『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』


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第六講義(2)『イオンチャネルのしくみ』


 ◇◆◆◇

 

「さて、後半の講義を始めよう。前半の最後で紹介した、カリウムイオン、ナトリウムイオン、カルシウムイオン、塩化物(クロライド)イオンを通す──モノの話だね」

 

 改めて、今日の目標を活動電位の説明までにすることを決意しておく。

 シナプスまでっていうのは、とてもじゃないけど無理だろうからね。それに、同時に進めると混乱する可能性が高いから。

 

「これらを通す孔。『イオンを通す孔を持つもの』っていうものの総称を、イオンチャネルと呼んでいた。そして、イオンチャネルは様々な要因でその()を開閉する。それこそ、『何かがくっつく』だとか。さっき話した電位だとか。あるいは、GPCRからの一連の経路経由であったり。ものによっては、物理的に引っ張られたから開くっていうものもあったりする」

 

 わざと難しく言うと、それぞれ基質(リガンド)作動性、電位作動性、シグナル作動性、機械刺激感受性なんて呼び名がついている。

 

「さて、そういうわけで一言に『カリウムイオンチャネル』と言っても、様々な種類が存在することは想像に難くない。どんなタイミングで開いて欲しいのか。どんなタイミングで閉じて欲しいのか。それらによって、様々な種類が存在する。そして、様々な工夫でそれを実現している。例えば、あるカリウムイオンチャネル──KcsAと呼ばれるカリウムイオンチャネルは、とても高速でカリウムを通過させている。これの仕組みを予想出来る人はいる?」

 

 これも余談だけれど、実際KcsAというカリウムイオンチャネルは放射菌っていう菌の細胞膜にあるカリウムイオンチャネルで、恐らく地球の人類がかなり頑張って調べているカリウムイオンチャネルのひとつ。

 

 一秒に千万個、なんていう途方もないスピードでカリウムイオンを透過させていく素晴らしいイオンチャネル。それでいて、カリウム以外のものを通さないわけだから、優秀だよね。

 

「うーん……電気で入り口までカリウムイオンを引き寄せる、とかですか?」

 

「そうだね。実際、KscAはその方法を採用している。ただ、それだけだと思ったよりは素早くならない。だから、もうひとつカラクリが存在する」

 

 放射菌ということは、結構進化系統図的に原始よりなはずなのに、こういう機構があるっていうのは、素直にすごいなと個人的に思う。

 

「強力な電位の傾きを使って、カリウムイオンを中心部に存在するミニ空洞に集めている。どれぐらい集めるのかというと、送り出し先の濃度の数百倍の濃度。こうすることで、擬似的な濃度勾配を作成して──高速で濃縮している、と。じゃあ、次に気になるのは……」

 

「カリウムイオン以外をどうやって弾いているか、ですね!」

 

 決まっている。

 この仕組みでカリウムイオン以外の異物が入り込んで来ない、という理由を知りたくなるのは妥当な反応。

 

「まあ、最初は単純な手法から。カリウムイオンよりも大きいものは、物理的な孔の大きさで弾いてしまえばいい。これは大した問題じゃない。じゃあ問題は、カリウムイオンよりも小さいもの。それを、どうするのか。この機構をそのまま、『選択(セレクティブ)フィルター』と呼ぶ」

 

 正直、本当に薬理学だけやるならここまで話す必要なんて何処にもない。

 解糖系や皮質脊髄路の話と違って、この仕組みを話したところで、薬剤的には何の関係があるんですか? と問われれば、大人しく黙るしかない。なので、半分くらいは趣味だね。

 

 選択フィルターの機構証明は……地球だとギリギリ二十世紀だったかな。それくらいだし。

 

「まず。この選択フィルターのすごいところは、ほとんど全てのカリウムイオンチャネルで共通の構造を取っているということ。その根幹は、カリウムイオンを結び付ける(・・・・・)五つの構造と、その間隔だね」

 

 ちゃんと言うなら、基本的に全てのカリウムイオンチャネルで保存されている『TVGYG』という署名配列による、縦に並んだ五つの主鎖カルボニルのO──その間隔がカリウムイオンにぴったりな3(オングストローム)である、みたいな話にはなるんだけれども。

 

 そんなこと言われても大半はわからない、どころか地球のそこらへんの中庭に転がっている大学生あたりに突然話したとしても理解してくれる人は少ないと思うから。

 

