宗教界では我が宗派の教えを信じれば天国界で、異教徒は地獄界に落ちる。それは宗教宗派を問わず定番の教えですが、各宗教が説く教えは全てバラバラで宗教間の教えの違いばかりが浮き彫りになります。それが宗教間で戦争の原因を創っています。
宗教が【真理】を説いていれば、その教えに違いは無い
だか宗教を見ても、一部しか【真理】が説けていない
各宗教宗派に所属する牧師やラビ(司祭)や僧侶と呼ばれる宗教家の頭(あたま)には、自分達が説く教えが絶対で自分が学んだ教えを世界に広めることこそが【正義】であり、神仏の目に適うことであるの覇権主義です。そこには【真理】を知るでは無く、自分の感情や感覚に支配されているなのです。自分が学んできたことが間違っていると指摘されることの怖さです。
例えば自分が法華経を学んでいれば、その法華経を学ぶ自分達を攻撃する者は悪魔的思考です。自分達が知る事柄だけが絶対で、他の教えの確認をしていないなのです。それは私達が今日まで見て来た宗教世界の状況です。イエスだ!。アラーの神だ!。で、宗教戦争をするです。
私は人の魂は球体で魂に【点数】が出るを知って、この点数は何だろうと思いました。魂は球体であることは今日迄語られていましたが、魂に点数が出る等は宗教では何一つ語られていません。自分達が教える宗教を信じれば天国で、天国と地獄の違いの説明がなされていません。そこで霊能者の方達を当たって尋ねると、その点数は最後の審判と呼ばれる時に自分が行く霊世界の【最終階段】を決める為の点数で、それは魂が持つ良心の点数だと聞かされたなのです。人の魂は輪廻転生を繰り返していますが、最後の審判の時点で各自の魂の【善行-悪行=良心の点数】が最終審査の点となるなのです。
人の魂の良心の点数で、最終審査を判定するのは誰?
大本教の神論には、艮金神国常立尊が【善と悪とに立て分けるこの世の閻魔大王】として現れるとあります。この文章に触れますと仏教の閻魔大王とは【ウシトラ金神・国常立尊】様のことであるとは解ります。だがその善と悪とに立て分ける良心が何故にこの世の【エンマ大王】に成るのか?。
魂の【円真】が審査する?。エンマ大王とは何の意味?
人の魂にその人が持つ良心の点数が出るのであれば、人が死後に行く霊界には天国や地獄と呼ばれる世界があり。それは自分の魂が持つ【良心】の点数の判定の結果だとするならば、それは誰しも納得は出来ることです。しかし世界の宗教を見ても、【人の魂に良心の点数】が出るなど書かれていないなのです。それはキリスト教のイエス一人を創造神の御子と拝んでいれば良いの話では無くなるからです。スピリチュアルの神は何をしても神の愛で赦されるでもないのです。
人の魂に良心が存在する故に、善と悪との戦いが生じる
されど【善-悪=良心】など、宗教として成り立たない
日本古来の神道界が説く魂は【一霊四魂】の説明ならば、その魂に良心の点数が出ることは何ら不思議ではありません。しかしながらその一霊四魂に関して大本教からはそれなりの説明がなされましたが、伊勢神宮の天照大御神と称して鎮座されている御神霊も出雲大社に大国主命として鎮座されている御神霊も、その【一霊四魂】の具体的な説明がお出来にならないにぶつかるなのです。
私は伊勢神宮に鎮座する御神霊や出雲大社に鎮座する御神霊からその御神霊の【神の御代】役を所望されましたが、それは各御神霊も【一霊四魂】を説明が出来る者を自分の御代に使わないと、多くの信徒にその説明すら出来ないがあるからです。
為に神霊世界は人の身で神の世界を語ることが出来る肉体を持つ者をその神の御代として使います。神霊界ではそうした人材の取り合いとなるのです。そこに神の御代と成る人達(宗教開祖等)と単に霊が見えるが神の御代にはとても使えない者(スピリチュアル的)に別れるのです。スピリチュアル標榜者でも神の御代が務まる程の人材であれば、神霊世界が放ってはおきません。
神霊には神界での階級が有り、上の神界が見えない
神界の説明は神霊では無く、人の身でないと語れない
私は子供の頃、仏教徒の子である私に【旧約聖書の神】と称する声が臨んで来るのを不思議に思いました。で、豊受姫に私の背後に存在する御神霊が誰かをお尋ねしたところ、【貴男の背後は天之御中主であり国常立尊である】と聞かされたなのです。天においては天之御中主名。地においては国常立尊と呼ばれている神。世に創造神と呼ばれている神だと告げられたなのです。しかしその神名の違いに関して説明はありませんでした。その豊受姫は、詳しいことは自分で調べて学びなさいで常に努力を求められた。
