『TS薬を開発したいだけの異世界薬理教師』


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総括初稿『此処は、総合学院だ。』


 ◇◆◆◇

 

 

 ──世界で一番、大きな諜報組織とは何処か。

 

 こういう問いかけをこの世界でされたならば、私は確実に宗教(・・)と解答する。

 

 宗教っていうのは、限りなく複雑な存在である。

 少なくともこの世界においては。

『魔法は神が人類に与えた権能である』という原則や『人類が叡智を持つのは、神による慈悲である』という原則。

 それらを基に作られた宗教こそが、現在この世界に存在する宗教である。

 

 元の世界……地球と異なり厄介なのは、現存している宗教が他宗教を異端として全て潰した結果、残ったモノだということ。そして、この世に一つしかないのだから──宗教を区別する必要はない。

 故に、宗教(・・)としか名乗らない。そんな団体であった。

 

「失礼します。インロゴス・プラネット教授の研究室で間違いないですか?」

 

「間違いない。そして、私こそがお探しの教授だけれど──何の用事かな。研究被験体になってくれるというのなら、大歓迎だけれど」

 

 纏っている法衣と、身につけた装飾から高位の聖職者だということは見てとれる。恐らく、司祭枢機卿でもある魔法陣学のソフィア教授よりも上の立場。

 

 となると、残っているのは──確か、司教枢機卿か教皇かな。

 

「いえいえ、お茶は出していただかなくても結構です。私は、ご高名な教授とお話(・・)をしたいだけですから。もてなされる立場では、ありません」

 

 王国において、茶を出すのはお願いされる(・・・・・・)側であるという暗黙のルールがある。

 それを断るというのは、あなたはお願いをされる立場にないという遠回しの宣告。

 

 まあ、大体用件は予想出来るから問題ないけれどね。

 

「お名前を伺っても?」

 

「ただの、一信者ですよ。異端審問会審議長や主席枢機卿という立場を拝命してはいますが」

 

 ほら、明確に物騒な肩書きを引っ提げて来ている。

 それ見たことか、と思わざるを得ないよね。

 

「それじゃあ私も。インロゴス・プラネットだ。偶然、王国総合学院薬理学教室教授という立場を貰っているだけのね」

 

真理不在の惑星(インロゴス・プラネット)──神が祝福する惑星に居住しながら、何とも不敬な名前なことか。幾ら学院の者が信仰を尊ばないとはいえ、その偽名は──推奨されませんね」

 

『学院の者が信仰を尊ばない』と言っているけれど、それは私のことを指していない。指しているのは、ここの生徒全体である。

 要は。この学院を惑星に見立てて、信仰がないことを不在だと私が(・・)嘆き、皮肉で付けた名前だということにしようとしている。

 

「じゃあ、本名の方がお好みだったりする? まあ、同じく真理を信仰するもの同士、交友を深めるのも悪い話じゃないからね。でも、私の名前は名無しの女性(ジェーン・ドゥ)──そういうことにしておいたほうが、お互いに幸福(・・)になる」

 

 叡智を与えられ、魔法という権能を与えられた人類に課された至上命題は幸福になること。『人類が発展』すること。

 それが、目の前の主席枢機卿が所属している宗教の思想である。

 

「わかりました、教授(・・)。それではお話を始めましょう」

 

 だからこそ、私の言葉に否定を突きつけることは出来ない。

 

「たまたま、私は総合学院に異端者(・・・)がいると報告を受けまして。その捜査を、教授にお願いしにきた次第です」

 

異端者(・・・)ね。随分と大層な仕事をしに来たものだね」

 

 私は紅茶でも飲むかのような気軽さで椅子に腰掛ける。

 あくまで、関係ないという面構え。どうせ対象者は私か、リーシャに決まっているから。

 

「教授のご協力をお願いします。薬理学は実に難解な学問と聞いていますから、その道の権威であるあなたのお力添えがあれば、捜索も円滑に進むことでしょう」

 

 主席枢機卿は、表情を変えずに私に向けて手を差し出す。

 

「申し訳ないが、それは出来ない。私は王国(・・)に雇われている。総合学院の歴史は知っているだろう? ならば、貴卿に協力することは総合学院の掲げる『学問の自由』……政治や宗教からの分離を守れなくなってしまう。本当に申し訳なくは思っているが」

 