「カリウムイオンを結び付ける構造。その近くに行くと、カリウムイオンはそこに引き寄せられる。ただ、それはカリウムイオン以外も当然引き寄せられてしまう。理由としては、電気的なものを利用しているからだね」

 

 だから、リチウムイオンとかも引き寄せられてはしまう。もちろん、ナトリウムイオンも。

 

「ただ、『どれぐらい近くに行けば引き寄せられるか』っていうのが、違うことを利用している。例えば、ナトリウムイオンはカリウムイオンに比べて、その引き寄せられやすい距離が七割ぐらいしかない。だから、結び付けが完全に出来ず、追い出される」

 

 まあ、真面目に言うならカリウムイオンは2.66Åで、この構造の距離が3Åだから、ちょっと損してはいるんだけれどね。

 で、その損は濃度勾配やら何やらで補っていると。

 ただ、他だと補えきれないからって話でもある。

 

「さて、じゃあカリウムイオンチャネルっていうものと少しだけ仲良くなって貰ったところで。いよいよ、本題に入ろう。今回の主題は、軸索におけるカリウムイオンの話だった。一応、復習しておくと──カリウムイオンは正の電荷を持ち、細胞内の方が濃いものであった。そしてもうひとつ。通常時は、細胞内の方が電位が低かった。具体的には、70mV(ミリボルト)くらいね」

 

 これぐらいの前提情報があれば、とりあえずは十分かな。

 カリウムイオンチャネル──正確には、電位依存性カリウムイオンチャネルのひとつの話を、しよう。

 

「後半の講義最初において、イオンチャネルの中には電位によって開閉が決まるものがある、というお話をしたと思う。そして、神経の軸索においてそういうの(電位依存性)は、とても使われやすい。どうしてかわかる?」

 

「はい! 隣に伝わるからです!」

 

 さて、この発言を理解出来ている人が何人いるのか、ってのが問題だよね。それを最低限理解してもらうところまで、持っていかなきゃいけない。

 

「そうだね。というわけで、最初の話はどうやって電位に従って開閉が発生しているのか、という仕組みについてのお話だけれど。電位依存性カリウムイオンチャネルは、7つのパーツに分けられている。そのうち今回大事になってくるのは、S4ってパーツとS5ってパーツ」

 

 思い出したかのように、今話していることを黒板に書いておく。『電位依存性カリウムイオンチャネルの、電位による開閉機序』と。

 

「このS4というパーツは細胞膜の中にあって、正の電荷を持っている。これが何を意味するかというと、細胞外の電位が細胞内に比べて高い──つまり、通常状態だと、細胞内側に寄るということ。細胞外の電位が高いということは、細胞外に正の電荷が沢山あるからね。反発する、ってこと」

 

 そして、と一呼吸。

 理由は真面目にノートを取って理解しようとしている人たちがいるから。そういう人達を邪魔しようっていう気概は、残念ながら持ち合わせていない。

 

「この状況だと、S4とS5を繋いでいる『S4-S5リンカーヘリックス』と呼ばれる部分が、物理的に孔を塞いでいる。だから、カリウムイオンは通ることが出来ない。何故なら、S4が細胞内側に寄っているから。まあ細かい構造はわからずとも、そういうものだと思ってもらってもいいけどね」

 

 X線解析した電位依存性カリウムイオンチャネルの三次元図とかを完全に覚えていればよかったんだけど。

 

「で、じゃあ何かしらの影響で脱分極……じゃなくて。細胞内の電位が上昇したとしよう。それこそ例えば、ナトリウムイオンが流入したりして。すると、細胞内の電位が──細胞内側の『正の電荷』が増えていく。すると、電気的反発によってS4の位置が細胞外よりに変化する。これが変化することによって、さっき話したS4-S5リンカーヘリックスの位置が変化して、孔の閉塞が解消される。つまり、カリウムイオンが外に出られるようになるってこと」

 

 そして、カリウムイオンが外に出られるようになると、『正の電荷』を持つものが外に出るんだから、細胞内の電位はまた下がっていく。そうすると、同様の理論でS4の位置が細胞内よりに変化して、孔が閉まる。で、カリウムイオンの細胞外への流出が止まる、と。

 

