人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

邪悪は創造神が創り出した物ではなく、自然に発生した【煤(スス)】で有り。そのススが魂に付着することから【汚れた魂】が出た。で、魂を洗濯する場が必要になった。

 よく善も悪も元は創造神から出た物であると言われます。確かに万物は全て創造神と呼ばれる神が存在していなければ【生み出されなかった。】は事実でしょう。そして魂は本来は何の汚れも無かった。そうしたことは一部の宗教で語られては来ました。

 この【元々(本来)の魂には何の汚れも無かった。】は、魂の汚れを洗い落とすとその魂には何の汚れも無いことから確かなことだとは言えます。ですからそうしたことを説いている宗教の教えは間違いはないのです。しかしながらそうしたことを説いた宗教が人類に支持されたかとなりますと、そうはならなかったのです。

 一部の方達は全ては創造神に帰結することから、悪も創造神が生み出された物だから悪が許されていると説かれますが、大本教から退くの【艮】が出されたことにより、創造神たる神とて悪(魂の灰汁)によって、地上神界の主催神の座から追われたがあるなのです。そうしたことは私も鐘馗神の案内で中国で創造神とされている盤古大神に拝謁するまでは、何も知らなかった者とは言えます。  その背景には汚れの黒龍神とか毒気の赤龍神とか呼ばれる存在があり、誰かを救世主と拝んでいれば良いの話では無かったと言えます。

 

 仏教を開かれたお釈迦様はこの世は【苦界】と説かれましたが、何故にこの世は【苦界】なのか?。そこまでの詳しい説明はなされなかったようです。それはある意味、【悟り】とか【諦観(ていかん)】と呼ばれる分野を極めないとその【域】に達しないのです。

 諦観の諦は【あきらめ】ですが、これは物事をあきらめるのではなくて物事の【真理とか道理】を明らかにする。で、私は魂は【玉型の思惟】と説いて来ましたが、諦観とはその【思惟】の働きでもあるのです。

 しかしある自称救世主は魂は【玉恣意】だと言うように、スピリチュアルの世界では魂は今さえよければそれでよいの玉恣意(自分本位、好き勝手)の意識だと見ます。この世は魂の修業場(天人の苗床)とか魂の汚れを洗う【洗濯場】とは見ていないなのです。そしてそれが大多数の人の圧倒的支持を受けているなのです。

 

諦観が秘める事柄は、言葉で帝の仕組みを明らかにする

 

 私はこの日本に生まれ出してもらったことで、【神は言葉なり】の本質を知ることが出来ました。それは聖書に【最初に言葉は神と共に在った。】と記載されていても、西洋の英語圏などではそれを知る事そのものが無理なのです。それは日本語が【神の言葉】その物だったからです。聖書ではそれを知るのは根本的に出来ない仕組みだったと言えます。

 魂を識界レベルで判定すると創造神は第十識界。お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界とされています。マホメットは第四識界とする説があります。キリスト教やイスラム教で真理に至るのは非常に難しいなのです。そこには天使と称して出て来る霊が、本当は何者であったかまで踏み込まないといけないからです。

 私はある霊能者から【貴殿は第十識界に入ってください。】と言われて、第十識界とは創造神のレベルと言われており、いくら何でも無茶ですと答えましたが【識】と呼ばれる存在が解って来ますと、神と呼ばれる存在に対する概念は【イエス】を通してのみ解る様なものでは無いと解って来ます。逆にイエスは神とは何かが解っていなかった。いまだにイエスだと持ち上げている天使などは、泥池に入って修業のやり直しが必要だと言えます。

 

 大本教の出口王仁三郎聖師は自身と出口なお開祖は、聖書の【キリスト】登場前に出る男女の二人の預言者であると述べられましたが、キリストは【真理】の意味で在り。イエスはそれには該当していないがあったわけです。神と呼ばれる存在を説いていても、霊的世界の説明が何も出来ていなかったからです。

 

 魂(玉思惟)は玉型で有り。丸い玉ならばどんな球でも【心棒】が存在し、その心棒は悔い改めるの【杭】であり。棒は日本で神を柱と呼称する【神柱】です。大本教神論が予告した九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)が本当は【ラ】音であることから【艮】の漢字に点(天)を付けて【良】、私はその心棒を【人に内在する良心神】と名付けました。それは日本の古神道で説かれて来た魂は【一霊四魂】の構造で、その直霊は【天帝の分魂】とする事柄で、その天帝の分魂の働きは人の良心を司っているとされて来たからです。

 

人は誰にも天帝の分魂たる良心神が備わる【神の御子】

 

 それを朝鮮に残されていた最後の審判前に救世の為に【米一字】の教えが起きるに当てはめると、大本教から出された【みろくは「369」で「56億7千万」】の数字を導き出すことが可能であり、それがすなわち本当の【キリスト(真理)】のことであると解って来たなのです。

 そしてそこには一連の方程式が存在したなのです。

 

艮金神国常立尊=牛頭天王=閻魔大王=旧約聖書の神

 