 無論、協力なんてするつもりはない。

 する理由がない、というか『する』と頷いた瞬間が人生の終わりだと換算したほうがよっぽど楽なくらいの道のりになるからね。

 

「教授のお考えは理解出来ました。確かに王国総合学院は学問の自由を尊重する場所です。しかし、自由には常に責任が伴うものです」

 

 言葉の裏には『学問の自由という盾を使って、お前は何をしているのか』という問いがあることぐらいはわかっている。私としては、学問の自由は盾ではなく槍なんだけれどね。気分的には。

 

「学問の自由と責任。そうだね、私も同感だよ。ところで、具体的に何が異端(・・)なのかな? 一介の信者の耳にも入るほどの大きな噂。それは、どんな噂なのかな」

 

 枢機卿は、わずかに目を細める。

 

「最近、王国内で回覧されている論文がありまして。『魔法陣描写に関する根源の追究』という表題の」

 

 ああ、あれね。あれは私が違う名前で出したもの。

 全魔法陣の構築に必ず入ってる、空間への魔法陣投射。はっきり言って、あれは異常な産物である。それこそ、『虚空魔法』が明確に関与しているとわかるくらいには。

 

「興味深い論文だね。読んだことがある。魔法の根源を類推する方法──それを提案している。学術的にはかなり価値のある視点だ」

 

 もちろん、そんなものをそのまま公に出すわけにはいかない。

 だから、こういう方法はどうなんだろうね? という終わらせ方にしてある。当然、それらの手法全てに実現不可能性を付けながら。

 そして、その実現不可能性は地球の科学知識を使えば幾らでも補完出来るものであるように。

 

 どうやら、主席枢機卿におかれましてはそれですら気に障ったらしい。随分と器が狭い神の掌だこと。本当に全員を救えるのか、疑いたくなってくるね。

 

「学術的にはそうかもしれません。しかし、神学的には──」

 

「問題がある、と?」

 

 主席枢機卿は否定も肯定もせず、ただ静かに目を私に向けた。

 

「教授はご存知でしょう。魔法は『神が人類に与えた権能』です。それを単なる物理現象かのように扱うのは……」

 

「人類の幸福に繋がるんじゃないかな? より効率的に魔法を使えるようになれば、より多くの恩恵を受けられる」

 

「ならば、『幸福』とは何でしょう。教授?」

 

 予想外の問いだった。

 彼は教義を振りかざすのではなく、哲学的な議論を始めている。妄信的信仰者にしてはとても珍しい。

 聖典に書かれている文字をそのまま定義として扱う風潮がある宗教世界において、それだけで止まらない人材というのは、稀有である。

 

 まあ、だからこそ主席枢機卿かつ異端審問会審議長なんて立場なのかもしれないけれど。

 

「物質的及び精神的に満たされた状態。苦痛や恐怖から解放され、自己実現ができる状態ってところじゃない?」

 

「なるほど。では、神の存在を否定した世界に、真の幸福はあり得るでしょうか?」

 

 問いはかなり鋭い。

 しかし、私も簡単には引き下がられない。

 私の解答は、受け取り方によっては神の存在がなくても実現出来てしまうものであるからね。ここで反駁を怠ると、あんまりよくない未来に繋がってしまう。

 

「神の存在を否定するつもりはないよ。ただ、神の与えた力をより深く理解したいだけだ。学問はその為の道具でしかない。貴卿達と、少しばかりアプローチが違うだけだよ」

 

「力を理解した先に、教授は何を見るのですか?」

 

「より良い世界だよ。魔法がより理解されることで発展すれば、誰もが平等に恩恵を受けられる」

 

 主席枢機卿はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓辺に歩み寄る。

 彼の姿が逆光で影のように見える。

 

「神が与えた秩序(序列)には意味がある。強者と弱者、賢者と愚者、それぞれの役割が規定されています。真の意味では、それら全てが神のもとで平等です。何の差異もありません。ただ、その平等を人類の軸では測ることが出来ないだけです」

 

「我々がそれを測れないならば、神にも欠点があるということかな? 生憎、宗教問答には疎いものでね。答えがあるなら、教えてくれると嬉しい」

 

 魔法を生み出し、その強大な権能を人類に与えられる神は全能ではある。

 一般にはそう考えられているが、実のところ聖典にそんなことは書いていない。

 

