人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊感があれば人は観音菩薩や不動明王は見える。その諸仏霊が上げる御経に【息】が無い。息の漢字の意味は?

 最近、私は虫に刺されました。ダニと思われます。ダニは世の中の嫌われ物ですが、それでも命を持った存在です。あるお坊さんは蚊も命ある存在なので、命がある人間と同じ命の存在だからと蚊を叩いて殺さなかったという有名な話があります。

 私は蚊は叩いて殺しますし、ゴキブリも踏み潰します。確かにそれらは命ある物に間違いはありませんが、私は蚊に自分の血を吸わせようとは思いません。またそうした蚊やゴキブリを殺したからと言って、万物の創造神から殺人の様に叱られるなどは聞いたこともないでしょう。神が語っておられるのは、汝、人を殺してはならないなのです。

 この世で人の生き血を吸って生きる者達。そうした者達は死後にそうした存在に落ちて行くということを、万物の創造神は語らせようとされているのです。

 

 一寸の虫にも五分の魂と言われる様にどんな虫にも魂があるとされます。しかし霊的世界を歩いて来ますと、人としてこの世に在った魂がこの世での生き方を間違えて魂が破砕されると、蚊の様な虫の命になったり、蟻の様な命になったりで、魂からすると【命】と呼ばれる存在には高低があり。必ずしも同等に論じるべきでないと解って来ます。そして腐って行く魂の存在です。

 何をしても神の愛で許されますと叫んでいるスピリチュアルとは違い、優秀な霊能者達は人の魂は腐ったり魂が歪むと破砕されると言います。今の世に出る魂とは必ずしも永遠性が無いのです。そこに大本教から【みろくの世は水晶魂】が説かれたなのです。

 

 私は一貫して魂とは【鬼と云うウシトラ金神】で説明される玉形の思惟(意識の総体)で、玉思惟(たましい)だと説明して来ました。ですから人の魂(玉思惟)を見て来ており。その魂に出る点数が【良心神】と呼ばれる点数で、その点数で永遠の【みろくの世】での地位が決まると言って来ました。

 その新しいみろくの世とは永遠の世なので、そこに住む魂が腐ったり捻れない様に大本教から明らかにされた事柄としてみろく世に生きる魂は【水晶魂】が授与されるなのです。その水晶魂の存在を見た人達は未だ少数ですが、その存在を見た人達もあるので【みろくの世は永遠に】と説明させてもらっています。

 大本教神諭でみろくの世は【松の世】と説かれましたが、今の世から分離して行く蜂(8)の巣別れであり。末から広がることから第八の世とされると説いて来ました。その水晶魂はスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と連発しているようだと見る事も無いだろうし、みろくの世に進むことも無いだろうと推察します。トドメの文と呼ばれる物にあるように、それならば永遠に【さようなら】なのです。

 

 今の世の人の魂は腐るとミミズの様な命の存在になったり。魂が破砕されると蚊の様な存在に成る。それもまた【輪廻転生】とするわけです。私は霊界修業の中でそうした事実を知ったなのです。

 人としてこの世に出して貰いながら、不平不満をたらたら言われる方はありますが、

 

人としてこの世に出るよりも、虫の方が好かったのか?

 

人類は霊長類の長とされるが、【霊】が理解されていない

(どうしてそこに、霊の漢字が振ってあるのか!)

 

 神社等に行きますと、目の上にキラキラした光的な存在が見えると言われる方達がありますが、これらは魂が破砕された存在で次の世の命となる存在を求めて漂っているとする説があります。これらは霊感がないと見えず、通常は誰にでも見えるではありません。そうしたことを知らないと、自分の目がおかしくなったと思います。私もそうした物を見て自分の目はおかしくなったのかと思いましたが、幸い霊能力者からそうした粉砕された魂の欠片的な塵と説明を受けて納得したがあります。

 

何故に日本神道の神々は、塵や埃を嫌うのか?