日本で天は【天之御中主】で地は【国常立尊】の同神

 

 私は自分が霊界見聞している中で、自分の背後には閻魔大王と呼ばれる存在が見られ、自分には地獄界に落ちている霊を救う能力が有ると知りました。いくら自分には霊能力があるからと言っても、霊を勝手に救うことは【天則違反】に問われます。しかし閻魔大王の許可の元であれば、自分の持っている徳分(良心神)の範囲で有れば他の人にその徳分(良心神)点を差し上げることで罪の免罪符の発行が可能となります。

 すなわち西洋におけるイエス一人が主の御子で、人類はイエスを通さないと創造神に出会えないなどは根本的に間違った教義であるなのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨み。【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け。】と命じられた時には【愛】以上の教えが存在するのかと思っていましたが、自分の罪は自分が払う。カルマの原理原則に従えば、これまでの謎的なことは【良心神の点数】で説明が出来ます。私はそこに万物を創造した神の存在が認められると言うのです。

 

 私は大本教神論が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)】が【ラ】音で、それは【艮】の漢字に【点(天)】を付けて【良】の漢字にする時、お釈迦様は菩提樹の下で【悪魔は実体を持たない現われで、人に良心と呼ばれる神が内在している。】と悟られたとの記述の経典が有ったと解って来たなのです。お釈迦様が出られたのは今から二千五百年から三千年ほど昔の話であり。それは正解なのか不正解なのか?。はありますが、私は大本教の仕組みから、それらを仕組んだ神はお釈迦様の守護神であった祇園精舎の【牛頭天王】であろうと見るのです。

 

 私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたには何の力も与えない。そなたにこの神の力を与えるのは最後の最後の時である。神界の御用に働くのは肉体のそなたに非ず。そなたの魂の方である。そなたの魂は本当は何者なのか?。それは神々には解らないようにしておく。そうであってもそなたは本当は誰かと見抜くような神で無いと、この神の御用の使い物にはならぬ神である。肉体のそなたはバカを演じていればよい。】と告げられました。

 さらに【されど(そなたには何の神の力も与えないが)、そなたの教えを信じてその教えの内容に従う者達は、終わりの日にはこの神たる私が一人残らず救おう。何故ならばその者達はこの私の教えを信じた者達だから。】とも告げられたなのです。

 

私は創造神と呼ばれる神の教えを携えている者?

 

 私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫は私に【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と呼ばれる物に等しく、貴方の言葉による教えは聞けないと言う神は如何なる地位にある神とて、その時には天帝に対する反逆罪として天帝から罰せられます。】と告げられました。それは私が天帝の教え(詔)を携えている者と告げられたなのです。それが【大本教神諭予告の九つ花に咲く一輪の言霊を導く米教】と呼ばれる物なのです。

 それは私が子供の時に旧約聖書の神と称する声から告げられた【そなたの教えに従う者達は一人残らずこの私が救おう。】の内容なのですが、問題は私が子供の頃から聞いていた旧約聖書の神と称する声が、本当に旧約聖書の神たる本物なのかどうかにあります。もしかするとそれは贋神かも知れないからです。

 

 その【そなたには何の力も与えない。】となると、人は私には寄って来ません。人が神と呼ばれる存在に期待するのは自分の魂磨きでは無く、この世は自分の魂を磨く場として成り立っていることすら理解するでもなく、スピリチュアルが説く【この世は遊ぶ処】で、自分の魂が前世に起こした罪から起因する病や困難に打ち勝つ努力をするではなく、そのカルマが消えて行く過程の病や困難を取り除いてくれる神霊を求めるなのです。それが例え悪魔であってもです。幾多の宗教開祖がカルマの原理原則が解らずに、人助けの為の霊力を求めて悪魔に自分の魂を売ってしまったなのです。

 

悪魔は愛は説いても、良心神は言わない

 

 自分はどうしてこの世に生まれて来たのだろう?。どうして自分は他の人と違って、こんな苦労を背負わせているのだろうか?。そうしたことを何も考えないなのです。

 

この世に降り立った魂は現世御利益で【真理】を求めない

 

 自分の魂を汚してしまいますと、その魂の汚れを洗い流すにはそれなりの【努力】を必要とします。他人様以上の努力です。そうしたことが解っていないと、魂を洗い清める労力を放棄してしまう人達が出て来ます。そうした人達に【神の愛】という言葉を出して、自分の魂の汚れを洗う作業を放棄させてしまうのです。そうした人達を厳しくたしなめると、【あいつは鬼だ!。】とか逆に【悪魔だ!。】呼ばわりされるとなります。

 日本の諺に【良薬(りょうやく)は口に苦(にが)し】があります。それが良薬と解っていても、薬が苦いと人はその薬を飲まないとなります。

 

 私は霊界修業に入って著名な某霊能者に私の魂の霊査を頼み東京に行ったところ、その霊能者の方から【仏(通常の霊)の声が聞こえる者は千人に一人は出て、神の声が聞こえる者は万人に一人は出る。されどそうした者が万人修業しても本物と呼ばれる霊能者は千人に一人か万人に一人程度しか出ない。その本物の霊能者になれなかった者達は、「魔神」と呼ばれる存在に食べられてしまう。】と聞かされました。

