進化ではない変化とDNA配列が変化しない進化
ではなぜヒラマキガイ科の多くは、殻の形と系統が一致しないのだろう。実はこれらは、遺伝的に同一の個体でも、異なる生育環境で育つと、異なる形の殻を作るケースが多いのである。これは「表現型可塑性」と呼ばれる現象である。カワコザラもその例だ。形が容易に変わるので外来種と在来種の区別が難しい一方、育ちが違うだけの個体を別種と勘違いしてしまう。
ヒラマキミズマイマイ属も表現型可塑性が著しい。日本産のこの属には、殻の縁が丸い車輪状のもの(車輪型)と、殻の縁に「竜骨」と呼ばれる突出部を巡らせたレンズ状のもの(竜骨型)がいる(図4-5)。タクミの研究で、車輪型と竜骨型は、育った環境の違いで劇的に姿を変えた表現型可塑性の例と判明した。水温や酸素濃度、捕食者の有無などの条件が変わると、同じ親から生まれた子が、まるで蛇が竜に育つように、全く違う形に育つのである。逆に同じ条件で育つと、別の種でも同じ形になったりする。つまり車輪型、竜骨型それぞれに、形では区別が難しい別種が含まれている。
こうした表現型可塑性は、なぜ生じるのか。これには遺伝子が特定のタンパク質やRNAの合成を増加・減少させる仕組み──遺伝子発現の調節が関わっている。これは生物の環境応答や発生、代謝などに働く基本的な仕組みである(図4-6)。また、大進化レベルの形態変化を作る個体内部の機構としても働いている。それゆえ「調律者」の及ぼす「調律」は、この仕組みにも深く絡んでいる可能性がある。そこで、この仕組みを少し説明しておこう。
染色体を本に喩えると、ゲノムDNAは文字で記された文章に対応する。ただし、その本はとりとめのない呪文の羅列と、意味や役目が謎な文字列のパートを多く含む魔術書みたいなものだ。
遺伝子発現を、賢者が呪文でドラゴンを呼び出す場面に喩えよう。それはこんな設定だ。──ドラゴン(タンパク質)を召喚する呪文(DNA塩基配列)は魔術書(ゲノム)のどこかに書かれている。だが目的の呪文を見つけるには、小さな妖精たちとドラゴン担当の使い魔たちの力が必要である。
妖精の役目は、呪文の印を見つけること。使い魔の役目は、どこに目的の呪文があるかを特定することだ。昼寝しているところを叩き起こされたり(活性化)、新たに召喚(発現)された使い魔は、魔術書のキーワードを頼りに、妖精たちを目的の位置に導く。そして妖精たちが指し示す印のところから呪文を唱えると、ドラゴンが召喚される。
真核生物の場合、"呪文の印"にあたるのが、プロモーターというDNA領域で、"妖精たち"にあたるのが、基本転写因子と呼ばれるタンパク質群だ。基本転写因子がこのプロモーターに結合すると、RNAポリメラーゼⅡという酵素がその場所を認識してDNAに結合する。そしてここから遺伝子の塩基配列がメッセンジャー RNAに転写され(呪文を唱えるのに相当)、不必要な部位が除去された後、タンパク質に翻訳される。つまりドラゴンの召喚──遺伝子発現が起きる。
実際には、こうして発現したタンパク質が、さらに他の遺伝子の発現を連鎖的に調節し、最終的に形質が生成される。また、DNAから転写されるが、タンパク質に翻訳されない非コードRNAがあり、遺伝子発現や翻訳の調整など、様々な役割を果たす。
一方、使い魔にあたるのが、転写調節因子と呼ばれるタンパク質、キーワードにあたるのが、転写調節領域と呼ばれるDNA領域の塩基配列だ。ここに転写調節因子が結合し、基本転写因子などと協調して、遺伝子発現をオン・オフのスイッチのように調整する。体内のシグナル分子を受けると、細胞内で転写調節因子(使い魔)が活性化したり合成され、この調整の仕組みで遺伝子の発現量が変わる。表現型可塑性も、環境からの刺激が体内でシグナルとして伝わり、この一連の仕掛けが作動することで生じる。
突然変異が起きて、転写調節因子の構造が変わったり、転写調節領域の塩基配列が変わった場合には、それに関係した遺伝子発現のオン・オフが切り替わるなどして、体の形が大きく変化しうる。合言葉を変えたら、ドラゴンが召喚できなくなった、新人の使い魔に頼んだら、ドラゴンの代わりに魔王が召喚されてしまった、というような話である。
使い魔たちは、転写調節領域の塩基配列との関係のように、キーワードや合言葉のようなエレガントで繊細な術を駆使する一方で、"力業"を繰り出すこともある。