山の次元説の合目では出口王仁三郎聖師の方がイエスよりも若干上の次元だったと思われます。

 識界レベルとしては創造神を第十識界とすれば、お釈迦様は第七識界でイエスは第五識界。ムハンマドは第四識界とする説があります。で、お釈迦様は自分を神として拝めばその人の罪を自分が背負うなど一言も発信されていないでしょう。それは魂の【輪廻転生】を理解されていたからと言えます。

 

 お釈迦様は菩提樹の下での悟りとして【悪魔は実体の無い現れで、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と覚られていたようですが、それは大本教から五十六億七千万のみろく大神を大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経綸)】から引き引き出す【言霊】がないと、解らなかったがあります。それは日本人では無いナザレのイエスでは演じることそのものが無理だったがあるのです。

 人類にとって、お釈迦様の【如来の悟り】を知るということは非常に困難なものだったのです。

 

悪魔は実体の無い表れで、悪魔よ!。去れではない

 

 

 

 

魂の核を失った者に核を授けるは、円真(閻魔)大王

 

 そこには創造神は【天と地】に別れていて、天国の主も地獄の主も同じ創造神であるの認識の必要があったのです。お釈迦様の悟り、【悪魔は実体の無い表れ】です。

 

 大本教から今は退いているの【艮】金神は【牛虎】でもあるぞよと出されたのは、魂の漢字は【鬼(牛頭で虎パンツの牛虎)が云う】であり。出口王仁三郎聖師の本名は上田喜三郎でした。その【喜】の漢字の代わりに【鬼】の漢字にせよの神の命令に、出口王仁三郎聖師は鬼はあんまりじゃで【王仁】にしたの話は有名です。そこには漢字を使って日本語と呼ばれる言葉で神の教えを出すがあったなのです。

 私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされる【盤古大神】に拝謁した時には意味が解りませんでしたが、出口王仁三郎聖師の姿をした霊が私の家の浴室の前に漢字と書かれた浴衣を着て現れて、私に【貸し】があるぞと暗示されたことから、日本語の漢字による言葉の【変換】の仕組みに気づいたなのです。

 その前に私が初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷大社の首座神である豊受姫は【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方。貴方の言葉による教えは天帝の詔に等しきもので、貴方の言葉による教えを聞けないという神は如何なる地位の神であろうとも天帝に対する反逆罪で裁かれます。】と言われたなのです。

 私が説いている内容は一見すると何の御利益も無いように見えますが、実は閻魔大王と呼ばれる存在から【良心】神の点数加算がなされています。

 

人は良心神の存在を知ることで、天国界への切符が入る

 

 私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【私はそなたが何者かを解らないようにしておく。当然にそなたも自分は何者かを知らない。そうであってもそなたが本当は何者なのかが解る様な神でないと使い物にはならない神である。神界の御用で働くのは肉体のそなたでは有らず。魂のそなたである。肉体のそなたはバカを演じていればよい。】と告げられたがあります。肉体の私のバカは演じなくても本当のバカなので、バカと言われても気にならないがあります。

 私は自分が何者かを知りませんでしたが、豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方です。】と告げられて、肉体の身で有る私が神と称するなどもっての他のことであり。西洋に残されていたある予言を思い出したなのです。

 

 それは【その人はユダヤ人ではなく。異国の人で異国の言葉で主を語る。その人はその国では「言葉の君」と呼ばれているが、自分は主を知らないと言う。が、万軍の主はその言葉の君を知っていて、終わりの日。万軍の主は全ての裁きを終えた後、その言葉の君を召しだす。その日を以てユダヤ人は救われる。】と言うユダヤ人の救い主に関する予言的な物がありました。

 その時は、それがユダヤ人の救い主の存在を告げる事柄とは考えも及ばず、その異国の言葉とは【日本語】で可能なのかと取り組んだだけの話に過ぎないのです。ただ私が子供の頃に臨んでいた霊の名乗りは【旧約聖書の神】であり、大本教から出された【艮金神・国常立尊】ではなかったなのです。旧約聖書の神と称する声が本当に旧約聖書の神であるならば、その神は私を知っておられるなのです。

 

ユダヤ人の救い主とは、異国の言葉で主を語る者???

 

私が見た霊界物語は、ユダヤ人とは超太古の日本人?

