イエスやマホメットの時代の世界宗教は天国と地獄の二元論であったが為に、我が宗派の教えを信じれば天国。異教徒は地獄に堕ちる。実に単純な教えをして来たことでイエス一人が救世主などのバカげた教えもまかり通っていました。スピリチュアルで出て来る天使長ミカエルとか大天使ガブリエル等と名乗る霊に問題があったなど、今日まで解りようがなかったと言えばそれまでですが、誰もその天使と称している存在を頭から疑わなかったなのです。
私は子供の頃にキリスト教の教えに疑いを持ったのは、自分が犯した罪は自分が払う。自分がした罪の償いをするのは当たり前なのに、それを誰かに押し付けて、その罪から逃げることが本当に正しい道なのか?。他の人の罪を自分が被ることが正しい愛なのか?。他人に自分の罪を押し付けて逃げられると説いているのは本当は悪魔達では無いかの疑いです。私は子供心に天使長ミカエルとか大天使ガブリエル等と称する霊の存在に疑いを抱いたなのです。
私は幼稚園児の時、キリスト教会に行き。磔になっているイエス像に対して、私は必ず貴方を磔の十字架から救ってあげると心の中で叫んでいました。その当時から私はキリスト教は間違った教えの宗教だと思っていたなのです。自分が犯した罪の代償は自分が払うのは神以前の問題なのです。
しかし世界の宗教がどうしてそうした間違いを平然と犯しているのか?。それは大本教の霊界物語を読んで、日本書紀で創造神と記載されながらも日本ではほとんど知られていない神。ウシトラ金神国常立尊にまつわる神界での御隠退劇の経緯を知るまでは、私も解らなかったと言えます。そして解ったのは、私自身がその国常立尊様の御隠退劇に深く関わっていた魂であったなのです。天人界からそうした指摘を受けて、私がそれに深く関わっていた以上、私もその責任の一端は逃げられないと解って来たなのです。
人類は聖書の蛇の囁きが原罪の意味を理解していない
私は旧約聖書の神と称する声から【旧約聖書は我が書なれども暗号書で、暗号を解く鍵を持たないと意味が解らないように創ってある。新約聖書は人の子達が集まって為した書であって、私の書では無い。イエスは我が子には非ず。私では無い他の高い神の御子である。】と告げられたのです。そのイエスは「他の高い神の御子」の高い神が誰か、なかなか解らなかったがあります。
イエスは旧約聖書の神をサタン(悪魔)扱いにしています。またキリスト教の教義では冥府の長官(閻魔大王)もサタン(悪魔)と定義しています。イエスが言う父なる神はいったい誰を指したのか?。
大本教の出口王仁三郎聖師は国常立尊様が蛇霊に憑依された神々の多数決で地上神界の主催神の座を追放された。その座を襲ったのは盤古大神と記しておられます。その盤古大神は西洋ではゼウスと呼ばれている神です。確かに西洋で語るゼウス神であれば、大本教霊界物語の記述と整合性は取れます。すると聖書には如何なる意味があるのかとなりました。そこに見えて来たのは聖書は【迷える羊】達に対する書で、迷える羊達でいれば【狼】に食べられるです。
良心神を説かない獣が【狼】で、迷える羊達を餌にする
救世主とは、その迷える羊達を【義の経】で正しく導く
私は大本教神論予告九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)から、人の魂に内在する良心と呼ばれる天帝の分霊の存在に行きつきましたが、それはお釈迦様の本当の悟りであった人に内在する良心神でした。その働きには【義】が生じます。
良心神の働きである【義】は、【我れは羊】を演じる
もし自分が生まれた国がキリスト教でそれが国教であったとしても【自分の中に義の経】があるならば、仮にイエスが主と呼ばれる神の御子であったとしても、その存在に自分が犯した罪の償いを押し付けるでしょうか?。私は押し付けないと思います。
人は神の子で神の奴隷では無い。自分の罪は自分で払う
