私は子供(小学生)の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。それが本当に旧約聖書の神たる存在の声なのか?。それは確かめたくても確かめようが無いのです。そうした名乗りをする声を聞いていたです。ただその声は、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。その仕組みをそなた一人だけには教える。】と不思議なことを告げて来られたなのです。
その声は私が小学校を卒業すると終わりましたが、中学生の頃、商店街の道を歩いていると【危ないどけろ】と言う男性の声が飛んで来て、思わず横に飛んだところ私の体すれすれにトラックが通りました。もしとっさに避けていなければ死んでいたかも知れません。誰が声を掛けてくれたのかと周囲を見渡すと、誰も見当たりません。
?と思った時、幻影として黒染めの一人の僧侶姿の霊が見え、この僧侶姿の霊が私に声を掛けたのだと解りました。それは私が初めて霊を視認した時と言えます。それまでは私は旧約聖書の神と称する霊の声は聞こえていても、姿を見たではなかったからです。そしてその僧侶姿の霊は私の家系の御先祖霊だと感じたのです。その後、その姿は見ませんでしたが30代に入った頃から、この霊が私に臨むようになって来たのです。
昭和五十五年に私の身に起きた摩訶不思議な事件は私の目の前を真っ暗闇にして地底から響いて来る声でしたが、その時にこの黒染めの僧侶姿の霊が関わっており、何事かと霊能者の元を訪ねたところ、それは間違いなく私の家系の先祖霊で、霊界では非常に高い地位にある霊だと言われます。だが私の家系に霊界でそんな高い地位に行った様な僧が出たなどの話はありません。いくら調べても僧に成った者が見当たらないのです。生前は僧では無かったが僧の格好をしている?。
私にとって不思議だったのは、その家系先祖霊は日蓮聖人としても私の前に出て来ることだったのです。そこには微妙な差が見られるのですが似通っているなのです。その黒染めの衣の僧は私の家系の御先祖霊か?。それとも日蓮聖人か?。ある霊能者は私の背後には日蓮聖人さんと思われる霊が見えるが、日蓮聖人とは微妙に違うようにも見えると首を捻っていました。
別の霊能者である出雲大社教の教師は、その御先祖霊は私の家系の五代前の先祖霊で出雲大社の神に何等引けを取らない存在だと言います。私は伏見稲荷大社講に所属している時、出雲の大国主命や大黒天や伏見稲荷山で言うところの「権太夫大神」には幾度も出会っていますが、その霊が大国主命様に匹敵するほどの存在と言えば、それは日蓮聖人になってしまいます。
ある夜、私の家の仏壇に白蓮の華の蕾が見えたかと思うとその蕾がポンと開き、南無妙法蓮華経と日蓮の金文字が出て来て点滅します。あまりにも不思議なので豊受姫の御代であった最初の師匠の元を訪れて尋ねると、私の家系の五代前の御先祖霊は日蓮聖人の分魂を受けてこの世に出た人であったと解りました。その関係から私の前に日蓮聖人の霊も出て来られているです。
その五代前の御先祖霊は日蓮聖人の分魂としてこの世に生を受けた方で、その時代は僧侶には成られなかったが、死後は日蓮聖人の魂に帰結しようとされているなのです。それで私の前にはその御先祖霊と日蓮聖人がダブった様にして出て来られるでした。他の霊能力者からも、貴方が生まれた家系は国常立尊様の霊脈で、その関係で日蓮聖人の分魂が出られたと言います。
日蓮聖人は生前は伊勢の外宮にあったとされる寺に籠もられて、妙見様(天之御中主)の存在を会得されたことで解る様に妙見信仰で国常立尊(天之御中主)に繋がっておられるのです。その日蓮聖人の分魂とされる霊は私の祖父が養子なので肉体の私と血脈は関係しませんが、家系先祖守護霊として私に出て来られたなのです。そして私を法華経ではなく大本教へと導いてくれたなのです。
そうした事柄は日本神道では正・副守護神として説かれる
スピリチュアルでは何かとハイヤーセルフの言葉が多用されていますが、新日本神道系だと本守護神・正守護神・副守護神が説かれ【神人合一】が言われます。私の場合だとその日蓮聖人の御分霊が私の家系から来る副守護神で、旧約聖書の神が私の前世は悲劇の武将であったと告げられた自分の前世霊が正守護神と呼ばれるなのです。ただ自分の前世霊とは必ずしも天国界や神界に在るではなく、地獄界に落ちているもあるのです。
正守護神と呼ばれるのは、神界に戻った時の自分の魂
私は旧約聖書の神と称する声からそなたの前世は他人の魂胆が解らぬ者であったと告げられましたが、その時の悲劇から【恨み霊】と化して地獄界に落ちていたと言えます。もし後生たる肉体の私が出て来なければ今でも地獄界に留まっていたと言えます。がその意味が普通の人の知識で理解出来るかと言えばまず理解出来ないのです。そこにGLAの開祖であった高橋信次師が出された6体の魂の兄弟説があるのですが、その事柄は霊能力者でもあまり知られていないがあります。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【人の一生は短い。その短い一生で何もかも学べるなどは無い。自分が体験していなかったことは他人が体験しているかも知れない。自分が見た物だけに固執するのではなく、他人が見た事柄もよく学び。そうした事柄を対比させよ。】と告げられました。
