人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

三六九の56億7千万の数字の仕組みで知る第8の世 その1。数霊で解き明かす馬小屋の救世主とは?

 ある方が夢の中の声から【救世主とは根の国・底の国たるこの世に住む人達を、輪廻のこの世から脱獄させる事柄を指す。】と告げられたと言われます。一般的に見られるのはキリスト教などの教えであるイエス一人を創造神の御子だと信じれば、人類の原罪である罪を赦されて天国に入れるです。しかしキリスト教等は仏教を開かれたお釈迦様の【人は何故に生まれて来るのか?。何故死ぬのだろうか?。】の疑問から出た教えではありません。真理とは掛け離れています。

 そうした宗教の教えの中で、この世から【脱獄させることが救世主】の言葉が出て来たです。日本神道ではこの世は【根の国・底の国】とします。日本神道では【人は青人草】であり、人は何かに実らないといけません。しかし何に実るのか?。私達は教えられていないのです。その青人草の世界からの【脱獄】と言えます。それは仏教で説かれた【輪廻転生】の世界から離れることを指します。

 

日本神道は人は青人草 。何の作物に実る青人草?

 

一般的に【脱獄】とは、囚われの世界から別の世界に逃げる

 

仏教はこの世は迷いの世界、囚われの世界。その脱却を説く

 

 スピリチュアル標榜者は別として、優秀な霊能者は【この世は魂の刑務所】とまで言われます。スピリチュアルで説く天国界とは本当の天国界ではなく、中有界の上界で天国と変わらぬ風景を持ちますが、天国と思わせる光景でも霊界の中有界に留まる限りは【輪廻転生】からは抜けきれないなのです。

 そこに今生では好きでも一緒に成れなかったが、来世は一緒に成ろうなどがあります。今の世は輪廻転生があるので、この世に再び生まれ変わってやり直しが可能な世界だからの話です。逆に今世では貴方に迷惑を掛けたから、そのお詫びとして来世では貴方に仕えようもあるのです。

 

今生の業(カルマ)が、来世での【縁】と成るです

 

 しかしまたもや人として出て来る中有界では無く天国界に渡ってしまうと、この世にはモウ簡単に降りては来ないので、この世でまた会うという関係そのものが少なくなるのです。

 

悟りを得た釈尊は、二度とこの世には出て来ない涅槃

 

自分が天国界に進むなれば、一期一会の出会いは大切

 

 お釈迦様が説かれた仏教は、その【輪廻転生】の世界から【脱獄】することを主体として説かれたものです。そこに【四苦八苦】と【108の煩悩】等が説かれています。どれも【輪廻】があることから起きることです。

 

 

仏教で説く【四苦】は、この世に出なければ起きない

 

四苦とは

・生苦(生まれる苦しみ)

・老苦(老いる苦しみ)

・病苦(病の苦しみ)

・死苦(死ぬ苦しみ)

 

 誰しも【生老病死】の四苦は味わうので、よく解る教えです。

 

八苦とは、上記の四苦に加えて

・愛別離苦(愛するものとの別れる苦しみ)

・怨憎会苦(怨み憎しむ者と会わなければならない苦しみ)

・求不得苦(求めても得られない苦しみ)

・五蘊盛苦(色・受・想・行・識の五蘊が盛ん故の苦しみ)

 

 

 この世に降りて来て、意外と気付かないのが【怨憎会苦】なのです。この世の人は皆善人だと思うと大間違いなのです。宗教の世界では、人は生まれつき善なる者なのか悪なる者かが論議されますが、そうした論議をする人達は人は【輪廻転生】の元に降りて来ている魂だ!。の概念を持たない人達なのです。

 人の魂は輪廻転生していると理解出来れば、悪をする人達がこの世に居ることは別に不思議ではないのです。

 

人には過去世があり、カルマで自分を怨み憎む者と出会う

 

スピリチュアルは愛を言うが、反対の【憎しみ】を言わない

 

