霊的世界の体験者はこの世で【幽体(霊体)離脱】を体験します。通常の幽体(霊体)離脱は、人がこの世での命と呼ばれる存在を終えて霊界に旅立つ時に体験する事柄ですが、肉体の死を伴わずに幽体(霊体)だけが肉体から抜けて行く現象を指します。生きている人間がそうした体験をしていないと、肉体から死者が抜けて行くだけでは論証が弱いとなります。また霊能者と呼ばれる人達はその幽体離脱を伴わずに、魂だけを飛ばして異次元世界を見るがあります。そこに幽体離脱と魂を飛ばすは別の事だと解るがあります。
聖書に【人の子が雲に乗ってやって来る】がありますが、幽体離脱を体験すると人の子が雲に乗って来るとは何を指していたか?。その意味が解って来ます。幽体離脱を体験した方達の中では、その人の子が雲に乗るの体験があるでしょう。
幽体離脱の体験は自分の肉体から意識体としての自分が抜けて行く様です。その時に自分の家の壁や天井が見えているのですが、その物質体を抜けて行く自分に驚くことになります。この時の現象が他の人に見られると、肉体では無くて幽霊的な存在がこの世の壁や天井を抜けて行く様が見られるとなります。
私が住む地域で国道のカーブで大型トレーラーがスピードの出しすぎから横転し、その事故の巻き添えで軽自動車を運転していた女性が亡くなられるがありました。その事故の後、そのカーブの側にその女性の幽霊が立っているとする噂が一週間ほど続いていました。かなり多くの人にその方の幽霊が目撃されましたが、自分は死んだのだと納得されたのでしょう。それ以後は幽霊は出なくなったがあります。幽霊の多くはこの世に対する未練等で地縛霊化しているなのです。
一般的に病死などでは、人がこの世を去る前に【御迎え】と呼ばれる事柄が発生したりします。御迎え霊が死の前に、貴方は間も無くこの世を去ると告知してくれるです。その時にだいたいの自分の霊界での行先が解るのです。御迎え霊が来ている場合は天国界行きが多いのですが、稀に逆の地獄界への御迎えもあります。その場合は凄まじい死に方をされるのです。その肉体からその霊体が抜けて行く苦しみが尋常では無いなのです。
巷で自称救世主と称している方の信徒達の霊体がどこに向かっているかと見ると、地獄に墜ちる【亡者道】を歩いておられるがあります。死後は間違い無く地獄界に墜ちられる。これが大本教の出口王仁三郎聖師が残された【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】かです。
スピリチュアルを標榜して、カルマの原理原則を何一つ理解しないで【何をしても神の愛で赦されます。】と説く者の言葉を信じると、地獄界へと案内されてしまいます。自分が犯した罪を悔いないで、地獄へ迎えの鬼に鬼は外と炒豆をぶつけても地獄行は免れません。死んでから、違っていたと悔いてもその時は遅いとなるのです。
何故ならば冥府(黄泉の国)の長官とは、別に悪魔的存在では無いからです。キリスト教等は輪廻転生の意味が何も解っていないから、冥府の長官を悪魔(サタン)扱いにしてしまったがあります。輪廻転生をしっかり学べば、イエスの教えの間違いは解るのです。
自称救世主を信じた霊が、地獄への亡者道を歩いている
神の愛では無く、魂の心棒の杙(悔い)を改めるが必要
だが事故などは瞬間の出来事であり。その人を守護している守護霊にその事故が事前に解っていなかった場合があります。守護霊も自分が守護している者が事故に遭遇して死ぬことすら解っておらず。事前に霊界からの御迎えの手続が取れなかった。迎えが間に合わないが起きるのです。為に死後の世界への道に迷うが起きることになります。私は霊界修業の中では、そうした迷い霊を霊界に送る。そうしたことも見て来たなのです。為には閻魔庁の存在を知る必要があるわけです。閻魔大王(冥府の長官)を知らないスピリチュアルとは何だ?。となります。
人は自分の死後の行き先は、自分の守護霊とも関わる
そうした事故で自分が死んだことが解らずに、その事故現場でたたずんでいる。そうしたことはママあります。それは自分の肉体から幽霊体が抜けた状態は、【自分は死んだ】ではなく、感覚として自分は生きているが為に逆に迷ってしまうなのです。自分からは肉体の人達が見える。そこで知っている人を見掛けて声を掛けても自分に気付いてくれない。どうして自分が見えないのだとなります。
そうした時、人は死ねば霊界(あの世)とやらに行くのだ!。そうした知識があると、霊界での道を早く歩き出せるとなります。事故死は病死よりも霊界の道で迷う確率が高くなるのです。
宗教の必要性は【死後の世界】を生前に認識させる
宗教を信じたら天国界で無く、この世の生き方次第
