キリスト教やイスラム教を見ますと、曲がりなりにも【唯一なる神】と呼ばれる神の存在が説かれてはいますが、キリスト教ではその唯一なる神は主の一人御子であるイエスを通じないと出会えない神として、人類を煙に巻いたような教えがなされています。
それは一つに旧約聖書には人類の終わり時に人類を救うが為に創造神は自分の一人御子を使わすとあり、その一人御子で無いと本当の創造神は解らないと思い込んでしまったのではないかと考えられます。キリスト教徒はその一人御子はイエスのことだと思い。ユダヤ教徒はイエスはその主の一人御子には該当していないと見ているなのです。
その人類の終わりの時に現れる創造神の一人御子と言われている存在が俗に救世主とされていますが、少しばかり霊的世界のことが見えると自分がその救世主だと名乗るおバカさん達が世に輩出するとなりました。ある欲張りな方は自分はお釈迦様とイエスとモーゼを産んだ本体だ!。です。お釈迦様とイエスとモーゼが同じ魂から出たと主張するのであれば、その論拠を示しなさいとなります。口でそうしたことを言った者が正しいではないのです。
旧約聖書の救世主登場前は、男女二人の預言者が必要
旧約聖書で予言される救世主登場の証の前段として、男女の二人の預言者が出ることになっています。イエスの場合、その前段として男女二人の預言者と目される者が出た形跡がありません。キリスト教ではキリスト登場の前段とされる男女の予言者の男性として、洗礼者(パブステマ)ヨハネと呼ばれた者を当ててはいますが、女子の預言者とされる存在がどこにも見当たらないとなるのです。どこにも男女の二人の預言者の揃い踏みはなかったなのです。キリスト教における洗礼者ヨハネとは、イエスの縁戚の者だったとする説もあるようです。
大本教の出口王仁三郎聖師はその男女二人の預言者は自分と出口なお開祖のことだと言われたのですが、ではその後に登場の【キリスト】は?。となります。そこに出口王仁三郎聖師はその存在を【みのか尾張の国から現れる誠の女子。】と言い残されたがあります。で、これもあちらこちらに自分がその【みのか尾張の国から現れる誠の女子】と称される方が多数出たがあります。
男女二人の預言者の後の救世主は【みのか尾張の女子】
但し、この【みのかおわり】には【巳(み)の終わり】が入っていて、創造神の出現と同時に蛇霊神達の存在を終わらせる意味も暗示されているなのです。それは大本教霊界物語でウシトラ金神国常立尊を神界の表舞台から退かさせた勢力の神々は、全て蛇霊の囁きから反国常立尊派の神々となったからです。今の人類の歴史以前で証明は難しいとなります。
私の元には自分がその救世主たる者ですから、貴方には私がその者だと認定して欲しいと言う依頼が多数寄せられました。だがどなたもイエスや出口王仁三郎聖師や大本教の出口なお開祖が持たれた霊界の次元格の高さが見られないなのです。私は霊的にはイエスと思われる霊と何度か出会いました。世にイエスは瑞霊魂であったとされますが、瑞霊魂であったことは間違いないようです。イエスには救世主を演じられるほどの霊格の高さが存在していないなのです。
どうしてそうした自称達は私にその認証を求めるのか?。そうした誰一人として私が書いている様な事柄を人々に対して説けないからです。私は霊力は何一つ持ちませんが、審神(サニワ)者として世に出ておられる神々を寄せ付けないがあります。審神(サニワ)者には勝手な神名の名乗りなど何一つ通用しないのです。私の前に自分が天使長ミカエルと称する霊が出て来ても【サニワ】をした後で無いと、天使長と認めるなどは出来ないのです。
私は私が書いている内容以上を教えられる霊で無いと、それを大天使として認めることはないのです。
神の世界の【洗礼】とは、悔い改めた魂の垢を水で流す
現代のキリスト教で行っている洗礼(クリスチャンネーム)とは、どこかで洗礼の言葉の意味そのものを間違えたと思われます。仏教でも葬儀の時に仏の世界に入ったとして、この世に生きている人の名を仏の名に変える【戒名】制度がありますが、霊世界を見聞して来ればそれでお寺に大金を払って【院殿居士】を付けて貰っても何の意味もなく、地獄に墜ちる者はやはり地獄に墜ちるなのです。
日本でのスピリチュアル標榜者には女子が多いのですが、その前世は中世キリスト教社会のヨーロッパで生まれて、キリスト教下で魔女として活動していたことから日本に出てもその前世から抜け切れていないが見受けられるなのです。そのほとんどが日本に居て、日本の神霊の事を言わないなのです。マリアだとかガブリエルとかです。
自分が信じる宗教で名乗り名を変えても、何等効果無し?
