この日本において自称救世主と呼称される方は、そのほとんどの方は自分は【素戔嗚尊】の魂だと名乗られます。ただそうした方達が自称される次元界とは必ずしも同じではありません。自分は七次元界と言われる方もあれば、九次元界と呼称されている方もあります。名乗りそのものは自由ですが、その証明となると困難を極めることになります。
霊的世界は存在していてもほとんどの人には見えない世界となっており、数は少ないけれども霊的世界が見える方は存在しますが、精度が高い有能な霊能者は簡単には見つかりません。霊的世界はそれなりの素質を持った方がそれなりの修業を積まないと解らない世界だからです。昔はそれなりに修業を積まれる方達はありましたが、今はそうした修業を嫌い。神霊世界に関わる方は極端に減ったと言えます。
この日本で救世主は【素戔嗚尊】だと言われるようになったのは、大本教の出口王仁三郎聖師の自分は素戔嗚尊の魂で救世主ですと称されたことからだと思われます。大本教の出口王仁三郎聖師は飛び抜けた大予言者であり。その予言された内容は現実に起きたがあります。それは出口王仁三郎聖師の背後に存在した神は【未来】を見通すことが出来る神だったからと言えます。
単に自分は人に憑いている霊が見えると言うスピリチュアル的段階と、未だ来てもいない先のことを言い当てる段階の神とでは、神の世界において位がまったく違っているのです。だが人は貴方は昨日は何を食べましたねと、どうでも良いようなことを言い当てる低い神になびくなのです。それは一つに神霊界の下位の霊と自分の魂の波動が合いやすいにあります。それによって親しみを感じるのです。逆に上の神は自分との波動はどうしても合わないとなります。
この世は低い波動の魂が多く、低い波動の神霊になびく
そこに大本教神諭に出された【神三千年の仕組み】が存在して来ます。大本教から出された【みろく大神】とか【五六億七千万】などは、お釈迦様と呼ばれる存在をもって祇園精舎の御守護神【牛頭天王】から始まるのです。日本神道の大本教がどうして仏教の【みろく大神】や【五六億七千万】を教義の表に出したのか?。誰もその理解には至っていないでしょう。
大本教で演じられた【神芝居】。ウシトラ金神国常立尊は【牛頭天王】のことなのか?。はたまた【素戔嗚尊】のことなのか?。大本教からその説明があまりされていません。そうしたことは京都の祇園神社を知れば解ります。日本では祇園の【牛頭天王】と【素戔嗚尊】の混同が起きていたからです。日本では牛頭天王は外来神。素戔嗚尊は日本古来の神という図式です。
その素戔嗚尊とは、日本神話の伊弉諾尊が禊ぎをされた時に出て来られた神と思っているようだと足元をすくわれるのです。
自分が素戔嗚尊だと自称する方、牛頭天王の説明不足
巷に自分は素戔嗚尊の魂で救世主ですと称される方達がそれなりに出て来られるのは、大本教の出口王仁三郎聖師が演じられた事柄は神界の【型】と呼ばれる物であり。それは実際に起きる【事象】の前触れであるとの認識が、世に出ている神々や霊的世界に関わる者にあるからです。
有能な霊能者の間では、大本教の出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の魂でも八次元格の魂だったと見る方が多く、救世主を演じるには少し次元界が低いと考えられるのです。そうしたことで今は自分は九次元界の素戔嗚尊と自称される方も出ているです。イエスの場合は例え再来したとしても霊界での次元格が元々低いがありますので、自分の前世はイエスと称する者は本質として救世主役は不可能なのです。
霊的世界では過去に人として世に出た魂の次元格を【識界】レベルで見るがあります。創造神を第十識界とすると、お釈迦様は第七識界。イエスは第五識界。マホメットや弘法大師は第四識界。もしも救世主と呼ばれる存在があるとしたならば、お釈迦様の段階を超えていなければならないなのです。
その出口王仁三郎聖師の演技で重要なことは、素戔嗚尊は【瑞霊】魂だと出されたことです。大本教から変性女子とか変性男子が出されましたが、【変性】という言葉は法華経の【龍女の解脱】で変性女子で出て来る言葉ですが、仏教においては【厳霊】とか【瑞霊】は説かれていないのです。無論キリスト教にもありません。イエスはそうしたことすら知っていなかったからです。
単にスピリチュアルでは、厳霊とか瑞霊の言葉も解らない
その厳霊とか瑞霊を知る方達の中では、イエスは【瑞霊】魂だったと言われています。この厳霊魂とは【神の火】の働きことであり、瑞霊魂とは【神の水】の働きのことで、陰陽の意味を【火(か)と水(み)】たる神と言うは日本でないと意味が理解が出来ない様になっています。
