人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

創造神の計画は【言葉と十(神)に画(隠)された】が、個々の魂も自己の計画(プログラム)を組み立てたのか?

 スピリチュアルでは、人はこの世に各自の魂のプログラム(計画書)を持って降りて来ていると説きます。そこには人は単に肉体の母親の卵子と父親の精子の結合から誕生した存在ではなく、異次元の世界に存在する生命体が三次元世界の肉体に宿ったと解ってはいます。しかしその説明の仕方がもう一つと言えるなのです。

 スピリチュアル標榜者の多くに見られるのは【神は愛だから何をしても赦される】等の論理では、人の魂はこの世に何をしに降りて来ているのか?。さっぱり解らないと言えます。仏教で説かれた【輪廻転生】の【転生】に含まれる意味が解って来ません。実際に霊界を歩いたら、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と呼ばれる神々に出会う。それではその意味が解けないのです。

 この世は各自の魂の過去の因果からの必定が起きる。仏教はそれを【縁起】と説きました。縁起は演技となり【神の舞台】もこの世の舞台も演じられるです。想像に創造。縁起に演技等、言葉で神が教える意味を知ることが出来るのが日本語の特徴なのですが、誰がそうした仕組みを長年に渡ってして来たのか?。日本人は大本教と呼ばれる宗教が起きる迄、そうした言葉の不思議すら知らなかったなのです。

 

この世の出来事は、過去世の縁起から起きるプログラム

 

個々の魂が自分でプログラム(計画書)を書いて来た?

 

 お釈迦様は人は何故にこの世に生まれて来るのだろうか?。死ぬのだろうか?。そうした疑問から修業に入られて、仏教と呼ばれる教えを開かれたと言えます。

 仏教では魂の存在を語り、その魂は【輪廻転生】しているとしました。この世で自分に起きる出来事は各自の魂の過去の行いが【縁起】となって現れるで、そこに【因果応報】が説かれました。されど因果応報の言葉よりも【業(カルマ)】と言った方が解りやすいはあります。

 

 旧約聖書は

 

人は自分が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取りなさい

 

 旧約聖書のこの内容は、カルマが解っている霊能者であれば【正負の原則】として捉えます。神は愛だから何をしても赦されるなどは存在していないのです。その人として出た時の世において処理出来なかった【負の因】は次の世に引き継がれるのです。

 

 仏教の三時の教えは

 

自分が積んだ業は、過去・現世・来世の三世で支払う

 

 神は愛だから何をしても赦されると説くスピリチュアル標榜者でない霊能力者であれば、この世ではカルマ(業)の原則から逃げられないが解ります。

 

人は過去世で犯した業(カルマ)で、自分が苦しむです

 

 日本の芝居等では【親の因果が子に報い。】が言われて来ました。確かにどの家系にも家系の【因果】と呼ばれる物が存在し、その家系の【因果】が子孫に吹き出しているがあります。そこには魂はこの世に出るに当たって、どこかの家系のお世話にならないと生れ出られません。その家系に業(カルマ)がうごめいていると見えても、その家系からしか出ざる得ないがあります。

 そうなりますと、スピリチュアルの自分で計画(プログラム)して、自分の業(カルマ)の解消の為に自分でブログラム(計画)しているのかと?。となります。スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達は非常に思惟(如来の考察)の底が浅いがあるのです。

 それでは仏教が説く【縁起】によって、この世の舞台が【演技】されているが解らなくなるのです。霊界でいくらこの世に生れ出たら自分はこうしようと計画していても、実際にこの世に出て来ると他者の計画とぶつかるもあって自分の計画通りにはなりません。誰もがこの世に出る時には自分なりの【計画書】を持っていても、この世は自分一人で生きる世界とは違っていますので自分の思い通りには成らないのです。必ず他の人の計画(プログラム)と自分の計画(プログラム)はぶつかるからです。

 

神霊世界を見聞すると、勝てば官軍。負ければ賊軍の論理

 

 そこに在るのは【何が正しいか?】ではなく、まず勝つことが第一義なのです。その様な勝てば官軍、負ければ賊軍の様な考え方が横行したのは、そこに大本教から出された国常立尊は創造神でありながら蛇霊の囁きに毒された神々の多数決による地上主催神の座からの追放劇があったなのです。私は鍾馗神の御案内でその地上神界の主宰神の座を襲った盤古大神に拝謁したことから、そうした経緯が解って来たと言えます。

