第九十七話 庭園
──最前線のパーティーは、真っ先に危険に飛び込む責務を背負っている。
カミラさん、ひいては【夜蜻蛉】全体がよく口にする言葉だ。
つまり、弱者に石橋を叩かせるような真似を行ってはならない、むしろ率先して自らが危険に飛び込んで身を晒し、真に誰も知りえぬ未知を砕いてこそ初めて最高の栄誉が手に入るという考え方になる。
Aランクパーティーというだけならフィールブロンにいくつもある。しかし、わざわざそこまでの責任を背負い込み、自らの命を懸けて他の冒険者の規範となって利益を還元しようという姿勢を持つのはこのパーティーだけだろう。
これこそが【夜蜻蛉】がフィールブロンの王者であり続けてきた由縁。そしてこの無茶を貫き通してなお生き残り続けたことで【夜蜻蛉】は神格化されていた。
過去形だ。
いつかは崩壊する無茶が不思議に崩壊をしないからこそ生み出されていた幻想は、ついこの前に崩れ去った。
【夜蜻蛉】は、第百階層の大規模調査に失敗したのだ。
元々織り込み済みの失敗ではあった。カミラさんは目標を最低限の拠点の設営、最悪の場合は下見に設定し、階層主と遭遇した際には即座に退却する準備を万全に行った。
ただ、相手が悪かった。
現れたのは、最強のモンスターこと、“竜”。
開けている第百階層ですら撤退が困難なほどの蹂躙だった。
敢えて言うなら、賢者の私が居合わせたことが不幸中の幸いだった。ヴィムがそうであったように私にも隠し持っていた奥の手があった。
結果から言えば【夜蜻蛉】はなんとか退却に成功し、全滅を回避した。
ただし、死者すら含む、大量の重傷者を引き連れて。
ボロボロの状態でフィールブロンに戻って来た【夜蜻蛉】の評判は、尊敬こそ保ったものの地に落ちた。少なくとも築いてきた神話はその威光を失っている。
以上が【夜蜻蛉】というパーティーが現在置かれている状況になる。
微視的思考で言うなら団長カミラの判断ミス、王者の矜持を譲って他のパーティーが犠牲になるのを待てばよかった、と言うことも可能だろう。
しかしそういう考え方は私たち賢者の領分ではない。我々はもっと個人やある集団の判断、やり取りではなく、巨視的思考である個人が世界に与えた影響に向き合うべきだ。
そう、すべての原因はヴィム=シュトラウスにあると言っていい。
なぜなら、彼という異分子が第九十八階層及び第九十九階層の階層主を倒したことが、すべての均衡を崩したから。
本来なら階層主の撃破とは冒険者たちの総決算であり、戦術や魔術が発達した上で才能が結集すること──つまり、人類文明がある程度の水準を超えて初めて為されることである。そうして階層主という存在を中心に、迷宮と冒険者が均衡を為すことで、順当にフィールブロンは発展してきた。
それを、ヴィム=シュトラウスは破壊した。第九十八階層のみなら緩衝が働くこともあっただろうが、加えて第九十九階層をも解放したとなれば、冒険者総体の知識・経験・技術が迷宮の難易度に追いつかなくなってしまう。
そうしてフィールブロンの王者である【夜蜻蛉】には、その王者に相応しい資本が集まっていない状態で、街に“竜”の危険を知らしめるという責務のみが残った。
今の惨状は、異分子がもたらした必然と言えるだろう。
まったくとんでもない課題を残していってくれたものだ。
迷惑ったら、ありゃしない。
◆
病院の中庭に、中庭全体を覆う大きな布が敷かれている。
布には魔術陣を描いた。見る者が見れば一目で諸々の機密に触れる類の陣なので、【夜蜻蛉】と無関係の患者には一時的に転院を願っている。
私は中庭の中央に立ち、【夜蜻蛉】の重傷患者たちを見回した。
【夜蜻蛉】本隊はもはや三分の二が重傷者であり、迷宮潜どころか通常の活動もままならない。向こう数年は冒険ができないほどの重傷を負った者もいるし、一生治らない傷が残った者もいる。
