令和5年6月29日に放映された某テレビ局の特番に、今から10年前に沖縄でパワースポットとされている場所で撮影された一枚の写真が出されました。霊能者がその写真を見たならば、人の肉体から【生き霊】が抜けて行こうとしている幽体離脱の様だと言う写真です。私もその写真を見た時、肉体から幽体が離脱する瞬間を捉えた貴重な写真だと解りました。しかしそこに秘められた意味をどれだけの人が理解出来るかです。
現代の医学や科学では人は死ねば終りで、宗教が説く人が死後の世界に行く【霊魂】と呼ばれる存在などは無いとしていますので、そんな肉体から幽体が抜けて行く写真は偽造の一言で片付けられるはあります。当然に人は死ねば終わりならば幽体離脱などは起こり得ないのですが、イエスであれムハンマド(マホメット)であれ、その教えに人と霊魂の関係が説かれていないがあります。
ある悪党は、神社に行けば神霊として祭られている存在が有ることは認めるが、人は死ねば終りだから悪いことをしなければ損をすると私に言いました。私達は神社や仏閣に祭られている神霊から病気治しや現世御利益を賜る。そうした事実に触れます。為にその存在は否定出来ないのです。そこで神社や仏閣に参ったりします。もしも神社や仏閣に参拝しても何の御利益の示しも無いであれば、誰も神社や仏閣に参らないはずです。
私達は現世御利益を通じて、神仏の存在を認識する
が、神社に祭られている神霊やお寺に祭られている如来や菩薩や明王の存在は認めるが、人もそうした神霊や諸仏と同様に死後の世界に生きている。そうした感覚を持てないなのです。そうした神霊は人とは別の存在だと思ったりしてしまうなのです。日本の仏教では人は死ねば皆仏様とは言いますが、その仏様とはお寺で祭っているところの如来や菩薩や明王と呼ばれている仏のことではありません。それらのお寺に鎮座する仏は、仏でも上の存在という認識は誰しも持てるなのです。
寺院に祭られる仏像等には【霊魂】が宿っている
大本教から【人は神の子・神の宮】が出されました。それは仏教で説かれる【人には仏性が宿る】と同じことです。人はこの世に生きて、死後の世界では神社に祭られる神霊とも成る。寺院で祭られている仏とも成れる。そうした予備軍的な存在でもあるなのです。
大本教からはこの世は【天人の苗床】と出されましたが、
人は死ねば皆四次元でも、五次元界以上に進むと神霊
私は自己のブログに魂の写真は幾度も掲載して来ましたが、人の肉体から霊体が抜けて行こうとする瞬間の写真は初めて見たと言えます。私は実務体験としてはそうした幽体離脱に関わる出来事を多く遭遇したのですが、その幽体離脱の瞬間を写真に写す等は奇跡的なことなのです。
どうしてそうした写真がこれまで撮られて来なかったは、まずその肉体が霊媒体質者であることが前提にあります。この霊媒体質と言われる事柄そのものが、現代の医学や科学では理解が出来ないし説明も出来ません。為に霊媒体質者は医学では理解が出来ないことから、そこから来る禍に関して治すこととも出来ずに苦しむとなります。誰にもその理由が解らないから【自律神経失調症】等の病名で片付けられて来たからです。その原因が霊媒体質だからと理解出来るのは霊能者となるのです。
私は自分が神霊世界に関わって神霊が神罰として人の命を取る。古来は呪術(じゅじゅつ)と呼ばれてきた様な事柄の存在も見て来ました。霊的世界はスピリチュアルと呼称している人達が言うようなお花畑で遊んでいる様な世界では無いなのです。時には殺し合いが起きるなのてす。
私が一番ショックを受けたのは、地獄界とは鬼が居て罪人に責め苦をしている様な世界では無く、そこに住む人達がまるでゾンビの様な状態であったことです。そこにうごめいているのは人の姿をしていても、もう人達では無い存在です。その世界は地獄界で、霊能力でその世界を見た人達は口を揃えて自分は絶対に行きたくない世界と言われます。それは魂が存在していない抜け殻の世界と言えます。二度と人間界には出ないし出られないのです。
どれほどの月日を過ごさないと、霊体は朽ち果てない?