大本教から出された【節分の煎り豆にも花が咲く】の【冥府の閻魔庁】の存在は言われていても、その【閻魔庁】の意味がまったく世に理解されていないなのです。お釈迦様やイエスが【閻魔大王】よりも上席に在った等はないのです。お釈迦様やイエスとて、勝手に天国行きの切符など切れないなのです。
創造神はウシトラ状態でも、【閻魔大王】として在った
お釈迦様に至っては、仏教徒に成っても助けて欲しいのであれば【観音菩薩に頼め】と逃げておられる節もあります。確かに【観音経】にはそうした威力はあります。私が神霊界修業のお世話になった豊受姫は、成仏をしていない先祖霊の供養は神界の仕事では無い。仏界の坊主に頼めとまで言われていました。
日本神道界は生きている人間には関わりますが、死んだ人間のことまでは関わらないスタンスと言えます。
創造神と人類の契約の示しは【禊ぎ】で、魂の垢を落とす
洗礼は、日本神道の【祓いの水行】と同じ意味合いの言葉
誰を拝もうと、自分の魂に垢があれば【禊ぎ(神との契約の示し)】で、その魂の垢(汚れ)を洗い流さなければならないのです。なまじ低級霊界の霊が見えると、この【禊ぎ】の本質を忘れてしまうのです。そうすると【カルマ】の意味が理解出来なくなるのです。スピリチュアルの様になまじ霊的な世界が見える人ほど、天国界への道がより遠くなるが起きるのです。
現代スピリチュアルと称する人達の中には【良心の呵責は重いから捨てましょう。】等の言葉を平気に出す人達が見受けられますが、それは良心と呼ばれる物は単に【良い心】のことだと思い込んでいるからです。日本の古来の神道で説かれた魂の【一霊四魂】説の直霊(天帝の分魂)の働きが【良心神】であることが、スピリチュアル標榜では全滅に近いのです。
日本のスピリチュアルとは四次元界スピリチュアルと呼ばれている様に、四次元界に在る【中有界(輪廻転生が主体)】に関わる話であって、天国へ向かう話では無いのです。スピリチュアルで本当の天国界は無理なのです。それは天国界とはこの世で遊んでいて行ける世界ではないからです。
大多数のスピリチュアル標榜者には【魂】が見えていない
聖書には人類の祖先と定義されるアダムとイブが蛇の囁きに唆されて、神の御国(天国)においてしてはならないことをしたが為に、神の御国(天国)を蛇と共に追放されたとなっています。それは人類の祖としてアダムとイブの名を借りていますが、この地球上に居る人類全てに当てはまる事項なのです。
蛇霊は神霊界の神として崇められるが、天国界とは別
私は伏見稲荷山の豊受姫のお世話でこの世の神霊界に関わって来ましたが、この世に関わる神霊世界は霊能者や行者筋の方が指摘される様に蛇霊や狐霊と呼ばれる霊が神霊としては君臨し、人々から神として崇められています。特に蛇霊神は世界中で神や神秘の存在として崇められているがあります。
天国界に蛇は居ないが、この世は蛇が神と崇められる?
私達は神仏の霊を【祠(ほこら)】にお祀りします。この【祀】の漢字、巳の示しです。巳の漢字は蛇の略字で、日本では巳=蛇として理解されています。
人の【己(おのれ)】と、蛇の【巳(み)】はどう違う?