「聖典には『神の全能』を明確に定義した記述はありませんね。その点、教授の観察は鋭い。聖典が語るのは神の『権能』と『慈悲』であって、全能とは人間が便宜的に解釈したものかもしれません」

 

 主席枢機卿は窓から学院の庭を眺めながら、穏やかな口調で答える。私の挑発に乗らず、逆に論点を拡げてきた。こういう会話に慣れているね、どうみても。

 流石は異端審問会、とでも思えばいいのかな。

 

「権能と慈悲か。なら、その慈悲は選別的なものなのかな? 魔法の才能に恵まれた者と、そうでない者がいる。その差は何だろう」

 

 私は机の上の小さな魔法陣が刻まれた水晶を手に取り、光に透かして見せる。意味はない。ただ、ひたすら他者から読みにくくしただけの『光る魔法陣』でしかない。

 

「『選別』ではなく『配置』です。大河の中の水滴がそれぞれ異なる場所を流れても、最終的には同じ海に注ぐように」

 

「詩的な表現だね。でも、この世界の現実はもっと厳しい。才能のない者は苦しみ、才能のある者は富み栄える。その構造が神の意志なら、公平とは言えないのではないかな」

 

 主席枢機卿は窓辺から離れ、ゆっくりと私の方へと歩み寄ってくる。その手には小さな魔法陣が浮かび上がっている。何かの探知魔法だろうか。ただ、無意味だよ。そういうの(・・・・・)

 

「教授は興味深い方ですね。学問の専門家でありながら、魔法理論と神学にも造詣が深い。それも、かなり独特の視点で」

 

 彼の目が鋭く私を見据える。魔法陣から微かな光が放たれ、部屋の中を漂っている。何を探ろうとしているのかな。

 

「多角的な視点は学問に不可欠だからね。一方向からだけでは、真理の全体像は見えない。さっきも言った通り、貴卿たちとは方法が違うだけだ。向かう方向は同じだとも」

 

 私の放った『真理』という言葉に、彼の眉がわずかに動いた。

 

「あなたの言う『真理』とは何でしょうか?」

 

「知識と理解の総体だよ。この世界の仕組みを正確に把握すること」

 

「それでは教授にお尋ねしますが、魔法の研究は、その『真理』に近づくためのものなのですか?」

 

 私は立ち上がり、彼を見上げる。

 低身長の悪いところが出ているね。こういうタイミングだと、不利にしか働かない。

 

「無論。魔法が真理と密接に関わっているのは間違いない。貴卿が敬愛する聖典からも揺らぎようのない事実だ。それを理解することで、我々はより良い未来を築ける。それとも、何か異論があるのかな?」

 

「その『より良い未来』とは、神の意図した未来と同じものでしょうか?」

 

 彼は単なる狂信者ではない。理性的な対話を重ねつつ、巧みに罠を仕掛けている。

 私が不用意に言葉を滑らせれば、そこを執拗なまでに攻め立てるんだろうね。

 

「それは神のみぞ知ることだね。私たち人間にできるのは、与えられた知性を最大限に活用すること。それこそが神の意図した人間の在り方ではないのかな」

 

 主席枢機卿はその通りだと微笑む。

 しかし、その目は笑っていない。

 

「そういえば、教授の研究室には面白い蔵書が多いと聞いています」

 

 唐突な話題転換。これは確実に、私の研究や蔵書について何か情報を掴んでいるな。少なくとも、私が異端側というのはあっちにとって明確ではある。

 ただ、総合学院の教授という立場が理由なき異端認定を出来ない原因、というところだと思う。

 

 宗教にとって、学院というのは最大限に警戒を払わなくてはいけない場所であるから。特に、この総合学院は。

 

「学問の府ですから。知識の集積は当然のことでしょう。王国の法に触れるものは一切ありませんよ。もし疑念があるなら、正式な手続きを踏んで調査されるといい。王立図書館の司書長の許可証も全て揃っている」

 

「もちろん、正当な手続きなしに私がそのような野蛮な調査をするわけがありません。ただ、最近、特殊な知識(・・)が学生たちの間で流布されているという報告があって」

 

「それは具体的にどんな知識(・・)なのかな?」

 

「例えば、魔法は神の恩寵ではないという考え方です」

 

 これは完全に私の講義内容の一部を指している。

 しかし表立って講義で言ったわけではない。

 