現代の霊学では霊界と言っても第一天国界、第二天国界、第三天国界。中有界。第一地獄界。第二地獄界。第三地獄界の【七層】の存在が語られます。その七層とは日本では神世七代とか、光は七色、聖書の神は六日でこの世を創られて七日目を安息日とされたの七の数字から来ています。また予言教団として知られた大本教は女子の教祖で七代続くで出されたのも【七】の数字です。
この第一、第二、第三天国界の住人は仏教の諸仏に当てはめると意外と理解しやすいのです。第一天国界は如来界で【如来の叡智】と呼ばれる物が要求されます。第二天国界は【菩薩や明王】と呼ばれる段階で他人を助ける段階が求められます。俗にいえば世の為、人の為に尽くした存在です。第三天国界は仏教で出家をした修行僧を【羅漢】とした様な、神仏の存在を信じる信仰の立場が要求されるなのです。
その霊界の段階は優秀な霊能力者からは【次元界】として語られており、その霊の名乗りが如何なる高い神の名前であっても、その魂の格は次元で表現することが出来ます。この日本で救世主の名乗りを上げた方は自分は七次元格の魂との主張が多いなのです。例えば七次元よりの使者で知られた五井野正博士は熱狂的信者からは救世主と呼ばれておられた。ヨガの大家としても知られた本山博博士等も自分は七次元界の魂の主張で、巷で自分が救世主ですと名乗りを上げている方も自分は七次元格の魂の主張が多いなのです。
霊学に関与する霊能者の間では、お釈迦様にイエスに大本教の出口王仁三郎聖師は八次元格の魂と見做す向きが多く、弘法大師やマホメットは七次元界です。多くの宗教開祖も七次元格とされている方が多いなのです。ただそれはこの世に出る前の出身たる次元界の話で、そうした宗教開祖も死後は地獄界に堕ちているとされる方が多いのです。
そこに幸福の科学の総裁大川隆法氏は自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体の永遠の仏陀だと、勝手な主張で九次元界だと名乗った経緯があるのです。御釈迦様が八次元格とされるならば当然にその上の界と名乗るであれば九次元界となります。それにしてはその霊示集には明らかな間違いが認められるなのです。本当に九次元界以上の魂ならば、そんな誤った論理をするかです。
私の元には自分は救世主なので、自分を救世主と認めて欲しいとの依頼が多々来ました。そうした方達の言葉を聞いていますと、そこに【如来の叡智】が認められません。霊力的には六次元界位の霊力の保持は認められますが、叡智が根本的に欠けているがあります。
スピリチュアル標榜でいくら霊は見えてもその魂に叡智が足りないと、霊界の高い神名を名乗り出て来るニセ霊に打ち勝つことが出来ません。その正体が見破れないのです。世に言うサニワ(審神)とは、そこに如来格の様な叡智の保持が必要なのです。論理で打ち負かしてその正体を暴くです。おまえは蛇霊だな!。狐霊だな!。です。宇宙人と称していても爬虫類宇宙人と呼ばれる様な存在だなとなるのです。
審神者とは宗教を起こすような霊力は保持しませんが、代わりに【叡智】と呼ばれる力を持ち、そこに出て来る霊の叡智と戦います。その霊がどれほど叡智を持っているかで、その霊の霊界での地位を判断するなのです。その霊が邪神で、その邪神が説く教義に騙されてしまうようだと審神(サニワ)者は失格なのです。
世に知られていないのが、審神者が出す言葉は剣と化す
霊界に関わっていますと、当然に【如来】と称する霊にもぶつかります。しかしそれは如来と名乗っているだけで、その霊に本当の【如来】として叡智が備わっているではないのです。
私達日本人は古代の天皇が仏教を日本の国教と定められたことにより、ほとんどの日本人は仏教徒です。そして観音様と呼ばれる存在は私達日本人にとってはとても馴染み易い仏と言えます。
観音様に助けられた人は多いが、で観音とは何?