 こうやって、上がった細胞内の電位を下げる役割がある。

 まあ、このカリウムイオンチャネルについては極論この情報だけで良いよね。『細胞内の電位が上昇したときに、カリウムを外に出すことによって細胞内電位を元に戻して(さげて)あげる』というお話。

 

 それを複雑に、機序から説明すると此処までの話になるだけで。

 

「さて、此処から電位依存性ナトリウムイオンチャネルの話をしよう──ああ、そんな怖がらなくても大丈夫。開閉の仕組みも含めて、かなりの部分が電位依存性カリウムイオンチャネルと同じだからね。周囲の電位が上昇すれば開くってことも含めて」

 

 そして、ナトリウムの場合は開くことで細胞内の電位が上昇する。

 

 真面目に説明するなら。ナトリウムイオンは『正の電荷』を持ち、細胞外のほうが濃いからね。ひとたび開けば、細胞外から細胞内へとナトリウムイオンが流入して、更に細胞内の電位が上昇する。

 

「だから──ユラリア、どうしたの?」

 

「教授。仮にそうだとすると、無制限に細胞内の電位が上昇しませんか? 細胞内電位が上昇することで、リンカー……ヘリックスの位置が変わって、孔が開かれるのですから」

 

「いいね。その通り。仮に全てその通りだとするならば、無制限に電位が上昇してしまう。まあ、実際は細胞外と細胞内の濃度差がなくなるまでだけれど……流石にそんなことはない。ちなみに。一応訊いておくけれど、リーシャはどう思う?」

 

「細胞内電位が上がれば電位依存性カリウムイオンチャネルが開いて、電位を押し下げる方向にあります。だから、累計で上手く行くのかもしれない、と思っていました。でもその場合、カリウムイオンチャネルのほうが電位変動に対してゆっくり(・・・・)である、という仮定を導入しないといけない……ので、ビミョーかなって」

 

 思考速度が速いこと。

 リーシャの発言を翻訳すると、『カリウムイオンチャネルのほうが、ナトリウムイオンチャネルより電位によってリンカーヘリックスの位置が変動するまでの時間が長いとすれば、最初にナトリウムイオンチャネル活性化による電位上昇があり、その後に遅れてカリウムイオンチャネルが活性化して電位を下げる方向へ促進する。で、後はナトリウムイオンチャネルよりカリウムイオンチャネルの影響が大きければ、元に戻る』というもの。

 

 ただ、本人的には前提である『カリウムイオンチャネルのほうが、ナトリウムイオンチャネルより電位によってリンカーヘリックスの位置が変動するまでの時間が長い』という部分が何とも言えない、らしい。何故かは不明だけれど。

 

「実際、リンカーヘリックスの位置変動──言い換えれば。電位が変動してから、孔の開閉までに必要な時間というのはイオンチャネル次第で結構変動する。だから、あながちリーシャの想定は的外れではないんだけれど……ナトリウムイオンチャネルには、不活性化機構がちゃんと存在する」

 

 ただ、こっちの詳細な話は私が知っている限り地球でも現在進行形議論中だったと思うんだよね。

 確か、素早い不活性化機構とゆっくりめな不活性化機構があって、みたいな。

 いやまあ、私の知識がアップデートされていないだけって可能性も存在するんだけれど。しかも、結構な可能性で。

 

「何なら、目立たないだけでカリウムイオンチャネルにも類似の機構があったりするんだけどね。電位依存性カリウムイオンチャネルのT1っていうパーツ──これは、細胞内にあるんだけれど、ここから伸びている部分に『不活性化ボール』なんて呼ばれているものがある。リンカーヘリックスが動いてからちょっとぐらいのタイミングで、これが細胞内側から孔に蓋をする、なんて機構だね」

 

 だから、この部分を切り離したカリウムイオンチャネルはなかなか不活性化しなくなる、みたいなお話があったりする。

 でも、これはこれで難しいお話に繋がってしまったりする。この不活性化ボールの大きさが、孔の大きさとあんまり合っているように思えなかったり。

 

 で、調べてみたら一部の構造が一時的にほどけているらしい、だったり。

 

「で、ナトリウムイオンチャネルも類似の機構を持っていることはわかってはいる。ただ、それだけじゃなさそうってこともわかっているから……ここら辺は難しいお話。まあ、とりあえずは『電位依存性ナトリウムイオンチャネルは、活性化してからちょっと後に不活性化される』という認識で良いかな。それじゃ不満だよっていう人は、この不活性化ボール機構でとりあえずの納得をしてほしい」