 大本教から露国の悪神が盛んに出されましたが、露国(ロシア)とか現代の中国を支配する霊世界の存在を見るならば、そこに人類愛とか平和主義の考え方は存在しないのです。有るのは力によって世界を支配する考え方だけなのです。為にその戦いは容赦をして来ません。いざとなれば核弾頭の使用もするでしょう。

 

自分の計画を押し通す為には、他人の計画は排除する

 

この世で不満だらけの人は、自分の計画通りにならない

 

 この地球上の世とは【三次元世界】と呼ばれる低次元の世界で、宇宙からすると高次元世界に在るのでは無いとされています。だがこの地球に降り立ってしまうと、その三次元の世界だけが唯一の世界だと思い込んでしまいます。そうなると人は死ねば誰でも行く【四(死)次元】界以上の世界が在るとは思いもしないとなります。

 私は自分の肉体から自己の魂が俗に言う【幽体離脱】を起し、天人世界や神々の世界の一部なりを垣間見ました。この世に肉体を持って生きる霊達。今は神社仏閣に鎮まるが、かっては人としてこの世に在った神霊と呼ばれている人達。生きるという存在。命と呼ばれる存在。それらは何かと考えた行先に【神】と呼ばれる存在。そして【創造神】と呼ばれる神の存在の確信に至って来たと言えます。

 

  そうした中において、自分が生れ出る家には自分と過去からの縁があったり、肉体の自分の親と成ってくれる魂とは過去からの縁があってその家から生れ出る。が、その家系には蓄積されている過去からの因縁たる【カルマ】が在り、そのカルマを消す(支払う)為に自分の身体を犠牲にして生れ出るもあります。

 どうして私がそうしたことを知るのかと言うと、私はスピリチュアルでは無く、審神(サニワ)と呼ばれる分野から霊界修行を積んで来たことから解って来たと言えます。もしもスピリチュアルに走っていると、低次元の霊世界しか解らないを引き起こしていたなのです。スピリチュアルに走ると五次元界と呼ばれる霊世界が関の山なのです。一つの出来事でもそこから多くの事柄を学べないとなります。

 

神は愛だと叫ぶだけでは、高次元界が見えて来ない

 

 大本教神諭に【一を聞いて十を知る様な者でないと、神界の御用には使えない。】とありますが、神霊世界に入ったならばあれやこれやと親切丁寧に導いてくれる様な御神霊など、どこにも存在して来ません。

 例えばある悪党。その魂は黒龍神で元来はその魂は神界にありました。しかし神界で積んだ悪業(悪のカルマ)が元で、その魂は本来の神界を追放されて黒龍神界に墜された。そして人間界と黒龍神界の往復で、人間界に生まれ変わる都度悪業を積んでいたがあります。

 仏教で説かれる閻魔庁とは、別に悪神や悪人達の悪を取り締まっている役所では無いのです。閻魔庁の別名は【羅城】とも言われていますが、羅には【死者の世界から再生】の意味が秘められ、その羅城門を【来世門】と言う様に人としてこの世に出た魂に、その門を通ると次の世にも【人として生まれ出る事を約束】する役所です。

 

大本教のウシトラ金神は【宇志採羅】で宇志は羅を採用

 

来世の羅城門の門番を【鬼と云う】で、勘違いが起きた

 

鬼と云うの魂で、出口王仁三郎聖師は【魂の核は仁】王

 

 食物の種を植えると芽を出して葉を茂らせて果実が出来ます。その果実には種が有って、種が有るから次の世に生きる。それらの流れは【転生】を語るのですが、その種の中には【仁】と呼ばれる物が存在して来ます。私達の魂も核に【仁】と呼ばれる物を持つのです。よく知られるのは【梅の種の中には天神(仁)様が眠っている。】の言葉です。大本教から大宣伝された【三千世界、一度に開く梅の花。散りて実を結ぶ。】なのですが、そこに梅の種の中の天神様を知る必要がありました。その仁とは【天道の発想】とします。君主が持つ【心】です。仁はスピリチュアルが叫ぶ【愛】とは違います。