私は稲荷神界で修行中、瀧場の観音堂に安置された観音像から観音経を聞かされて、そのお経のどこにもブレス(息づかい)が無かったことから、霊は私達の様な【空気呼吸】をしていない。空気が無い世界でも生きられると理解しました。
その観音様は【菩薩】として日本では知られますが、どうして【如来】では無いのか?。そうした疑問が出ます。その理由として観音様は非常に慈悲深い。人を助けることが主眼となっていて、如来としての【叡智(悟り・覚りの分野)】が足りていないとする説があります。確かに観音様と呼ばれる存在には【蛇霊系】が多く。多くの人を助けたい助けたいという思いからの蛇霊と化しておられるがあります。
そこに在るのは天帝から見た時、人類とはどのような立場にあるのかなのです。
人を助ける力を欲すれば、自身を蛇霊と化す覚悟が必要
いくら人を助けるは善行でも、過度の助けは間違いの元
そこにはこの世の立ち位置が宇宙的にはどうなっているかがあるのです。この世は天人の苗床とも言われていますが、宇宙的には出来損ないの魂の修業場説もあります。宇宙の刑務所説もあります。本当に魂が磨けていれば、この世には降りて来ないとも言われています。そこに悟りを得られたお釈迦様は、自分は二度とこの世には降りて来ないと言われたがあります。
この世に降りるのは【強制】されたのではなく、自分自身が承知(契約)して降りているのです。そこに来るのが魂の契約の示しの【禊】の文字なのです。その魂磨きの契約の示しを無視して来るのがスピリチュアル標榜者なのです。
この世は魂に欠点がある者が、魂の更生をする為に甦る
だがこの世は単なる魂の更生場ではなく、霊界に居ても魂の成長が進みません。それは霊界そのものが悠久の流れで、何の変化も無い様な時の流れの中にあるからです。それは天人と呼ばれる霊人達を見れば、いったいこの人はどんな時代の人なのかと云うような服装をされているからです。それが何万年前なのか何百万年前なのか解らないようないで立ちと言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師はこの世は天人の苗床と説かれましたが、この世に降りることによって魂は一気に上界(階)に行ける魂磨きの場所でもあるなのです。例え地獄から赦されて出て来たような魂でも、今生のみで第一天国界(如来界)に進める場です。だがそれはスピリチュアルの様に【この世は遊ぶ処です。】等と言っていれば、貴方はいったいこの世に何を目的として修学に行ったのですかと問われるのです。
この世は地獄から出た魂も、一気に第一天国界に行ける
その一気に第一天国界迄も進める教えが朝鮮半島に残されていた最後の審判前、救世の為に「米一字」の教えが起きるであり、大本教神論に記載される【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】なのです。で、私は私が出した米の教えを完全に理解出来るならば、霊界でイエス程度の段階には行けると記しているのです。
私から見ると多くの魂は第一天国界,すなわちお釈迦様や如来達が住む世界に一気に行ける場に居ながら、そのチャンスを無為にしている。実に【もったいない】ことばかりしていると思えるなのです。
私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に対して【私はそなたをゼロの位置からスタートさせる。】と告げられました。そして【そなたは上の界の格付けからスタートさせるのではなく、一番下の界からスタートさせる。この世の泥を啜って上がって来い。】と告げられたなのです。
私がある自称救世主を救世主と認めずに赤子扱いにしたことで、その自称者は自分に時間さえあれば貴方の教え程度など簡単に行き着けたと言われましたが、時間があれば行き着けるではないのです。その方は自分は七次元界の魂と告げられましたが、その方の背後の御神霊は三輪山の黒龍神とのことですが、三輪山の神は私が居た霊界の次元格を御存知無いなのです。
