「進化は再現不可能な一度限りの現象なのか? それとも同じような環境条件では同じような適応が繰り返し発生するのか?」
進化生物学者の間で20世紀から大論争を繰り広げられてきた命題をめぐるサイエンスミステリーの傑作、千葉聡『 進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え 』が発売されました。
本記事では、〈「北米から来た外来種」が、「日本の在来種」になりすまし?…人知れず入れ換わっていた「カワコザラ」〉に引き続き、「進化ではない変化とDNA配列が変化しない進化」について詳しく見ていきます。
※本記事は、5月22日発売の千葉聡『 進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え 』(講談社現代新書)より抜粋・編集したものです。
外を見て内を知る
研究の出発点だった小笠原で、外来生物による凄まじい生態系破壊を目の当たりにしたせいで、生態系保全を常に意識せざるを得なかった私は、研究対象に日本の野生生物を選びたいというこだわりがあった。家で埃を被って朽ちかけている膨大な資産を、放り出しておく気になれないのと同じである。しかし一方で、日本の生物だけを見ていたのでは、それが持つ普遍的な価値は分からない。日本を知るには海外も知る必要がある。
日本の陸・淡水貝類は、そうした埃を被った宝物の例である。その潜在的な科学的価値は、ガラパゴスの動物たちに勝るとも劣らないにもかかわらず、その価値が見落とされてきた大きな理由は、注目度の低さに加え、それらを対象とした大進化の研究が難しいからであった。最も大きな障害となっていたのは、アジア大陸の情報の乏しさだった。
例えば日本に住むカタツムリは約800種。世界有数の多様性を誇るが、過去に日本列島と陸続きで、分離と接続を繰り返してきた大陸の系統の知識を欠いたままでは、それらが日本でいつから、どう進化してきたか分からない。国内で得られる知識だけでは、日本の系統の独自性や科学的な価値、遺伝子資源としての価値さえ判断できない場合も多い。
政治的な問題を意識するなら、大陸──特に極東ロシア、北朝鮮、中国は、関わりを避けたい地域かもしれない。ところが自然を意識したとき、日本の価値を知るのに、また、その保全方針を誤らぬために、最も重要なのがこの地域の情報なのだ。避けたいものが実は一番重要なものの一例である。
中国の場合、選択と集中の科学政策を進めているにもかかわらず、日本では実益に乏しいと軽視される自然史研究に、国が莫大な資金を投入している。そのため、鳥類学のように世界のトップをひた走る分野がある一方で、逆にその政策ゆえか、注目度の低い動物、特に貝類の情報は乏しかった。
しかし中国、ロシアの系統を調査対象とするのは、歴史と政治の問題から、多くの留意点やリスクがあった。現地調査には相手国の研究者と信頼関係の構築が必須。周到な段取りと要領も必須。面倒事も必須。重要な仕事ほど厄介でコスパが悪いの一例である。
この問題は、日本の生物の研究にこだわる私自身にとっても、行く手を阻む大きな壁であった。しかし、ここでゲームオーバーを免れたのは、運良く私が大陸の調査研究に豊富な経験と知識を持つ部局の一員になれたからである。特にリスク管理や情報、資金面の支援を得られたのは幸運だった。何より新型コロナ禍の直前まで、騒乱の火こそ燻っていたものの、本格的な戦争は始まっておらず、政治的な緊張も弱いという僥倖に恵まれた。
自らの関心の赴くままに研究を進めていた研究室の学生たちも、こうした幸運を敏感に察知していた。タクミは大学一年生時からロシア語を勉強していたが、それは将来、ロシアのアムール川とバイカル湖を訪れるという、少年時代からの夢をかなえるためだった。アムール川とバイカル湖には多数の固有種からなる独特の生態系があり、淡水貝の探究者にとっては憧れの地なのである。