その高橋信次師が出された6人の兄弟などは、高橋信次師の教えが全面的に正しいとか間違っているのでは無く、人は全てを学ぶことが出来ない為に他人の経験を【取捨選択】することが必要なのです。
他人が見た事柄の【取捨選択】をしないと霊界は解らない
その自分の前世霊と今生の肉体を持って生まれている魂の関係は、スピリチュアルでも自分はスピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんやその師匠格である美輪明宏さんが言われるコップ一杯の水とスポイトの一滴の自分の関係なのです。ただこうしたことは単なるスピリチュアル標榜者では解らず、自分が低次元界に関わっていることも理解せずに、ハイヤーセルフなどの言葉を連発するだけの者になってしまうのです。
大本教から天は天之御中主様、地は国常立尊様なれども、これは同じ神で天と地の別れだと出されました。私は多くの霊能力者に霊査を受けましたが、そのなかで7~8名の霊能力者から貴方の本守護神は国常立尊様。一部の方は天之御中主様。そして若干の方から国常立尊様も天之御中主様の両方とも貴方には見られる。また閻魔大王様たる存在も見えるとも指摘されて来ました。
が、私自身が見たのは閻魔大王と呼ばれている存在の方が日蓮聖人と並んで出て来られたことだけです。世に天之御中主とか国常立尊と呼ばれている神の姿は見たことはありません。ただ子供の頃は旧約聖書の神と名乗る声を聞いていただけです。それによって旧約聖書の神、日本で艮金神国常立尊、仏教で閻魔大王と呼ばれる存在が同一の存在だと解って来たなのです。
大本教からウシトラ金神国常立尊が【世の閻魔大王】として出ると予告されていることで、その仕組みが解けて来たと言えます。
私は昭和五十五年に自分の身に起きた摩訶不思議を調べる為に、私の最初の師匠となった豊受姫の御代さんの元を訪れました。その時、【貴方は白龍神の子と呼ばれる存在であり、貴方には能勢の妙見様の御使者神が二体も来ておられる。天之御中主様の御使者神が守護に就くなどは普通の人ではない。伏見稲荷山で御本社の豊受姫様に直接聞く必要があるで、伏見稲荷山の豊受姫から私の審神(さにわ)がなされたなのです。
その本社の豊受姫様からの審神(さにわ)の内容は、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、神々の師ともなる。貴方の言葉による教えは天帝の「詔(みことのり)」と同じ意味を持ち、貴方の言葉による教えを聞けぬという神達は如何なる神であっても、全て天帝に対する反逆神として、天帝の手により裁かれる。】と告げられたなのです。
だが、私はそれまで言葉の神など聞いたこともありません。言葉とは何だ?、となります。ただ私が記憶していた西洋の予言書に【ユダヤ人ではなく、異国の人が異国の言葉で主を語る。その人はその国では言葉の君と呼ばれている。その言葉の君は自分は主を知らないと言うが、万軍の主(旧約聖書の神)はその言葉の君のことはよく知っておられ、万軍の主は神軍をもって全ての神達の裁きを終えた後、その言葉の君を万軍の主の元に召し出して、主の全権を与える。その時をもってユダヤ人は救われる。】があったことを思い出して、その異国の言葉とは日本語で可能なのかと取り組んだことが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】の解読に至ったなのです。
それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つ国である。そなた一人だけにはその仕組みを見せる。】と告げられたことに関係しているのかも知れません。その旧約聖書の神は【万軍の主】とも呼ばれているわけです。
その【九つ花】の解読の前に読んだ本に、朝鮮に残されていた予言として【最後の審判前に人類の救済の為に「米」一字の教えが起きる。その「米」一字の教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達は天罰を受ける。が、その天罰の最中に白十字が現れて、天罰を受けている者達もその白十字によって救われる。】がありました。
誰がやったところで【米】一字で神の教えなど出来るはずもないことです。あり得ないです。その時にその本を買おうか迷ったのですが、その程度の内容に金を出すのもと思って買わなかったがあります。
その【米】一字が、大本教神諭予告【九つ花】につながり
予言書にあった異国の言葉は日本語で、創造神が語れた
私が紐解いた大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(火水)】は誰かから教えられた物ではないのです。私が霊界を見聞していて、点と点を結ぶ線の作業において見えて来た構図(神の計画書)なのです。
天帝にしても創造神と呼ばれる神にしても、どちらにしてもその神が世の表に出て来る時は【最後の裁き】の時となるなのです。