 

 私の家では新品の掃除機を買っても、その掃除機が直ぐに臭い排気臭を出して来ます。人の目には見えませんが私が住む土地は優れた霊能者によれば汚れた霊が集まる特殊な処とも言われており、掃除機が破砕されている塵的な霊達を吸って臭い排気を出しているがあります。集塵しないとそうした霊の臭さが解らないのですが、掃除機が霊を集塵してしまうことで臭いが出る。為に私の家では掃除機の寿命が短いがあります。

 

 と言って、蚊や蟻たる存在が自分の前世は人であった等は言わないでしょう。蚊や蟻にも魂があったとしても自分の前世は人であった等、そうしたことはその記憶の片隅にも無いからです。神霊として祀られている蛇霊や狐霊にはその前世に人であった時代などがあります。牛や豚にもその前世に人の時代が在ったりしています。私は稲荷講に所属して、人となって神の御代をしたり白狐の世界とを往復している存在も見て来ました。

 

 これは霊能力者による説ですが、もし人であった魂が破砕されてそうした虫などの命になった時、生まれ変わり死に変わりして魂が入る容器たる存在を大きくして魂が成長して人と呼ばれる肉体に入れるまでには約一億年は掛かるという説があります。今生に人として出して貰ったは、大本教からこの世は【天人の苗床】と出されたように、この世の生き方次第で天人にも神霊にも成れるのです。

 例えば日本の神社に神霊として祀られている方々は、そのほとんどは過去は人として世に出られた方達ばかりです。それは人は神と呼ばれる存在にも成れるです。そこに蛇霊や狐霊が神霊として神社に祀られていても、それらの神霊を浄霊すれば蛇霊や狐霊から麗しい天人の姿に変わるなのです。それらの魂は過去に人として出たなのです。魂は常に【輪廻転生】の世界にあるのです。

 

人として出るは千載一遇であり、その時に神に近づく

 

 命(いのち)だけの概念で言えば、人も犬猫もゴキブリにも命はあります。仏教に六道輪廻の教えがあります。実際に霊界を見聞してくれば、その六道輪廻の教えは必ずしも正しくないと解りますが、それはさほど深く論じる必要はないのです。ですから霊能者は【地獄界】の存在を説いても、あまり六道輪廻に関しては言わないでしょう。六道輪廻だけでは説明が出来ないのです。

 日本昔話に【狼がくれた睫毛】の話がありますが、人の魂はこの世の生き方で死後にそうした存在に転生しています。かく言う私も【牛】として幾度も生まれ代わりをしています。

 

人として出して貰う時もあれば、動物としても出たです

 

世に語られる牛頭天王、神も【牛頭の姿】で現れた

 

 では命とは何か?。命は【息(い)の霊(ち)】とされる

 

 命(いのち)の言葉が【息(自分の心)の霊】だとするならば、確かに人であれ他の命ある物であれ、それは命あるものとして生きているとなります。

 この日本では【観音菩薩】や【不動明王】や【稲荷】と呼ばれる存在が各処で祀られています。人は死ねば終わりだと死後の世界を否定する人達は多数存在されますが、そうした方達はそうした観音菩薩や不動明王や稲荷と呼ばれる存在は居ないと思っておられるのかです。

 それは単にその人に観音菩薩や不動明王や稲荷と呼ばれる存在が見えないだけで、その存在は非常にポピュラー(大衆向き)なのです。自分に霊感が備わっていれば、観音菩薩や不動明王や稲荷と呼ばれている神仏の存在は見えます。ただ一般的にそうした神霊が見える人達は自分を【行者】だと呼称します。

 

自分は行者だと言う人は、自分を救世主等と言わない

 

 それは神仏の存在を見て来ると、実際に自分が人助けにどれだけの霊力を持てるかで解ります。どれだけ世の中を動かせるかとなった時、救世主と呼ばれる存在は一人や二人の人を助けたからと言って名乗れる様な事柄ではないと解るのです。

