「厩舎のカタチ」/和田慎司コラム
2025/05/27
(火)
18:00

【厩舎のカタチ】31年目の「集大成」――キズナと絆のトレーナー/佐々木晶三調教師

 週末のレースだけが競馬じゃない――。和田慎司記者が紡ぐ厩舎関係者たちの物語。その人が持つ哲学や背景を掘り下げ、ホースマンの実像を競馬ファンにお届けする。

【厩舎のカタチ/佐々木晶三調教師】

佐々木晶三調教師
佐々木晶三調教師

 ノースヒルズの前線基地、鳥取県の大山ヒルズでお披露目された、JRA総合と2歳のリーディングサイアーを記念した第80代日本ダービー馬キズナの銅像。その除幕式で、ノースヒルズ代表の前田幸治氏、同馬のオーナー前田晋二氏、そして主戦を務めた武豊騎手と並び、競走馬生活をともにしたトレーナーは、記念撮影でサービス精神旺盛にレジェンドとガッチリと握手を交わす。

「手袋をしていたのに外すのをすっかり忘れて、(手袋だけ)消してほしいよね。まぁ、誰も見ないか」。ちゃめっ気たっぷりに笑う佐々木晶三調教師がダービーを制したのは12年前の2013年。今や舞台を北の大地に移し、押しも押されもせぬ日本競馬をけん引する名種牡馬となったキズナは「誇らしいし、子どもが走るレースは気にして見ているよ。前田(幸治)会長に〝この子はダービーを勝てます〟とも言っていたし、種牡馬としても〝絶対に成功する〟とずっと思っていた」

 自らをダービートレーナーにしてくれた名馬を、調教師生活の「集大成」と称する。それはキズナが功績を重ねるのと時を同じくして、真っすぐに終着点へ向けて歩み続けてきたからこその思いであろう。

 騎手を目指し故郷・山口から中学卒業後に上京。馬事公苑の長期騎手候補生を経て、1974年に騎手デビューした。初騎乗Vの離れ業を遂げたが「体重が重いから、前検量が終わったら競馬が終わっていた感じでした」と、減量との戦いが続いた。落馬で重傷を負った福永洋一騎手に代わり手綱を取った79年ホースメンテスコの桜花賞では「どうせクビになるんだったら、好きなことをやれ」と、今なお通ずる勝負師としての真骨頂を発揮しての逃げ切り。騎手として唯一のGⅠ級競走制覇を果たした。現役通算137勝。約10年で騎手人生に別れを告げた。

79年ホースメンテスコでGⅠ級競走を制覇
79年ホースメンテスコでGⅠ級競走を制覇

 そんな師には、ある信念があった。「あんちゃん(見習い騎手)の頃から、馬を一番分かっているのは厩務員や直接かかわっている人だと、ずっと思っていました。昔は調教師に従うことが絶対で、助手のときもそう。この馬にはこういう調教をした方がいいと思っても、ほとんど取り入れられる時代ではなかったし、〝それなら〟と思って調教師試験を受けた身だから」。調教助手として10年近くのキャリアを経て、94年に調教師免許を取得し、厩舎を開業した。

 その思考は30年以上が過ぎた今もブレることがない。押し付けはせず「自主性」を重んじ、対話を繰り返す。「〝どうしたらいいと思う?〟とずっとスタッフに問いかけてきたし、例えば〝この馬は誰(騎手)が合うと思う?〟と聞けば〝気性が激しいので、当たりの柔らかい騎手がいいかもしれません〟と答えを返してくれるしね」。そこに「あうんの呼吸」だった佐藤哲三元騎手ら、乗り手の意見も加わる。

 厩舎をつくっていくのはスタッフ。だからこそ真剣さは持ち続けてほしいと願う。「のびのび楽しくではあるけど、〝厩舎や俺のためにやるんじゃないよ。自分のためにだよ〟とスタッフには最初に伝えてきました。〝手抜きはダメだよ。真剣にやれば馬は必ず応えてくれるから〟と」

