人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

玉子(卵)を二つに割る【卯】の右左岐に対し、創造神が出す免罪符の【兔の免】とは?

 世界の宗教では、使う言葉は違っていても全ての人に魂(ソウル)と呼ばれる命の根源が宿っているとは説いています。人の肉体は死ねば荼毘(だび)に附されて燃やされるか、土葬にされて肉体は腐って行くで、霊魂は死後の世界に渡るとされても肉体の様な実体がありません。

 科学者や医学者は亡くなった人の生前の体重と死後の体重を量り比較して、そこに差異が無いことから魂が有るならば重量があるはずで、体重に差異が無いから魂は無い。また肉体にレントゲン線を放射しても魂らしき存在が写らない。そこで魂の存在否定などがあります。そこには人の心とか意識に重量があるのか?。魂は人の目に見えるのか?。その疑問符を出していないがあります。

 されど宗教の世界では、人が死ねばあの世に渡るとされる魂とは【心とか意識】を持った存在であるは世界共通の教えの下にはあるのです。

 

日本語の【いのち(命)】とは、息(い)の霊(ち)の意味?

 

自分に心(自・心)たる【息】がある限り。命に終わりは無い

 

 私は子供の頃には旧約聖書の神と称する声から教えを受けていました。だがそのことを自分の肉体の両親にも告げませんでした。そんな神とか霊と会話する等、自分の親でも信じてくれないと解っていたからです。未だ幼稚園に行く前から、自分は天から内密の特殊な任務を授けられ、この世に降りた者という意識を持っていたなのです。為に自分の本当の身分は隠されているとも認識していたです。

 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊声を聞き。三十五歳から稲荷神界に修業の足を踏み入れ、伏見稲荷大社首座神の豊受姫のお世話により、蛇霊や狐霊。そうした霊界の実相を見聞して来た者なのです。私が伏見稲荷山でお世話になっていた頃は、一般的な行者に成るような霊界修業でした。龍神とは霊力があるな!。そんな段階です。

 が、伏見稲荷山を離れて【言霊】の世界に転じて、まったく別の世界が見えて来たと言えます。私は【言霊】とは何か?。が解って、それまで私が持っていたそれまでの神観は吹っ飛んだと言います。言霊の前には伊勢神宮の神も出雲の神も稲荷の神も吹っ飛んだです。が、黒龍神からの群団攻撃を受けて、逃げ回っていた時代とも言えます。

 私の前に大本教出口なお開祖霊と出口王仁三郎聖師と思われる霊が出て来られ、開祖霊から【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられて、大本教を鯉に見立てて解体したと言えます。そこに有ったのは日本の言葉による【恐るべき創造神の計画書】で、伊勢神宮の神とか出雲の神とか稲荷神。仏教の如来とか菩薩とか明王では無く、まさに言葉による万物の創造神。宇宙を創った神の存在証明と言えます。

 

 人は死ねば終わりだと主張する人達の中には、死後の世界が在ると説くと、それを頭から【カルト】だと攻撃して来る人達がいます。カルトとは英語で宗教における【崇拝】の意味で、狂信的な宗教信者を指す時に使われる言葉です。それはその宗教団体が説く教義を真理と思ってその教えに狂う意味がカルトであり、人には死後の世界が在りますよと説くのは【真理】に基づく解き明かしなのです。ただ死後の世界たる霊界は肉体人には解らない世界なので、その解明は非常に困難なのです。

 古代、人に死後の世界が在ることを説かれたのがお釈迦様であり。イエスだと言えます。しかしお釈迦様やイエスが説いた内容は宗教とは成りましたが、その本来の教えは霊界のことがよく解っていない牧師や僧侶によって【真理】が歪められたり埋没してしまいました。霊的世界が存在するだけを語るのであれば、霊感を駆使したスピリチュアルの方がより正確とは言えます。ただスピリチュアルとは四次元スピリチュアルと言われている様に、高次元界の存在が解らないとなります。スピリチュアルとは低次元霊界に関わるなのです。

 

 日本では蛇霊や狐霊が神として祀られています。その蛇霊や狐霊の世界は低次元霊界とされますが、一応は蛇霊も狐霊も神霊として祭られています。しか霊長類の長と言われる人間はどうなのだとなります。そうしたことに関してきちんと説かれていないがあります。

 それを良いことに、死後の世界で貴方は苦しみますと恫喝して自分達が信じる宗教に入信させる。そうしたことが公然と行われていました。それは霊界を見渡してもどこにも創造神と呼ばれる神の存在がはっきり解らず。力の強い神霊の群雄割拠により、神界に【勝てば官軍。負ければ賊軍】の習わしが生じたからと言えます。真理の解明よりも霊力の行使です。

 それが大本教神諭における神界に出ておられる神々の【下剋上】を、新しいみろくの世ではモウ二度と赦さないとなります。神界においては創造神たる国常立尊を下位の神々がその神を追いやって、自分達が地上神界の主宰神となる下剋上が発生したからです。

 

