俺「AのBって楽曲、いいよね」
ネット上の誰か1「は?おまえ、耳腐ってんじゃないの?Aの作る曲なんてクソだろ。そもそも、Aなんてもう古いだろ。何年前の話してんだよ」
俺「いや、俺もBが完璧にいいとは思ってないんだよ。構造の話をするならBはいくら転調しようが王道進行、カノン進行はたしかに目新しさはない」
ネット上の誰か2「は?Aが作る楽曲は最高だろ?あのBにケチつけるの?おまえ、Aみたいに売れる曲作れるの?」
俺「そりゃ、俺は素人だし、偉そうなこと言える立場じゃないけど、あと、作曲技術が高かろうが、奇をてらって作ろうが、売れないものは売れないし、バカでも作れるほど単純でも売れるものは売れる」
ネット上の誰か3「作曲家が何を考えてようが、レコーディングエンジニアが何を考えてようが、どうでもいいんだよ。俺は単なる消費者だから、聴いていいと思ったものがいいし、クソだと思えばクソなの」
俺「そうか?俺も子供の頃はそう思ってて、いわゆる邦楽をクソだと思ってたけど、中年になって曲がりなりにも作曲する趣味ができて、邦楽再評価するようになって、寧ろハマってる」
ネット上の誰か4「知るかよ。俺はAのBはそんな小難しい話は知らんが、歌詞は最高にクールだと思ってる。あの歌詞にもケチつけたいの?」
俺「歌詞は正直今の自分も好きじゃない。というか、歌詞は日本語読めれば誰でも評価できるじゃん。詩とか短歌とか俳句を評価するのに知識はそんなにいらないじゃん」
ネット上の誰か5「そもそもさ、Aの楽曲って世界的にも評価されてるし、業界の重鎮の~とか~にも評価されてるし、~もプロデュースに加わってるし、おまえ、ケチつけられる立場なの?」
俺「~とか~は当然知ってるし、そりゃ凄いね、とは思うけど、まず、構造がそうなってるのは事実だし、そういう技術が高いから楽曲がいいというわけではない、ということはもう言ったよね?」
ネット上の誰か1「やっぱ、おまえ、耳が腐ってるよ」
俺「そうか?まあ、ビートルズのあのジャーンみたいなの、世界中のみんなが聴き取れてないし、俺も聴き取れなかったし、でも、普通の曲は毎日耳コピしてるよ、聴き取れない音はあるけど」
ネット上の誰か1「ビートルズwww何年前の話してるんだよwww老害かよwww」
俺「なんか、おまえ、ムカつくな。ビートルズをバカにするもんだもないと思うぞ。俺も子供の頃はビートルズの価値が分からんかったけど、あれは膨大な音楽的実験の蓄積でもあるだろ」
ネット上の誰か2「で、結局、おまえはAのBって楽曲をどう総合で評価するんだよ?いいの?わるいの?」
俺「正直、構造とか技術でBはいいと思ったけど、曲単体を総合で考えると、正直、BというかAの作る曲があまり好きではないのかもしれない」
ネット上の誰か4「じゃあ、嫌いなんじゃん」
例えば、ゲームだってそうだけど、ゲームプログラミング的にこういうアルゴリズムが面白いね、とか、C++とかC#とか使わないでRustでゼロからエンジンから作ろうとか、挑戦する価値はあると思うし、
積極的にそういう求人もすることで、UnityやUnrealに対抗する開発環境を作ろうとしている、みたいな意気込みを評価するのと、
実際に開発しているゲーム、そこからできたゲームがクソか、というのは別の話だと思うし、技術だろうが、ゲーム自体だろうが、複数の要素で構成されてるわけで、
~はいいけど、~は駄目だよね、という話であって…。
俺「そもそも、全面的に~を肯定する、という感想になることって、俺はあまりないんだよね。なんだって、良いところと悪いところがあって、それを指摘したら叩かれる、全面肯定しても叩かれる…」