 一方で、自主性と放任は表裏一体だ。その中で教訓としているレースがある。「いろんな悔しさはあるけど、一番悔しくすぐに浮かぶのは98年のマイルチャンピオンシップ」。海外GⅠタイトルを引っ提げてタイキシャトルが凱旋勝利を演じたあの一戦に、11番人気のサクラエキスパートを送り込んだ。一度でも見た方なら分かるだろうが、あのレースは他のどの馬も勝てないと思わせた歴史的名馬の独壇場。ただ、「絶対に2着はあったと思う」。5馬身離れた2着争いの着差はクビ、頭、クビ、クビ、クビ、ハナ、クビであった。

 一瞬グイッと伸びかけたが、勢いがかげり横一列の馬群の中で後れを取ったサクラエキスパートは9着に終わった。その時の馬体重は、プラス14キロだった。「装鞍所で観念したよ。すぐ太くなるから注意するように言っていたけど、追い切り後から食べさせたのだと思う」。厩務員…ではなく、自分自身を許せなかった。「プロとして、情けない」。そこから厩舎運営も変わった。7500以上のレースを経験しながら、あの日の光景が今でも浮かぶ。「任せながらでも、任せっぱなしには絶対しない。スタッフのキャリアとかも関係なく経営者として、そういう思いをしたくないから」

「もう10年」を望むスタッフたちと、恩返しの念

 まだ5月だというのに、30度に迫るまぶしい日の光が照りつける昼下がり。シャツで汗をぬぐう仕事人たちとは対照的に、体を洗われた馬たちはどこかうれしそうだ。そんな姿に呼応するかのように大きな笑い声が響き渡る。「ちゃんと、全員に聞けたか?」。そう歓迎してくれたのは、ムードメーカーの北岑(きたみね)幸司厩務員。「1年どころか、もう10年はやってほしいくらい」の厩舎を回らせてもらった。

「昔はそれなりに指示された部分はありましたが、スタッフもベテランになって調教師の意図を組めるようになった」(赤池剛調教助手)厩舎は、辞める人がほとんどいないという。そんな変わらぬ環境だけに、いつまでも続きそうなほどの空気が漂う。スタッフからの「こうしたいんですけど…」という提案には、よほどのことがない限り「いいんじゃない」が繰り返される。その返答の顔色は、外の人間でも想像できる。

「怒られたことがないです」と笑う、2年目の中尾善大(よしひろ)調教助手に対しても、それは同じだ。祖父はシンザンの厩務員として知られる中尾謙太郎元調教師で、師とホースマン一家との付き合いは深く、知らず知らずのうちに佐々木厩舎に入ることが決まっていたという。〝就職先〟をプレゼントした指揮官は騎手時代、彼の祖父に調教師初勝利を贈っていた(1976年9月ホリタスイセイ)。

アップトゥデイトは15年中山大障害を制した
アップトゥデイトは15年中山大障害を制した

 佐々木厩舎は今から14年前にも、若手を迎え入れた。息子の佐々木貴啓(たかひろ)調教助手である。海外での研修等も経た彼が輪に加わり、スタッフとの風通しの良さをさらに深めた。持ち乗り調教助手としては2015年の春秋J・GⅠを制したアップトゥデイトを担当。乗るのに苦労するほどひっかかる馬を、長く経験した乗馬技術も生かして角馬場、逍遥馬道等へ連れていき、調教の選択肢を広げたことが厩舎全体の引き出しを増やすことにもつながった。「フラットワークをしたりプールに入れたりと、考えながら自由に調教をさせてもらっていたので、馬に合わせたメニューを考え、結果に結びついたことを共有させてもらいました」。まさに、〝Up tо date〟。馬名通り、新たな風を吹き込んだ名ジャンパーは、厩舎としては14年ぶりの障害解禁だった。以降、毎年のように障害馬も送り出しており、新たな道を切り開くことにもつながっている。

