人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

瞬時のこの世での幸せと、永遠の世での幸せの天秤。どちらが得かの計算が出来ない人達

宗教は魂の存在を説くが、魂が腐る潰れるを教えない

 

 私は子供頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【この世は魂の世界からすると修学旅行に出たような短い時間にしか過ぎない。その僅かな時間のこの世で刹那心(今さえ良ければそれで良いの短絡的な考え)に溺れると、永遠に生きられる命を持った魂を腐らせたり潰してしまう。】と教えを受けました。

 あいつの魂は腐っている。そうした言葉を聞きますが、自分が実際に霊的世界に関わって腐った魂。捻れて破砕された魂。鼻が曲がりそうな悪臭を放っている魂。そうした存在の魂を見て来て、魂と呼ばれる存在を深く考えるようになったと言えます。そして魂には【色】があるのです。

 

 仏教で【色】と呼ばれる事柄は説かれているのですが、その【色】の言葉はどこか来たのか?。どのような事を色と言っているのか?。です。日本人は仏教徒なので多くの宗派で【般若心経】と呼ばれるお経を唱えます。その中で【是色空即、空即是色】が色を知る上で有名な文節ですが、霊的世界で見る魂。それを抜いて【色】を論議しても理解されることはまず無いと言えます。

 霊界と呼ばれる世界はこの世から見れば【空】です。お釈迦様は前人未踏の荒行を積まれましたが、霊的世界は行を積めばその存在が誰でも見られるという言う世界ではないのです。お釈迦様は荒行の後に冥想(思惟)の世界に入られて、悟りを開かれたわけです。今日でこそ霊界は【次元】が違う世界と語られるようになりましたが、この次元が違う世界は肉体の感覚では掴むことが出来ないのです。言うなれば冥土の世界ですから【瞑想】の方が解りやすいのです。そこに何故に人の魂は次元が違う世界に存在しているのか?。次元の違いから神と呼ばれる存在が浮かぶと言えます。

 

魂とは玉形の思惟で、深い洞察力が無いと命が保てない

 

 この深い洞察力の段階に応じて【次元界】となって来ます。で識界レベルとも呼ばれていて、一説ですが創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。マホメット(ムハンマド)は第四識界と言われています。その識界とは別に魂が持つ波動から【次元界】を見る向きもあるわけです。この波動にしても識界レベルが高くないと、波動も高くないがあります。

 一時期、一部の方達から救世主だとも言われていた七次元界からの使者の著本で知られる【五井野正】博士やヨガで知られた【本山博】博士などはその七次元格だと言われていました。巷で自分は救世主ですと名乗る方は七次元格を自称される方が多いのですが、お釈迦様の段階を超えるというのは難しいことなのです。

 いずれにしてもスピリチュアルとは四次元界スピリチュアルと言われているように四次元界には関わっていても、【五次元界】を目指す状態にはなっていないなのです。

 

高次元霊界を目指すであれば、霊が見えるでは足りない

 

 霊能者と呼ばれる方達にそうした腐った魂や破砕された魂の欠片の行く先を聞いたところ、腐った魂は次の世には【みみず】等に生まれ変わる。破砕されたような魂の欠片は【蚊やゴキブリ】等の昆虫に生まれ変わる。そうした生命体になれば、今のような人として出て来るには一億年間ぐらい掛かるだろ。そうしたことを語られる霊能者の方達にも出会って来ました。

 腐った魂や捻れたりつぶれたりで破砕された魂が存在する以上、一部のスピリチュアル標榜者の【神は愛ですから、何をしても神の愛で赦されます。】の論理とはまったく違っているなのです。私は旧約聖書の神と称する声のみならず、多くの神仏からも【この世は魂の修学場・魂を磨く場所。】と聞かされた者なので、一部のスピリチュアル標榜の方達の【この世は遊ぶところです。魂磨きは辛いから止めましょう。良心の呵責は思いから捨てましょう。】の論にはとても同意は出来ません。

 

 魂はこの世に修業・修学の為に降りているのであれば、その降りた人生、どの人生も素晴らしかった。楽しかった。そうはならないなのです。ある人生はとても苦しい人生であった。ある人生はあまりにも辛い人生であったがあります。が、魂は永遠に生きるも出来るので、今世は辛い人生であっても来世は幸せになることも出来るなのです。

 私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声を聞いていましたがその声は、【そなたの今生はとても辛い人生に成る。あまりにも辛い役目から、そなた以外の他の存在に今回の事柄は頼むことも出来ずにそなたに白羽の矢を立てた。この神の為に死んでくれと申しつける。】とまで言われたなのです。

 

この世は天人界に進む道もあれば、地獄に墜ちるもある

 

 そうした中で一部のピリチュアル標榜者の方が説く【神は愛だから、何をしても赦されます。】等の教えは誰から聞いたのですか?。となります。そこに人類が知ることが出来なかった霊世界とは、どのような世界が在るかなのです。

 仮に一部のスピリチュアル標榜者の方が言う【この世は遊ぶところです。神は愛だから何をしても神の愛で赦されます。】の教えに従って、自分の魂が腐って【ミミズ】の様な生命体。魂が破砕されて【蚊やゴキブリの様な昆虫】に生まれ変わったとしても、それも【神の愛】とは言えば神の愛です。何等かの命を貰ったからです。その時、その生命体は自分には曽(かっ)ては人の姿をした時代があった等、思い出すもしないでしょう。

 

人姿は神に最も近く。蛇霊も狐霊も神霊は人姿で見える

 