「そういえば、聖典では魔法は我々に与えられた権能だと示されていた。では、人類そのものはどのような扱いになっているのかな? 人体の不思議について解体するのは、神への反逆になるのかい?」

 

「人体の中に存在する、魔法の本質に迫ろうとするならば──それは、反逆と見なされるでしょう。しかし、人類自体は神の奇跡ではありません。あくまで、神に認められた種族です」

 

 正直、ここら辺の感覚がわかっていない。

 地球でもうちょっと宗教家達に触れていれば、もうちょっと相手方の思考パターンもわかるんだろうけれどね。生憎と、そんな生活を送るようなタイプじゃなかったもので。

 

「なら、その過程で偶然少しだけ魔法の本質に触れることもあるだろう。むしろ、最初から最後まで触れずに出来たというのなら──それこそ、恩寵とそれ以外の区別が明確に出来てしまっている。神の恩寵を理性でもって理解してしまっている、と思うのだが」

 

「なるほど。学問の場では様々な仮説を検討することがあることは理解出来ます。そして、それが信仰への反逆を意味するわけではないことも」

 

 ただ、と主席枢機卿は目を光らせる。

 

「だからと言って、それを流布することは許されません。数多の『偶然』があれば、それは企んだ者にとって必然となりますから」

 

 こういうやり取りは本当に疲れるよね。

 ユラリアもこういうのを得意とするけれど、まだわかりやすい。彼女はあくまで王国第一王女であり、論理の構築方法などにも、変なものが混ざっていない。

 それに比べて、この老獪な主席枢機卿は……これだから。

 

「ああ、それと。ここに来てから聞いた噂なのですが──どうやら、教授の講義を受けて新たな魔法を開発した生徒がいらっしゃるとか」

 

 リーシャのことを指しているのは、明確。

 これまで、魔法というのは発動したら一度魔法陣を閉じるまで威力や出力を変えられないという明確な縛りがあった。

 

 だが、『炎路調節』や『風路調節』、『水路調節』というリーシャが開発した魔法は、その固定観念を打ち崩した。

 

 そしてこれはまだ主席枢機卿も流石に知らない事実だろう──もし仮に知っていたならば、こっちを主題にするから──『世界から魔法を消す魔法』と『世界に魔法を復活させる魔法』。これが特大級のヤバさを引き出している。なんでこんなのをリーシャは開発してるの? 

 

 この世界における魔法、と呼ばれるものは魔法陣を描いて空間に投射することで発動される。その過程で代償を支払う。ゲームっぽく言うなら、MPのようなものを。

 

 そして、どちらの規則も破っているのが『虚空魔法』という常識外の魔法(もの)。正直なところ、あれは物理法則に反しているから魔法と呼ばれているだけであって、根本から違う原理で動いているナニカ(・・・)である気はしている。

 だからか、これは魔法と名が付いているだけで魔法と扱われないのが宗教界隈でも政治界隈でも──そして、学問の界隈でも常識となっている。

 

 地球に住んでいた人視点で、物理法則が後付けの法則じゃないのと同じだね。

 

 

 さて、じゃあ改めて。『世界から魔法を消す魔法』の何がヤバいかっていうと、宗教界隈に真っ正面から喧嘩を売っただけではない。

 この『虚空魔法』という原理原則──『第二の物理法則』のようなものに、正面から対抗し、そして打ち破ったものであるという特大というスケールですら表現できない問題がある。

 

 地球でのイメージ的には『物理法則改竄機械』と『物理法則修理機械』を作ったよ、みたいな感覚。本当になに? 

 

 そして、実際『虚空魔法』というのは生易しいものじゃない。物理法則ほど、世界に寛容じゃない。

 そのくせに、人類文明の根幹に根差し過ぎている。

 

 例えば。

 

 第三級虚空魔法『祝福残光』は、加持祈祷の施設を作成した時に何処からともなく現れる光の輪(・・・)であり。

 第二級虚空魔法『黒色残滓』は、この惑星を包むように発動されている──この惑星への魔素(MP)供給装置であり。

 第一級虚空魔法『権能蘇生』は、魔素(MP)を人類が使用可能にしている。

 