その後私が見たのは仏教において【閻魔大王】と呼ばれている存在だけです。大本教において告げられた御神霊とは【ウシトラ金神・国常立尊】であり。そのウシトラに関しては大本教神論は【牛虎】もあるぞよとあり。閻魔大王で仏教の祇園精舎の御守護神【牛頭天王】であることは明らかにされています。
最後の審判の旧約聖書の神とは、仏教の【エンマ大王】
丹波の片田舎の綾部で発祥した大本教と呼ばれる宗教から発せられた艮金神国常立尊の発信内容が旧約聖書の神の発信内容にあまりにも似通っていることから、その類似性が言われていました。しかも大本教の出口王仁三郎聖師は自分と出口なお開祖は旧約聖書に記載される【キリスト登場前に現れる男女の二人の預言者に該当している】と言われたなのです。確かに旧約聖書で予言された男女二人の預言者とは、大本教以外からは出ていません。するとそこにイエスは本当は何者であったのか?。そうした謎が出て来ます。
旧約聖書、自分が蒔いた悪の種の果実は自分で刈り取れ
もし自分に良心があれば、イエスに罪を押し付けるか?
なまじ誰かを【救世主】に仕立て上げて、その人に自分の罪の償いを被せる。そんな教えが堂々とまかり通っている。いったい誰がそんな間違った教えを世に広めさせたのか?。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、その声は私に【この世は魂の修学の為の場である。人がその修学の場で作った罪や汚れは、その修学の場たるこの世界に置いて元の魂の世界に帰るが、またこの世に降り立った時、その修学の場に置き残した事柄(カルマ)を学ぶ。】と告げられたなのです。
そこに人の魂は【更生】の為に【後世】に【甦る】
さらに旧約聖書の神と称する声は【人が修学の場たるこの世で犯した罪の解消は、自分が他の人の罪を肩代わりしてやろうと思うのであれば、自分の魂が持つ魂の徳分(善-悪)の中からの善の放出で無いと、逆に自分が助けたいと思う者の罪を代わりに被って地獄界にと向かう。】と、世に言う【救世主】論は間違った教えであると言われたなのです。
贖罪とは罪の売り買いで、善の積金が無いと払えない
スピリチュアル標榜者の神は愛だから何をしても赦されるは、地獄界にご案内なのです。
人は誰しも【カルマ】を背負う以上、救世主は居ない
私の元に【人に内在する良心神等と、ごちゃごちゃ説かなくてもイエス一人の様な救世主が出てくれば簡単に済む話ではないか。】とメールを送って来られた方があります。仮にイエスが今の世に出て来ても全キリスト教徒を助けることなど出来ないのです。それは自分が持っていた徳分を放出すれば、徳分を持っていた時点ではその範囲で人を助けることが出来ますが、その徳分を全て使い切った後に大量に押し寄せる信徒の罪を背負ってしまうと自分が地獄界に落ちる。その認識が出来ていなかったのです。
巷に自称救世主と名乗る方達はあまたありますが、その信徒達を見れば自分が犯した罪を解消する道ではないのです。その自称救世主の肉体は知らずとも、その魂は地獄界で自分の王国を創って君臨しようとしているが本音にあります。そうしたことは肉体の教祖と話していても解らないがありますが、魂だと本音を語って来るなのです。
肉体は本音を隠すが、魂は本音を出すので審神をする
そこに、何故に宗教はそんな単純な論理すら見落としたのか?。が出るのです。日本神道界では神霊を【審神(サニワ)】する事を説きますが、スピリチュアル標榜者は審神(サニワ)の重要性を無視します。蛇霊や狐霊が名乗る神名を頭から信じるです。そこには奇跡の現出で神霊を判断しようとするからです。
人の魂は審判の日迄、点数を上げる為にこの世に出る
最後の審判日は解らないで、神仏世界は危機感が薄い
神仏が住む世界とは、この世に住む私達からすればあの世と呼ばれる死後の世界のことですが、実際はあの世とは【単なる死後の世界】ではなく、魂本来が住む世界で【本地】なのです。すなわちこの世に生きている私達は【一時期】をこの世で過ごしているなのです。
この世は仮初(かりそめ)の世とされますが、そこには「仮に染まる」世の意味があります。人はこの世の生き方次第で【天国界の住人】となります。そのことを大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と説かれました。
人はこの世の生き方次第で、天国天人界に進めるが
この世で上に立つと、死後の世界で落ちる【69】
私は子供頃、旧約聖書の神と称する声から【この世は誰よりも下に座る競争ぞ。なまじこの世で上に立つと地獄に堕ちると学べ。】と告げられました。そこにあるのは【6と9】の関係だったのです。
この世は9(苦)界の花で、天界で6(禄)の種となる