 有能な霊能者達はこの世は蛇や狐の神達が支配していると言われます。私は神霊界に修業に入り、確かにこの日本では八百万の神達とか龍蛇神とか狐霊とか天狗霊と呼ばれる存在が神として言われています。西洋の様に一神教、唯一神の存在の上に成り立っているではありません。さりとてスピリチュアルで定番の自分には天使長ミカエルや大天使ガブリエルと称する霊が降りて来ると言われても、その霊達がその人に霊界の仕組みを語るかと言ったならば何も語っていないし説明もしていないにぶつかるわけです。

 為にいくら自分には天使長ミカエルや大天使カブリエルが出て来ると言われる方達が多数居られても、そこから霊界の様が何も出て来ないという不思議にぶつかるわけです。

 

 世紀の大予言者で知られた大本教の出口王仁三郎聖師は、ミカエルという名の天使長は存在していない。省みる【カエリミル】の言葉の意味だと記しておられますが、私は天使長ミカエルとか大天使ガブリエルと名乗って出て来る霊の存在を否定してるのではないのです。確かにそうした名乗りをする連中は居るです。しかし彼らがどの程度の力を持っているかと言えば、ほとんど無いのに等しいなのです。彼らも知らず知らずに何らかの力で動かされているのではないかです。

 大本教神諭に【この神(牛虎金神)が世に出ておられる神達をたぶらかして使っている。】とありますが、世に出ている神霊達の多くが世の表に出ていない神に知らず知らずに動かされているのではないかです。

 私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書神と称する声は、【この神が書いた神の世界の舞台の筋書き、世に出ておられる神も人民も知ることでは無い。この私だけが筋書きを知っている。】と告げられたからです。

 

魂を厳しく育てて磨こうとする霊は【鬼】と呼ばれる

 

魂を甘やかして堕落させる神は、良い神だと思われる

 

 この世は魂の修業・修学の場。天人の苗床であれば、この世に居る魂を磨く指導をする神霊はこの世の人達から【鬼】呼ばわりをされます。時には悪魔(サタン)呼ばわりもされます。しかしこの世の魂を堕落させて腐らせようとする神霊は、逆に甘い言葉を告げます。その魂を腐らせる【メリット】はどこにあるかなのです。

 

魂に甘い餌を与えて、その魂を食べる一団もある

 

 私は自分に地獄界に墜ちている様な霊をも救う不思議な権限があり。原理原則が支配する霊界でどうして自分はそんな権限を持つのか疑問を持っていましたが 、私の背後には仏教で【閻魔大王】として説かれる存在があるからと解りました。大本教の霊界物語にウシトラ(牛虎)金神国常立尊様は、日本の神でありながら仏教の閻魔大王として世に出られた逆【和光同塵】を記しました。

 仏教の閻魔庁の門番たる邏卒の鬼達は【牛頭虎パンツ】の存在として語り継がれています。牛頭虎パンツで【牛虎(ウシトラ)】を教えて来ます。そう、誰かが作為しています。

 

 キリスト教の教義では冥府(黄泉の国)の長官を悪魔(サタン)としています。イエス一人が絶対的な創造神の一人御子で在るとする以上、イエスを絶対だと仰ぐ信徒を地獄に送る様な存在はキリスト教の教義としてはあってはなりません。しかしそれは霊界の論理が解っていない者達が編み出した論理とも言えるなのです。

 

666を弥勒とした大本教と

 

666を悪魔としたキリスト教

 

 それはこの世をどう見たか?。この世の定義付けが違っているなのです。

 

天国界に渡る禄(6)は、この世の苦(9)で創られる

 

 キリスト教ではイエス一人を主の御子と仰げば天国界と説きますが、それで天国界に渡っている様なキリスト教徒など一人も存在していないでしょう。天国界に入る判定の点数は良心神の点数です。愛も善と結びつけば良心神の点数にはなります。キリスト教徒で天国に行けたのはイエス云々ではないなのです。その人が良心の人だったからの要素なのです。

 大本教は直に【良心神】を出しませんでしたから、【愛善】として説いたとなります。大本教の場合は出口なお開祖や出口王仁三郎聖師個人を神として仰ぐ個人崇拝教にはなっていません。

 

どの宗教を信仰しようと、天国に入るのは良心神の点数

 

 私は昭和五十五(西暦1980)年に私の身に起きた自分の目は開いているにも関わらず、何の光も見えない真っ暗闇に落とされて地底から響く恐ろしい声が臨み。子供の頃から旧約聖書の神と称する声が臨んでいたので、その時節が来たかと神霊界修行に足を踏み入れました。

 で、伏見稲荷大社の首座神であるところの豊受姫から、【あなたは言葉の神と呼ばれる尊き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と同じであり、貴方の言葉の教えに従えないと言われる神々は終わりの時に天帝に反逆した者達として如何なる地位にあろうとも天帝により裁かれます。】と告げられたなのです。

 そんなことを言われても、【言葉による教え】とは何だろうとなります。私は豊受姫から言葉の神と言われたことから、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(火水)】が実に怖ろしい仕組みであると解って来たなのです。そして子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け。】と言われた意味が解って来たなのです。

 

 みろくの世とはこれまで【永遠の嬉し嬉しの世】だと宣伝されて来ました。そのみろくの世に入るには【それなりの苦】が必要なのです。

 

苦(9)を無くして、天国の禄(6)が得られない

 

 魂の修業場、修学の場とされるこの世は遊ぶ世界ではないのです。この世の僅かな時の【苦】に負けて、永遠の命として生きられる魂を亡くしてはいけないのです。

 私は神霊世界に修業に入って、神々の世界に【良心神】が存在しないことから、もはや三千世界に我が身を置く場所無しかと悲嘆しましたが、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】に辿り着き、そこに五十六億七千万のみろく菩薩の意味が解った時、どこにも存在していないと思われた創造神(天帝)が存在しておられる。それは絶対的確信に変わったのです。

 

 

 

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