 一般にはこの現象が『虚空魔法』であるかも含めて、全くと言っていいほど知られてないけれど──ついでに。これらは有史以前から発動され続けている。

 言い換えれば、人類が存在していない頃から存在する、この三つの『魔法』。

 ここまで人類が優位になるような仕組みは、何者かが仕込んだ(・・・・)ものとしか思えない。

 

 ならば。仮に、それらが破壊されたと知れば──これらの、発動者(・・・)はどんな行動に出るか。

 これだけの規模の『何か』を発動させた存在。現在もまだ生存していたとしても、不自然じゃない。

 

 ユラリア経由で伝えられたときは、本当に神に祈りたくなったよね。あんまり信じたくもないけれど。

 

「なるほど。そのような噂があるのは把握した。確かに、優秀な学生は多いからね。学問の自由を謳う総合学院である以上──彼らの創造性を制限することは、如何に教授の立場があっても難しい」

 

 主席枢機卿は椅子に腰かけ直すと、指先で小さな魔法陣を描き始めた。それはただの儀礼的な所作のようでいて、微妙な威圧感を漂わせている。

 

「教授。創造性と冒涜の境界線はとても曖昧です。特に若い学生は、自らの行為が何を意味するのか十分に理解していないことが多い」

 

「それは面白い視点だね。なら質問だけれど、理解していないことは罪になるのかな? 聖典では、無知は罪ではないと記されていた──そう、記憶してるんだけど」

 

 主席枢機卿は一瞬だけ目を見開いた。

 ここまでの言動で、私が聖典解釈に長けていないと思ったのならば、間違い。

 こんな世界に来て最初に警戒するものは魔法。そして、次は宗教。その次が、国の支配体制に決まっている。

 

「無知は罪ではありません。しかし、知りながら他者を無知に導くことは別問題です」

 

「私が学生たちを無知に導いているとでも?」

 

「そのような意図ではありません。ただ、特定の学生が開発したという魔法の性質が、我々の懸念を呼んでいるのです」

 

 どうせ懸念だなんて、生易しいものじゃないんだろうけれど。それに、そんな遠回しな言い方をする必要もないだろうに。

 

「魔法の性質ですか。具体的には?」

 

「出力を途中で調整できるという魔法です。これは神が定めた魔法の原理に反しています」

 

 なるほどね。それは、明確なそっちのミス(・・)だ。

 主席枢機卿の様子を観察して、それが罠でないことを確認する。

 

「聖典のどの章句に、魔法の出力を途中で変えてはならないと書かれているのでしょうか? 私の記憶が確かなら、そのような記述はないはずだけれど」

 

 主席枢機卿は沈黙した。

 聖典にそのような明確な禁止事項は、事実として存在しない。

 

「学問とは、与えられた枠組みの中で新たな可能性を探ること。それが神への冒涜になるのであれば、神が人類に与えた知性そのものが冒涜ということになるんじゃない?」

 

「興味深い論点です。しかし、全ての探求が神の意志に沿うとは限りません」

 

「じゃあ、神の意志とはなんだろうね?」

 

 主席枢機卿は答えに窮した様子で、再び窓の方を見る。

 

「神の意志は人間には完全には理解できません。それゆえに、私たちは長い歴史の中で築き上げてきた解釈と伝統に従うのです」

 

「伝統という名の檻に閉じこもることは、神の真意から遠ざかることを誘発している可能性もあるよ」

 

 立ち上がって、書棚から一冊の古い聖典を取り出す。

 そう、これこれ。これを出すタイミングを伺ってたんだよね。やっぱり聖職者と解釈バトルするなら、武器は持っておかないと。

 

「ここに書かれているのは、『人類は自らの叡智をもって神の創造を探求せよ』という言葉。つまり、出力調節は冒涜ではなく、むしろ神への最大の敬意だって解釈も出来ると思うけれど?」

 

 主席枢機卿は目を細めた。

 もちろん、今の解釈は通常の解釈とは違う解釈方法である。

 前後の文脈を多少削ぎ落としてもいるからね。

 普通なら、神の創造というのはこの世界──惑星の大地のことだから。

 

「教授は聖典の解釈においても独自の視点をお持ちですね」

 

「独自というよりは、原典に忠実であろうとしているだけかな。翻訳や解釈を重ねるうちに、本来の意味が歪められることはよくあることでしょう?」

 

 主席枢機卿は立ち上がり、私の方へと近寄る。

 

「その学生の名前はリーシャと言いましたね」

 