 巷には自分の前世はイエスであった、釈尊であったで救世主だと称する人達は多数居られますが、そうした人達が観音菩薩や不動明王や稲荷神を見る行者と比較して特段に霊界での地位が高いなどはありません。そうした救世主等の名乗りは言った者が名乗り勝ちで、その名乗りを信じた者がバカなのです。

 

霊界には釈尊やイエスの自称者を罰する神も制度も無い

 

 行者と呼ばれる筋を見る時、白狐を使役している行者と白狐に使役されている行者とでは五次元界位を【境】として違っているがあります。そうした白狐や龍神を従えて来ると、この人は霊界での地位はそこそこ高いと見る事が出来るなのです。スピリチュアル標榜だとそのほとんどは低次元霊界の蛇霊や愉快犯霊に使われてしまうなのです。自分に憑いた蛇霊の霊力で霊界を見れるで、高い霊界が見えるではないのです。為に高い霊界の存在が解らないとなるのです。

 観音菩薩や不動明王や稲荷と呼ばれる存在を見る人達。そうした神霊に仕える人達はあまたおられます。しかしその神霊が告げられる内容に絶対性があるかとなった時、そこに絶対性が見られないがあります。世紀の大予言者として知られた大本教の出口王仁三郎聖師は関東大震災や広島や長崎に原爆が落ちて火の海になるなどを当てられました。

 私が霊界修業のお世話になった最初の師匠の御祭神たる豊受姫は、阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に言っています。そこにはそうした神霊の予知能力には高い低いがあり、高次元の神霊ほどその言われることがよく当たるなのです。私は神霊世界を見聞して、大本教から予告された神が今日まで一番上だっただろうと見るのです。

 

 低次元界の霊は、昨夜あなたは何を食べたましたねとか誰と出会ったとか、そうした占い的なことはよく当たるのですが、世の中に起きる大事件や大災害を事前に当てることが出来ません。個人の恋愛相談的な占いとこの世に起きる出来事を事前に言う霊は、まったく次元のレベルが違っているなのです。

 

そこに神霊には階級とか次元の差があると解るのです

 

 安倍元首相が統一教会を恨む信者の子供の凶弾に倒れてお亡くなりになりました。この統一教会の開祖であった文鮮明は自分はイエスの再来と称していましたが、イエスの再来などは真っ赤な嘘のニセ者の自称者に過ぎませんでした。それはオーム真理教の教祖の麻原彰晃の自分の前世は釈尊。法の華三法行の教祖の福永法源の自分は釈迦、キリストに続く最後の救済者。そうした自称者達に嘘の名乗りに人は欺されるなのです。

 だがどうして自分の前世がイエスであったとか釈尊であったとか自称するニセ者達が次々と出て来るのか?。そこに隠された意味を読み取れる方はほとんどいなかったと言えます。

 

 私の元に自分が救世主です。貴方は救世主たる自分の参謀になってくださいと言ってこられた方がありましたので、いったい誰が貴方に貴方が救世主だと言ったのですかと尋ねたところ、自分は死ぬかと思うほどの光に打たれた。その光が【自分は創造神であり。おまえは救世主。】だと言った。あんな凄まじい光は創造神たる神以外には存在しないと言われます。で、私からその光の存在に対しての審神(さにわ)内容を伝えたところ、その光は【自分は自然界の大白蛇霊】だと白状したと言われます。

 

なまじ霊感があると、少しの光の存在に欺される

 

 その方はその時は自分は創造神だと称する光に欺されていたと納得されましたが、次にやっぱり自分は救世主だと言って来られます。今度は自分は七次元格の素戔嗚尊の魂で救世主だと二人の霊能者と三輪山の神に言われた。その三輪山の神は六次元格の黒龍神で、その配下には五次元界の黒龍神達が400万騎存在し、全て自分の家来となったです。確かに三輪山の神とはその程度の次元段階でしょうが、世の大立替と呼ばれる時に出て来る神の次元段階には遙かに遠いと言えます。

