神霊界には正神界と呼ばれている世界。邪神界と呼ばれる二つの世界が存在し、その勢力は拮抗していると言われています。未だ来てもいないことを事前に告げることを予言とか予告と言いますが、その予言予告教団として世に知られていました大本教霊界物語には、神霊には正神界百八十段。邪神界百八十段の階級があると説かれました。
すなわち神霊には正神もあれば邪神も存在するです。神と呼ばれていれば全ての神が【正神】だと思うのは誤った観念なのです。その神霊界は正神達と邪神達の勢力が拮抗しているなのです。但しそれは霊界エネルギーのことであって、そこに所属する神霊の数ではありません。数だけで言えば霊的世界は黒蛇霊が神霊として圧倒的に多いことからも言えます。それで正邪のエネルギーとしてはバランスが取れているなのです。
優れた霊能力者はこの世に関わる神霊は蛇霊や狐霊だと言いますが、何故にこれだけ蛇霊が多いのか?。その理由がどこにも示されていません。
神を【カミ】と呼ぶは、霊界の上位界の【上】に在る存在
大本教霊界物語には、正神界が1000の力とすると、邪神界には999の力があり、両者の差は1/1000で最後はその千分の一の差で正神界が勝利するとあります。どんな物語でも【舞台の終わりの時は正義が勝つ】なのですが、正義が勝った時点でその物語は【終わり】。新しい物語が【始まる】なのです。
みろくの世とはこれまでの世は終わり、新しい世が到来
最後の審判で邪神達は敗退する。これは定めとか決まりなのです。それが宇宙の大原則と言えるでしょう。それは全邪神(悪神)を集合させた【999】の力が出て来た時、創造神と呼ばれる一柱の神が【1000】の力で出て来るのです。
1000と999のエネルギーの時、宇宙大王が現れる
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に【仮に全神々が束になって私に敵対しても、私は一柱で全神々を倒すことが出来る。】と告げられたからです。大本教から出された艮金神国常立尊の退くは力が無くて退いたのではなく、戦えば勝つと解っていても未だその時節では無いと退かれたと言えます。それが大本教神諭にある【時節の巡り】なのです。
どんな物語でも終わりの時でないと正義は勝利しない
その百八十段が天の岩戸のイワト(一八十)の仕組み
大本教から【一厘の仕組み】が出されましたが、霊界物語に書かれている一厘の仕組みはカムフラージュ(敵の目を欺く手段)でないかと考えられます。何故ならば【一厘とは十割百分千厘の千分の一】のことだからです。百厘だと一割の話なのです。
今の私は邪神に攻撃されても逃げません。何故ならばその【一厘の差で】邪神達が滅びるのは時間(時節)の話で有り。もうその時節が視野に入ったからです。
千分の一(一厘)の差で、邪神界(悪神)は敗退する
その大本教から告げられたのは、超太古の時代(今から三十五万年)に地上神霊界の主宰神であった国常立尊は反国常立尊派(その多くは蛇霊に憑依された)の神々の多数決により、強制的に引退(ウシトラの艮)させられる事件があったとします。
国常立尊の追放劇とは今から約35万年前の神代と呼ばれる時代のことで、今の人種は遺伝的に調べると約20万年前と言われていますので、今の人類がそうした事柄を知るではありません。
ただしその三十五万年前によって、【みろくの仕組み】を五六億七千万とする数字の謎を発生させたのです。これは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊】を解かないと、何のことなのか意味が解らないようになっていたなのです。
大本教神諭予告の九つ花は、お釈迦様の悟りに行き着く
大本教から予告された【九つ花】とはお釈迦様の悟りに辿り着くようになっているので数値的にも56億7千万を秘めており、別にこの世の時間を意図したものではないのです。一輪の言霊の経緯(秘密)を間違えると、お釈迦様の悟りには辿り着けないようになっているのです。大本教から出された九つ花の示しは正しいものではないのです。どちらかと言えば邪神に対する【目眩まし】的なことからです。
最近もその解釈を間違えた邪神の教えに染まった方がいましたが、正しい紐解き方であれば誰であっても【お釈迦様の悟り(人に内在する良心神)】に辿り着くので、その言葉の仕組みの教えが【みろく】となるのです。