瞬間のこの世の喜びを求めて、永遠の苦しみを得る?
特番で放映された写真は見事に肉体から幽体(霊体)が抜けようとする様が写し出されています。とても偽造されたフェーク写真とは言いがたい写真です。
私自身は自分が【幽体離脱】の体験をして、自分の魂が神界の神々の元に行くことで、肉体と魂とは別物であると認識しています。また私自身は自分では認識していませんでしたが、自分の霊体が霊能者の元を訪れたと指摘され、その時間は肉体の自分はどうしていたのかと思い出しますと、その霊能者の元に行こうとしていて車の運転中で途中で眠くなり、駐車が出来る場所に車を停めて眠ったがあります。自分の魂がその霊能者の元に行こうとして、肉体より先に行動をしたです。
霊能者の元に居ると、今誰々の霊体が来たので、その肉体が間も無く此処に来るよと指摘されると、その肉体がやって来るがあります。多くの場合、霊体が肉体よりも先に行動するがあります。それがスピリチュアルで【想念】として語られる要素になります。想いが先に募るで、霊(想念)が先に行動するです。霊が想念とされるのもそこにあります。しかし霊は想念だとするならば、幽体離脱の時に見られる肉体から抜けて行く【霊体(幽体)】は何だ!。となります。それが単に想念だと肉体から抜けて行く自分の霊体の説明が出来なくなるのです。
そのテレビの特番で放映された写真はそのテレビ局の著作権に関わりますので、このブログでそれを切り出して出す事は出来ませんが、その特番の写真を見なかった方が死と同時に肉体から抜けて行く自分の霊体(幽体)の存在は無いと主張する意見は、全て論破されることを知らないといけなくなります。要はそうした証拠的な物を見なかったことからの霊界否定論は、知らなかったという無知に関わるだけなのです。
死後の世界は無い。霊界も無いは単に【無知】に過ぎない
ほとんどの人は、自分が信じた宗教で教えられた誤った内容の死後の世界は言っても、霊能者が言う死後の世界を否定する現状においては非常に貴重な写真の一枚とは言えます。
一部の幽体離脱経験者の話に自分の魂が肉体から抜けて行く時に長いトンネルを抜けて行く様な風圧を感じるを言われるがありますが、トンネルではないのです。肉体から初めて霊体が抜けて行く時には霊的な風圧が発生し、その感覚がまるで自分がトンネルの中を凄いスピードで飛んでいる様な感覚に襲われるなのです。
通夜などに死者の横に座していると、その肉体から旋風の様な風が吹くに出遭うがあります。その時、今霊界に旅立ったなと解るがあります。
神社や仏閣や墓に宿る霊は肉体を持たない【死霊】であり
人とは、この世の肉体を持つ間は【生き霊】と呼ばれる霊
大本教から人は【霊(ひ)止(と)】だと出されましたが、人は肉体を持っている間は【霊止(ひと)】であり、肉体を脱ぎ捨てた時は霊と魂だけに成るなのです。
古来より世界中で人は死後に【霊魂】と呼ばれる存在になって、あの世(死後の世界)に旅立つと言われて来ました。その時、その存在は【霊魂】とされていますが【霊と魂】の違いはあまり語られて来ませんでした。近世の西洋の神智学においては、人が死後の霊界に入った時には死者の霊は生前の姿をしているが高次元界に進むと【魂】だけの存在に成ると説かれました。
その西洋の神智学が日本におけるスピリチュアルに影響を与えたのですが、その程度の内容では霊界を知る知識としては限界を露呈させたと言えます。
それだけだと説ける内容が【ハイヤーセルフ】程度であり、霊が住む社会構造の一ヒントにはなりますが【輪廻転生】に関する深い考察が出来なくなります。それは自分自身の魂が霊界における次元界の上界に駒を進めると、そこに【神としての自分】が出て来る事柄です。それが大本教の出口王仁三郎聖師が【この世は天人の苗床】と言われた事由なのです。イエス一人が神の子など大間違いなのです。
そこにスピリチュアルのハイヤーセルフ論でなく、日本神道で語られる副守護神。正守護神。本守護神論が必要となるわけです。また神霊界は平旦的世界では無く、次元と呼ばれる層で違いが発生する縦社会です。そうしたことは西洋から来たスピリチュアル学では出せなかったなのです。しかし日本における神社に鎮まる神霊と呼ばれる存在も、そうしたことを霊能者に語らなかったがあります。