私が初めて伏見稲荷山に上がった時、稲荷首座神である豊受姫は【貴方は言葉の神と呼ばれる尊き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物で、その教えが聞けないという神は如何なる地位にある神でも天帝に対する反逆者として最後は裁かれます。】と告げられましたが、別に私の教えを聞かなければならないでは無いのです。ただみろくの世には進めなくなる。それだけの話なのです。
私自身は如何なる神霊かは解りかねますが、【そなたの教えを学ぶ者達は、みろくの世に進める。】と告げられたなのです。私が説く内容を学ぶことで、その人の魂の良心神の点数が自然に上がって行くからです。しかし私が説く言葉の仕組みを嘲笑う者達は、そのみろくの世は難しいなのです。誰も日本語による言葉の仕組みで、【人に内在する良心神】などを説いていないからです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に対して【そなたが説く教えに従う者達は、一人残らずこの私が救う。】と約束されましたが、それが本当に旧約聖書の神で有るかかどうかは私にも解りません。それが解るのは最後の審判と呼ばれる事柄が実際に起きた時でないと無理だからです。ただ私は大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】から56億7千万のみろくの仕組みを引き出したなのです。
それはスピリチュアルと称して何をしても神の愛で赦されますと説く人達とは明らかに違っているなのです。大本教神諭が予告した【九つ花】には、神の愛で何をしても赦すなどと説ける仕組みが存在していないからです。
キリスト教ではイエス一人だけを主の御子と信じれば天国界で、異教徒は地獄界に墜ちると説きます。それは霊界を見て来ると有り得ません。大本教の出口王仁三郎聖師が地獄が覗けば牧師で一杯だと残しておられますが、キリスト教は基本論が間違っているなのです。キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ、私の様に仏教徒で【日本神道】の両信仰徒であれ、人の魂に出る【良心神】の点数は自分が信じる宗教とは何の関わりも無いからです。
キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ、日本神道の信徒であれ、人の魂に宿る良心神(創造神たる天帝の分魂)は世界の人民の共通事項なのです。
日本では世紀の大予言者として知られた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にはミカエルと言う名の天使長は存在していない。反省するの省みる(カエリミル)の日本語の意味だと説かれましたが、それには日本語と呼ばれる言葉が英語などと違って【神の言葉】であることの理解が必要となるのです。それを理解するにはさらに【言霊】とは何かを知る必要があります。
この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ましたが、残年ながらこの日本で【言霊】とは何かが解る霊能者は若干名に過ぎないなのです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と告げられました。鍾馗神の御案内で中国で創造神とも天子も言われる盤古大神に拝謁して、出口王仁三郎聖師と思われる霊の御蔭で日本語という言葉が持つ意味を理解出来たと言えます。天使長ミカエルという神名は、日本語でないとその意味が説明が出来ないようになっていたのです。
日本語は【漢字】がないと、【感じ】が掴めない
この世に肉体を持った状態の人からその幽霊的な存在が抜けて、他の場所で視認される状態は霊学としては【生き霊を飛ばした。】と言われる事柄になります。しかしその生き霊を飛ばすには【想念】と呼ばれる存在を飛ばしている場合もあります。そこに【魂】と【念】の違いが語られる必要があったのですが、宗教の世界は【魂と念】の関係をあまり説いていないがあります。
既存の宗教は【宗教界の覇権を争う。】で、真理そのものに目を向けていません。そこに洗脳されて統一教会の文鮮明に見られる天なる父様とか韓鶴子を天なる母様という馬鹿げた教義を宣伝する者も出て来ます。幸福の科学の大川総裁の自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体を生んだ本体たる十三次元などの嘘八百を信じる人達も出て来ます。スピリチュアルだと【何をしても神の愛で赦されます】の一点張りで、それでは魂と念の違いすら説明出来なくなるのです。
生き霊を飛ばす存在に、【念】と【魂】がある
念は【今の心】。人類は今の自分の心を考えたのか?