聖書は人類の祖とするアダムとイヴが蛇の囁きから、人類はその蛇と一緒に神の御国(エデンの園)から追放されたとします。それを【人類の原罪】として説くのですが、キリスト教ではイエス一人を主の御子と信じた者はその人類の原罪が赦されて神の御国に入れる。その一方、イエスを主の一人御子と信じない異教徒達は地獄界に落ちるがキリスト教の教義と言えます。
ずいぶん解りやすい教えではあるのですが、まったくデタラメな教えと言えます。何故ならばイエス一人を主の御子と信じたからで天国界には行けず。別にイエスの教えを否定しても天国界に行けるからです。イエスはその弟子達に【蛇の様に賢くあれ】と言っており、蛇の囁きの意味を理解していなかったと言えます。
ただイエス個人を拝めばでなく、イエスが演じた型。イエスは40日間荒野をさ迷って悪魔を退けて、41日目に主の一人御子となったとする【41】日目の数字の意味を知るならば、その人は【主の御子】と成るなのです。それはモーゼの紅海(後悔)を渡って、40年間荒野をさ迷い【41】年目にカナンの地に入るの類似の型ともなっているなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は最初は自分は【救世主】と称して、ナザレのイエスに何一つ劣っていないと言っておられましたが、その救世主の名乗りを降ろして自分は【ニセ者】であると称されて、【時節を待っていたならば、美濃か尾張の国の中、誠の女子の尻尾が見えたならばモウ大本教はダメだろう。】と言い残されて、この美濃か尾張の国の中から現れる女子が本当の【救世主】だと思われていたなのです。
大本教も【美濃か尾張からの女子】で国道41を秘めた
ただそれは美濃か尾張の国から出る国道【41号線】沿いの飛騨の高山に、神殿を建てれば良いという話ではないのです。その程度の考え方は【九分九厘】の神の理解力で終わってしまうなのです。大本教霊界物語や岡本天明師の日月神示に記載された【一厘】をまったく理解していなかった神が、それを飛騨の高山と勘違いしたのでしょう。
そうした程度の理解力はしょせんは【蛇(龍)の知恵】で終わってしまうなのです。が、この世における人類はその【蛇の知恵】程度に犯されてしまったなのです。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と告げられていましたが、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】を解読して、【41】位に秘められた言霊の働きに愕然としたなのです。まさに単騎(騨)で神の高山を飛び上がる。
私は私が説いた内容を完全に理解出来れば七次元界位には進めると言っています。私がお世話になった伏見稲荷山の豊受姫が私に対して【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の教えは天帝の詔(みことのり)に等しい。】と告げられた事柄からです。天帝と呼ばれる存在の【詔】を携えて来ているからです。人類を五六七(みろく)次元に渡す教えの役割です。
私は伏見稲荷山での神霊界修業段階で龍神とか白狐霊の世界を見ていて、別段にそれに対して違和感を持っていませんでした。行者筋では龍神とは【霊界の海山川で各千年。あるいは霊界の火山海で各千年。合計三千間修業を積んだ大蛇霊。】だとします。それは聖書にも【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊。】とある様に、霊界を知る者であれば常識的な知識の範疇になるのです。
聖書も行者も、龍神とは霊界の年老いた大蛇霊とする
為に私も通常の行者筋と同様に、龍神さんとか狐さんと親しみを持って臨んでいたと言えます。
だが稲荷神霊界を離れて【言霊】の世界に転じたところ、黒海黒龍神と呼ばれる巨大黒龍神の浄霊に遭遇し、浄霊の失敗。以後は黒龍神と呼ばれる存在と敵対する関係に入ってしまいました。
世に言う黒龍神は汚れの黒色で、汚れが理解されない
その言霊の修行中、私は本当の龍神の存在を知ったが為に、黒龍神の群団に襲われて【おとなしくしていないと殺すぞ。】と脅迫され続けていました。で、私は黒龍神が出て来ると自分の力では勝てないので逃げ回っていました。
私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いてはいましたが、そなたには最後の最後の時で無いとこの神の力は何一つ与えないと言われていたので、何の力も無い為にそうした黒龍神からの攻撃に逃げ惑わざる得なかったのです。
私は言霊の世界に転じて、本当の龍神とは何かを知った
よく個人レベルで自分には【龍神】さんが憑いている。で、その龍神の力で雨を天気に変えた。日照りなので龍神さんに願い事をして雨を降らして貰った。そうした龍神レベルの話で有れば、さほど問題ではないのです。そうしたスピリチュアル的なレベルで関わっている龍神とは神霊世界に対してさほどの影響力が無いからです。蛇霊で霊界で何万年もの修業を積んで霊力を得たとしても霊界の次元界の格の段階が低いからです。
ある自称救世主は自分は素戔嗚尊の魂で七次元界。三輪山の神は六次元界の黒龍神でその大きさが三輪山の大きさで、その配下に五次元界の黒龍神が400万騎所属していて、皆、自分の家来となったと言って来られました。行者の世界では三輪山の神は黒龍神でその配下は黒蛇霊として知られていますので、あながち嘘とも思われません。
ただ三輪山が御神体のレベルでは龍神としては小さすぎるとなります。私はもっともっと巨大な龍神達を見て来たからです。国常立尊様は金龍で、その長さは日本列島に匹敵していると言われています。だとすれば2000キロの長さとなります。
大本教から世に出された世の立替とは、宇宙レベルの立替で【宇宙開闢】以来の大立替と予言された事柄で、私達が通常語る龍神とはレベルが違う存在があるのです。世の大立替が起きるとそうしたこれまでの次元界の神霊では対処が出来ないとなります。
私達が通常言う龍神とは霊界で年老いた大蛇霊を指すのですが、
そうした蛇霊は創造神が生み出した物なのか?