 その方が見る三輪山の龍神達とは五次元界黒龍神達で20メートルから40メートル位の長さの存在が400万騎と言われます。確かに20メートルから40メートル程度に見える黒蛇霊上がりの存在が憑いたようですが、それらは聖書に記載される龍神とは霊界の年老いた大蛇霊達です。三輪山の神程度を相手にしているようだと世の立替論を組み立てた神の存在が見えて来ないのです。国常立尊様に関わって出て来る龍とは、その長さが何十キロとか何百キロのキロ単位になるからです。遙かに高次元界の存在と言えます。

 

 例えその方が二人の霊能者から貴方は七次元格の素戔嗚尊の魂だと言われたとしても、大本教の出口王仁三郎聖師は八次元格の素戔嗚尊の魂として優秀な霊能者達には知られており、八次元格の素戔嗚尊の魂でも世の立替に失敗しているのに七次元格で今更出て来てどうなるのだとなります。

 ただこの方が言われる様に自分は死ぬかと思うほどの光に打たれる。そうしたことは霊的世界では起きますが、それで自分が救世主は早まった考えなのです。そうした事柄は光でも稲妻を【神鳴り】と言う様な光に打たれた様なことなのです。

 

スピリチュアル界で言う光とは、さほどの光では無い

 

霊光より霊界の太陽を見る方が、自分の次元格は高い

 

 例え自分に観音菩薩や不動明王や稲荷神が出て来てその姿が見えて、その存在と会話が出来ても、そうした霊界の背景を説明してくれる神も仏も存在していなかったでしょう。そのことを知る必要があったのです。どうして今日まで世に出ていた神霊は口を閉ざしていたのか?。

 やたらに【金剛界】とか【胎蔵界】とか難しいことばかり言っていても、私が見て来た事柄の内容を何も教えて来なかった神仏ともなれば、それは本当に霊界でも高い霊かとなります。自分の前世はイエスでした等と嘘を言う者に【人は簡単に欺される】。その人物を盲信するを起こすわけです。

 

自分の前世は釈尊やイエスと称する者は証拠を出せ

 

 私は霊界修業の中で兵庫県の豊岡に在る瀧場で瀧を受ける前、その瀧場の横にあるお堂から男性の声と思える御経が聞こえて来ます。?、誰も居るように思えないお堂の中で御経を上げている者が居る。その瀧場に案内同行してくれている最初の師匠に聞くと、そのお堂に祭られている観音様が私達一行に対して観音経を唱えておられますと言います。

 そこでその観音堂から聞こえて来る【観音経】を聞いていますと、その御経の途中にに息づき(ブレス)が存在しません。人間ならば息継ぎをしないと御経など上げれません。ところがそうした神仏から御経を聞かされると、私達の様な【呼吸が無い】なのです。その後、不動明王が上げる不動経を聞いていますとやはり息継ぎが無いなのです。

 

 それは人は死後に霊界に入れば肉体に必要な空気を吸うが無い為に、宇宙空間の中でも生きていられることになります。私はその時、【息】の漢字はどうして【自分の心】となるのか?。そうした疑問に入ったのです。

 

この世で命ある物は【息】をするが、息は【自分の心】?

 

霊は空気を必要としない。ならばこの地球の意味は?

 

 私は鍾馗神の案内の元、多くの中国の将軍と思われる様な霊を綺羅星の如く従えた中国で創造神ともされている盤古大神に拝謁し、盤古大神(大本教霊界物語の説明では木星神なので西洋ではゼウス名)とは何だ?。となり、その盤古大神が何者かを知りたくて読んだのが大本教霊界物語になります。

 その大本教霊界物語に中国の盤古大神から日本の国祖大神国常立尊様に神界の奉還があり、この意味は神界の政治で無く日本の漢字は国常立尊様が【神三千年】の計画に基づいて関わっておられると気付いたのです。

 

自分の心があるならば【命(息の霊)】は尽きない

 

人は【自分の心(息)】に目を向ける必要がある

 

 

 

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