新藤兼人しんどうかねと

映画監督・脚本家

あの人に会いたいFile No. 320

至言

自分に自分が背を向けると
生き方のマイナスになる
頼るところは 自分が自分に誠実であるかということ
誠実は人間の永遠の大きなテーマ

常に人間を見つめ、映画史に残る作品を数多く生み出した映画監督・新藤兼人。脚本家として250本のシナリオを書くと同時に、「社会の中の一人一人の人間を描く」と49本の監督作品を送り出した。「人間は恐ろしい」しかし「人間には希望がある」と言う新藤は、明治45年広島生まれ、家の没落・家族の離散を経験し映画界入り。下働きに始まり脚本家への道が開けようとした32歳の時に召集された。この時に感じた「人間とは何か」「人はどう生きるか」が映画制作の原点となる。「言いたいことを自由に」と独立プロを設立してからは、まだ原爆の傷跡生々しい故郷・広島をロケ地に撮影した「原爆の子」、生きることの本質を見つめた「裸の島」などで次々と高い評価を得る。そして晩年「この映画を撮らなければ死ねない」と映像化したのは、70年以上考え続けた'戦争の理不尽さ'だった。戦争で偶然生き残った自分が表すべきこと、語らねばならないことは何か。99歳の新藤から「人間はどう生きるべきか」への答えが語られる。

新藤兼人しんどうかねと
映画監督・脚本家

常に人間を見つめ、映画史に残る作品を数多く生み出した映画監督・新藤兼人。脚本家として250本のシナリオを書くと同時に、「社会の中の一人一人の人間を描く」と49本の監督作品を送り出した。「人間は恐ろしい」しかし「人間には希望がある」と言う新藤は、明治45年広島生まれ、家の没落・家族の離散を経験し映画界入り。下働きに始まり脚本家への道が開けようとした32歳の時に召集された。この時に感じた「人間とは何か」「人はどう生きるか」が映画制作の原点となる。「言いたいことを自由に」と独立プロを設立してからは、まだ原爆の傷跡生々しい故郷・広島をロケ地に撮影した「原爆の子」、生きることの本質を見つめた「裸の島」などで次々と高い評価を得る。そして晩年「この映画を撮らなければ死ねない」と映像化したのは、70年以上考え続けた'戦争の理不尽さ'だった。戦争で偶然生き残った自分が表すべきこと、語らねばならないことは何か。99歳の新藤から「人間はどう生きるべきか」への答えが語られる。

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