 

 私は地獄の底に落ちていた晒し首の武将霊に【弥勒の夜明けはもう近い。これまでの恨み辛みは捨てましょう。】と言ったのです。するとその地獄の暗闇に居た晒し首が目を見開いた途端、その周囲に光が射したなのです。その晒し首であった霊が緋色の鎧を着て私の前に立ってから、私に【言葉の八艘(発想)飛び】が起き出しました。

 しかもそれは朝鮮に残されていた予言。【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その米一字の教えに従った者達の上には天罰は下りないが、そうでなかった者達の上には天罰が下りる。その天罰の最中、白十字が現れてその白十字に救われる。】という物がありました。白十字は別にしても、誰が考えても【米】一字で救世の為の教えなど説けません。

 

が、大本神論【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密】で解けた

 

 ノストラダムスの予言に【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない東洋の叡智の飼い葉桶。】があるとされますが、それだけだと意味が解りません。しかしその予言の背景を調べますと、ノストラダムスはユダヤ教徒であったとされます。ただ中世のヨーロッパはキリスト教社会でイエスを主の一人御子と認めないユダヤ教徒が生き抜く為には、イエスを神と仰いでいるように見せかける必要があります。

 ユダヤ教徒はイエスを主の一人御子とは認めていません。だが私達は何故にユダヤ教徒はイエスを主の一人御子と認めないのか?。その根拠を知りません。何も知らずに大多数の人がイエス一人が主の御子と言っているから主の御子だ!。と言うようなスピリチュアルだと何を見ているのだとなります。

 ノストラダムスはキリスト教徒の新約聖書でなく、新約聖書は聖典と見做さないユダヤ教徒の旧約聖書側なのです。そこにはヨーロッパのキリスト教徒が思う。イエス救世主論を否定していると言えます西洋の人がいくら待ち望んでいても西洋キリスト教社会からは現れない【東洋の叡智たる馬小屋の飼い葉】なのです。

 出口王仁三郎聖師は大本教の信徒から弥勒世に関して聞かれて、弥勒世とは【牛の糞が天下を取るような話だ。】と述べておられます。それは大本教神諭に、あんな者がこんな者になった。こんな者があんな者になった。とある様に、弥勒の世ではそれまでの世では社会の底辺に居た者達の大抜擢があるからです。

 

弥勒の世とは、社会の底辺に居た者達の大抜擢がある

 

ただ社会の底辺に落ちていた者達とはかっての天使達

 

 大本教から国常立尊は創造神でありながら、邪神(悪神)達の多数決により地上神界の主宰神として座を追われた。その座を襲ったのが【盤古大神】であると出されましたが、それは今の人類が知る歴史の話ではありません。西洋で光の天使長で有ったルシファーが悪魔とされて落とされた話とも関わっているなのです。すなわち堕天使として汚名を着せられた天使達とは、本当に堕天使であったかどうかです。

 

これまでの神霊界は勝てば官軍、負ければ賊軍が習い

 

 弥勒の世とは今の世の社会での地位では無く、その人の魂の【構成】から、この者はと思う者を永遠の弥勒世の指導者に抜擢するなのです。その人物を見つめ続けていた神とは【閻魔大王】と呼ばれる存在なのです。この世とあの世を通して、弥勒世で抜擢する魂を見続けておられた。

 それが大本教神諭にある【これはと思う者には紐が付けてある】なのです。牛虎金神国常立尊からの紐を付けられている人とは、魂の核(天帝の分魂たる直霊良心神)がしっかりしている人達のことなのです。

 スピリチュアルの神は愛だから何をしても赦されると言っている人に従ったら、逆に永遠の地獄界に御案内なのです。弥勒の世は輪廻転生を起こさないので、その地位が永遠に確定するのです。【円真(閻魔)大王】を知らないのか!。

 

もう弥勒世までの時間はさほどなく、準備せよです

 

イエスを主の御子と信じても、空く真は埋められない

 

 私は自治会に所属して組長などの通常の役は若い頃からしていましたが、それは組の中での順送りです。当番制です。退職してからは時間があることから地域の神社の総代や自治会の役員をして来ましたが、そうした業務は【感謝心から来る奉仕】活動の一環となります。それが嫌な人は最初からそうした職務を受けないからです。何でそんな金にも成らない煩わしいことをしなければならないです。

 そこには誰かがそうしたことをしなければならない。そうした自覚心の欠如があるのです。

 

最近は自己主義がもて囃され、この世の意味が薄れた

 

キリスト教社会は、この世の意味が何も解っていない

 

 私の地域で嫌われ者の方がおられ、名誉心から自治会長を長く続けてそれなりに働かれた。名誉心から成った自治会長と言っても、自治会は自治体からの下請け業務が多く、安易な考えでは自治会長は勤まりません。それは自治会の役員をすれば、その大変さは身に染みて解ります。何事もその大変さを自分がして解るなのです。そこにこの世の価値があるのです。

 その方は地元の神社の総代としても、神社のお世話を長くされた。それらの行為によって、その方の魂の表面の汚れを大国主命様が持っている神剣で削られるを見ました。すなわち魂の汚れを削ぐ身削ぎ(禊ぎ)が大国主命様の手によってなされたのです。その方は死後に天国行きが大国主命様から約束されたなのです。

 

 少し本題からは離れますが、私の地元の神社の御祭神は大国主命様ではありませんが、丹波という土地名は大国主命様の【田庭】の言葉が丹波に変化したと言われています。出雲と呼ばれるのは島根県のみならず新潟県の糸魚川近くまで在った帝国説があり、それは出雲の玉造の石は糸魚川に在ったからです。大本教が発祥した綾部も、その大国主命様の神域(田庭)でも在るなのです。そこに本当の出雲は綾部に在ったという説もあります。

