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「最近の教会は、随分と杜撰な手を使うのですね。それとも……」
王宮の自室で、ユラリアは息を吐く。
届いた報告書はユラリアにとって嘆息を漏らさざるを得ないものであった。
動きに普段の強硬さは見られるだろうが、異常なものではない。
それがユラリアの予想していた教会の動向であったが、現実はそれと異なる形で転がっていた。
「これと類似の現象は……『天啓事件』、でしょうか」
ユラリアは自室の棚に収められている数冊の本を取り出す。それらの題名には全て『天啓事件』あるいは『神からの啓示』というものが含まれていた。
二百年程度昔。
時の教皇が『神からの啓示』を受けたと公式に発表し、大規模な布教活動を展開した出来事である。当時は多くの人々がその啓示を信じ、教会の勢力は一時的に拡大した。
そして周囲の国々からの反発を受け、最終的には二、三の国──当時異端側とされていた──を壊滅に追い込むことを代償に、教会の権威を僅かに上昇させるだけにとどまった。
その一連の流れを『天啓事件』と呼んでいた。
「しかし、あの時と今回は異なります」
ユラリアはページをめくりながら、静かに考えを整理する。
『天啓事件』当時、教会は啓示の内容を明確に公表していた。それは具体的な預言や教義の変更を含み、検証可能なものであった。だが今回の教会の動きは、曖昧で捉えどころがない。もっと、漠然としたものだった。
報告書によれば、各地の教会では『古の脅威が再び』という言葉が語られ始めている。そして、若年層を中心に『守護者の選別』と称した集会が開かれている事実。
「守護者の選別……これは明らかに、新規魔法の発展に対する行動です。結束力を強化するような」
リーシャとの会話から数日後、教会の動きは急激に変化していた。
情報網を通じて得られた報告によれば、教会は若手信者の中から特定の才能を持つ者を選抜し、秘密裏に特殊な訓練を施し始めているという。
だが、その情報も何処まで信じて良いのか不明瞭であった。
「教会における次代を担う信仰者を早急に育成しようとしているのでしょうか。やはり何処かから──いえ、違いますね」
ユラリアは窓際に歩み寄り、王都の景色を眺める。
遠くには大教会の尖塔が見え、その先端には常に魔力の光が宿っている──『神聖大結界』の健在を示す証である。各地の大教会に灯るその光こそが、教会の権威を保証するものであった。
「二つ、ですね。一つは、普段通りの教会の動向。新規魔法の発展を見越した異端排除運動」
『汎路調節盤』は、人類文明に不可逆的な改革をもたらす代物である。そうでなくとも、『炎路調節』なども十分革新的なものであり。
それらが大衆化するということは、教会の神秘性が剥奪されることを意味する。あるいは、教会の言い分を採択するならば『人類に与えられた権能は攻撃ではなく、庇護の為にある』故に、人類の平和を願ってのものである。
「教会側は本当の危機に気づいていない」
本当にこの一つだけならば、とユラリアは考える。
彼らが選抜している若者たちは、従来の魔法理論に基づいて選ばれている。だが、もしこれからの魔法陣が生体内回路の原理に基づいているものとなっていくのであれば、教会の選抜基準自体が的外れなものとなる。
幾ら現行の魔法陣研究が得意な者であるとしても、生体回路への造詣が深いとは限らない。
「教授は、このことも計算に入れていたのでしょうか」
薬理学教授の意図は、ますます深遠に思えてくる。
一見すると単なる革新的な課題に見せかけながら、実は王国と教会の力関係を根本から覆す種を蒔いている。
或いは、王国と教会の双方の睨み合いを激化させるための手段であるのか。
「教会の焦りは、逆に彼らの弱点を露呈させることになっています」
ユラリアは報告書の最後のページに目を通す。各地で行われている『守護者の選別』では、若者たちに対して厳しい魔力試験を課し、その結果に応じて特別な訓練に招集しているという。
「これは、教授の罠にはまっていると言わざるを得ません」
魔力試験を重視するあまり、教会は本当に重要な資質──生体内回路の理解能力や、その応用力──を見落としている。そして、そのことに気づかないまま、焦りに駆られた行動を続けている。
単にそれだけであれば、教会や宗教界隈の長年の繁栄がついに終わり、凋落を迎えたとユラリアは判断していた。
旧き文明が新しき文明によって淘汰される。
そんな当然の循環が、ついに教会にやってきたというだけだと判断することが出来た。
「ただ、その場合気がかりなのは、もう一つですね」
『汎路調節盤』への対抗策、というのならば理解出来る。