「さて、何のことか。確かに私が担当している『薬理学理論』の講義にはリーシャという名前の優秀な(・・・)生徒がいるけれど、それがどうした?」

 

 主席枢機卿はわずかに口元を引き締める。

 

「教授。私は単なる査問に来たのではありません。警告を与えに来たのです。あなたの学生が開発した魔法は、すでに我々の監視下にあります」

 

「監視とは穏やかな言い方じゃない。まるで──君たちが潰してきた異端宗教の残骸が吠えるような言い方だね」

 

 さて、そろそろお引き取り願いところ。

 私だって暇じゃない。異端審問だか宗教だか知らないけれど、よくわからない人の一人演劇リサイタルに付き合ってあげるほど、私は善人でもない。

 

「野蛮なあれらとは違いますよ。学院の自治は尊重します。しかし、神の秩序を乱す者は例外ですから──そういうことが起きないようにするための、保険です」

 

 保険、保険ね。

 

「宗教は慈悲の象徴だっていうのが、私の知ってるそれなんだけどね。若く才気溢れる学生の可能性を摘み取ることが、本当に慈悲になるのか。ただの弾圧にも繋がり得ると思うんだけどね」

 

「慈悲とは時に厳しさも含みます」

 

 まあ、『ああいえばこういう』みたいな議論は相手も得意だよね。ただ、私は君よりもうちょっと得意なんだけれど。

 

「知恵とは時に不敬にも見えるもの。そして。ただの無知による信仰よりも、知恵を付けた者による信仰のほうが強固だと、私は思う」

 

「教授。あなたが何者なのか、私にはわかりません。しかし、あなたの影響力が及ぶ範囲には限界があることは知っています」

 

 単純な脅しだね。あんまり面白い手法じゃない。

 

「私は単なる学者だ。たまたま、ちょっとばかり色々持っているだけのね。でも、学問の自由という理念は一個人の影響力をはるかに超えたものだ。その波濤は、誰であっても止めることは叶わない」

 

 例え神でも、とまでは言ってあげないよ。

 

 机の上の小さな水晶を手に取り、再度光に透かして見せる。その内部には複雑な魔法陣が刻まれている──もちろん、意味のまったくない。光るだけの魔法陣。

 

「この水晶をご覧になっては? 一見複雑に見えるけれど、実はシンプルな原理に基づいている。複雑さの中にこそ、シンプルな『真理』が隠されていることが多いからね」

 

 主席枢機卿は水晶を一瞥した後、再び私の目を見つめた。

 

「時に真理は危険なものとなります」

 

「危険なのは真理そのものではなく、それをどう扱うかでしょう? ついでに加えるならば、扱い方だけではなく、その真理の守り方も──誤れば危険となる」

 

 つとめて、穏やかな笑みを浮かべるようにしながら。

 

「貴卿。もし学生の研究が本当に問題だというなら、まずは私に相談するのが普通(・・)だ。彼らはまだ若く、導きが必要だからね。彼らを脅すのではなく、正しく導くことこそが我々の役目であり──大人の役割だ。そうは思わない?」

 

 主席枢機卿は沈黙の後、ゆっくりと頷いた。

 

「教授の言葉には一理あります。しかし、私たちは常に警戒を怠りません。わかりました。今回は、引き上げましょう。また、お会い出来ることをお祈り申し上げます」

 

 交渉は終わったと判断したのか、主席枢機卿は帰り支度を始める。

 どうぞどうぞ、出来るだけ早急に帰って欲しいね。

 

 でも、一言だけ。

 

 

「それと。決して忘れる事(なか)れ。此処は総合学院だ。学問を修め、学問を究め、学問を拡げる場。学徒の為の学舎であり、研究者の為の研究場だ。下らない言葉遊び(・・・・・・・・)に興じる場所じゃない。もし、それをお望みとあらば──私は、喜んで王宮にて貴卿を歓迎しよう」

 

 

 その時は、教授としてではなく。

 

 

「当代唯一の、『虚空魔法使用者』としてね」

 

 

 普通に考えて。

 優秀な生徒を脅すと宣言されて、教師が不機嫌にならないわけがないだろうに。

 

 第五級虚空魔法『薬剤生成(・・・・)』。

 私が持っている、唯一の異世界転移チートだからね。

 まあ、分子構造を覚えているものしか作れないけれど。

 

 

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