 仏教の【四苦八苦】の教えは誰しも納得が出来ます。キリスト教のイエス一人だけを主の御子と信じていれば天国とか、アラーの神と讃えていればの教えとでは根本的にその内容が違っています。仏教は人が持っている心の内面(魂)に入り込んでいるのです。しかしながら現代の仏教は末法の世の葬式だけの為の仏教となったので、いくら行を積んでも悟る者無しの状態なのです。

 悟りを得たお釈迦様は自分は二度とこの世には生まれ出て来ないと告げられたとされてはいますが、お釈迦様と同様の【悟り】を得れば、誰しも自分は二度とこの世には降りて来ませんとはなります。

 

この世は【苦界】と気づけないと、悟りにはほど遠くなる

 

この世の苦から逃げるでなく、この世の苦の因を思考する

 

 で、お釈迦様の悟りとは【四苦八苦】だけかと言えば、それだけでは無いと解るでしょう。そこに【108】の煩悩とは何だ!。となります。この108個の煩悩には諸説あるのですが、その一つに四苦は【4×9=36】で、八苦は【8×9=72】のゴロ合わせで【108】の煩悩です。すると???です。

 数学的考えると、(4×9)+(8×9)=108で計算式は合っていますが、数字を言葉に置き換えている。それは変ですねとなります。さらに八苦の中に既に四苦が入っているからです。それではダブっています。すると日本語の数字の並びは【言葉の仕組み】を意味していることに気付かないといけなくなるのです。

 この日本では四の数字は【死】、九の数字は【苦】の言葉の連動として教えます。そして八は【開く】の言葉です。日本では数字が言葉の仕組みとして連動しているのです。すると四九(死苦)と反対に開く八の九】もあるとなります。

 

煩悩を経ずして、悟りを開く為の苦にも至らない

 

輪廻を【脱獄】しなければ、真に魂の自由は得られない

 

 私が霊界修行に入った頃にも、この世は【獄界】であり。その世界から【脱獄・脱穀】の言葉が出て来ました。そこに何故か【脱穀機】の映像が出て来て、しかもその脱穀機の形が【馬小屋の救世主】の意味だと出たのです。当然、その意味など解るはずもないことです。当時の私は未だ【言葉は神】にはほど遠い者だったのです。言霊と呼ばれる存在を知って、【言葉は神】が解って来たのです。

 ノストラダムスの予言詩の中に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない東洋の叡智の飼い葉桶】が言われています。それはキリスト教で説くイエスを救世主だとする【馬小屋の救世主】の言葉の意味に掛かっている型だとはと解るのです。飼い葉桶?。飼い葉桶とは【わら草】が無いと馬が飼えないがあります。すると【わら草】の言葉に意味があるのかとなります。

 それ以前に、私に【イエスの愛の教えは美味なれども、イエスの教えは真ん中が無いドーナツパン。】とか、旧約聖書の神と称する声から【イエスは我が子には当たらず。】と告げられていましたので、馬小屋の救世主とは何等かの【型の示し】であろうと見ていました。

 

東洋の叡智によって解る【馬小屋の救世主】の意味は?

 

 優秀な霊能者はこの世は魂の修行場と言われます。しかしスピリチュアル標榜だと【この世は遊ぶ所です。】等と逆に魂を堕落させる方向に導いて来ます。スピリチュアル標榜者が見る霊的世界とは、人の魂を堕落させる勢力が強い世界と言うことです。それらの勢力は輪廻転生の霊世界から多くの魂が脱獄することを阻止しているなのです。それらは少数派の形成でなくて、それに依って大多数派を形成(形勢)する為なのです。

 

神霊世界は勝てば官軍、負ければ賊軍で数の力で決まる

 

 私が子供の頃は父親の実家が農家だったので農機具小屋に脱穀機がありました。今はコンバインと呼ばれる機械が稲の刈り入れと脱穀の両方をしますので、脱穀機そのものを知らない人が大多数と言えます。脱穀するとは、稲から籾殻や藁などの不必要物を取り除いて【玄米】にすることです。

 

この世からの脱獄として出て来た脱穀機(唐箕)

 

この脱穀機の型が、馬小屋の救世主?