 

 それでも納得出来ない人もいるだろうけれど、私が教えられるのは私が覚えている範囲だけだからね。どこまで最大限に見積もっても、地球の知識を越えることはない。それに、私は地球の化学知識を全て吸収するタイプの化け物ではないので。

 

「それでも納得出来ない、という人は──自らの手で解き明かしてみよう。此処は総合学院だからね。生徒の自主的研究や勉強を妨げるものは一切ない。私は、それらを応援しよう」

 

 人類身体の神秘性。

 それを剥奪し、解体し、科学という理論の灯火で照らしてあげることで生命科学は進歩する。

 古の人類が不条理と不理解と認定し苦しんだ数多の事象を、つまびらかにすることで隙間の神は撃滅され、人類は暗闇を光と共に歩めるようになってきた。

 

 そうして、人類が進歩すれば『TS薬』の作成にも繋がり得るからね。

 

「さて、これで我々はナトリウムイオンチャネルとカリウムイオンチャネルの仕組みの概要を知ることが出来た。従って、神経の軸索における伝導の仕組みを解き明かすことが出来るようになったということでもある」

 

 材料は揃った、なんてね。

 

「まず、始点(・・)で細胞内電位上昇が発生する。これはシナプス範囲であることが多いから、取り敢えずは流してもらうとして。ああ、安心して。きっちり扱いはするから。そして、細胞内電位上昇は始点付近(・・)の電位依存性ナトリウムイオンチャネルと電位依存性カリウムイオンチャネルを活動させる。ただし、この順番でね。だから、まず始点付近の細胞内電位はナトリウムイオンチャネルによる、ナトリウムイオン流入により急激に上昇する。そうして、細胞内電位は細胞外よりも高いところまで、上昇する」

 

 すると、何が起きるのか。

 

「すると、その『始点付近』の付近(ちかく)の細胞内電位も上昇する。何故ならば、細胞内に流入したナトリウムイオンが周囲に拡散されるからね。すると、その場所の電位依存性ナトリウムイオンチャネルも、孔が開く」

 

 こうやって、細胞内電位上昇は伝播されていく。

 実験設備が整っていれば、こういうのの実情も見せられるんだけどね。

 

「そして、一方そのころ『始点付近』にある電位依存性ナトリウムイオンチャネルは既に、不活性化されている。さっきの不活性化ボールやらでね。そして、遅れて活性化した(孔が開く)電位依存性カリウムイオンチャネルによって、『始点付近』の細胞内電位は元の水準まで下がる。はたまた一方、『始点付近』の付近の電位依存性ナトリウムイオンチャネル──の近くにある細胞内の電位も、ナトリウムイオンの流入により電位が上昇する。従って。『始点付近』の付近、の付近の電位依存性ナトリウムイオンチャネルも活性化して……と、こうやって伝播していく。終点までね」

 

 さて、そろそろ細胞内電位上昇という長い言葉から脱出したい頃合い。

 

「そろそろ、毎回『細胞外電位を基準(ゼロ)とした細胞内電位の値』、と言うのも飽きてきたかもしれない。更に正確に告げるならば、『細胞膜の細胞外側表面電位を基準(ゼロ)とした細胞膜の細胞内表面電位の値』。毎回こんな長い言葉を使うわけには行かないので、これを膜電位(・・・)と呼ぼう。よく使うから、略称を作る。まあ合理的な動きだよね」

 

 ここら辺は止まる話も、付け加える話もない。

 ここで話したことをそのまま理解するだけだし、ここで話したことにおける余談が殆どないから。

 一応。膜電位が正となる……つまり、『細胞膜の細胞外側表面電位より細胞膜の細胞内表面電位が高くなる』ことをオーバーシュートって言うよ、みたいな豆知識はある。

 

 ただ、別にそれを述べる必要はあんまりない。

 そんな細かく分けなくても、とりあえず『膜電位が上昇すること』に名前を付けておけば、最低限の対応が出来るから。

 

「だから、そのお気持ちのまま膜電位が上昇することを脱分極。膜電位が減少することを過分極と呼ぶ。『分極(内外の差)から脱する』か『分極が過剰になる』からだね。そのくせ、脱分極は細胞内電位がかなり上がるときにも使うけれど」