この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ましたが、私は言霊とは何かを知った時、愕然としました。聖書には【言葉は最初に神と共にあった。】とありますが、イエスはこの言葉の意味が解らなかったなのです。それは雨よ降れと言えば雨が降るとか、雨よ晴れよと言ったら空が晴れたとか、天に向かって食べ物が降れと言えば食べ物が降って来る。そうした言葉で何もかも出来るという意味ではなかったのです。
そうした奇跡的な事柄はインドのサイババも見せましたが、小さな規模であれば伏見稲荷山でも見る事が出来ます。そこに在るのは霊力による【物質移動】なのです。
イエスやサイババで言われる【奇跡】とは龍神と呼ばれる存在を動かせば、誰でも出来なくもないなのです。信じられないほどの龍神を動かせば【紅海】の海水を防ぎ、そこに人の通り道を創ることも不可能ではないのです。私はその紅海に道を創る無数の龍神達の映像を見せられて愕然としたなのです。
モーゼの紅海を割った道は、実際に起きた出来事だったか
聖書にある【最初に言葉は神と共にあった】は、この宇宙を創った神の力を指した意味だったのです。今もイエスが救世主だと思い込んでいる人達は後を絶ちませんが、イエスが持つ霊界の次元格の霊力では最後の審判で全人類を助けるなど不可能に近いことなのです。
それはナザレのイエスのみならず、最初は救世主と名乗り、自分はナザレのイエスに何一つ劣っていない言われた大本教の出口王仁三郎聖師にしても不可能と言えることなのです。無論、巷で自分が救世主ですと名乗っている人も誰も出来ないことなのです。
ただそれは大本教で出された【神三千年の仕組み】を明らかにすると、人たる身の者の救世主論は間違っていたと解るなのです。それは創造神が表に現れる時節が訪れたからと言えます。神界の舞台を演じる役者が、お釈迦様やイエスの様な人の存在では無くなっているのです。
大本教から出た神三千年の仕組みは、救世主を否定する
大本教神諭の【神も時節には敵わない】は三十五万年
巷には自分の過去世はイエスであったと自称している人はいくらでもおられますが、そんな名乗りでは言霊が何かが解らないなのです。そもそもイエスの霊界次元格では無理だったのです。当然にスピリチュアルで天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称して出て来る様な霊でも無理なのです。こうした霊は【日本語】を知らなかったから最初から取り組めないなのです。
大本教から【いろは】歌が出され、日月神示の岡本天明師からは【ひふみ】歌が出され、私は【アイウエオ】を説きました。アイウエオの元は【あわの歌】とも言われています。そんな言霊の働きを日本に居ながら、スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言って【霊】の漢字からさえも言葉の意味を読み解くことが出来ないスピリチュアル等、最後は【火の海】の中に叩き込まれるなのです。
私は伏見稲荷山における霊界修業から離れて言霊の世界に転じた頃、ある霊能力者から【貴方は高次元界の教えを携えて世に出て来られた方だが、この世は蛇や狐が支配する世。蛇や狐に関われないと何も出来ませんよ。】と忠告されました。地球に入れば【郷に入れば郷に従う】でないと動きは取れません。と言って蛇や狐に助けられて教団教祖になって意味があるかとなります。
この世は蛇や狐の神が支配するから、どう脱却するか
私は霊界修業に入った頃は神仏の姿を見ていましたが、霊界修業のお世話をして貰っていた豊受姫は、神仏の世界に対して【この豊受姫の許し無く、この者に勝手に接触しては成らぬ。】と命令されたと豊受姫の御代であった最初の師匠は言います。
それは今の神界は一枚岩では無く、多くの神々の思惑がうごめいていることにより、それらの神霊が貴方を利用して自分の思惑を遂げようとするからですとその師匠は説明してくれました。世に出ている神々の中には私の神界での身分を知って、私を利用して自分の思惑を遂げようとする神達が多数いることです。
それは旧約聖書の神と名乗る声が私に対して、【そなたの前世は、そなたを利用しょうとした者達の魂胆が見抜けずに、そうした魂胆の者達に利用されて悲劇の武将で終わった。そなたの今生は他人の魂胆を見抜く力の養いぞ。】と言われましたが、またもやその二の舞を犯すことを防ぐ措置であったとも言えます。
ただ私は私の前に出て来る神霊が誰であろうと平気で質問し、その回答がおかしいと思うとその神霊の名乗りがどれほど高い神名を告げようと【叱責】をするです。それでは世に出ておられる神々は恐くて私に近づいては来られません。霊的世界に関わってそこに出て来る神が善神なのか?。邪神なのか?。簡単に解るではないのです。
六次元界位迄は邪神達が闊歩していると言われていて、四次元スピリチュアルでは邪神の判断すら出来ないがあるのです。単に霊的世界に関わっても、その神が善神なのか?。邪神なのか?。その神の魂胆が解るではないからです。
なまじ霊感があると、霊の思惑に自分が利用される
スピリチュアルと称する人達を見ていると、その人の前に現れる霊の正体を見抜けずに、ほとんどが頭から信用しているです。
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