『権能返却』や『権能読込』に対するものだと言われれば、何処から情報が漏れているのかを精査しなくてはならないものの、有り得る可能性ではあった。
だが、『守護者の選別』というのは『神聖大結界』の強固化を意味しているようにも取ることが出来る。
つい数日前に教授が話した情報を元に『教皇教会』まで情報が流れ、枢機卿らの会議によって情報の信憑性が確かめられてから、教皇へと伝達される。それを基に教皇が判断を下し、各地の大司祭達へと連絡が伝わる──この一連の流れが発生しているとすれば、あまりにも迅速過ぎると、ユラリアは考えていた。
仮にその能力が教会にあるならば、ここまで続いてきた王宮と教会の争いは王宮の不利にならざるを得ない。しかし、現実としては対等か──ともすれば王宮が優勢だと判断出来るほどの立ち位置を確立させているという事実は、教会に集まる膨大な情報を迅速に処理する手法が存在していなかったから、としかユラリアには考えられなかった。
「では、考えられる答えは……教会は本当に『啓示』を受け取っているのでしょうか」
ユラリアは書斎の椅子に腰を下ろし、もう一度報告書を整理し直す。
教会の動きは、情報の流れで考えるには明らかに早すぎる。そこで浮かぶのは、教会内部で何か別の事態が進行しているという仮説であった。
通常の教会の動きと。それ以外──通常ではない教会の動き。
「『神の声』や『啓示』と称されるもの。それが本当であれば、話は変わってきます」
王宮と教会の対立において、両者は互いに相手の情報網を探り合い、時に妨害し合ってきた。だが、もし教会が通常の情報網を介さない手段で、今回に限り情報を得ているとすれば──
「教授の講義と教会の反応の時間差……」
ユラリアはペンを取り、白紙の用紙に時系列を書き込んでいく。
薬理学の講義が行われた日。リーシャとの会話。そして最初の報告が上がってきた日付。
その間隔は、通常の情報伝達経路では説明のつかないほど短い。
「もし、生体内回路の理解が『神聖大結界』の解析に繋がるならば……」
『神聖大結界』を管理する立場にある者が、その原理を十分に理解していれば、生体内回路の機能も把握しているはずだ。いや、それ以上に。
「もしかすると、教皇は『神聖大結界』を通じて何かを感知しているのでしょうか」
古代から維持されてきた『神聖大結界』。その真の機能が、単なる結界を超えたものであるという可能性は、これまでも王宮内では密かに議論されてきた。
だが、確たる証拠はなかった。
それを、便宜的に
ユラリアの中にその思考が一瞬だけ生まれ、そして目の前に広げていた『新規魔法陣』へと視線を落とす。
「いいえ、そうではありませんね。仮に教皇が仕組みを理解していたとしても──少なくとも、『神聖大結界』にはその仕組みは宿されていません」
中心制御部分と、灯火点火の部分を外した『新規魔法陣』──すなわち、『神聖大結界』魔法陣の出力機構には、情報を集積する経路が存在しなかった。
つまり、『神聖大結界』自体には何か結界以上の意味があるわけではない。
「なら、本当に『天啓』が──上位者からの言葉が、実在する……?」
仮にそうだとすると、報告書に上がってきた教会側の乱雑な対応にも納得が行く。
これは、教会側にとっても異例な事象が発生している。
少なくとも、ここ二百年の間に『啓示』があったという公式声明はない。そして、その一度前は更に数百年遡った『教会焚書事件』であると王宮の非公式文章に書かれている。
そして、その前は──
「
ならば。
これは、王宮にとっても教会にとっても異常事態が起きているのかもしれない、とユラリアは考える。
『炎路調節』に対して通常通りの動きをしようとしていた所に、『啓示』が来た。そう考えると、統制があまり取れていないことにも納得が行ってしまう。
「もし本当に『啓示』があったとすれば、これは教会側の内部事情だけでは済まない問題です」
ユラリアは再び自室の本棚に目を向け、古代史の書物を手に取る。
教会の創設時代に関する記述は少なく、多くは教会側が編纂した歴史書に頼らざるを得ない状況だった。
そしてそれは、同時に信憑性が限りなく薄いということも同時に指し示していた。
「宗教設立時の『啓示』は、人類に魔法の道筋を示したとされています。そして二度目の『啓示』は『教会焚書事件』の直前──危険な魔法が蔓延る前に警告したとされる」
三度目となる『天啓事件』は、教会の勢力拡大のきっかけとなった。しかし、今回の状況はそれらとは異なる様相を呈している。
「教会は『古の脅威』と呼んでいる。これが何を指すのか──」
ユラリアは思考を巡らせる。
『炎路調節』や『汎路調節盤』は確かに革新的だが、「古の」という表現とは結びつかない。