「逆に失敗できないというか、しっかりしなきゃなと思います。でもその結果、勝てれば楽しいですし、うれしい。だからどこまでも追い求めますし、成長させてもらっています」と話すのは、野口陽介調教助手。2度のGⅠ3着があるアロマティコ等を担当したが、同馬でのハナ差2着はあれど、重賞には惜しくも手が届いていない。失礼ながら、聞いてみた。成長しましたか――。「今の感覚で触れたらなんとかなったかなと思うこともあります。でも、まだもっと成長したいですし、その姿を先生にお見せしたいなと思いますよね」

 現在は、ハードル界の期待馬インプレスを担当中だ。出走を視野に入れている新潟ジャンプSを勝てばアップトゥデイト以来の障害重賞制覇で、野口さんにとっても待望の勝利となるのだが、それ以上にかなえたい夢がある。「先生にとって、重賞の全場制覇で残っているのは、新潟だけなんです。ラストチャンスなのでそこで勝って恩返しできれば、言うことがないですね」

「天性の感性」が働いた、名馬タップダンスシチー

「数少ない、昔ながらの厩舎」(三山一調教助手)に開業初期から在籍する立山勇厩務員は、師のすごさを教えてくれた。それは、彼が担当した代表馬、2003年の朝日杯FSを制したコスモサンビームでの2つの経験で、ひとつが「連闘で重賞を勝ったこと」。種子骨骨折で1年以上のブランクを経て05年に復帰したが、けがの影響が残りレースで気にするそぶりを見せた。その痛みを気にする前に使おうと指揮官がひらめき、9着に敗れた富士Sの翌週、スワンSに連闘して見事に勝利したというものだ。

 そして、もうひとつが「普通なら、次はマイルチャンピオンシップに行くところを放牧させたこと」。立山さんも思わず聞き返したという。「それは自分の〝なにか〟があるんだろうなと。理由は言っていたとは思うけど、当時は納得できなかったから、忘れましたよ(笑い)。持って生まれたものなんでしょうね。重賞を連闘することも、結果を出すこともスパッとやめることも」。北岑厩務員によれば、スタッフがパッと見ても分からず、触ってまたがってやっと分かることが、師にはすぐに分かるのだそうだ。競馬でもパドックで馬の動きなどを見て〝今日は勝てそう〟とか〝あの馬が良さそう〟というのは、「本当にその通り」。

 師自身も感性を認識しており「その馬の弱さや強さ、性格をいち早く見抜くのが調教師の仕事」という考えを抱いている。その馬に合わせた長期的なプランで入厩時期やトレーニング量を検討し、育成につなげていく。「瞬時に分からないとやっていける業ではないと思うので、パッと分かるのにはたけているかもしれない」という指揮官は騎手時代、馬の顔を見て厩務員が気付かなかった神経の異常を見抜いたことがある。その原因は小さな虫で「自分でも不思議だなと思う」才能。どこで培ったのかと聞けば、「生まれつき」と即答する。その口ぶりに嫌みはみじんも感じられない。

ジャパンCを勝利し厩舎初のGⅠタイトルをもたらしたタップダンスシチー
ジャパンCを勝利し厩舎初のGⅠタイトルをもたらしたタップダンスシチー

「天性の感性」を生かした一頭こそ、03年に厩舎初のGⅠタイトルをもたらしたタップダンスシチーである。1歳秋に輸入された米国産馬は、初めて見たときから「重賞は絶対勝てるし、勝てなければ調教師の責任」と思わせる大器だった。早くから重賞級の素質を示しながら、気性的な難しさもあって出世は遅れたものの02年、5歳の秋に厩舎主戦の佐藤哲三騎手とコンビを組んでから本格化へと進み始める。初コンビの朝日チャレンジCで重賞初制覇を遂げると、暮れの有馬記念では早めに動いて人気のファインモーションを沈め、ブービー人気ながら僅差の2着に入った。「来るなら来いという競馬で、いち早く個性を見抜いていたのは、てっちゃん」と振り返るが、そこで師の感性が働く。