俺の中の俺「それって、結局さ、おまえに自信がないんでしょ?他人の評価気にしてるから、他者が作ったコンテンツにケチつけたり、評価しちゃうんでしょ?自分で素人ながら作ってるから尚更そうなる」
俺「そうなんだろうな。自分が作ったものを自分が全面的に肯定できてれば、つまり自己肯定感100%だったらこうはならないと思う」
俺の中の俺「まあ、それはそれで、俺が作ったものは落書きレベルの絵だろうが世界最強で、ピカソやゴッホにも勝てる、みたいな話にもなるだろうけどな、それはそれで」
俺「まあ、でも、俺、ピカソもゴッホも大好きなんだよ。子供の頃にはあの良さが分からなかった。ピカソもゴッホも下手クソだと思ってた」
俺「え?ある意味、今でも下手だと思ってるよ。そもそも、下手だと思ってるものに、下手だね、って、まあ、直接言うのはどうかと思ってるけど、内心そう評価するのは駄目なの?」
俺の中の俺「だって、世界的に凄い人とか偉い人が評価してるんだぜ?下手なわけないじゃん」
俺「あのさ、敢えて言うけど、今の自分はピカソもゴッホも大好きだって繰り返し言うけど、でも、俺はピカソもゴッホもある意味下手だと思ってるし、あの下手さが超スゲーと評価してるんだぜ?」
よく言う話だけどさ、例えば子供の個性を育てるとか、個性とはそもそもなんぞや、みたいな話をするけどさ、特にゴッホがそうだけど、あの下手さが個性なんだよ
例えば、なんかの楽曲を耳コピしようとしても、いくら耳コピを繰り返して、市販の誰かが耳コピしたスコアとか、ネット上で耳コピした誰かの情報とか、
そもそも、その楽曲を作曲した本人でさえ、ここ、どうやったっけな、みたいな感じで覚えてないんだよ。
だって、作曲家がスタジオに持ってくる時点で完璧な譜面になんかなってることは普通ない。
ぶっちゃけ、素人の自分には読めないような、ミミズのたくってるだけじゃん、みたいな譜面持ってくる。構成譜?とか。
Aメロ、Bメロ、サビ、コード進行はこんな感じ、みたいに五線譜じゃない、適当な小節とコードのアルファベットだけ書いてある、が、あればまだいい方で、他人が全く理解できないものを書く人もいる。
逆に、作曲者がガレバンとか何らかのDAWで簡単に作ってきてしまうことが最近は多い気もするけど、それはあくまで叩き台。
スタジオにそれを持ってくるか、その以前の段階でネット経由で配って、スタジオではそれぞれ担当の楽器で自分なりのアイディアを持ち寄って、その場で決めて楽曲を作っていく。
作曲者が完璧な譜面を持ってきて、スタジオで各パートはそれをただ弾くだけ、ってことは普通ないし、あるとしても、だったらそれはそれで各パートの意味がない。それって単なる演奏する装置だろ。
もちろん、例外というか、オケみたいなのは別なんだろうけど…。
更に燃える話をするけど、最近、優里という人の「ピーターパン」って曲が好きだって人がいたんで、どんな曲なんだろうって聴いてみたんだけど、
楽曲の構成とかはともかく、全体的なクォリティ、演奏のレベルみたいなのは、当たり前?だけど、プロの仕事だから評価できるんだけど、
MVを見てしまったから尚更なんだけど、映像もだし、歌詞が駄目だった。
もう、これは生理的な話で、例えば、音楽に政治性を込めるな、みたいな話があるけど、自分は政治性を込めて何がわるいの?とは思ってるけど、
でも、歌詞に政治性が込められてて、それが自分の政治性に反したら不快じゃん?