むしろ新時代の魔法と言えるものだ。
「教授の講義内容と、教会の反応の間に何か関連があるとすれば……」
ユラリアは薬理学教授の立場について再考する。表向きは王宮にも教会にも属さない第三勢力のように振る舞っているが、その実態は不明瞭である。その立場と共に。
「教授が生体内回路の知識を私たちに教えることで、教会の権威を揺るがそうとしている──それは結果的に間違いありません。しかし、それだけでしょうか」
ユラリアは書棚から別の資料を取り出す。
過去数世紀にわたる王宮と教会の力関係の変遷を記した資料である。王家に伝わる文章のひとつである。
「王宮と教会の均衡は、微妙に揺れ動きながらも、大きな崩壊は起きていない。それはなぜか」
ユラリアはその資料をめくりながら考える。両者が真正面から衝突を避けてきたからこそ、人類文明が維持されてきた側面もある。その均衡を崩すことは、取り返しのつかない事態を招く可能性もある。
そして──それが、偶然だとも思えなかった。
「教授は、この均衡を意図的に崩そうとしているのでしょうか。それとも、新たな均衡点を模索しているのか……」
ユラリアは窓から遠く見える大教会の尖塔を見つめる。
「教授は完全な第三勢力ではありません。むしろ、第三の視点を持つ者です」
これまでの講義内容を振り返ると、教授は王宮の立場も教会の立場も直接的には批判することなく、純粋に知識を伝えることに徹していた。
しかも、それは薬理学理論という、魔法とは一見関係のない分野を通して。
「『神聖大結界』の解析という事実を通して、教授は何を私たちに伝えようとしているのか」
ユラリアは机に向き直り、自ら魔法陣を描き始める。教授から学んだ生体内回路の知識を応用しながら、『神聖大結界』の構造を再現していく。
「教授の真の狙いは、教会の権威を失墜させることでも、王宮の権力を強化することでもない。それは──」
筆を走らせながら、ユラリアの思考も加速する。
「知識そのものの解放です。王宮も教会も、知識を独占することで権力を維持してきた。しかし、教授は知識を広く伝えることで、新たな世界の姿を模索している──」
そう考えると、教授の立場が明確になってくる。教授は王宮と教会という二大勢力の外側から、第三の道を示そうとしている。それは純粋な学問の追求であり、知識の大衆化を通じた社会変革だ。
「だからこそ、教会は『古の脅威』と呼ぶのでしょう。知識の独占が崩れることへの恐怖を」
ユラリアは魔法陣を完成させ、その全体像を見つめる。確かに、これは単なる結界魔法ではない。生命の原理そのものが組み込まれた、洗練された技術だ。
「教授は均衡を崩すのではなく、新たな均衡点を提示しているのです。知識を基盤とした力の再分配を」
この考えに至り、ユラリアはようやく全体像が見えてきたように感じた。
「そう、王宮や教会に
ユラリアは、合点が行ったとばかりに笑みを深める。
「王宮と教会の二極対立ではなく、第三の極として知識そのものを据える。そうすることで、両者の過度な権力集中を防ぎ、より安定した社会構造を築こうとしている。教会は、そう思わされている」
それは長い目で見れば、人類全体の利益になる。
だが短期的には、既存の権力構造を揺るがす危険な試みでもある。特に教会にとっては、その権威の根幹を脅かす存在となる。
「だからこそ、教会は動かざるを得ません。彼らの独占していた知識が、もはや独占できないものになりつつあることに気づき始めているのです」
ユラリアは自ら描いた魔法陣を見つめながら、さらに思考を深める。
「しかし、もし本当に『啓示』が能動的に動けば──教授の思惑を超えた何かが発生する可能性も否定できません。そして恐らく、教授の本命は
教授は計算された行動を取っているように見える。
だが、それに対する『啓示』の反応が想定外のものであれば、事態は教授の制御を超えて展開する可能性もある。
「教授は私たちに知識を与えることで、均衡を崩すことなく新たな道を示そうとしています。そして教会はそれに対応しようとしている──ものの、『啓示』によって、それとは異なる道筋を歩まされています」
ユラリアは立ち上がり、書斎の中を歩き回る。
「三つの力が複雑に絡み合う状況下で、私はどう動くべきか」
第一王女としての彼女の選択は、人類の未来を誇張ではなく左右する。
王宮の利益を優先すべきか、教会との対立を避けるべきか、教授の示す道を見るのか。あるいは、『啓示』とは何なのかを追究すべきなのか。
「教授の意図を完全に理解し、同時に教会の動向を注視する。そして、王宮の立場を守りながらも、知識の大衆化という流れを阻害しない方向性を模索する──難題ですね。とても」