西洋の新約聖書などは、どこをどう開いても神の【火と水】の理解が出来ないがあります。新約聖書で創造神を学ぶのは不可能に近いのです。日本におけるキリスト教の牧師は、日本人は【紙に書かれた文字】を拝んでいるが自分達は神の一人御子であるイエスを拝んでいると言っていました。日本の神社では【紙に書かれた言葉を神とする。】のは、聖書を読まずとも聖書以上に神の理解があるなのです。
聖書において、初めに言葉は神と共にあったとありますが、その言葉を知るには【言葉を申し示す紙】が無いと困難なのです。そもそも【申し示すで神】と言うは、西洋の宗教では理解不能なのです。
聖書の言葉は神と共に在ったの言葉は【紙】に書く
日本を神国と言うのは天皇家で無く、日本語の意味
西洋で天使長ミカエルとか大天使カブリエルと名乗って出て来る霊達は存在しますが、そうした天使長や大天使呼称だけで神の本質を何も理解していない霊達と言えます。ミカエルと称している霊で、【最後の審判で蛇の尾を踏む天使長】の意味を理解している霊など存在しないのです。
神話の天照大御神は厳霊魂で、素戔嗚尊は瑞霊魂の型
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【日本神話の天の岩戸開け。そうした事実が過去にあったのでは無い。全て私が人を使って創作させた物語で、そなたは何故に私がそのような日本神話を創ったのか!。紐解くがよい。】と告げられました。私からすれば紐解くが良いではなく、私に解る様に説明してくださいです。
私は一部の霊能者から【貴方に教えが出来る神等、世界中どこを探しても存在していない。】と告げられ、ここまで解き明かすのは人には理解出来ない苦労を積んで来たなのです。
私は神霊界修業のお世話になった豊受姫から、貴方は神々に教えをされる方と言われましたが、どうしてこれまで世に出ておられた神々にはそうしたことが解らなかったのか?。があります。その豊受姫から、日本神話の天の岩戸開け等の事実はどこにも存在していないと伺っていますのでそうした事実は存在していないのでしょう。
それは旧約聖書も暗号書であり。それを紐解く鍵(キー)を持っていないと意味が解らないように創ってあると言われたことと同じ土俵であり、旧約聖書であれ日本神話であれ、それを仕組んでいる神が存在しているとなります。その神は世の表には現れず、後ろに隠れているのかとなります。
その神は西洋では旧約聖書の神。この日本では大本教から【艮(牛虎)金神国常立尊】として世に出された神ということなのです。
私自身は伊勢神宮に鎮座して天照大御神と言われている霊には男神と女神が存在し。その男神の御神霊は日本の神社の総氏神の立場にあり。私はその男神から伊勢神宮の内宮から出る大神霊行列を見せて貰いましたが、それだけでは宇宙を創造したレベルの神で無いことも解りました。スピリチュアルで言う伊勢神宮の女神とは【卑弥呼霊】だとする方が多いのです。
霊能力者と呼ばれる人はピンキリであり。高い方は伊勢神宮には男子がいられるといい。スピリチュアル的な人は女神を見るなのです。日本における天照大御神たる存在の霊は日本の皇室の御先祖霊かも知れませんが、本当の太陽神ではないのです。
一部の霊能者の間では、未だ天の岩戸は開いてはいないと言われていますが、そもそもそんな太陽が隠れるような【イワト】その物が存在し得ないのです。日本国中の天の岩戸と呼ばれる場所を訪ねたら、どこにも太陽神が隠れた等の場所が無いと解ります。単にロマンです。
日月神示の岡本天明師から、天の岩戸の【イワト】とは、一(イ)八(ハ)十(ト)で神の世界が【一八十】段で構成されている意味だと出されましたが、神の世界は一八十段は既に大本教から出されていた事柄ではあるのです。大本教からは正神界一八十段。邪神界も一八十段と出されています。ただ大本教はその一八十段の意味が天の岩戸の【イワト】としては説かなかったなのです。
天の岩戸開けとは、神界を一八十段の位別にすること
万物の創造神は、神霊達を位別にする光を隠された
大本教から天の岩戸開け。天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しいと出されましたが、天の岩戸を閉めるという役は非常に難しく、それが出来る存在が出て来ないと天の岩戸開けは出来ないがあるのです。もし閉める役が存在しないで天の岩戸を開けると、霊界でとんでもないことが起きるのです。
その天の岩戸が開いたならば、世に悪神や邪神達は存在しなくなると言われていますが、悪神や邪神だけで無く正神と言えども少しでも自分に悪が混じれば光の中で生きられないという恐ろしい事態になるのです。
西洋の最後の火の審判と、日本の天の岩戸開けは同じ
大本教は神霊界の【型】見世(店)として、各種の型を演じてくれました。その最大の物が出口王仁三郎聖師が演じられた【素戔嗚尊】の演技なのです。
日本神話の【素戔嗚尊】で私達は何を学んだのか?