 それはその霊能者の方以外の霊能者の方からも、霊の声が聞こえるからと言ってうかつに霊世界に飛び込むと修業の途中に【天魔】と呼ばれる存在が入り、多くの霊能者がその天魔の餌食に成ると言われます。私を指導してくれた豊受姫の御代であった最初の師匠も、自分の元にそうした霊が見えるとか霊の声が聞こえるという人が相談に来ると、霊界は騙されてしまう世界だからと言ってその霊能力を封じていました。

 すなわち霊が見えるとか霊の声が聞こえるは、自分が特別に選ばれた者ではなく、自分が前世で何らかの罪を背負ったなどの理由が多いのです。自分は相談者の前世が見えると豪語していても、自分の前世は自分には見えず、自分の過去世の行いで神界からの【罪と罰】を受けて、霊界の奉仕者に成っている理由が解らなくなっているなのです。自分に霊的なことが見えることを選ばれた者と勘違いして金儲けに走ったら、その罪がより深くなるのです。逆に金儲けではなくて霊界の奉仕で動けば自分の過去の罪が消えて行くなのです。

 

私は霊的世界を見聞して、人類は霊が見えなくて正解

 

されど霊的世界が解らないと神の存在が解らない矛盾

 

 そこに来るのが霊的世界に関わる時、霊的世界を金儲けの対象にしてはいけない。霊的世界は【奉仕】の立場を貫く。

 

 何故に多くの魂が【悪】に走ったのか?。私はその多くは汚れの黒龍神と呼ばれる存在に憑依された神々に在ると見ていましたが、何故にそうした黒龍神が発生してきたのか?。そこが謎でした。

 

西暦2023年の5月5日のみろく大祭の後、出たのは「煤」

 

神は火水(かみ)で、火のエネルギー放出時に「煤」が出た

 

 スピリチュアルだ!と叫ぶことに走り、【神は光だ。】と言ったところでその光は【火】が燃えているのであって、その火には【スス(煤)】が生じるのです。その魂が何の悪行を犯さなくても、魂にはそうした【スス(煤)】が着きます。さらに霊界からのチリや埃の類も魂の表面にそのスス(煤)と一緒に付着して来るのです。

 

 私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この世では神の舞台を演じる。その舞台に立つ役者には善役もあれば悪役も必要。見事な悪の役を演じてくれるならば、継ぎの舞台には善役の主演もある。神の舞台の上での悪の演技は咎めない。されどその悪の役の演技に必要であった化粧は、この世の舞台の終演に当たり落とさないと行けない。】と告げられたのです。その化粧は【洗い流せる?】なのです。

 

この世で悪を演じる為の化粧?。魂に着けた化粧とは?

 

 西暦2023年の5月5日以降、神界の上層階の流れは明らかに変わりました。

 西暦2023年の5月5日はみろく大神を世に告げた大本教では【みろく大祭日】としていますが、この5月5日は子供の日で行楽の行事に費やすよりも日本神道の神信仰であれば、【神の元に参拝日とした方が個々の魂の向上には都合が良い日】であるとは言えます。

 神の世界から人間を見れば【人は神の子】であって、親元に挨拶に行くです。

 

 大本教が起きた明治25年正月の大本教神論には【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれども、モウ一厘の肝心の事は判りておらん。】とありますが、私が神霊界に修行に入って驚いたのは、神霊界の末端の御神霊達は誰も世の立替に関して御存知無いにぶつかったなのです。

 

末端の神々が誰も知らないで、世の立替等あるのか?

 

 スピリチュアルと称している方達の多くは四次元界スピリチュアルと呼ばれている中有界や地獄界を主体とする霊世界で、高次元界の御神霊に関わっておられるではありません。それは行者の世界で千人に一人は仏の声が聞こえる段階とされる霊世界の話であって、神界の末端の神々が世の立替など何も知らないと言われる状況下では誰も語らないでしょう。

 すると大本教神論の世の立替説の内容は疑わしいとなりますが、神界上層部の神々は世の立替は必ず起きると言われます。

 

 西暦2023年のウサギ(右左岐)において、右に行く霊。左に行く霊の確認は出来ましたが、ようやく5月5日のみろく大祭を過ぎて多くの霊が【神の高山】に向かっているが見えて来ました。

 一部の霊能者の方は、【貴方が出口なお師や出口王仁三郎聖師に命じて大本教を創らせた張本人ではないか!】。そうしたことを言われますが、私が大本教を創ったではなくて私の本守護神とされる艮金神国常立尊が創らせた支配下教団が大本教ではあるなのです。

 

 艮金神国常立尊(旧約聖書の神)様は、私に【自分の教え(九つ花に咲く一輪の言霊の経緯)に従う者達は、永遠に嬉し嬉しの世に導く。】と言われていましたので、ようやく霊界でその動きが出て来たのかも知れません。

 

 

 

 

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