例えば、歌詞にあまりにも人道的に反してたり、道徳倫理的にあまりにも反し過ぎてるのが込められていて、それを自分が共感できるのか?というと共感できないと思う。
その曲の歌詞を評価するのは、いわゆる「反社会性パーソナリティ障害」の人たちだけだろうと思う。
もちろん、初音ミク界隈とかで、明らかに希死念慮、メンヘラ傾向の楽曲が流行ってる、みたいなのはあったと思う。
あれも、正直、自分は好きではなかった。
好きではないけど、それと音の評価、つまり歌詞を抜かした他の評価はまた別だろうとも思った。
ただ、特に歌詞に政治、思想、それこそ宗教とか込めたら、燃えるんだろうな。
クリスチャンロック、いわゆる賛美歌だって、他の宗教からしたら不快かもしれないし、他の宗教には他の神様のための賛美歌がある。
わざわざイスラム教のモスクの前とかに行って、キリスト教の賛美歌を歌ったら、単なる嫌がらせだろう。
ピカソもゴッホも、絵が下手だと思うけど、まず、ピカソは有名な話だけど、めちゃくちゃ絵が上手い。天才的にうまい。
でも、その、上手い、という評価は、既存の絵画の技術的にとか、世の中一般の人が言う絵が上手い、であって、そもそも芸術ってカウンターカルチャー的であるべきというか、
誰かが誰かの発明を壊す、更に誰かがまたその発明を壊す、その行為の繰り返しであって、天才みたいに発明できない凡人はそれをパクるぐらいしかできない。
音楽理論だろうが、絵画の話だろうが、凡人は天才たちが積み上げてきたそれをパクることで天才に近づける、秀才になれる。
もしかしたら、凡人もその巨人の肩に乗るついでに、ちょっとした発明をして、一瞬だけ天才になることができるかもしれない。そんな一攫千金的な淡い期待も正直内心はある。
でも、そういった天才の技術をパクろうとしなければ、逆に一向に音だろうが絵だろうが、上達はしない。
ひたすら天才の音を絵を消費して、ひたすらパクるしかない。まずはパクる。疑問を持たずにパクる。
彼は新しい絵画手法を発明し、それを画商や世間に認めさせ、巨万の富を得たし、モテモテであった。
しかし、ゴッホは生きてる間に売れた絵は一枚だけだったし、挙句の果てには耳切断しちゃうし、ロリペドのゴーギャンとシェアハウスしても揉めるし、散々な人生だと思う。
恵まれてないにしろ、正規の絵の教育をまったく受けてないはずはないのに、絵がああなっちゃうのは、寧ろ天性の才能なんだと思う。
どんなに偉い上手い先生に、こう描け、と言われてもそうはならないのは、もう個性だと思う。
俺はいわゆる音痴とか、運痴とか、絵が下手というのも個性だと思う。
その下手さが突き抜けたところに、その個性が芸術として認められる可能性がある。
ゴッホの絵を見ているといつも思うのは、彼にはいわゆる光が、光子とでもいうべきか、がああ見えていたのだろう、ということである。
3DCGの世界などでは、光を粒子として考えてレンダリングすることがある。
レイトレとか、フォトンマッピングとか、色々あるだろうけど、古典的な絵画だって、画家という目をカメラにしたCGである。
画家がカメラと同じように正確に描けば、写真のような絵ができあがるだろうけど、でも、それって現代ならカメラでできるよね、面白くない。
それより、カメラとして不正確だったり、変なカメラの方が、できあがる絵が面白いはずだ。
絵が下手な人は、寧ろそれは俺の個性だ、と自信を持って、開き直ることが大事だと思う。
自分は、どちらかというと絵が上手い方だ。
街中で自分を含めて10人集めたら、自分は上位3に確実に入る方だとは思う。
いわゆる上手い絵、というのは、単に上手いだけ、努力や練習に比例するだけの技術、単なる受験勉強や競泳や短距離走、マラソン、個人競技と同じだ。
そこにはそんなに価値はない。
いわゆる、下手な絵を逆に見て、自分の方が刺激されることがある。
あるテーマ、お題を与えられて、みんなで絵を描く、みんなで短歌や俳句を作るとき、他人の作品の技術レベルが低かろうが、感動する、心が動く瞬間がある。
いわゆる、その考えはなかった、である。
そう来たかー、と感心してしまう。自分には思い付かなかった妙案を繰り出された感じになる。
作るたびに、なんか違う、思ったようにならない、全然感動もしないし、自己満足もできない、できれば自己満足したい、100%自己肯定したい。
夢中になって作って、徹夜して朝になって、ご飯を食べて再度部屋に戻ってきて、なんか違う、全然駄目だ、ゴミだ、となって昼夜逆転を直さないまま寝てしまう。
いや、自分だけじゃなくて、あらゆる人間が生きてること自体が無駄だ。そもそも、人生自体が無駄なのだ。
もちろん、神様が計画なさっていること、それがトータルで素晴らしい方向に向かっていること、そこにあまり疑問がない。自分の宗教観でそこに疑問はない。
ひとひとりの命が神様的に、この世界的に意味があるとしても、俺は納得してないぞ、俺の意見はどうなるんだ?となる。
しかも近年AIだのなんだので、尚更人間ひとりの生きてる意味なんてなくなるだろう。
その生産したものはどれだけ他人の役に立った?他人に貢献できた?
