人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

人は他人から受けた仕打ちは忘れないが、他人にした仕打ちは覚えていない。霊界で見る鬼や般若は人の心の中に在る

 西洋の宗教やスピリチュアルでは何かと【サタン(悪魔)】と呼ばれる存在を言いますが、私は霊界見聞を積んでいて、そうした【サタン(悪魔)】と呼ばれる存在に出会ったことがありません。どうすればその【サタン(悪魔)】と呼ばれる存在に出会えるのか?。私は教えて欲しいところです。

 

 しかし霊界見聞をしていれば、鬼とか般若と呼ばれる様な存在には出会います。すると西洋で言う悪魔と鬼や般若は同じかとなります。

 

人は霊能力があれば、霊界の鬼や般若を見る事が出来る

 

 日本では鬼や般若、また龍神や天狗や妖怪などが語られますがそれらはまったく存在しないのではなく、霊的世界を見聞してくれば存在していることが解ります。存在しているから今日まで語られて来たなのです。この世に住むほとんどの人の目には創造神と思われる神からの特殊なフィルターが仕掛けられており、神霊の存在が見えません。霊界の太陽も見えません。そこに【霊感】の必要が語られるのであって、何の霊感も無しに神仏の霊世界の存在を知ることは不可能となっているのです。

 それを逆に言えば、ほとんどの人に霊界の存在が見えないことにより、霊的世界から来る【嘘】に欺される人も多いなのです。例えば統一教会の開祖であった文鮮明はニセイエスの典型の一人でしたが、そうした存在に欺される人も出て来ます。霊的世界ではそうしたニセ者に引っ掛かった者は引っ掛かった者が悪いとします。そこに何故?。と言う疑問が出て来ます。人の魂はこの世に出て来る時には【自己責任】を伴うからです。為には【カルマ】を知る必要があるのです。

 

 その鬼や般若はどこに居るかと言えば、人の心の中に居るのです。住み着くのです。人が人を恨んだりすると、般若の面相や鬼の面相をした者達が出て来るのです。それはある意味その人の本相を隠して【仮面】を被っている自分と言えます。

 人は誰でも自分の本性を隠す仮面を着ければ、非道と呼ばれる行為も平気で出来ます。自分の良心を隠すことが出来るのです。ただそれは外部から自分に入った来た存在では無く、自分の心の変化と言えます。

 大本教からウシトラ(艮・牛虎)金神の名が世に出された時、ほとんどの人はそこに意味が含まれていることに気付く人は居なかったと言えます。

 

人は人を恨むと鬼や般若になれる。恨みの鬼がウシトラ

 

 例えば明治の刑法で禁止された風習に関して、人を恨むのにわら人形を五寸釘で打つ行為の禁止がありました。その行為をした者は刑に処すです。どうしてそうしたことが明治の刑法で禁止されたのか?。江戸時代にはそうしたことが実際に行われていたからです。そこにはどうして自分が憎む相手にそうした行為をしたのか?。があります。

 私の自分の霊界体験の中で白装束で額に蝋燭を灯して、その蝋燭が落ちないように額にはちまきをして、丑三つ時に現れた霊体がありました。それはある人の怨念として出て来た生霊です。丑三つとは丑寅の刻です。

 それは私が言霊師の元で修業をしていた時、その言霊師の下に二人の霊媒師が居ました。この二人は極端に仲が悪く、真夜中にその片方の生霊がもう一人の霊媒者の家をそうした姿で襲撃したのです。私はその時は目が覚めて、その光景を自分の自宅から見ていましたが、霊的世界で起きたのです。

 するとその翌日に出会った肉体の二人は、あんた昨日の夜中に五寸釘のわら人形を打つ姿で私の家に殴り込みに来ただろうと言います。すると片方が、以前貴方の生霊が私を襲った。昨夜はその時のことをやり返しただけだと喧嘩を始めたなのです。霊的世界での出来事で、この世の肉体同士が喧嘩を始めたのです。そうした霊的世界における仕返しは、人は【霊止(ひと)】であると理解出来ているならば、生霊として人の肉体から鬼や般若の存在が出て来ることが解るのです。

 

鬼や般若は人の心の中に住むが、悪魔は見当たらない

 

 私は自分が霊界修業を積んで来て、古来よりこの日本で言われていた事柄はすべて有ると解りました。ところがこの日本で古来から言われて来た事柄には目を向けないで、西洋のスピリチュアルに走っている人達は何も解ろうとしないひどい状態だと解って来たのです。天使と称して出て来る連中の無知のひどさです。

 

 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この国(日本)は私の教えで満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と告げられて一部の霊界を見聞して来ました。これまで説明して来た様に日本語は創造神の言葉であり。日本語で【悪魔】を示す時、それは日本古来の神道で説かれて来た【一霊四魂説】の一霊(直霊)は天帝からの分魂で、人の良心を司る神の働きとされる直霊(良心神)の働きが無くなった【空く真(間)】の状態なのです。