 古来の日本神道では魂は【一霊四魂】と呼ばれる構造で成り立っていると考え、その一霊を【直霊】と呼び、天帝の【分魂】とします。動物の魂は四魂のみで有り、人としてこの世に出る魂だけにその直霊が付与されることから【人は神の子・神の宮】の立場となります。そこにはイエス一人だけが神の御子などの説は存在して来ません。

 キリスト教徒は第一天国界には進めないが発生したなのです。愛だけに働いて、疑問という門を叩かなかったからです。そして人には人種を問わずに良心の働きである天帝の【分魂】が付与されているにも関わらず、人の子で在るイエスを天帝を意味する神と仰いでしまったなのです。

 イエスは人類の為に犠牲などには成ってはいないのです。何故ならば人の良心は、他人の良心を食べることをしないからです。

 

人の魂の核の働きを日本神道では【良心】の働きとした

 

 もし閻魔庁が霊界で悪神を取り締まる機関であれば、悪神達を取り締まろうとすると【神界戦争】を起こす覚悟が必要です。神界戦争ともなれば、それはもう閻魔庁の管轄ではありません。世間が節分で炒豆を打つ鬼で龍の軍団と戦えるではないからです。

 

正神界も邪神界も戦争は避ける。火の粉を祓う程度

 

霊は居心地が良い場所が天国で、人の判断では無い

 

 力の弱い者を苛めて、その力の弱い者が泣いている姿を見て喜んでいる霊は、そうした弱い霊をさらって奴隷とする。自分の慰み物にする。その苛まされる自分を救ってくれる神霊が神霊界に有るのかとなりますと、その霊の為に自分の命を賭けてまで戦ってくれる存在は簡単には見付からないとなるのです。

 

今の神霊界は【義】を持って戦う神は皆無に等しい

 

 私はある霊能者から救いを要請されました。その霊能者は私がある自称救世主は救世主ではないと告げているにも関わらず、その方は救世主だと信じて、そのニセ救世主の霊団に捕らわれてしまったのです。

 その霊能者の方は霊能者として活動されているのでそれなりの霊力はありましたが、如何せん相手は自称救世主と呼称するだけあって、その背後は六次元界の黒龍神達が存在し、とてもその方の霊力で戦って逃げられる相手ではありません。またその霊能者の背後に在る守護霊団には、その自称救世主の背後霊団から逃げられるだけの神力はありませんでした。

 

霊界では自己に巨大な守護霊団が無いと逃げられない

 

 その自称救世主の教団信徒達はその六次元界黒龍神が出す【火を太陽】と錯覚して、光と呼ばれる物に騙されているなのです。私は霊光は【火が燃える】と出る物であると忠告しています。その存在が光を見せたからと言って、それだけでその背後の神霊を正神と判断するのは間違いの元なのです。

 

自称救世主を信じると、その背後霊団の餌食になる

 

人は愛を言っている者を狼(良を獣)と気付かない

 

 私は霊界の天軍を動かす統帥権を持ちませんので、助けてあげたくても助けるだけの霊力がありません。そこで神界でも仏界でもその自称救世主からその霊能者を助けて下さる神仏があるならば助けてやってくださいとお願いしておいたところ、幸いに仏界のある神将霊が私の願いを聞いて、その自称救世主と談判をして、戦いを辞さないと迫ってくれたことでその霊能者と手を切らせることが出来ました。神社や仏閣に参拝したとしても、そうした神社や仏閣に鎮まる神霊が戦ってまで貴方を助けるではありません。

 その霊能者の方は神仏の世界は見える方ですが、その方の為に自分の命を賭してまでして助けてやろうとされる神霊は存在していなかったなのです。

 では何故にその仏界の神将霊は私の頼みに応じて戦いを辞さずと強硬に行かれたのかと言うと、その仏界の神将霊は私が本当は何者かを理解されており、私の為にその願いを聞き届けて下さったなのです。その霊能者の為では無く、私に恩義を売られたわけです。それは私が元の神界に帰った時には【出世払い】として、私がその神将に対して対価を支払うなのです。私はこの霊能者の方には【恩義】があるので、その御礼の為でもあるなのです。

 

神仏の世界も何のメリットも無ければ誰も動かない

 