 

 

 

玄米は二度と稲に成らない、脱穀がないと稲と成る

 

 私にも最初はそれが何の意味が解らなかったのですが、日本神道における【この世は根の国・底の国】の意味が解って来たのは、神霊世界に関わっていますと神霊として蛇や狐や狸や猫霊に遭います。ある自称創造神は伊勢神宮の天照大御神の眷属は狸霊だと言っておりましたが、その方は出て来る霊が蛇や狐や狸や猫等に見える意味を理解しておられなかったがあります。

 魂が毛物(獣)に変化して見せる世界からの脱獄(犾編の獄界から脱)であり、どうしてその【獄】の漢字に【言】があるのかが解って来て、言葉の仕組みとは実に恐ろしい仕組みだと解りました。しかしそれを理解出来る人がこの世にどれだけ居るのかとなると、ほとんど居ないだろうとは言えます。

 

日本神道の青人草!。人は青人草から稲成で実る米

 

出口王仁三郎聖師、西洋は副食の麦で東洋は主食の米

 

 日本神道では人は神の天ヶ下の存在で【青人草(あおひとぐさ)】と言います。しかし青人草だけでは、人は稲として実るのか麦として実るのか?。どちらかが解りません。聖書を見れば最終場面は【実った小麦の刈り入れと】なっています。この日本ではそうしたキリスト教の教えとは違い、米と実る前の【稲荷】と呼ばれる稲を銜えた狐神が説かれます。私はその稲荷神霊界で4年間に渡って神霊界を学ばさせていただきました。

 イエスの教えは【パンの教え】とされますが、東洋は叡智で語れる【米】の教えが存在していたなのです。大本教神諭は【この神は煮ても焼いても食べられる。】で【飯屋(メシヤ)】の看板を上げられるなのです。そして大本教神諭も旧約聖書と同様に、種を播いて実った米を【刈り入れる】と書いてあるのです。

 

大本教からは、寿の司の寿司(ス司)神論も出た

 

創造神は最初から米や麦が実ったら刈り入れる計画

 

 私は霊界修業に入った頃に出会った霊能者の方達から、この地球は蛇や狐と呼ばれる霊の存在が支配する低次元霊世界なので、そうした霊達があまり見えない貴方には活動が出来る様な世界ではありませんよと告げられたがあります。蛇霊と呼ばれる存在から脱却出来ていないと、【蛇霊の知恵】の範囲でしか物事を考えられないようになるからです。

 

 悟りを得たお釈迦様は、【自分は二度とこの世には生まれ出て来ない。】と言われたとされていますが、そのお釈迦様の悟りは人々の記憶から忘れさられて、お釈迦様の死後五十六億七千万を経過して現れる【みろく菩薩】によってその内容が告げられて、その教えに従った者達は【未来永劫の世(涅槃)】に渡るとされているなのです。

 しかし誰が考えてもお釈迦様の死後五十六億七千万等、あり得ない数字の話だと解ります。未だこの地球が出来て46億年程度です。五十六億七千万年も先まで人類と呼ばれる存在が在ると考える方が甘々と言えます。仮に人類が猿的な存在からの進化であったとしても、ヒト属(ホモ・サピエンス)として出たのは約200万年前とされています。時間的にも浅いとなります。

 

大本教から出された【五六七】の並びに意味ありか

 

56億7千万でないと、いけない理由があるのか?

