進化史を推定した、その意外な結果
その夢は修士課程二年の夏に実現した。
2014年のクリミア併合で国際的な非難を浴びたとはいえ、コロナ禍以前、ウクライナ侵攻以前のロシアは、まだおおむね平穏だった。今では信じ難い話だが、2010年代後半に極東ロシアと日本の経済交流が加速、訪れる日本人も急増し、2020年にはウラジオストクに日本の航空会社の就航も予定されていた。
こうした背景もあり、ロシア科学アカデミーの支援を受けて、今では有り得ぬ調査ができた。
ガラスのように透き通った波が、静かに打ち寄せる天空の海のようなバイカル湖畔で、タクミは巻貝の採集に夢中になっていた。澄んだ水の底から石を拾い上げると、沢山の大きなヨコエビが、まるで魚のように泳ぎ回る。石の裏には扁平なヒラマキガイ科の巻貝が付いている。潜水士が湖底から運んできた岩や鮮やかな緑色の海綿には、無数の固有巻貝が付着していた。長さ1.5cmほどの、カワニナのように細長いバイカリアという固有の系統や、直径1~2cmで扁平なタニシのようなミズシタダミ科の固有種だ。
タクミがロシアでヒラマキガイ科の試料を得た場所は、アムール川、ウスリー、バイカル湖、シベリアからヴォルガ川流域に至る。今では不可能なことが、数年前にもそうだったわけではない。調査の多くはタクミが単身ロシアに渡り、一筋縄では行かないロシアの面々とのタフな交渉をこなして進めたものだが、時には私も同行した。
果てしない大草原と無限のタイガを四駆で何日もかけて走破した。時に民家に泊めてもらい、食事に招かれ、時に野営という茫漠とした旅路であった。先住民の中には、見かけが日本人とそっくりな人々がいて、私たちはしばしば彼らから現地の人と間違えられた。
価値観、文化、生き方が全く違う人々でさえ、感情や意志に共通点がある。微塵もわかり合えない時もあるけれど、たいていの場合は、相手の考えを多少なりとも分かろうとはできる。その努力を破壊し、罪なき人々を不幸に陥れるのは、いつの時代も傲慢な権力者の妄想と、硬直した無謬の正義感と、国家や人々に取り憑く排他的なナショナリズムである。多くは朴訥で控えめなロシアの庶民であるがゆえに、なおさら彼らの首領による無法は罪深いのである。それはまた、この国だけの話ではない。
さて、タクミが学生時代にヒラマキガイ科採集のために踏破した場所は、国内は礼文島から西表島までの間の全ての県。海外は中国、韓国、ロシア、ヨーロッパ、北米、それにベトナム、フィリピンなど東南アジアに及ぶ。どの土地でも現地の研究者から試料の扱いに関する手続きを含め、様々な支援を受けた。
こうした数々の旅や多くの人々の協力で得られた膨大な試料をもとに、タクミはDNA塩基配列を調べ、進化史を推定した。その結果、導かれた結論は、意外なものだった。
確かにヒラマキガイ科はおよそ600万年前から、日本に向けて大陸から系統が繰り返し移住してきていた。ところが約170万年前、日本国内で爆発的な多様化が始まったというのである。しかもこのような急速な多様化は、他の土地では見られない。こうしてできた系統の中には、日本から大陸に"里帰り"移住したと推定されるものがある。
この仲間はカワコザラと同じく、殻の形と系統の違いが一致しないグループを多く含む。日本にはヒルゲンドルフが研究したヒラマキミズマイマイ属の仲間も分布しているが、こちらも同じ種なのに形が大きく違う個体がいたり、別の種なのに殻の形では区別できない場合がある。
そのため、実は非常に多様な系統(種)が日本国内に存在していたことが見落とされていたらしい。この著しい多様化の理由はよくわかっていないが、推定された進化史は、系統がいつも中央から辺境へ伝播するとは限らないことを示している。ヒラマキガイ科の場合、日本列島が多様化のエンジンだったのである。