人の魂は過去世から続いており、何百年何千年何万年とも生き続けることが出来ます。一方念とは、今の一瞬にある自分の心のことです。だが念も自分の心の一部ではあるなのです。
世界のどの宗教でも【魂】と呼ばれる存在は説きます。それは魂は世界のどの人種間でも見られて来たからです。その魂が【丸い玉(球体)】であることも世界で共通しています。
世界の言葉で、魂を【玉思惟】と言えるのは日本語だけ
私は魂は【玉型の思惟】ですよと一貫して説明して来ました。だが私以外の方だと魂を【玉型の恣意】だと説明する方もあります。思惟は仏教用語で【深い洞察力で考えを回らす】こと。恣意は【気ままとか自分勝手】のことです。この世では何をしてもいいのです。好き勝手を進めるのが【玉恣意】論なのです。
人の魂は【思惟型の玉】と【恣意型の玉】とに分かれます
魂を磨くは、この世の学びで恣意型から思惟型の玉となる
明治25年に発祥した大本教から、自己中、自己本位の【恣意】の行動はいけないと出されましたが、スピリチュアル標榜者の多くは何をしてもいいのですと、輪廻転生を通じて出る【カルマの原理原則】すら無視した恣意の玉を目指すなのです。
スピリチュアルの何をしても神の愛で赦されます。そんな言葉を信じていれば死後の世界で間違い無く地獄界に墜ちます。人の魂は玉型で、玉なれば必ず【心棒】が存在します。その玉の心棒は神の【杙】であり、悔い改めるの言葉にはその【杙(心棒)を改める】が秘められていたなのです。その杙改めの学びとして
モーゼの十戒、仏教の【貪瞋痴】等の教えが必要だった
イエス一人を主の御子と信じれば【自分の無知】が解消されるではありません。アラーの神と讃えれば【自分の無知】が解消されるではありません。そこには後付だとしても学びが必要となるのです。
人の魂はこの世で、種々の考えから各種の知識を得る
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この世は魂の修学場。魂の命からすると修学旅行に出たような僅かな時間に過ぎない。】と告げられました。この世は自分が学ぶ為に降りて来た世界で、何も学ばずに元の世界に帰るか、学んで帰るかは個々の魂の考え方とはなるのです。
スピリチュアルでも霊界は【想念の世界】として知られ、霊界では同じ想念を持った魂同士が一つの社会を創ります。スピリチュアルだとバカみたいに【ソウル・メイト】の言葉を出しますが、ソウルメイトとは自分が住む想念の世界での仲間達のことだと言えます。
霊界のソウル・メイトは、元のドングリの背比べの世界
人はこの世に降りて元の世界に戻るでなく、上を目差す
スピリチュアルで語るソウル・メイトの世界とは、自分と同じ想念を持つ仲間達の世界ですが、その世界では異質の想念を持った者達との公流は難しいのです。
魂は、自分と異質の想念の魂と同一世界に住むは苦しい
自分と同じ考え方の者と一緒の世界だと心は通じ合います。しかしそれだと、他の考え方。それが正しいのか間違っているのかさえも解らないのです。為にこの世は各種の考え方(想念)が違った者と一緒に暮らして、いろんなことを学ぶ合うなのです。善にしてもAの世界ではそれを善としても、Bの世界ではそれを悪とするもあります。で何かが正しいのか?。何が間違っているのかを学ぶのがこの世なのです。
しかし霊世界はその魂の汚れに応じて【霊波動】が違って来ます。この霊波動の違いが、霊は同一の世界では住めないを起こさせるのです。この霊波動の違いを知らないで、霊界は均一の世界と言ってしまうと大間違いを起こさせるなのです。