 

 今の世を見渡すと、この地球上は水害や干ばつ等の気象変動が甚だしく、人類がこの先もこの地球に住めるかとなりますと、モウ難しいと感じる人が大多数でしょう。とても人類が56億7千万年先までも今の形状を保っていると考えるのは甘いなのです。

 仏教においてはお釈迦様が法を説かれて【正法・像法・末法】の三つの時代が予告されており、今はその【末法】の時期で、さほど先では無い時期にこの世は終わることになっています。その終わりの頃の光景を書いた仏典が【月蔵経】と呼ばれる経典で、仏教での最終予言書と言われています。

 その月蔵経の【法滅尽品】を読みますと、聖書における【ヨハネの黙示録】と同様のことが書かれています。ヨハネの黙示録は太陽も月も星も輝きを失うですが、法滅尽品も同様に太陽と月は光を失い。星の位置が変わる。とあります。但しこの月蔵経は中国で創られた偽書だとする方達もあります。

 しかしながら宇宙全体が一瞬にして終わる?。あまりにも不思議な予言がされているなのです。私はこの宇宙の初発。仏教では【無から有が生じた】とされる映像を見ていて、日本の神社仏閣に鎮まっている神霊とは桁違いの神の存在を認識した一人です。

 

宇宙創造の光景を見れば、神は神社や仏閣の霊では無い

 

 私は霊能者と呼ばれるほどの霊能力を保持した者ではありませんが、子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨み、35歳から神霊世界に修業の足を踏み入れ、世に言われる神々、諸仏の存在。そして過去に宗教家達であった霊も見て来ました。その中にはお釈迦様と感じた方やイエスと感じた存在も見ました。

 聖書に記載される【龍とは霊界で年老いた大蛇霊】も知り。大本教の出口王仁三郎聖師は大多数の龍は霊界で年老いた大蛇霊だが、そうではない龍も在るの龍も見ましたし、羽根が在る天狗と呼ばれる存在も見て来て、西洋で言う天使と天狗とではどう違う?。となりました。

 私は旧約聖書の神と称する声から、【私は今の世を終わらせて、人類を永遠に嬉し嬉しの世に渡す。】と告げられた者です。だたし無条件で全員を渡すではなかったのです。私自身、命じられた用務をこなさないと永遠にこの地球で【輪廻転生】をしていなさいと告げられたなのです。

 

この世の終わりの映像はあり、この世は終わるは言える

 

 私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨み、人には魂と呼ばれる命の根源が在り。人はその魂の修業の為に人のみならず動物等の命としてもこの世に生まれ出て来る。その繰り返しである。輪廻転生の事柄を告げられました。私自身、自分が【牛人】として出た存在から、自分に牛頭の時代も在ったと認識したしだいです。為に私には仏教の祇園精舎の御祭神の【牛頭天王】は、架空の存在とは思えないがあります。

 自分自身が【幽体離脱】と呼ばれる現象を経て霊的世界に渡る。その時、この宇宙空間(霊界)とは如何なる世界かとなります。一部の方が言われているように瞬時にして宇宙の彼方にも飛んで行く自分です。確かに霊的世界における死後の自分の実感は、肉体の自分には信じられない。それは自分自身の実感としても解ります。霊界とは自分で見聞しないと、とても理解出来る様な世界ではありません。

 この世に居る肉体の自分が地球と呼ばれる星から宇宙を見ていると、それはとんでもない広い世界としか見えません。しかし万物の創造神と呼ばれる神が存在するのであれば、この宇宙など万物の創造神から見ると手の平の上で【悟空】を觔斗雲(きんとうん)で遊ばせていた観音菩薩と同程度の話なのです。

 

大本教神諭【九つ花】とは、悟空の【九の魔方陣】の話

 

 三蔵法師が天竺に渡る旅の道中に立ち塞がった【魔王の九の魔法陣】。その魔王の妨害を突破して三蔵法師が【悟り】の為の天竺への旅。悟空が観音様の元を訪れて乞うた【九の魔方陣】の紐解き方。それは単に数字の羅列に過ぎませんが、それを見てお釈迦様の悟り【悟空】を知る仕掛けが創られたていたなのです。

 大本教から【神三千年】に渡る仕掛けが告げられましたが、大本教神愉予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯】を紐解くには、その【九の魔王陣】でお釈迦様の【空を悟る】だけの力量を必要としたのです。

 

九の魔方陣を紐解かないと得られない天竺(天の傘)の旅

 