治療のために運び出しただけとはいえ、今のこの中庭の見た目は尋常ではない。皆、立ち上がることすらできず、座ることができれば上々なくらいだ。まるで悲惨な戦場の野戦病院か、下手をすれば墓場のような有様である。
団長相談役に昇格した私の最初の仕事は、彼らの治療だ。
私は大々的に、彼らを一カ月で前線復帰させると打ちだした。
団員たちが私に注ぐ視線が少し変わっている。羨望か、畏怖、のようなものも混じっているかもしれない。つまり、前までのようなよくわからない変人に注ぐ割り引いた視線から、異質な何かに注ぐべき視線に変わったのだ。
うん。やはり、私はこう見られる方が性に合っている。
そろそろ、先代がやっているみたいに、迫力を出してもいいかもしれない。
『改めて聞こう。これは承認宣言も含むから、しっかり答えてくれ』
魔力を込めた声で、私は問いかけた。
言葉に呼応して体が光って浮き上がる。ここにとんがり帽子でも被っていたのなら、もうちょっとそれっぽかったかもしれない。
『今より私が君たちに施すのは、まだ賢者協会が認可していない魔術──ある種の禁術であるということを了承してくれ。つまり、法的にこれはサンプルを確保するための実験に当たる。賢者である私が特別権限で情報を公開し、私の部下の君たちの同意を得て初めて可能なことだ』
団員たちは、私の声に真剣に耳を傾けている。
ちょっとハッタリでも効かせてやろう、と思った。
『骨を曲げ、肉を裂き、先祖が紡いできた系譜を断つ覚悟はあるかい?』
大の男たちがゴクンと唾を呑む音が聞こえる。
そのあと、もはや横隔膜を持ち上げることすら痛いはずの彼らは、無様に右腕を上げて、うおおおおおお! と声を張った。
『冗談さ。連綿の賢者の誇りに誓って、そうはならない。いくよ──』
芝居がかった言葉に乗ってくれると気分が上がる。すべての魔力を使い果たす勢いがつく。
私の足元から、魔力で形成された常温の氷が這った。その氷は魔術陣の中心から蛇のようにうねって、うねって、中庭の壁を伝って屋上まで駆け上がっていく。
半分ほどの形ができれば、氷は緑に色づき始めた。太陽光を分光し七色に輝きながら、その色と相互作用と起こすように、形も一緒に収束する。そうして氷の蔦の上に氷の蔦が這い、動物のように形を成して、二段、三段と組み上がる。
組み上がったものは足場になった。足場から伸びた最後の蔦は、芽の形に変化し、そして数多の蕾として結実して、鎌首をもたげるように垂れた。
「『庭園』」
そして、氷の花が、開いた。
蕾の内側から溢れた治癒の気が団員たちを包み込み、温め、隙間を埋めて組織に変化し始める。その一方で魔力の庭園は一気に枯れて縮む。
そして最後に、光の粉となって弾けた。
魔力を使い果たした私も一緒に、地面に降りた。
私は脱力して息を吐き、団員たちは未知の体験に呆けている。
しばらくして、ぎゃあ、痒い、という声が立った。それにつられて他の団員たちも悶え苦しみ、のたうち回り始めた。
「はっ、はっ、はっ! 掻くなよ! 乱したら復帰が遅れるぜ!」
さっきまで座れもしなかった彼らは、元気に包帯の上からぽりぽりと傷口を擦っている。彼らが感謝をしつつも、ちょっと恨めしそうに私を見ていたのが面白かった。
◆
私が『庭園』を使用し、一週間が経った。
重傷者たちは概ね回復し、各々リハビリを開始している。この調子なら大規模調査前の状態に戻り、迷宮潜を再開するのも難しくないだろう。
しかし、私が期待されているのは、ヴィムの穴を埋める大活躍、だ。失敗をした第百階層の大規模調査の前に戻す、ということでは甚だ不十分に違いない。
今度は屋敷の訓練場に前衛部隊を集めた。
前回の大規模調査の失敗の最大の原因の一つである彼らには、根本的に自分の魔術の形を見直してもらうことになる。
「──じゃあ、次だね」
つまり、ヴィムの強化で狂いきった団員たちの感覚を、矯正する。