私は豊受姫の命令で、【この神業は肉体を保たない自分達神には出来ない。肉体を持つそなただから出来る神業。】と告げられて現在地に住みました。その現在地に住んだところ、自分に霊が懸かって、自分の口で泣きながら【35万年間の苦しみを取り除いて下さいましてありがとうございました。】と自分で泣いたのです。
自分で理由が解らない言葉を発したことで、その【35万年間の苦しみ】とは何かの追求に入ったのです。私が現在住む土地は、今の世の神々では無い。超太古の神々の怨念が渦巻く(超太古の神々が封じられている)土地であることは豊受姫様から聞かされていました。
私が関わって来た神霊世界とは、今の世に出ておられる神々よりも超太古の時代のことであり。今の私達の前に出て来る神霊とは、大国主命様等一部の御神霊を除いてどなたも若い。その超太古の時代を知っておられない存在なのです。
私が豊受姫の命令で建て替えた家では、ある年の大晦日から三年間に渡る大ラップ現象が起きました。そのラップ現象は世に霊能者として看板を上げておられる方達から、この大ラップ現象は伊勢神宮の天照皇大神でも出雲の大国主命でも稲荷神でも不動明王でも鎮める事など出来ない。その土地に鎮まる霊は今の世に出ている神達より遙かに古い時代の存在で、今の神達の様な人の姿などではない。化け物に近い姿と聞かされました。
この大ラップ現象を鎮めるのは今の世に出ておられる神仏には無理だが、貴方ならば出来る。自分で鎮めるしか道は無いと言われて、どうすれば良いのかも解らずにただがむしゃらに取り組んで、その騒動は3年間にも及んだなのです。
その事柄はその後、私が出会った幾人かの霊能力者からも告げられました。それは私が【肉体を持つことから超古代の神霊の浄化が出来る。】からです。私は霊能者の様に霊が見えるではありませんが、龍神すら浄化する能力が備わっていたなのです。
神霊たる存在が、この世に降りるには浄化浄霊がある
私が住む土地が如何なる土地か解った霊能者から告げられたのは、その土地に閉じ込められているのは今の世に出ている神達ではなく超太古の神々。決してその存在を世には出さないでくださいです。もし世に出してしまえば、今の世に出ている神々では制御が出来なくなると言われたのです。それはその神霊達が持った【怨念】のパワーです。
その【怨念】がその地に大ラップ現象として現れたのですが、その【怨念】が浄化されることによって、そのラップ現象は終わったなのです。
一介の人の身である私に何故にそうした役目が来たのか?。それは肉体の私には類い希なる霊の浄化能力が備わっていたからです。世にスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達。一人として【霊界の汚れを浄化する。】を言いません。逆に【霊界の汚れを助長する。】ことばかり言っておられます。
何をしても神の愛で赦されるのです。何をしても自由だ!。神の愛だ!。そうやって霊的世界を汚し回るようなことだけを言っているなのです。誰も【悔い改める】を言われない。そうしたスピリチュアルの方には【閻魔大王】など見えないのでしょう。
私の役目には、35万年前に閉じ込められた神々の救出
私は霊界修業に入った後、自分の胎内から【コブラ蛇が走り上がる。】を体験し、これはいったい何だろうと思っておりました。
とある日、ある町に仕事に出かけてその休息時間にその町の小さな本屋にぶらりと入ると、その本屋に阿含宗の桐山管長が書かれた書が置かれていて、別にそれを買い求めるでもなく、パラパラとめくってその書店を出ました。
その本屋を出て数百メートル行ったところで、先ほどの本に私が体験したコブラ蛇が走り上がる光景のことが書かれていると閃いて、慌ててその本屋に戻って阿含宗の桐山管長さんの著本を買いました。
その桐山師の著本に、ヴェーダ典の奥義書とされる中に【人の内に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】とあったのです。私が体験したコブラ蛇が走り上がる様です。ただ桐山師もその意味の中味に関しては何も解説されていませんでした。単にヴェーダの奥義書に残されているとの紹介だけです。
私はその【真理】とは何か?。と考えました。するとお釈迦様はその真理を悟られたが、イエスはその真理を悟らなかったと出たのです。イエスは神霊世界の格の高さで言えば、お釈迦様に肩を並べられるほどの存在でないことは私は幼い頃から知っていました。
お釈迦様は悟られ、イエスは悟れなかった【真理】とは?