 私が住む土地は豊受姫によれば、大国主命様の直轄地で元の出雲屋敷地と言われます。確かに私の家では大国主命様の姿はよく見かけます。その付近の沼伝説(伝説上は底なし沼で大本教では金龍海)に【杵】の話があります。その杵が出雲大社の別名を杵築宮と言ったのではないかの説を出します。

 大本教の出口王仁三郎聖師は自分の魂は【素戔嗚尊】だと称されましたが、生まれ出られた同じ丹波の亀岡には国常立尊様を御神体山とし持ち、御祭神は大国主命とする出雲大神宮も存在して来ます。

 

亀岡の出雲大神宮は、境内の御影山を国常立尊とする

 

 この亀岡の出雲大神宮では社伝として、丹波の地より大国主命様の霊を出雲の杵築宮(現出雲大社)にお遷したとあります。出雲大神宮は西暦709年に造営。出雲大社は造営年が不明。この出雲大神宮付近は大和勢力と出雲勢力がぶつかったと言われています。

 大本教で聖域として入山を禁止した綾部の本宮山には、その【杵】を祭る神社が存在していたそうですが、明治の廃藩置県で九鬼神道の家柄であった藩主の九鬼氏が東京に行くに当たって、その杵は藩主で在った九鬼氏の先祖霊を神として奉斎する綾部の若宮神社の九鬼神社に合祀されているとされます。

 

地域や神社の奉仕をした人は、死後で行き先が違う

 

 さて本題に戻りますが、そうした自治会活動の中には自治会費を徴収して地域の街灯の電気代や修繕。地域の神社の維持や地域の子供達の見守りもあります。ところが自分が住む地域の街灯等の電気代は誰が払っているか、何も解っていない人が続出しています。地域の街灯の電気代等は、地方自治体が払っているでは無くて地域住民の集まりである自治会等なのです。

 最近よく聞く話は、自治会に入ったら自治会費は取られる。自治会の活動を強制的にさせられる。忙しいばかりで何のメリットも無い。為に自治会を脱会するです。地域の街灯の電気代を誰が払っているか、ゴミステーションの掃除を誰がしているのか?。そのゴミを捨てる土地は誰の土地か?。何も考えていないで自分はゴミを捨てるだけ。そのエゴイズムが解らない人が多数になって来ています。

 

そしてスピリチュアルがエゴイズムを煽っている

 

 無論、そうした貧しい概念を持つ人は死後に天国界に渡ることは最初から考えもされないでしょう。神は愛だから何をしても赦してくださる存在ではないのです。

 

地域の許可が無ければ、ゴミは自分が清掃工場に運ぶ

 

権利を主張して義務を果たさない人は、人では無い

 

 そうしたことを何も考えないで地域トラブルを起こして、自分は正しいと発信している人達の魂は【恣意(自分勝手・自己本位)型】で、死後は天国界に進まれることはまずないのです。天国界に進むには自分の魂は【思惟(深い洞察力)型】の必要があるのです。魂と言っても、【玉思惟】と【玉恣意】があるのです。

 

天国界には、エゴイズムを持った人は住んでいない

 

最近の世の傾向は、地獄界に行く人の自己権利の発信

 

 宗教が説くように死後の世界とは【天国界】と呼ばれる世界と【地獄界】と呼ばれる世界があります。それと天国とも地獄とも言えない【中有界】によって構成されており、ほとんどの人は未だ天国界に入るまでには至っていないのです。さりとて地獄界に墜ちるほどではないとなると【中有界】に向かいます。その中有界が【輪廻転生】を起こす基本世界と言えます。

 

この世に降りて来る人は、必ずしも天人では無い

 

自分は過去の罪(因業)を背負っているの自覚が必要

 

 この世で【罪滅ぼし】の精神で【感謝と奉仕】で過ごす人達と、自己のエゴを振りかざしている人達とでは死後の行く先がまったく違うなのです。それは宗教に所属していてもその人の生き方が【感謝と奉仕】の精神で向かっているのと、その宗教の教祖を単に神として拝む宗教とでは違って来るなのです。

 

良心神とは善-悪の単純計算でも、自己本位は悪に加算

 

自己中的な人は可哀想だ!、気の毒だ!。では済まない

 

 明治25年丹波の片田舎綾部で【出口直(なお)】に神懸かりをしたウシトラ金神国常立尊は、【自己本位。自己中心主義の生き方】をしてはならないと忠告しました。このウシトラ金神とは大本教神諭に【牛虎もあるぞよ。】と示された様に、その異相姿としては冥府の地獄閻魔庁の長官もあるのです。

 

それは自己中、自己本位の者は天国界には進めない

 

生かされているに感謝と奉仕心が無いと天国界は無理

 

 

 

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