 私は鍾馗と呼ばれる神霊の御案内で中国で盤古大神と呼ばれる御神霊に拝謁したのですが、その盤古大神は国常立尊を引退の艮に追いやった神々に担がれて地上神界の主宰神となられた。私は大本教霊界物語を読むまで、そうした経緯を知りませんでした。しかし私の記憶の中にその当時のことが蘇ったがあります。

 一部の霊能力者は貴方は国常立尊様の元天使長であったと告げて来られましたが、そのことは旧約聖書の神と称する声からも【そなたには私の天使長であった時代が在る。そなたほどこの私に対して忠義であった天使長は居なかった。だが私は人民可愛さに、忠義のそなたを天使長の職から罷免した。それは私の間違いであった。】と告げられたがあります。私はその太古の昔にあったとされる神界戦争に関わって来た者でもあるなのです。

 神界における争いはギリシャ神話などにはありますが、この世と呼ばれる世界は魂の修業場となっていることから、そうした神界で何が起きたのか。これから先何が起きようとしているのかはほとんど解らない。ある意味、この世は霊界の情報が遮断された世界と言えるのです。

 

この世は魂磨きの為に、霊界の情報が遮断されている

 

 英語圏では魂のことを主に【ソウル】。精神を【スピリット】等と言います。そのソウルとスピリットとではどう違うとなりますと、西洋の宗教ではほとんど説明が出来ていません。魂と思念の違いもあまり説かれていません。

 日本では死後の世界たる霊界に渡る存在は【霊魂】と呼ばれますが、スピリットは霊的な事柄であり。魂の漢字を分解すると【鬼が云う】になりますが、これは創造神(牛頭虎パンツの鬼/閻魔)の仕掛けであり。魂とは【玉形の思惟】を指しているのです。ただ【玉形の思惟】ならば良いのですが、【玉型の恣意】だとよくないのです。私は魂に【玉思惟】の漢字を使いますが、【玉恣意】の漢字を言われる方達もあります。

 

玉思惟の思惟は、【哲学】的な根本を意識して思考する

 

玉恣意の恣意は、自分が欲するままに自分勝手な行動

 

 スピリチュアルと称する人達が教える【自分の好きなように行動していいのですのあるがまま】は、魂を【玉恣意】とする生き方で、いくら霊的世界が見えても【左岐】の道に進むなのです。

 

スピリチュアルであるがままは、詐欺たる左岐の道を行く

 

 明治25年に丹波の片田舎の綾部で大本教出口なお開祖に懸かった【艮金神国常立尊】から発せられたのは【世の立替予告】と、我れよしとか自己中で魂を【玉恣意】とする生き方に対する注意です。

 スピリチュアル等では人がこの世に生まれて来たのは遊ぶ為です。この世は楽しむ為の処です。この世で何をしても神の愛で赦されます。そうした主張をする方が多く。人に内在する良心神など、いくら説いても見向きもされないがあります。それはその方の魂は玉恣意型であり、この世は魂を磨く場所という玉思惟の概念がほとんど無いとなります。

 そうしたスピリチュアル標榜者を見ると、そのほとんどの人に黒蛇霊が憑いています。為に低次元の霊的世界はそれなりに見えてはいますが、そこに【玉思惟】と【玉恣意】の違いが理解されていないがあるのです。 それでは聖書に書かれる【人類の原罪】を脱していないと言わざる得ません。

 

下記は魂の写真とされる物(玉思惟の方だと推察される)

 

 下記の写真はこのブログには幾度か出しましたが、これ以上の玉思惟や玉恣意(魂)の写真は世に出ていません。人の目の肉視ではもっと美しい玉を見ることはありますが、それを写真に撮るのはほとんど無理なのです。霊能力者だからと言って写真に撮れるではないのです。本当に美しい魂は【瑠璃玉】の様な存在なのです。一般的にスピリチュアルではオーブ玉と魂を混同したり、飛行機雲を龍神と言ったり、カメラのレンズが起こす光のフレアー現象を霊光と言ったりしているなのです。この世の太陽と霊界の太陽は別物である認識すらされていないがあります。

 反対に汚れた魂はどす黒く。その玉から悪臭を放っています。そんな魂に出会ったら吐き気を催します。その魂の持ち主が自分はこの世で偉い者だと豪語されようと、あんたの魂は腐っているではないかとなります。

 

魂は【玉】と解らないと、魂を磨くの意味が解らない

 

 

魂はその魂が存在する次元界の格で、その大きさが違う

 

人の肉体に入る魂とは、野球ボール程度で心臓に宿る

 

 大本教から【牛虎(艮)金神国常立尊】と【羊猿(坤)金神豊国姫】が出され、そこに十二支の中から牛、虎、羊、猿が世に出されました。旧約聖書には龍神とは霊界で年老いた大蛇霊とあり。そこに【辰と巳】が説かれています。するとそこには【言葉】の仕組みが存在していることが解って来ます。艮(牛虎)と辰巳の間に入る【卯】とは何ぞや!。となります。しかもどうして卯が兔なのか?。

 

兔の【卯】は、何故に【卵(玉子)】を割っている?