霊波動が違う魂の学びには、霊を阻止する肉体が必要
ただこのことは霊媒体質者でないと解らない面があったのです。イエスやマホメットはそうしたことが解っていなかったがあります。霊媒体質者は自分の霊体を汚していなくても自己の霊体を汚している者から、その汚れた霊物を投げ付けられるがあります。霊的な汚れを自分の霊体に押し付けられて、その汚物の【浄化浄霊】に苦しむです。もし肉体を持たないと、これほど低い霊が集まる世界では高い魂は暮らせません。
宗教では死後の世界(霊界)は天国界と地獄界を説きます。しかしそこに我が宗派の教えを信じれば天国界で、異教徒は地獄界に墜ちると間違って教えばかりを広めました。イスラム教のタリバン等はその典型になるのです。天国とか地獄とかは自分が信じる宗教とは関係が無いのです。
正しい行為行動をする人達の集団は天国界を形成し
悪しき行為行動をする人達の集団は地獄界を形成した
すなわち【集団意識(ソウル・メイト)】の結果。霊界には【正神界】と【邪神界】の二つの世界が並び立つなのです。
行者系の霊能力者であれば魂磨きを説きます。良心を説く方もあります。しかしスピリチュアル標榜だと良心神は説きません。何をしても神の愛で赦されます。愛こそ全てです。自分達が悔い改めるを捨てて、悪を唆していることに気がついていないなのです。スピリチュアルだと別に良心の存在を知らないではないのです。それは良心の呵責は重いから捨てましょうで、人々を如何なる世界に導こうとしてしているかなのです。
【霊が見えるから、その人は正しい世界の人では無い】のです。正神界と呼ばれる世界に導こうとしているのか?。それとも邪神界と呼ばれる世界に導こうとしているかなのです。自分が所属する世界が正しいという思い込みの発生なのです。
ただ霊世界においては、正神界から見れば邪神界が【悪】ですが、逆に邪神界から見れば正神界が【悪】となるなのです。
どちらが正神界か邪神界かは、勝った方が正しい
邪神界から見れば、力が弱い者は敗者に過ぎない
大本教から出されたウシトラ金神とは、どこにもその姿を見せないことから退くの【艮(ウシトラ)】金神と呼ばれ、本来は万物の創造神でしたが悪神とされたのは神界の戦いで負けたがあります。ですから今も霊能者の間ではウシトラ金神国常立尊は悪神だとする方達も一定の勢力があるわけです。
そこに国常立尊(天之御中主と同体)は隠し秘めておいた新地球に自分を創造神と崇める魂達を集結させて、永遠の世界創りに入られるのです。それが第8の世で∞記号の意味を持ち、末広がりの世とするわけです。今の世は神代七世で、そこに日本語だと解る七が転び八で起きる七転八起の【ダルマ(真理)】の仕組みが組み立てられたなのです。
この仕組み、お釈迦様とイエスとモーゼの三仕組みで
大本教神諭予告九つ花は【41】で、56億7千万を出す
大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊】を解読すると、そこに【五十六億七千万のみろく大神】が出るようになっていたわけです。ただそれを解読するには【龍宮の音秘め(乙姫)】とは何か?。そうしたことまで知る必要があったなのです。私はその仕組みを見た時、万物の創造神は存在しないのではなく、ウシトラ(艮)の漢字で解る今は退いているだけの状況だと思われます。
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