私が神霊界を見聞して学んだ事柄は、世界の宗教が説く【我が派の教えを信じれば天国界で、異教徒は地獄界に落ちる】ではなかったのです。大本教の出口王仁三郎聖師は【天国界に案内すると言いながら、地獄界に案内している取次ばかり。】と残しておられますが、自称救世主と名乗る者達に導かれて行った信徒達がどうした道を歩んでいるかと見るならば、この世を終えたら地獄に向かう【亡者道】を歩いています。その地獄道の原因を探ると、その自称救世主達に原因があるなのです。自分に存在する良心神に気づいていない。その教祖の個人崇拝に走った。その教祖やその背後の祭神に【徳分の原資】か無ければ、払ってやれない。
それは信徒達が選んで亡者道を歩いているのではなく、そうした自称救世主を名乗っていた宗教開祖が良心神の存在を理解していれば、そもそも個人たる人を救世主とする論は成り立たないの理解です。その教えが間違っており、それが原因でその信徒達は死後は地獄界に落ちて行くなのです。
どの信仰でも、天国界への判定は善行-悪行=良心点
私は仏教徒で曹洞宗の門徒ですが、お釈迦様を拝んでいれば極楽に往生ではなく、曹洞宗の経典と成る【修証儀】には過去世・現世・未来世の三時に渡って魂を修正する事柄が述べられています。そこには誰かを神や仏と思って拝めば助けて貰えるととは書いてはありませんが、【貪瞋痴(とんじんち)】の教えがなされています。
仏教の貪瞋痴は、救世主を求める人とは真逆の自らの道
この世は魂の世界からすると一時的な世界で、神社や仏閣に鎮まり神仏と呼ばれている存在は【霊人】と言えます。その霊人と呼ばれる存在はスピリチュアル標榜者には見えるとは言えます。しかしスピリチュアルだ!。で見る霊人とは、神霊と呼称していても【万物の創造】等はないのです。
この世を創造したのは神であり、神社に鎮まる霊では無い
科学がいくら発達しても、コンピュータに命は造れない
そしてスピリチュアル標榜で見る神と名乗る霊人達は、霊界の説明が出来ないを露呈して来ます。そこに言われるのが霊界は【次元】と呼ばれてい層璧で遮断されていることなのです。その層壁により霊的世界は第一天国界、第二天国界、第三天国界、中有界、第一地獄界、第二地獄界、第三地獄界の七層の存在が語られているなのです。
霊界はそうした次元界と呼ばれる霊界を隔てる層が在ることは解っても、その実態がよく解らないがあり、自分は三千億次元の創造神だとか100万次元の創造神だとか勝手な事を言う人が後を絶ちません。そこに全霊界を【神の高山】と見なして、高い山を【合目】で言うことからその合目を次元層として語るが起きました。そこに神の高山による【次元】説と、識界レベルで語る【次元】説があり。さらに【天使の記章】と呼ばれる階級章が天使達にはあることから、その霊人の霊界での高さを見るがあります。
霊界は【次元層】の壁で遮断され、神霊にも解らない
この地球上に降りられた今日迄で一番高い魂の持ち主は仏教を開かれた【お釈迦様】であることは間違いはないのですが、お釈迦様は創造神では無いのです。お釈迦様は八次元界から降りられた存在と言われており、イエスも同様に八次元界から降り立ったと言われています。マホメットと弘法大師は七次元界とされているなのです。
ただ識界レベルの判定では創造神を第十識界とすると、お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。マホメット、弘法大師、日蓮聖人は第四識界とする説もあるなのです。
識界レベルとは、その教えがどれほど【真理】に近いか
幸福の科学の総裁で在った大川隆法氏は、自分は釈尊とイエスとモーゼの三体を出した本体たる魂で九次元界の魂だと勝手な名乗りをして、そうだと信じる多くの人を信徒としていました。それはお釈迦様とイエスは八次元界の存在だとする説から、その上の九次元界と言い出されたのでしょう。それどころか、自分は十三次元の魂だと言い出し、その根拠論がどこにも無いがありました。そうした時、それを単に【ニセ者】で終わらせてしまいますと、霊的世界の実態が解らなくなります。
宗教界の自称救世主の乱立は、【真理】が出ていない
宗教と呼ばれる物を起こしていない行者筋の霊能者から、多くの宗教開祖が死後に地獄界に落ちているとの報告がなされています。その宗教組織の背景に汚れの黒龍神や毒気を秘めた赤龍神が見られ、その宗教組織の主たる祭神を務める霊にこの世での病気直しや現世後利益を与える力はあっても、自分に仕えさせ、自分達の為に使った宗教開祖の魂を地獄界から引き揚げてやることが出来ていないとなるのです。
宗教界を操る霊に、閻魔大王の【沙汰】は変えられない?