 弥勒菩薩の五十六億七千万とは、いったいどこから来た数字だとなります。その五十六億七千万の数字の根拠を示した経典が、仏典を見渡してもどこにも存在していないのです。私は大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】で、それは大本教から出された九曜の紋とか十曜の紋などでは無く、違う形の九つ花を見ていて、そこに【数字の仕組み】として五十六億七千万の数字が出ると解って来ました。

 ただそれには【数霊】と【言霊】の存在を知る必要があります。しかしお釈迦様はそうした【数霊と言霊の連動】に関しては何も説いておられません。キリスト教のイエスもイスラム教のムハンマドに至ってはそうした言霊や数霊の知識すらありませんでした。ただこの日本の大本教から、その数霊と言霊の連動が説かれたなのです。しかしその言霊に関しては、日本語で無いと解き明かすことが出来ないなのです。

 

 私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声に、【この国(日本)は私の教えで満ち溢れた世界で唯一つの国である。私の教えは世界のどの宗教書にも載っていない。】と教えられた者です。それと同様なことが大本教神諭にも説かれていました。

 大本教で【日本人は国常立尊の選民】としたことに対して、キリスト教などの愛の教えに固まった日本人が、大本教の神は尻の穴の小さな神だと言ったらしきことの反論として、日本の言葉は【神の言葉】であり。日本人の魂は外国人の魂とは一段も二段も上の魂であるです。一見するとウシトラ金神は【依怙贔屓】の神に思えますが、魂論からするとこの日本に生まれ出るのと外国に生まれ出るのとでは意味が違うなのです。  

 それは聖書における創造神は、6日間でこの世を創られて7日目を安息日とされたとします。日本神話では今の世は神代の七代であり、その神代七代の時代を終えて、神代【八の代(世)】に向かうを数字の仕組みとして出されたのが【五十六億七千万】の数字の意味なのです。ただそれを知るには【九霊界】の知識が必要なのです。

 

その【九霊界】を知るには、【龍宮の音秘め】を知るが必要

 

みろくの56億7千万は、第7の世を終えて第8の世を語る

 

 ですから56億7千万の数字の意味は、別にお釈迦様の死後56億7千万後の話では無く、これまでの世ではなくて新しい世に移行することを示した数値だったなのです。

 キリスト教徒はナザレのイエスが【救世主】だと思い込んでいます。霊界においてナザレのイエスの地位は高いと言えば高いのですが、全キリスト教徒を救える様な立場にはありません。それは霊的世界で説かれる【天使の階級章】と呼ばれるものを見ると、神界におけるイエスの地位は自ずから解って来ます。

 大本教の出口王仁三郎聖師が自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われた事柄は霊能力者から支持されていますが、そのことは天使の階級章からすると自然な道なのです。

 

イエスは40日間荒野をさ迷い、41日目に神の一人御子

 

イエスは悪魔を退けた【41】の位が、魂の救世主の意味

 

 ただ大本教からは【567】の数値の示しだけで、【7つの0(霊界)】たる存在が抜けている為に56億7千万の数字を歌うことが出来なかったなのです。為に大本教からはみろくの世とは【松の世】と説かれましたが、それも【第八(8)の世】の説明が抜けていたなのです。

 

みろくの世は第8の世で、必然的に二つの世界に別れる

 

 大本教霊界物語の第一巻に【白狐(稲荷)は下郎の役で参加する。】とありますが、発信者不明のトドメの文と呼ばれる物の中にも白狐ならば赦して使わすがありますが、

 

稲と実った【米たる者】は脱穀(獄)して神の御国に渡る

 

 

 私は稲荷神界に修業に入って、稲を銜えている狐象と鉤がついた巻物を銜えている狐象。その両方を見ていて、鉤(鍵)が付いた巻物と稲で解き明かすことかと考えていました。それが大本教神愉予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】を紐解かせるとなったなのです。

 

狐の瓜は【宇宙の理】で、宇宙の理を秘めた稲荷とは?

 

 

 

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