ユラリアは結論を出した。
今は積極的に動くのではなく、情報を集め、状況を見極める時であると。
確信出来る情報は、それほど多くない。
リーシャの無邪気さ、教会の動向。そして、教授がリーシャや自分を守ろうとはしていること。
「まずは『天啓』が実在するものかから、ですね……」
ユラリアは窓辺に立ち、夕暮れの王都を見つめる。大教会の尖塔には、いつものように魔力の光が輝いている。その光がいつまで続くのか、あるいはどのように変わっていくのか──それは誰にも予測できない。
ユラリアはそう呟き、報告書を整理し始めた。明日からの行動計画を立てるべく、今夜は徹夜になりそうだった。
「……とりあえず、レポートを完成させるとしましょう」
提出者:ユラリア・ウィンターフィア
『薬理学理論』レポート課題6
1.序論
提示された新規魔法陣の構造と機能について詳細な解析を行った結果、この魔法陣が単なる学術的演習を超えた重要性を持つことが明らかになった。本レポートでは、魔法陣の構造的特徴とその潜在的応用、そして魔法理論における位置づけについて考察する。
2.構造分析
この魔法陣の最も顕著な特徴は、中心部に存在する出力調節機構である。この機構は通常の魔法陣では見られない複雑性を持ち、特に以下の点が注目される。
1. 中心火力制御機構が魔法陣全体の出力を大幅に抑制している
2. カリウムイオンチャネルの不活性化機構に類似した構造が組み込まれている
3. G蛋白質共役受容体(GPCR)を想起させる七回編み込み構造が確認できる
4. 神経軸索における膜電位上昇の伝達機構と酷似した回路が存在する
これらの構造は、生体内回路の原理を応用した設計であることを強く示唆している。従来の魔法陣構築法では説明できない洗練された技術が用いられており、その起源についての研究が要請される。
3.機能分析
出力調節機構を取り外した場合、この魔法陣は膨大な魔素を要求する極めて高威力の効果を生み出すことが理論的に予測される。
また、中心部の一部構造を入れ替えることで、この魔法陣は防御的な結界を生成する機能に変換できる可能性がある。この特性は、古来より伝わる特定の魔法と構造的な類似点を持つことを示唆している。
4.考察
本魔法陣が示す生体内回路の応用は、魔法理論の新たな地平を開くものである。従来の魔法が経験と伝承に基づく部分が大きかったのに対し、この魔法陣は生命の根源的な機能を理解し、それを魔法として再構築する試みと言える。
興味深いことに、この魔法陣の構造は、数百年前に「危険」とされ廃棄処分された古代の魔術書に記されていたとされる理論と共通点を持つ可能性がある。現代の薬理学理論を通じて再発見された知識が、実は古代より存在していたという可能性は、魔法史において重要な意味を持つと考えられる。
5.結論
この新規魔法陣の解析は、魔法と科学の境界を曖昧にし、知識の継承と発展の複雑さを示している。生体内回路の理解が魔法陣構築に応用できるという事実は、今後の魔法研究に大きな影響を与える可能性がある。
この知識は特定の権力構造に帰属するものではなく、純粋な学術的探究として扱われるべきものである。従って、知識そのものに価値を見出し、広く共有することで、より安定した社会の発展に寄与できると考える。
最後に、この魔法陣が示す原理は人類全体の知的財産として扱われることを願う。
注:本レポートの内容は純粋に学術的考察であり、特定の魔法の実践や既存の権威への挑戦を意図するものではありません。あくまで提示された課題に対する理論的解析として受け止めていただければ幸いです。
提出者:リーシャ
『薬理学理論』レポート課題6
色々考えていたのですが、面白いことがわかりました!
頂いた魔法陣と色々組み合わせたら、面白いことが出来たので、紹介します!
■『権能返却』と『権能読込』の直線的及び瞬間的発動!
『権能返却』を電位依存性ナトリウムイオンチャネルに、『権能読込』を電位依存性カリウムチャネルに見立てて、指定領域を細胞内だと置き換えました!
これと、第五級理論魔法『直線指定』を組み合わせることで、直線的に『権能返却』及び『権能読込』を発動させ、その直線上を高速で伝導させることに成功しました!
これを第一級理論魔法『権能不全直線』と命名します!
私の独断で!
試しに自宅から王都郊外の魔法飛行鳥を狙い撃ちしてみたところ、きちんと飛行不全が一瞬だけ発動したので、上手く行ってるはずです!
これなら『魔法不全化』のように見えるだけなので、問題にはならないと思います!
追記:夜空に向けて距離無制限で発射したら、何かに防がれました!
なので、改良したらちょっと防がれにくくなったので、いい感じだと思います!