 

 普通ならばこうしたことに何も気付かないのですが、私は鍾馗神の御案内で中国で創造神とも天子とも称される【盤古大神】に拝謁しました。ただ盤古大神などはそれまで聞いたことが無い神なので、それを調べる為に大本教霊界物語全集を買い求めたがあります。そこに大本教の出口王仁三郎聖師と思われる霊が私の家の浴室前に、漢字と書かれた浴衣を着て姿を見せられたことから、日本語は【漢字】が無いと【感じ】が掴めないと解ったのです。

 また霊界では発光する金文字の漢字が出て来ることから、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に告げられた【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国。】の意味が理解出来たと言えます。それには【漢字】が必要だったのです。

 

兔の【卯】は、人類を【右左岐】に別けるを語る仕組み

 

 西暦2023年の【兔】年に入ったことで、私に解って来たことがあります。

 

 大本教から【みろく(五六七)】の世に入る者達には【水晶魂】が授与されると予告されました。その水晶魂の意味は今日までの魂は腐ったり捻れて破砕されたりで、永遠の世に生きる魂としては相応しいとは言えませんでした。そこで永遠に嬉し嬉しのみろくの世には魂が腐らない捻れない。仮に魂の表面が汚れても拭き取れる【水晶玉】の授与が世に宣伝されたと解ります。

 その水晶魂に関しては、既に授与されている人達も見受けられます。自分はその水晶魂を貰ったと言われる人達も出ています。ただスピリチュアル標榜者からはそうした報告が無いことから、単に霊が見えるだけではそうした水晶魂の授与そのものは無いと思われます。スピリチュアル標榜は【三四五】の世界が目的で、その次の段階である【五六七】の世を説いているではないからです。

 

 その【五六七(みろく)世】に渡る水晶魂に関して、私にも解っていないことがありました。それはこれまでの長々と輪廻転生を積んで来た魂が持っている【禄】に関してです。人はその人生において悪行を積んでいれば、その悪行は【カルマ】として後世に受け継がれて来ました。それはスピリチュアル標榜でもカルマを語る人ならば知ることでした。では悪行ではなくて善行の分はどうなのかとなります。

 カルマと呼ばれる存在は別に悪行だけで無く善行の積み重ねも言われてきました。当然に善行のカルマは善行のカルマとして次の世に出ていたはずなのです。が、それは閻魔庁を経由していた場合は魂に良心の点数は【徳分】として通算がなされていたが、閻魔庁を経由していなかった生まれ変わりでは、その善業の貯金点が通帳に残されているだけであり、基本台帳に通算されていなかったがあったのです。そこでその古い過去の善業で得た点数も新しく授与する水晶魂に入れる作業に入ったと出て来たのです。

 

それが事実であれば、もう右左岐の作業に入っている

 

 左右に分ける右左岐の【卯】ではない【兔】から、それは【免罪符】の【免】の言葉に繋がっていることが解ります。それは【点】で違うを教えます。それは輪廻転生の課程の中で通算されていなかった点数を、新しいみろく世に渡る魂にも【点数】として継げて上げます。

 

免と兔の漢字の【点】の違いは、そこに意味があった

 

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する霊の声を聞いていました。その声は【私は最後の審判を実施するに当たって、そなたをこの世に使わした。そなたが説く教えに従った者達は悉く助ける。】と言われました。それが朝鮮に残されていた最後の審判前、救世の為に【米一字】の教えが起きる。その【米】の教えに従った者達は天罰が降りないかと思われます。

 しかしその旧約聖書の神と称する声は、私に対して【私はそなたには何の力も与えない。そなたにこの私の力を与えるのは最後の最後の時である。】と言われます。仮にその言葉が事実であったとしても最後の最後であれば、私が説く【米一字】の教えだけでは聞く耳を持たない人ばかりでほとんど広がりません。そんなことは目に見えて解ることなのです。

 為か、【そなたの背後にはこの私が居る。そなたを見て、そなたの背後にこの私が居ることが解り。この私を唯一神と仰ぐ者は一人残らず。この私が救おう。】とも告げられたがあります。その声の主は旧約聖書の神と称しておられましたが、私達日本人は別に旧約聖書の神を唯一神として仰いでいるではありません。

 

 その旧約聖書の神と称する声の神は、この日本では大本教が世に告げた【艮金神・国常立尊】と呼ばれるところの神で有ると解ります。その艮金神国常立尊はこの私を唯一の神と仰ぐならば、【全ての罪を赦す】と告げられたなのです。

 

 すなわち国常立尊を唯一の神と仰ぐ者であれば、これまでの過去世の罪を許す【免罪符】を与えるなのです。

 

艮金神国常立尊を唯一神と仰ぐ者は、過去の償いを免除

 

その仕組みを本格的に開けるのが、西暦2023年から

 

 それを語るのが冥府の長官【閻魔大王】とは、牛虎金神【国常立尊】の異相神であり、節分の煎り豆にも花を咲かせるからです。

 

 

 

 

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