 スピリチュアルは金儲けになるがうたい文句の様に言われていますが、自分の身に何か困ったことがあって神仏の世界に関わっている方に頼みに行ったら、霊からの差障りの理由が告げられて何百万円の謝礼金を要求された。そうしたことは日常的に聞きます。

 実際に差障りを起こしている霊を浄霊するともなれは、その霊が持つ【カルマ】をこちらの肉体に入れて浄霊する必要があり、こちらがその憑依霊の浄霊で寝込むがあります。時にはそうした霊の浄霊で死んだ霊能者も多数在るのです。自分の命に関わる様な事柄に無償で助けてくれる人とは【奇特】な人で有り、キリスト教の別名は【基督教】でも自分の罪を金で売り買いする【贖罪】を説くなのです。自分が積んだ罪が神の無償の愛で消されるは無いなのです。

 

その人に掛かっているカルマを贖罪で自分が受ける

 

 私は未だ自分の霊界修業が未熟な当時に黒海黒龍神の浄霊で苦しみ失敗しました。今は浄霊力は付いて来ましたが大物の黒龍神の浄霊など数千万円、数億円積まれても断ります。命在っての物種があります。

 霊能者の元に相談をしに行ったら体が楽になった。そうした人の霊は穢れが軽い段階の話で、霊媒体質者であれば金銭的な話ではなくて日常的にそうした霊の触りを知らず知らずに受けて浄化しています。その為に寝込む人が多いのですが、そのほとんどは自分が霊媒体質者とは知らないがあります。そこには一銭の射礼も受けていないがあります。

 

謝礼を受けずに霊を浄霊すると、自分の【徳】となる

 

 スピリチュアル標榜で語る各自の魂は自分の計画書を持ってこの世に降りていると、仏教で説かれてきた自分が過去世で犯した罪の数々の償いが今の世で【必定の縁起】として現れるとは同じ事柄です。そこに特段の差異はありません。ただスピリチュアルは、この世に降りる魂には【過去の罪の償い。】が有ることを故意的に消している節があります。

 

この世で起きる出来事は、自分の過去に【種】がある

 

 魂がこの世に降りて来るのは自己の魂の欠点を【更生】する為に【後世】に出るのであって、それを【自分でこの世での計画書(プログラム)を書いて出て来ている。】と説くと、内容的には完全に間違っているではありませんが、自己の前世における【カルマ】をまったく忘れられてしまうとなります。そうなりますと一部のスピリチュアル標榜者に見られる【この世は遊ぶ処です。】になって、死後は地獄界に落ちてしまいます。

 大本教の出口王仁三郎聖師が大本教霊界物語に説かれた【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】となるのです。そうなりますと、当然に【閻魔大王】の存在が解らないとなります。

 スピリチュアル標榜では、【神は愛だから、何をしても赦されます。】が標準の様に成っていて、スピリチュアル標榜者が閻魔大王の存在を語る事はほとんどありません。ただ単に【鬼】と呼ばれる存在程度の感覚なのです。そんな鬼は節分の炒豆で【鬼は外】とぶつければよい程度の考え方と言えるでしょう。

 

スピリチュアルには【閻魔大王】の存在は見えない?

 

 大本教から世の大立替えの宣伝に関して、【神が表に現れて、善と悪とに立て分ける。】と【この世の閻魔大王として現れる。】の宣伝が為されましたが、それ自体は未だこの世に出ていないのは確かです。ただその意味は人の魂の中には善と悪とを立て分ける良心の働きがあり。神は愛だから何をしても赦されると言っている人達が見る霊的世界とは、創造神と呼ばれる神が存在する世界とは別の世界に当たっているなのです。

 

大本教の神は宣伝ばかりで、実行力が無いの批判は出る

 

 だが大本教と呼ばれる宗教が世に出て来なければ、イエスの誤った【愛の教え】の中に人類の多くは生き続けるとなります。キリスト教で悪魔とする【666】を【みろく大神】として打ち出した大本教。霊界には【ミカエル】という名の天使長などは存在していないと記した霊界物語。人類を長年に渡って欺し続けた存在。その背景には何があったのか?。

 

艮(牛虎)金神の言葉に秘めた謎の種明しと言えます

 

 

 

 

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