 好走はフロックではないと、当時は続戦が珍しくなかった中、翌年4月のオープン特別までレース出走を控えた。「普通なら京都記念や他のレースに使いたくなるけど、次の年のレースを見据えて…だね。鍛えて、しっかりとしたローテーションを組めば結果が出ると。信じていなかったら使っているだろうし、その分乗り込み量もかなり増やしたよ」。そのときの感性は「確信」で、見事に6歳秋のジャパンCで花開き、厩舎をさらなる高みへと導いた。馬を鍛えて強くした佐々木厩舎。その印象が強くなったがゆえに、「女の子だけど大丈夫かな?」と、馬主側から預託を心配されたこともあったほど。競馬や仕上げの面白さ、そしてノウハウを授けてくれた「神」と称するタップダンスシチー。彼の雄姿をたたえるポスターは今なお、神棚の横、師が応接間で腰掛けるその正面に掲げられている。

ラストイヤーを迎えての偽らざる胸中

「1年は早いよね。北海道の牧場に行って、毎週追い切りをどうしようかなと考えて、出馬投票して、土日には競馬があって。夏はどこにどの馬を連れていくのかを考えて、暮れになったら忘年会になって(笑い)。サイクルが決まっているから。ついこの前、調教師試験に受かった感じだけど31年目。つらいこともあったけど楽しいことの方が多かったから、余計にそう感じる。重賞を勝とうがGⅠを勝とうが、その日のうちに忘れて次へ。余韻はあまりないかな。考えることばかりだから」

 数々の個性派を世に送り出し、栄光と挫折を共にした調教師生活で積み重ねた勝ち星は700に到達しようとしている。その時間も、残すところあと9か月あまり。馬の値段も、格も関係ない。どのレースも命懸けの勝負である。「勝ちたい馬を勝たせたいと思っていて、それで勝つのが一番」。だから、ジャパンCを勝てども、ダービーを勝てども、一番うれしかったレースは挙げられないのだ。

「何勝したいとか、重賞を何個勝ちたいとかは、思ったことはないよ。ただ、開業したときは〝やめるまでに100勝できるかな?〟とは思ったし、重賞なんて程遠いかなともね。もともと、一匹狼でこの業界に飛び込んだ身だし、不安だらけで〝まず定年までは持たないだろな〟と。だから、自分の中では〝よくこんなに勝てたな〟とも思うし、思い残すこともやり残したこともなにもない。引退の日は決まっているんだから」

 終着点が近いからこそ、方向転換をすることも歩みを止めることもない。これまでがそうだったように、これからも。そして、スタッフたちの表情と「ずっといたい」の声を聞けば、こう思わずにはいられない。集大成となった厩舎運営でつくり上げてきたのは〝絆〟。あのダービー馬の名と重なるものであると。

第80代日本ダービー馬となったキズナ
第80代日本ダービー馬となったキズナ

【プロフィール】
佐々木晶三(ささき・しょうぞう)1956年1月15日生まれ、山口県出身。74年に栗東・中村武志厩舎所属として騎手デビューし、79年にはホースメンテスコで桜花賞を制覇。引退後、調教助手を経て、94年度調教師試験に合格し、同年厩舎を開業。2003年にタップダンスシチーでジャパンCを勝利しGⅠ初制覇を果たすと、同馬で翌年の宝塚記念も優勝。このほか、コスモサンビーム(03年朝日杯FS)、アーネストリー(11年宝塚記念)、キズナ(13年日本ダービー)、アップトゥデイト(15年中山グランドジャンプ・中山大障害)、昨年の東京ダービーを制したラムジェットなどを管理。通算7543戦685勝(5月25日時点、地方海外含む)。

「厩舎のカタチ」/和田慎司コラムバックナンバー

和田 慎司

この記事を書いた記者

1987年生まれ、京都府出身。2010年、東スポに入社し、3年間中央競馬を担当。一度退職したが、某競馬雑誌の編集等を経て11年ぶりにカムバックした。忘れられない馬は、競馬・取材の奥深さを教えてくれたオルフェーヴル。

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