 

 脱分極と過分極。

『細胞膜の細胞外側表面電位を基準(ゼロ)とした細胞膜の細胞内表面電位の値が高くなること』が脱分極で、『細胞膜の細胞外側表面電位を基準(ゼロ)とした細胞膜の細胞内表面電位の値が低くなること』が過分極。

 

 一々こんな長い言葉を話していると、わかりにくくなるだけだからね。一回略称の意味を理解したら、あとは短い言葉にまとめてあげちゃったほうが気楽。 

 

「じゃあ、もう一回さっきの話を用語を使って説明しなおしてみよう。始点付近で脱分極が起きることで電位依存性ナトリウムイオンチャネルがまず活性化する。これによってナトリウムイオンが流入し、始点付近での大幅な脱分極、そして『始点付近』の付近でも脱分極が発生。一方、始点付近では電位依存性カリウムイオンチャネルが活性化し、過分極が開始。はたまた一方、『始点付近』の付近の電位依存性ナトリウムイオンチャネルは活性化され、更なる(大幅な)脱分極……って具合かな」

 

 軽くではあるけれど、黒板に書いておく。

 あくまで参考程度にね。

 

 じゃあ、これで基礎は終了。ここからは応用のターン。

 ほんのり難しくなるから、頑張って欲しい。

 

「じゃあユラリア。仮に細胞外のカリウムイオン濃度が増加したとする。まあこれは高カリウム血症と呼ばれるモノ由来のものだったりするんだけれど……この場合、通常状態(・・・・)の膜電位は、カリウムイオン濃度が通常だったときと比べて、どうなる?」

 

 ここまで長々と理論を並べ立ててきたのは、こういう話で納得行く理解をするため。

 そうじゃないと、『細胞内ナトリウムイオン濃度が上がったらどうなるのか』みたいな話を、全部一対一で暗記することになる。そんな非効率で応用性のないことは、あんまり推奨したくない。

 

 理論が存在するのに、結果だけを覚えてわかった気になるのはちょっと微妙だよねっていう話。もちろんこの世の事柄全部そうしろとは思わないけれど。少なくとも学問体系として学ぶ以上は、ある程度深掘りしたいよねってだけ。

 

「元々、電位依存性カリウムイオンチャネルは濃度勾配(・・・・)の影響を大きく受けます。なので、細胞外カリウムイオン濃度が高いということは……内外の濃度差が縮まるということになります」

 

 その通り。

 カリウムイオンは細胞内のほうが濃いからね。

 

「ということは……カリウムイオンチャネルが開いたとしても、その流出の勢いは弱くなる。そういう認識で大丈夫でしょうか」

 

「うん、問題ないね」

 

 そこまで理解しているなら、後は行けると思う。

 

「つまり、普段のカリウムイオン濃度と比べて『正の電荷』が流出しようとする力が弱いということになります。つまり、細胞内に『正の電荷』が多くたまるので、細胞内電位は上昇するはずです。普段より」

 

「そうだね。つまり、脱分極側に傾くことになる。何の文句もない。じゃあリーシャ、今度は細胞内ナトリウムイオン濃度が上がったとしたら、どうなる?」

 

 とりあえずこの二つのパターンさえわかれば、後はそれの応用……いやまあ、この二つのパターンも基礎の応用ではあるけれど。ともかく、応用が楽になるから。

 

「はい! ナトリウムイオン濃度は細胞外のほうが高いはずなので、濃度勾配が緩やかになります。なので、ナトリウムイオンのカリウムイオンとの綱引き力(・・・・)が弱くなって、カリウムイオンが優勢になり──過分極側になります!」

 

「正解だね」

 

 おっと、正解だけど周りを正々堂々真っ直ぐに置き去りにしたね。

 リーシャが今話したのは、平衡電位的な考え方だから。

 

 平衡電位とは何か、と言えば。

 仮に考える要因がナトリウムイオンだけだったとした時の、ナトリウムイオンの濃度勾配を維持するのに必要な細胞内外の電位差。それを、ナトリウムイオンの平衡電位と呼ぶ。

 

 そして同様にカリウムイオンやカルシウムイオン、塩化物(クロライド)イオンなんかにも平衡電位がある。

 