人はこの世に生まれて出て来る時、その前の【霊的世界】の住人であった記憶は消されてしまいます。それはこの世は魂の修行場であり、そこには魂が輪廻転生していると知られるとまずいがあります。それは今生で生まれた環境が非常に悪かった場合、自分はこんな人生を臨んだのでは無い。違う人生を臨んだのだと、その人生の【リセット】を謀って自殺を企てるが起きるからです。
人の魂は同じ環境に置かれても、それが苦の環境でもその人生を淡々と受け入れる魂もあれば、こんな人生は嫌だ!。こんな人生を望んで自分は生まれ出て来たのではない。こんな環境は受け入れがたい。そんな魂も出ます。同じ環境下に生まれても正しい道を行く人もあれば、悪の道を行く人もあります。
同じ環境下でも、魂の霊格に応じて人は悪や善に走る
天国界に進むだけの霊格を得れば、人は悪に走らない
スピリチュアル標榜者の中には【人はこの世で遊ぶ為に生まれて来たのです。】等と平気で言う方があります。そうした人達の背後には何が存在するのか?。人はそこまで見極められる存在ではありません。霊が見えて霊の世界を語るからと言って、その人は正神界に所属ではないのです。逆に邪神界に導く勢力の方が数は多いのです。いくら霊力が強くても、人品が卑しい霊能力者の方が世に居られます。その背後には蛇霊等が居る等です。それで仮に自分が蛇霊界に行っても、そこは地獄界では無いからです。蛇霊に成ってもそれで良しと思う霊達も多いのです。
日本で蛇霊や狐霊は神とされるが、そこは天国では無い
スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。そうしたスピリチュアルでは神は愛だから、何をしても赦されるで、そうなれば当然に【地獄界】等と呼ばれる世界はどこにも存在しないことになります。そうなりますと、【幽霊】として語られる霊は何だ?、となります。
基本的にスピリチュアル標榜者は、大災害が遭ったような場所では多くの霊が【地縛霊】していることを語りません。もしもそうした地縛化した霊が要る場所に遭遇すると、【あゝ怖い。】で逃げるだけで、そうした地縛化した霊を成仏させるなどの作業もしません。スピリチュアル標榜者の多くは、スピリチュアルは金儲けが出来るで、自分の金儲けに成らないようなことはしないなのです。地縛した霊を無償で助ける霊能者など数少ないのです。ほとんどおられません。
昔、テレビによく出ていた宜保愛子さんという霊能者の方は、そうした幽霊などの低級霊がよく見える方で、そうした場所では幽霊などが見えて逃げておられて、実に解りやすい霊能者でした。お釈迦様の様な存在だけではなく、実際にそうした低い霊が見える方が居ないと宗教の力でどれだけそうした霊を救えるのか実証出来ないのです。その幽霊としての存在が長いと【妖怪】等にも巨大化もします。
スピは金儲けが出来るで走り、自己の魂磨きを言わない
為に霊界の汚れに無関心で、逆に霊界を汚して来た
この世では自己の魂磨きのみならず、一銭の金にもならない【霊界を浄化する】働きをすると、霊的世界での魂の地位を一気に向上させるがあります。それが霊的便所掃除で、霊的便所のみならず霊的汚き場所を清掃する。
これに関する出来事が大本教霊界物語に見られます。便所神とされる大地の金神【金勝要神(きんかつかねのかみ)】に関する内容ですが、通称トイレの神様、便所神と呼ばれる女神で神霊界修行者ならばこの女神を見るがあります。この便所神とされる女神を怒らせると怖いなのです。要は金に勝つ神の神名に見られるように、宗教に大金を払うより【霊的汚れを掃除する】は遥かに価値があるのです。
天人界とは、この世で遊んでいて行ける世界では無いのです。まして金で手に入る世界では無いのです。
創造神の姿は見えずとも、霊世界の浄化に働けば天人界
今日迄の宗教界は、この世の目的が説けていない
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