豊受姫は貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物で、如何なる地位にある神でも貴方の言葉による教えが聞けないとなれば天帝に対する反逆罪で裁かれますと言われたように、天帝と呼ばれるサイドが組み立てた仕組みの解説なのです。
仏教における妙法蓮華経の真意とは
根は泥の中でも水面に美し白蓮の花を咲かせる仏に帰依
この世で泥を啜ったことが無い者は天使と呼ぶ資格なし
スピリチュアルで言うエンジェルとは、この世の泥を啜った経験が無い霊界の赤子達なのです。可愛いという事柄と、さほど叡智を持たない存在は同じ世界に同居するではないのです。私がスピリチュアルでエンジェルと呼ぶ霊界の赤子を見たら、つまんで泥池に放り込んでやります。当然に私は鬼とか悪魔呼ばわりされるでしょうが、魂を磨くとか成長させるにはそうした泥被りが必要なのです。
創造神は鬼とか悪魔と呼ばれても、魂を磨かせるを主眼
それはこの世の下の界で自分の悲哀を訴えて、あんたは上の人だから下の自分の苦しみがまるで解らないのだ。そうした声を封じる為に、新しいみろくの世で上に立つ者は、今の世では自分自身が下の界で苦労して上の界に這い上がる必要性を言われたわけです。
この世に降りている人達は、皆、元は神の地位なのです
為に主神の恩寵として、自分が犯した罪を思い出さない
私は仏教徒の立場で稲荷神界にも関わったことで、祝詞の他に【般若心経】の御経を多用し、それなりにお経の威力も知りました。その般若心経は、お釈迦様の弟子である【舎利子】に対して【観音菩薩】が説かれる内容です。般若心経に示される内容は【叡智】が足りないと、とても理解出来る様な内容ではありません。そもそも御経に書かれた【識】が、どれほどの人に理解出来るのか?。があります。
ただ確実に言えるのは、如来として出る次元界と菩薩として出る次元界とでは、次元界の格の違いが生じて来るなのです。この霊界は次元格で大きく違うが理解できると、天国界も第一、第二、第三が在ることが解って来るのです。
第一天国界は【覚悟】の世界で、悟りや覚醒が必要
第二天国界は我れ羊の義、牛と羊の犠牲心で神上がり
第三天国界は神仏の存在を信じて、信じる者は【儲かる】
ただ神仏の存在を信じたから天国界では無く、天国界に入るには口酸っぱく説いています【善徳-悪行=徳分(良心)】点であり、スピリチュアルのこの世は【遊ぶところです。】等の言葉に乗せられていると、徳分(良心)点がまるで足りていないことから中有界や悪くすれば地獄界に行くとなるのです。
私はインドのサイババが日本のテレビのクールの前で、霊界からの贈り物だと取り出した腕時計に日本のセイコー社の刻印が入っているを見て、それは霊界からの贈り物では無く、この世のどこかに在った物を取り出したに過ぎないと解りました。ただそれは手品な様に最初から仕組んであったのではなく、即座にサイババの背後の霊団が瞬間移動でサイババの手に持って来たなのです。ただ多くの人にはその種間移動をさせている霊的存在が目には見えていないなのです。
あの時、サイババは自分が霊界からの贈り物だと出して来た腕時計にセイコーの刻印が有ったことに気が付かずに日本のテレビ局のクールに見せたのは、サイババ自身に叡智の欠如が見られるなのです。日本語が解らなかったとしても英語で刻印されており。サイババに叡智があれば、それはどのようなメカニズムの下なのか、そこに知恵が回ったはずなのです。
私は伏見稲荷山で霊界修行の足を踏み入れると、世に【奇跡】と呼ばれてる現象は全て霊的世界が動かしている【種】の存在に気づきました。それは霊界における瞬間移動等のメカニズムの行使には霊的エネルギーが必要で、この世にいる私達はその霊的エネルギーを使っている存在に関して、あまりにも無知的状態であると解って来たなのです。当然、それはイエスにも言えます。