世界の宗教を見ますと、霊界で年老いた大蛇霊は全て【神として祀られている】があります。
しかし日本の諺に【邪の道は蛇】がありまして、蛇霊は万物の創造神から生み出された存在では無く、
神や人が持った【よこしま(邪)の心】が蛇霊を産んだ
明治25年に丹波の片田舎綾部から発祥した大本教からウシトラ金神国常立尊の言葉として、【我れよしはならぬ。】と教えが出されました。この我れよしとは【自己中・自己本位の生き方】であるとは誰でも解ります。だが大本教からは何故に【我れよし(自己本位・自己中)】がいけないのか?。深い示しが出ていませんでした。
人はその我れよしとは、自己本位、自己中の生き方で【よこしま(邪)】だと理解不足だったのです。毒宗教でも人を殺したり、盗みをするなとは説きます。そうした行為は【邪悪の行為】と教えます。それは悪神とか邪霊の道です。しかしその邪の漢字は【よこしま】だとの理解が不足していたのです。
スピリチュアル標榜でも、自分が【スピリチュアル】と言う言葉を世に広めたと自画自賛をしておられる霊能者江原啓之さんやその師匠格とされている美輪明宏さんはさすがに【邪の道は蛇】を理解されているようですが、スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と連呼している世にスピリチュアル女子と呼ばれる人達は、この日本の諺【邪の道は蛇】を理解されていないと言えます。
それは【邪の道は蛇】の邪は、単に【ジャ】と読むだけでは理解が出来ないのです。この邪は【よこしま】の理解が要るのです。よく【横車を押す】等と言いますが、その【横車】とは道理に合わないことを無理にする。理不尽な行為を意味していて、スピリチュアルのお題目の【人は神の愛で何をしてもいいのです。】等は邪の道は蛇に成るに繋がっているのです。
何故にスピリチュアル標榜者にそうしたことが解らないかと言った時、人は自分が【邪悪な存在】と言われたら、誰しも自分は邪悪の存在では無いと思うのです。しかし人の魂に来世も人を授ける【来世門の閻魔庁】に出頭して来た時、【貴方はよこしま(邪)の行為をしませんでしたかとなった時、初めて自分の【よこしま(邪)】の行為を理解するのです。
人は自分の【よこしま】を理解せず、死ねば天国と見誤る
キリスト教徒でなくても聖書の人類の原罪。蛇の囁きによって神の御国から追放された人類。このことは理解する必要があるのです。その人類の原罪とは、イエス一人を主の御子だと信じても無意味なのです。
私は神霊界修業中、神霊として崇められている蛇霊に言向けをしていて、その蛇霊が私の言葉に従って改心すると、現実界の蛇が棒の様に直立をして、蛇霊の姿から麗しい天人の姿に変わる【身変える】があり、スピリチュアルでは自分には天使長ミカエルが来ると言う人が大多数なのですが、大本教の出口王仁三郎聖師は天使長ミカエル等存在していないと残しておられます。ミカエルとは省みるの言葉の意味だと説かれた事に納得したなのです。
旧約聖書の神と名乗る声は子供の私に【旧約聖書は我が書なれども暗号書であり、鍵を持たないと書いてある意味を間違える。】と言われましたが、最後の審判時に蛇の尾を踏む天使長ミカエルとはそう意味だったのかです。旧約聖書の神は、この日本に解読の仕組みを残されたなのです。
人や霊は【悔い改めて】、神の御国にと戻って行く。懺悔。懺悔。六根清浄。
既に、みろく世に身帰るの【ミカエル】の捌きは始まった
今、蛇の道を行く人達は、次々と邪の行為が炙りだされる
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