そこにキリスト教社会におけるイエス一人が主の御子などは最大級の大間違いで、大本教が説いた人は誰もが【人は神の子・神の宮】の要素の上に立っているなのです。その神の子である存在が間違ったことを続けた為に、地獄界と呼ばれる世界が形成されてしまったと言えます。そして創造神と呼ばれる神霊の姿は確認されていませんが、過去に水の審判と呼ばれる事柄が起きて人類は滅びたがあるのです。そしてまたもや【最後の火の審判】と呼ばれる物が世に語られるなのです。
本来は神で有った魂達は、悔い改めることで天人界に戻れる
人の魂は昔から同じ心であっても、その姿は時代時代に応じて違って来ます。私は子供の頃、私に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から【前世のそなたはお人好しで、他人を疑うことをしなかった。為に他人の魂胆が見抜けず、他人の魂胆に利用されて悲劇の武将としてこの世での命を終えた。】と告げられましたが、霊界を見聞している中で、その過去世のお人好しの自分が誰で有ったかは解って来ました。だがそれは過去の私の話で有って、今の私では無いなのです。今の私が刀を持った武士には成れないわけです。そしてその時の恨みを果たそうではないのです。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る声は、【仮に自分の過去世が釈尊やイエス等の偉大な宗教家で有ったとしても、そうした名乗りをする者は全て本物には非ず。】と告げられました。自分の過去にそうした時代があったとしても、今の自分はその人物では無いわけです。ただその時も今もその心は同じなのです。
人は転職すれば、今の自分と過去の自分は違うと解る
人の魂は出た時代時代で、その職で得る学びが違う
幽霊と呼ばれる存在は古来より世界中で見られていて、その存在は語られて来ました。その幽霊には【足が有る】と【足が無い】が言われて来ました。幽霊と呼ばれる存在には肉体から抜けた霊体には足の存在が見られて、想念として現れる存在。俗に怨念や未練の【恨めしや!】には足が見られないがあると言えるでしょう。地に足が着いていないの意味合いとなります。
この世に未練として残る想念と、霊界に入る魂とは別
この世の恨めしや!、霊を消しても魂を殺すでは無い
一部の霊能者は霊界に蔓延する想念の様な物を自分が消しました。掃い(祓い)ました。そうしたことを言われます。霊界において魂とは【命】を指します。その魂を勝手に消したりすれば魂殺しに問われることになります。いったい何の権限があって、貴方は魂の命を殺めたのですかが問われてしまいます。しかし想念的な物は消しても構わないとなるのです。想念的な事物は【命】を宿しているのではないからです。単なる【想いが飛んでいる】なのです。それらは【輪廻転生】外なのです。
私は霊能者はしていませんが、霊場と同様の霊地の上に住んで居ます。霊能者の方達によれば、私が住む地は天国にも地獄にも通じる霊界の機密【ゲート】だと言われます。で、非常に多くの【オーブ】が写ります。
私が住む土地は大本教の出口王仁三郎聖師が大正時代に言い残された土地で、その土地で起きたラップ現象は霊能者の方達から伊勢神宮の神でも出雲の大国主命様でも手が出せないと言われた事柄で、ラップ現象が鎮まるまで約3年間もの月日を要しました。その地では日常的にオーブは見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=GpzX2UP_zXA
私が霊的世界に関わっているのは、スピリチュアル的なことは金儲けになるではなく、何が真実なのかを追い求めているからです。私が神霊世界に関わる時、伏見稲荷山の首座神で有る豊受姫から【これは世に出ている神には出来ない事柄であり、肉体を持ったそなたでないと出来ない神業。】と告げられましたが、肉体を持たない神では出来ない事柄もあるなのです。
人もまた神なり。神が人(霊止)としてこの世に現れる
自分は死後に神と成る者だ!。その為に苦労を積んで学ばなければならない場所がこの地球界なのです。それをこの地球は遊ぶところですと等と説いているスピリチュアルなどは何者の手先かとなります。世の中には死後に腐って行く人の魂を食べる連中もまたあるなのです。
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