世に言われるイエスが見せた奇跡の数々も全て霊界のエネルギーが作用したのであり、そのエネルギーを使ったからと言って、イエス一人が主の御子などの論は何の証拠にも証明にもならないなのです。
私はある著名な霊能者に私の霊査を頼んで東京に行きました。その時、その著名な霊能者は私に【霊界に創造神が存在しなければシステムとしておかしい。しかし霊界のどこを見ても創造神と呼ばれる神が存在する痕跡が見当たらない。】と言われます。私はその時、その痕跡は【艮】の漢字に秘められていると口にしようとして止めました。この著名な霊能者にそれを言っても、それを理解されるだけの叡智は無いと見たからです。
創造神が人類の前から姿を隠さないと、【今】が無かった
この世は魂の修業場で、修行に【今】と呼ぶ時期が必要
私は何故に自分が盤古大神に拝謁したのか?。その背景には地上神界の主催神の座が盤古大神から元の元津神【宇志採羅根真】国常立尊に戻すを最高神界(第一天国界より上界)の決定がなされたなのです。その国常立尊様が地上神界の主催神に復帰を支援する為に、天之峰火夫皇大御神と呼ばれている宇宙最高神が人類の上に間もなく臨むなのです。この天之峰火夫皇大御神が存在する神界とは、既存の第一天国界よりも更に上界にあることから世に出ておられる神達はその存在を知らなかったのです。が、大本教の出口王仁三郎聖師は、第一天国界(神界)よりもさらに上に神々も知られざる天国界(神界)があると述べられたなのです。
されど天之峰火夫皇大御神はあまりにも謎で解らない神
私は豊受姫から【貴方はこの豊受をもってしても見通せない霊界の壁に隔てられた神界からコントロールされている。】と告げられました。豊受姫は国常立尊と呼ばれている御神霊とは深い関係があり。国常立尊様のことは御存じなのです。それは国常立尊様では無い神の存在を言われているなのです。
その天之峰火夫皇大御神が出現されることで
霊界は八界層に成り、第七の世から第八の世へ移行する
何故に聖書は神は六日でこの世を創り、七日目を安息日としたのか?。ダルマ(真理)は何故に七転八起にしたのか?。この日本は何故に神世七代としたのか?。大本教の出口王仁三郎聖師は何故に大本教は【七福神の舟遊び】としたのか?。そうしたことを知るには、既存の宗教の教えを持ち出してもそれで理解することは不可能だと言えます。
私が出した【米の教】を完全に理解出来た人はお釈迦様の叡智たる【悟り】の域に達し、二度とこの世には降りない【卆業】免状が付与されます。
私が出したブログは読む方は魂の点数が少しづつ上がって行くことは確認出来ていますが、お釈迦様が住まわれる域に達するにはそれなりの【理解】力は必要なのです。
米教は一銭の金も払わずに、自分の努力で天人界に進む
人々がお釈迦様の域になれば、この世はオシャカでいい
創造神たる艮金神国常立尊は【牛頭天王】の相をして、仏教の祇園精舎の守護神としてお釈迦様の守護神役に任じられたのか?。それは全ての人がお釈迦様の悟りであった【人に内在する良心神】を取り戻すのであれば、その時はこの世はオシャカ(不良品)にしてもよいなのです。何故ならばこの世はこの世に降り立った魂達がお釈迦様の様な悟りを得ることを目標に創られている世界だからです。
そこに人々がお釈迦様の悟りを忘れた頃、みろく(369)を持って五十六億七千万の数字からお釈迦様の悟りを導き出す仕組みを計画されたなのです。その主たる任務を課せられたのが世に予告教団と言われた大本教で、旧約聖書に予言しておかれた男女の二人の預言者を世に出し、艮金神国常立尊(閻魔大王で旧約聖書の神)の存在を宣伝させた。そしてその解説に【神の言葉、言葉の神】と呼ばれている存在を世に出したなのです。
キリストとは【真理】の意味で、イエスのことでは無い
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