思うに、原作の「君たちはどう生きるか」にしろ、宮崎駿にしろ、「生産者側に回れ。ものを生み出す人になれ」というのは、ある意味ではゼイリブ的な世界観だろう。
原作にしろ、宮崎駿にしろ、どうもあの「君たちはどう生きるか」をちょっと読んで思ったのは、あー、良いこと言ってるけど、これはこれで赤っぽいというか、共産圏の考え方だろうな、と思った。
それに、じゃあ、豆腐を生産する側になった、豆腐屋になったとして、今、近所にいわゆる豆腐屋、個人経営の小さい豆腐屋があるか?
住んでたド田舎は最寄り駅までも長々バスに乗ったり、舗装されてない泥道を自転車で走ったり、最悪な環境であったが、最寄り駅の近くに個人経営の豆腐屋はあった。
でも、今は比較的都心に住むようになって、そんな豆腐屋は見たことがない。
そのうえ、近所に豆腐を製造している工場があるが、ブラックで劣悪な環境だったり、なんかトラブルが起こって、それで全国ニュースになった記憶がある。
今、自分が住んでる場所は都心に近いとはいえ、工場の多い街なので、度々なんかが解体工場で爆発して中年の従業員が即死したとか、そんなニュースが多い。
あと、町工場自体も個人経営の豆腐屋のように減少していっているので、正直街に活気があるのかというか、町工場の地区にはない。ぶっちゃけ寂れてる。
活気があるのはイオンとかショッピングモールとか再開発地区とか、市が優遇する土地が予め決まっているのである。
宮崎駿にしろ原作にしろ、結局、豆腐を生産する、生産者側になる、ものづくり、クリエイター側になるって、それでもジャッジは「資本主義」的なものになる。どうしてもなる。
そんなことはない。生産している姿、労働している姿こそが尊いんだ、という意見も分かるが、現実はそうだろ。
宮崎駿を宮崎駿たるものにしているもの、一日中アニメ作ってても文句言われない環境、彼を天才たらしめてる評価は、なんだかんだ資本主義的なものだろう。
それを突き詰めていけば、日本生産性なんたら、みたいな話になるわけで、もうそれは人間は単なる製造装置である。
じゃあ、仮にこのままAIが人間より生産性が高くなっていくんだとしたら、人間もういらないよね、となるだろう。当然なる。
自分は昔からそういう物語を妄想してて、大友の工事中止命令だったかじゃないけど、すべてがオートメーション化された工場が人類滅亡後も動き続ける話を妄想してたりして。
人類が滅亡しても、AIは回路とか半導体部品を設計し続けるし、改良し続けるし、ロボットはそれを製造し続けるし、ロボットはロボット自身を直し、改良し続ける。
AIも自分で自分のコードを自己修復できる。そんなありえない世界になったらどうなるかな、という思考実験だった。
でも、最近、まあ、まだまだだね、とは思うものの、ちょっとそういう世界が現実味をおびてきたのがショックではあったのだ。
少なくとも、俺の存在価値はなくなる。なくなった気がする。
俺はAIどころか、世間一般の凡人よりも遥かに能力が低く、生産性が低いからだ。
しかし、宮崎駿みたいに作る側にならないと駄目だ、と他人に言われようが、生まれてしまった以上死にたくない、という気持ちは一方である。
どうするか?
話の最初に戻ると、結局、自己肯定感120%で生きていくしかない。
俺は生きてる。日本は運がいいことに、憲法に生存権もある。何が悪いんだ???
ゴミやクソみたいな絵や音を生産したり、しないで寝てるだけの、生きてても生きてなくても、この世界に全く影響を与えない生物で
長いのでAI判定