私はその日から、その【真理】を探し続けたのです。それは今日まで釈迦様だけが悟られた物であり、イエスは悟れなかった。当然お釈迦様が開かれた仏教の元にある如来や菩薩や明王達も今はそれを知ることがなく、日本の神達も何も知らない事柄となります。
一般的にお釈迦様が菩提樹の下で悟られたことは【仏の慈悲】だと言われておりますが、それだとイエスの愛の教えと何一つ変わりません。私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は私に【そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに、それを乗り越えよ。】と言われました。するとお釈迦様が悟られた事柄とは【イエスの愛の教え的な慈悲とは根本的に違う。】なのです。
蛇に関して言えば、イエスはその弟子達に【蛇の様に賢くあれ!。】と説いています。蛇霊が【知恵】を意味していることは理解出来ていたです。たがそれ以上では無かった。一方お釈迦様の逸話には【蛇霊と成った長者の話】があります。
このお釈迦様の逸話とされる【蛇霊と成った長者の話】は、インターネットで検索しても出て来ないでしょう。それは誰もその逸話をインターネットでは上げていないからです。インターネットの世界は便利ですが、誰かがその内容を上げないと検索したところで見つかりません。それをもって無いと言う者は蛇の知恵すら無い者の頭なのです。
ただし日本の狂言に【成った成った当家の長者はジャに成った。】があり、アド(挨答)が【何のジャになった。】と返したところで、シテ(仕手)が【当家の長者は蛇のジャに成った。】と返します。ジャの言葉に【蛇の者】あるからです。ただその話の原典は明らかにお釈迦様の説話とされる【蛇霊と成った長者】にあると解ります。
また日本の諺には、【邪の道は蛇】とあります
ただそうした長者の者が蛇に成った等は 【日本語という特質】にあるのであって、日本語と言う言語が英語を始めとする世界の言語とは違い、そして日本語は【漢字】を源としていても漢字だけはそうした組み立てにはならないのです。私は鍾馗神の案内で中国で創造神ともされている盤古大神に拝謁して、盤古大神とは何者かを知りたくて大本教霊界物語を読んで、盤古大神から国常立尊に神界の奉還の記述に触れて、そこに【言葉(漢字)の変換】を知ったのです。
無論、それに辿り着くには私の家の風呂場に現れた出口王仁三郎聖師らしき霊が着ていた浴衣に【漢字】の言葉が大きく書かれていて、私に漢字?。を起こさせ、子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に告げた【この国(日本)は私の教えで満ち溢れた世界で唯一つの国である。】が根底にあります。
聖書では【人類の原罪】として、人類の祖とするアダムとイヴが蛇霊の囁きで天の則を破ったことで神の御国(エデンの園)から【この世に一緒に追放された】となっています。しかしキリスト教の牧師達はイエス一人を主の御子と信じれば、その原罪から赦されると大錯覚を起こしたなのです。
聖書は、この世は蛇霊と一緒に追放された人類とします
人の中に眠る蛇が走り上がるは、真理を知って神の御国
が、その阿含宗の管長であった桐山師のヴェーダ典を紹介する著本。私の地元の本屋では売られていなかった本で、私の地元の本屋よりも小さな町の本屋で出張先の本屋には置かれていたとなります。するとそこには【神の仕組み】があったとなります。コブラ蛇の走りが書かれた本を私が手にするには、私がその町に出張するが必要であり、その本屋に入る動機とそれに関わる時間とか、偶然に偶然が全て組み合わさっていないと私にその本は手に入らなかったのです。
偶然と思われる出来事も、最初から仕組んであるがある
私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から【そなた一人だけには、この神の仕組みを見せよう。】と告げられましたが、その出来事もそうした仕組みの一環と言えます。
ヒンズー教の聖典とされるヴェーダ典。そこにしか【コブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の記述はないようですが、それらは大本教から告げられた【神三千年の仕組み】の一巻でもあるでしょう。そしてその仕組みには、多くの人が関わっているなのです。
お釈迦様の悟りは、【みろく】菩薩によって告げられる
日本語と呼ぶ言葉の解読法で、五十六億七千万の仕組み
私を見た一部の霊能者の方から、【貴方は救世主様ですか?】と問いかけられますが、私は【自分は救世主ではありません。】と返答しています。私は旧約聖書の神と称する声から【最後の審判時にはそなたをこの私の横に侍らせて、神たる私の裁きの様をそなた一人だけには見せる。】と言われた者で、人類を助ける役割の救世主ではなく【裁きの主に仕える側】の者です。
私がお世話になった伏見稲荷の豊受姫は、私に対して【貴方の言葉よる教えは天帝の詔(みことのり)に等しい物で、貴方の言葉の教えには従えないと言われる神は如何なる地位の神で有ろうとも、天帝に反逆した者と見なされて処罰される。】と告げられましたが、修業時代は黒龍神に【おとなしくしていないと殺すぞ。】と脅されて逃げ回っていたのが真実です。何の力も持っていない者なのです。
ただ私が子供の頃に臨まれていた旧約聖書の神と称する声は、【そなたが説く教えに従う者達は私が助けよう。しかしそうでは無い者。そなたの教えをバカにする者達は私は助けない。】と告げられたなのです。
私が紐解いた事柄は私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げた【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】で、日本に満ち溢れている日本語で大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(火水)】に辿り着いて、ウシトラ金神国常立尊の【神の計画書】を知ったなのです。
一部の行者筋の方から、【あんたは大本教と心中する気か?。】と尋ねられますが、この世を見渡してもイエスの愛の教えは美味ですがどこにも【真理】が無い。イスラム教も真理にはほど遠い。そうした中で【言葉と魂(牛虎の鬼を云う)】を世の表に出した宗教とは、大本教以外には存在していません。
私は修業時代、蛇霊達に【言向け】をして来ました。私の言葉に従って悔い改めた蛇霊達はその姿を一変させて、【麗しい天人の姿に変化】して、天の御国へと帰って行きました。
それは、私を拝めば天国に案内するではありません
私が説く言葉に【気付いた霊】が、自分で悔い改めた
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