私達が日本神話で知る【素戔嗚尊】とは、出雲における【八岐大蛇(やまたのおろち)】退治です。日本神話の天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とは、その素戔嗚尊の八岐大蛇退治で八岐大蛇(龍蛇)の腹から取り出した剣となっています。
日本神道界における神社に鎮座される神々はどなたも神剣(霊剣)を保持されています。それは日本神道界の神々だけで無く、西洋で言う天使と呼ばれる存在もそうした霊剣を保持しています。仏界でも神将と呼ばれる存在や明王と呼ばれる存在も霊剣は保持します。
何度も書きましたが、今の神霊界とは勝てば官軍。負ければ賊軍で、負ければ悪神の汚名を着せられるのです。
正神界邪神界問わず、霊界では剣を保持しないと危ない
スピリチュアルでは自分は【光の剣】を持っていると豪語する人が多いのですが、霊的世界では【天国天人界】に進まない限り、自分の身を守る為に【霊剣】は必要なのです。
日本の神や西洋で天使と称する者。全て霊剣を持つ
霊剣を持たないと、逃げ回らなければならない
霊界における剣とは、別にそれを【光の剣】と豪語しなくても全て【光の剣】ではあるのです。ただ人々が神の剣に関して間違った認識を持ったのは、熱田神宮に見られるレプリカの【草薙の剣(天叢雲剣)】等にあります。それを天皇たる象徴の三種の神器の一つとしたのですが、光の剣は物質の剣でないので現実界では創れないがあります。その天叢雲剣(あめのむらくものつろぎ)とは霊界の剣で、この世の物質で創られた剣ではないのです。
天叢雲剣は、雲上(天)の業(カルマ)を取る創造神の剣
天叢雲剣は、龍神たる存在もぶつ切りに出来る雲上剣
私は霊的映像ですが、雲上で龍神と呼ばれる存在を自動的にぶつ切りにする神の剣の舞い踊りを見ていまして、もしかするとこれが【天叢雲剣】かと見ておりました。
私は稲荷神界で豊受姫の庇護下で修業のお世話になりましたが、その当時は私自身は自分の身を守る力は無くても神々が私を守ってくれているがありました。だが伏見稲荷を離れて【言霊の世界】に転じたことから稲荷神界からの守護が一切なくなり、黒龍神達から攻撃されるとなりました。自分が仮にどこかの黒龍神界にでも所属すればそれなりに守られるのですが、自分の所属神界を失うと守護されないとなります。
神霊世界は寄らば大樹の陰か、霊剣で武装するか
私は行者筋から九字一つ切れない。霊剣を持たないことで、貴方は豊受姫から何一つ授与されていないのはおかしいではないかと言われましたが、豊受姫から【貴方は国常立尊様から直接に神力を賜る者。】で、豊受姫からでは無く国常立尊様から直接に神力を授けて貰える様に精進を重ねる必要がありました。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたにはこの神の神力を何一つ与えない。そなたは自分の力で生きなければならない。そなたにこの私の神力を与えるのは最後の最後の時で有る。】と告げられていたので、別に神力を欲したなどはないのです。
前々回のブログに【龍神達をぶっ切りにして高温の油で素揚げ】する映像が出たことを記事にしましたが、その龍神をぶつ切りにした神の剣とは【天叢雲剣】で、その【天叢雲剣】には別の働きがあるのです。
その時、私は聖書の救世主とは【油で塗られし者】の油と地獄のお釜で煮えたぎる油と何か関連があるのかと見ていました。
天叢雲剣の【叢】は、業(カルマ)を取るが秘められる
それは一部の方から報告が上がっている汚れた黒龍神達が成敗されて、浄化された【美しい玉】と【潰れた玉】とに分離しているのではないかの話からです。魂だけならば煮えたぎった油の中でも、マグマの中でも生きられるからです。
私は伏見稲荷神界を離れた後、言霊師の方を師匠として言霊を学びました。その師匠とした方の御祭神は【国常立尊】と称しておられる霊で、その霊から神剣を授けるで霊剣を頂いたところ、無数の霊が自分を切ってください。切って下さいと私に大量に憑依して来るで疲れ果てて、その霊剣を手放したがあります。だがどうして霊達は神刀で自分達を切ってくださいと言うのかが謎でした。
また出雲の大国主命様がある人物を自分の神刀で切られたところ、その方の性格が良い方向に一変したがあります。その神刀でその人の魂の汚れた部分を削られた(身削ぎ)ことによって、その魂の汚れが除去されたです。
カルマたる魂の汚れを取る最たる神の剣が【天叢雲剣】で
その剣の持ち主の【素戔嗚尊】なら、剣で救世主役も可能
朝鮮半島に残されていた予言に【最後の審判前、救世の為に米一字の教えが起きる。その米一字の教えに従った者達の上には天罰は降りない。】とありましたが、せっかくその米一字の教えでお釈迦様の悟りをみろく大神として知ることが出来るにも関わらず、まったく違う解釈しか出来ない者達の教えになびいて行く人達もあります。そうした人が増えて来たと思われます。
いくら【米教】をかじっても、そこにお釈迦様の悟りを告げたみろく神の存在を見いだせないであれば、邪神が説く洗脳を受けて理解が不能になっているとなります。大本教の出口王仁三郎聖師が告げられた、【人は邪神が説く真理に狂う者だと覚るべし。】です。
大本教神諭は【綾部で九つ花が咲いたならば、永遠に枯れぬ花。】と予告しましたが、綾部という土地以外で【九つ花】を解釈しようとすれば意味を間違えることにはなるのです。
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