 つまり、イメージとしてはそれらの平衡電位による綱引き(・・・)が行われて、それらを統合して上手くやっているタイミングが『通常状態の膜電位』なわけで。

 

 この平衡電位は、当然濃度勾配が直に影響してくる。

 平衡電位自体が『そのイオンの濃度勾配を維持するために必要な、細胞内外の電位差』だからね。

 

 以上から。

 ナトリウムイオンの濃度勾配が減少したということは、ナトリウムイオンの平衡電位が『全部合わせた平衡電位』に与える影響が少なくなった、ということ。

 

 そして、ナトリウムイオンの平衡電位は『全部合わせた平衡電位』を(高値)に上げようとしている──これは、ナトリウムが『正の電荷』持ちで細胞外の方が濃いことからわかる──から、そのナトリウムイオンの平衡電位が下がるということは、全体の平衡電位が下がる。

 

 つまり、過分極側に傾くという思考回路であることがわかる。

 

「じゃあ、次にカリウムイオンチャネルの数自体が減ったらどうなる?」

 

「簡単ですよ。カリウムイオンの綱引き参加者(・・・)が減るんですから、脱分極側になります。そんなに難しくありません」

 

 それが難しいんだよね、普通の場合。

 リーシャの言う『綱引き参加者』と『綱引き力』が別物だということを、きちんと認識しているかが難易度を上げている要因のひとつ。

 綱引き参加者(人数)綱引き力(パワー)のかけ算で、綱引き結果(累計能力)が決まるような感じ。

 

 まあ、ユラリア風に説明するなら『正の電荷』を排出しようとするカリウムイオンの出口が減少するから、『正の電荷』が貯まって脱分極側へ、かな。

 

「いいね。じゃあこの系統ラストとして。仮に細胞膜ががっつり傷付いて。ナトリウムイオンもカリウムイオンもフリーパスな穴が出来たら、どうなる?」

 

 これはユラリアの考え方だとちょっと難しいかもしれない。

『正の電荷』を排出しようとするカリウムイオンチャネルも、『正の電荷』を流入させるナトリウムイオンチャネルがどちらも活性化しているように考えられる(・・・・・)……考えられてしまうから。

 そうすると、累計がどうなるかを考えにくいはず。

 

 ただ、これは発想を一捻りしてあげればいい。

 

「え? そんなのもっと簡単ですよ。何でも通る穴が開くってことは、ナトリウムもカリウムも内外の濃度差がなくなる方向です。だから、膜電位なんて必要なくなります。ゼロです。だから、最初と比べれば脱分極側──ですよね?」

 

「まあ、そういうことだね」

 

 たったそれだけの問題になる。

 そもそも膜電位とは、濃度勾配を維持するためのもの。なら濃度勾配が失くなってしまえば、維持する濃度勾配がなくなって膜電位はゼロに近付く。つまり、最初が内側のほうが低い(マイナス)なんだから、脱分極側。

 

「さて、折角だからフグ毒の話をしよう。フグ毒はテトロドキシンと言って──電位依存性ナトリウムイオンチャネルの多くを、外から塞ぐ機能を持っている。つまり、電位依存性ナトリウムイオンチャネルが活動出来なくなる。すると、何が困る?」

 

「神経伝達が出来ません!」

 

「しかも、毒性がとても強い。例えばここにいる人なら、死ぬのに1gも必要ない。何なら、その1%でも過剰なほどに。そんな怖い毒であるテトロドキシンは、こうやって──ナトリウムイオンチャネルを阻害して、神経の活動を阻害している。まあ、神経だけじゃなくて筋肉とかでも阻害しているんだけれどね」

 

 ちなみにテトロドキシンほど強くはないけれど、似たような効果……すなわち、電位依存性ナトリウムイオンチャネルを閉鎖状態に固定する毒素に、サキシトキシンってものもあったりする。

 

 これは熱帯生息のカニの一部や、貝類の一部が持っているもの。貝類による麻痺性毒とかは、これ要因だったりもする。

 

「一方、サソリ毒の一種やアコニチンっていう、トリカブト毒に含まれるモノは電位依存性ナトリウムイオンチャネルを開きっぱなしにしてしまう。これが大変だということも、もうきっと理解出来ると思う」

 

 と、ここで終わっても良いんだけれど……ここで切り上げると、ずっとやるタイミングを逃しかねないから、これの話だけは最後にさせてもらう。

 

