憩いの土地は誰のもの 明治神宮外苑再開発
2023年7月31日 05時05分 (7月31日 05時05分更新)
一九五一年はサンフランシスコ平和条約が調印され、太平洋戦争が名実ともに終わった年です。戦後日本の再出発が本格化し、旧体制の見直しが社会のあちらこちらで進んでいました。
天皇主権と軍国主義を支えていた「国家神道」は解体され、東京・明治神宮とその外苑では、土地を巡る問題が浮上します。
神宮と外苑は当時ともに国有地でした。神宮の土地は、国が神宮に無償譲渡する一方、スポーツ施設が集積する外苑は国有地のままスポーツ団体を交えた委員会が運営するという文部省(当時)案が五一年六月にまとまりました。
これに神宮側は猛反発します。「神宮と外苑は一体」として、土地譲渡と神宮による施設運営を求めたのです。
譲渡の4条件受け入れ
神宮は、官界を巻き込んだ陳情で優位に立ちます。文部省は五二年一月、施設運営を認める代わりに条件を神宮に示しました。
▼国民が公平に使用できる
▼アマチュアスポーツの趣旨にのっとり、使用料・入場料を極めて低廉に
▼施設を絶えず補修する経費の見通しがある
▼民主的運営をする
この四条件を神宮が受け入れ、土地も時価の半額で国が神宮に譲渡することで決着しました。以上の経緯は神宮発行の「明治神宮外苑七十年誌」から引きました。
こうした歴史から分かるのは、外苑の公共性の高さが当時から認識され、土地が神宮に渡らない可能性もあったことです。
外苑は国民の憩いの場として定着していました。神宮の私有地になったとしても、国民から預けられたようなものでしょう。
それから約七十年。神宮や三井不動産などによる外苑=写真、本社ヘリ「あさづる」から=の大規模な再開発が始まりました。
老朽化した神宮球場や秩父宮ラグビー場を建て替える一方、軟式野球場やフットサル場、ゴルフ練習場、バッティングセンターなどは廃止されます。七百本超の樹木を伐採し、高さ二百メートル近い高層ビル二棟を新築する計画です。
ちょっと待ってください。「四条件」に反しませんか。
まず疑問なのは、市民が気軽に参加できる施設を大幅に削り、プロスポーツを優遇する点です。アマチュアスポーツの観点から見ると、条件に明らかに反します。
民主的運営という視点からも疑問が尽きません。
再開発が自然環境に与える影響を懸念し、中止を求めるインターネット署名は二十一万筆を超えました。ミュージシャンの故坂本龍一さん、小説家の村上春樹さんら著名人も声を上げています。
これだけの規模で反対が意思表示されながら、事業に関する法的手続きが淡々と進むことに、この国の街づくりの制度自体に違和感を覚えます。
欧州の市民参加に学ぶ
外苑再開発の起点は二〇一〇年十二月に東京都が公表した計画ですが、詳細案が公表されたのは二一年十二月になってからでした。この間、事業者と行政は細部まで計画を固めており、もはや変更は難しい状態です。
公告・縦覧期間もわずか二週間でした。市民が三十三件の反対意見書を出しましたが、事業者が市民の意見を反映する義務はそもそもありません。残念ながら、日本の街づくりは事業者と行政の意のままで「市民参加」は形式的だと言わざるを得ないのです。
建築家でもある静岡文化芸術大学の松田達(たつ)准教授(建築学・都市学)は「意思決定の中に市民が入り込む余地がない。昭和に制定された古い都市計画法の仕組みが、令和へとアップデート(更新)されていない」と指摘します。
松田氏が紹介するのが欧州での市民参加の例。ドイツでは計画の早期に複数案が提示され、市民に十分な情報と議論の機会が与えられます。フランスの「コンセルタシオン」(協議)も市民と行政が議論する仕組みで、近隣住民以外にも参加の可能性があります。
ロマンチック街道の景観も、パリの街並みも、市民参加により守られているのです。成熟した市民社会のお手本とも言えます。日本でも、そうした制度を採り入れてはどうでしょうか。
公共空間はすべての市民の財産であり、行政や大企業が好き勝手にしていいものではありません。多くの人々に愛される場を、将来の世代に残す。明治神宮外苑の再開発は日本の市民社会の在り方をも問うているのです。
関連キーワード
おすすめ情報