「それじゃあ、最後に。軸索だとか細胞だとかにこうやって取り込まれたナトリウムイオンとカリウムイオンがどうなるのか。それを知らないと、この分野を一周したとは言えないでしょ?」

 

 毎回恒例、というわけではないけれど。

 GPCR経由での信号伝達の時のように、後処理についての話題。

 

「入ってきたナトリウムイオンと、流出していくカリウムイオンを何とかしなきゃいけない。すなわち、『ナトリウムを排出して、カリウムイオンを取り込む』モノが欲しい。そうじゃないと濃度勾配が壊れちゃうから。ここまでは大丈夫だね?」

 

 じゃあ、本日最後はこちらの話題で。

 

「まあ実際これだけってわけじゃないけれど。メインは『ナトリウムポンプ』とも、Na⁺/K⁺-ATPase(アーゼ)とも呼ばれるものによるモノ。これは『ATPを消費することで、3つのナトリウムイオンを外に排出して、2つのカリウムイオンを中に取り込む』という機能を持っている」

 

 ATP。あの解糖系とかTCA回路で作られていたものね。

 

 そしてこの説明が本質部分で、ここからは蛇足というか応用というか。印象を強くしてもらうためのオマケ話。

 

「このナトリウムポンプは細かい部分自体は違うものの、大枠の『ATPを消費することで、3つのナトリウムイオンを外に排出して、2つのカリウムイオンを中に取り込む』という機能は変わらないままに、全動物細胞の細胞膜に存在する、とっても優秀なポンプだったりもする」

 

 確か、安静時のエネルギー消費の二割以上がこのポンプを動かす為のものだったはず。それぐらい、色々な場所に存在する。

 

 で、この偉大なるナトリウムポンプの一部を阻害しているジコキシンやウアバインっていう名前の薬剤があったりもするんだけれど……まあそれは、今日はいいか。

 

 それもそれで面白いんだけどね。

 ナトリウムポンプを阻害することで、細胞内のナトリウムイオン濃度を上昇させる。これによって、『ナトリウムイオンを取り込んでカルシウムイオンを排出する』NCXっていう輸送体を、ナトリウムイオンの濃度勾配的に阻害する。

 

 これによって、カルシウムイオンを細胞内に溜め込んでおく。そこから紆余曲折を経て筋肉……というか心筋の収縮力を強化する。だから、それらを強心剤(・・・)と呼ぶ、みたいな。

 

 まあ、そこら辺は神経の話からちょっと外れるから。

 

「はい。なら今日の内容としてはここまでかな。本日の課題(ミニレポート)は……」

 

 どうしようかな。今回、何も考えてないんだよね。

 何もないっていうのもあれだし、もちろん小テストなんて用意していない。最近色々忙しくて。

 

 ああ、そうだ。折角(・・)だから。

 

「ここまで『薬理学理論』で学んだことの何かしらをふまえて、この魔法陣(・・・・・)を研究解析してみよう。後で魔法陣は配るから、安心して欲しい。ただし、縛りを設ける。一つは、解析中に発動してはいけない。もう一つは、この講義の受講生以外に魔法陣を漏洩させてはいけない」

 

 何の魔法陣かって? 

 いやぁ、ちょっとわからないなぁ。

 

「ちなみに。この魔法陣自体は私が新規魔法陣として申請して、きちんと王国に受理されているものだから。安心していいよ。まあ、仮に何かの要因で私が(・・)行方不明になったりしたら、君たちの物だけれど」

 

 大丈夫大丈夫。『虚空魔法』だったり禁忌魔法だったりはしないから。

 これの原型は、かなり昔からある魔法陣だけど。

 

 大丈夫大丈夫。仮に発動したとしても、極小サイズの灯火が出るだけだから。

 魔法陣をよく見ると、回路の最後で火力を数億分の一にしているだけで。

 

 

「──じゃあ、定刻だから。また来週」

 

 

 そんなに怖がらなくてもいい。

 きちんと王宮からは認められているからね。

 

 ちょっと、教皇在住大教会(アストロ・カテドラル)の第一級理論魔法『神聖大結界』の出力機構、その一部を引用しているだけだから。

 

 ちゃんとソフィア司祭枢機卿の許可も取ってるし。

 

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