 それがお釈迦様の本来の悟りであった悪魔は実体を持たない現われなのです。

 

悪魔とは魂の核である直霊が存在しない【空く間(真)】

 

 それが最近霊能力がある人達に視認されて来ている丸い玉でも真ん中に穴がぽっかり空いた魂の存在です。良心神と呼ばれる魂の核たる直霊を失った魂達の存在です。そうした魂の増加は創造神と呼ばれる神が存在するならば、刻々と裁きの日が近づいていると言えるです。

 お釈迦様の本当の悟りとは【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】であったのですが、これは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】を【56億7千万】で引き出さないと、誰をもってしても解き明かせるではなかったなのです。

 私はどこにも創造神が見当たらなくても、創造神の存在を確信したのはその大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】から、日月神示等でも告げられる【一厘ある神】と【一厘が無い九部九厘の神】の違いからです。ほとんどの神にその一厘が無いとなります。

 その一厘は日本古来の神道でも【直霊】として語られてる良心神の働きですが、それすら理解出来ない大多数の神々。スピリチュアル標榜者等は最後の審判が実施された時には永遠の地獄火の中で暮らせばいいとなります。

 世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は広島に原爆が落とされて火の海となったことで、大本教の一信徒から【最後の審判の火とは、広島に起きた火の海の様なことですか?。】と尋ねられて、そんな生やさしい火の海では無いと答えられています。だが安易にスピリチュアルに走ってしまうと、その火の海から助け出されるだけの価値すら持ち合わせていない者達となります。

 

艮金神国常立尊は、人の魂に【一厘の仕組み】を入れた

 

 他人を恨むと自分の生霊が鬼や般若の形相をすることは語られていても、大本教から本格的に出されたみろくの仕組みで、日本の古神道にあった【一霊四魂説】に基づく解説がないと、その意味が解らないがありました。

 人の魂の中に内在する良心神は天帝の分魂で有り、その魂の真ん中(核)の部分を【空く間】にした状態が良心神と常に対峙する【悪魔】と言えます。そしてその良心神が仮面を被ると、鬼や般若の顔になるのです。

 

自己の魂の良心神を否定する者は【空く間】化している

 

自分の良心神に仮面を着けて、鬼や般若で物事を為す

 

 お釈迦様の悟りであった悪魔は実体を持たない現れは正しかったとなりますが、その人の心の中に潜み、時と場合で現れる鬼や般若は【サタン(悪魔)】かというと、宗教界が説く悪魔の【定義】ではよく解らないとなります。そこに日本神道では悪魔と呼ばれる存在を語れないとなります。語るのは鬼や般若の存在です。

 

この日本にあるのは【邪の道は蛇】で、邪心で蛇霊と化す

 

宗教の悪魔の定義は、自派の教えと違う教を信じる者達

 

 人が死後に蛇霊化するのは、その人が生前は金権や威張り散らすなどのパワハラ的な行為をして来たことを悔い改めていなかったり、人は恨んだり妬んだりすると出る怨念や嫉妬が主な原因であり。自派の教えを信じない者は【サタン(悪魔)】の定義とは、実にいい加減なものだったとなります。

 悪魔を邪神だとするならば、その【よこしま】の存在とは蛇の姿であろうと、説けるだけの者でないと良心神など解らないとなるのです。聖書に人類の原罪としてアダムとイブに囁いた蛇の唆しが書かれていても、その蛇の意味が解らない。イエスの様に自分の弟子達に蛇の様に賢くあれと、蛇の意味を間違えて教えてしまうなのです。

 

 例えばキリスト教の教学では冥府の長官を【サタン(悪魔)】としていますが、人の魂が輪廻転生をしているとなると、この世では無い霊界(死後の世界)を【黄泉の国】とした時、その冥府の長官を【サタン(悪魔)】としたキリスト教と、輪廻転生で人はまたもやこの世に生まれ出る【羅城の来世門】の主として【閻魔大王】を説く仏教とでは、どちらがより正しい論かとなります。

 私は豊受姫から貴方はこの世に出ている神々に教えをする立場だと告げられましたが、何人者の霊能力者からも貴方は高次元霊界からの教えをする為にこの世に出て来ておられると言われています。しかしこの世はスピリチュアルで解る様に蛇霊や狐霊が支配する世界。蛇霊や狐霊を相手に説いても、何時まで経っても良心神等理解して貰えないとなります。

 

 スピリチュアルでは何かと自分には天使長ミカエルとか大天使カブリエルが出て来ると言われる方が大多数なのですが、確かにそうした天使長ミカエルとか大天使カブリエルと呼称する霊がそのスピリチュアル標榜の方の前に出て来るのは間違いがないのですが、それが本物かとなると本物が見当たらないとなります。その多くは霊界における【愉快犯】なのです。

 世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は天使長ミカエル等は存在していない。ミカエルは省みる言葉の意味だと告げておられますが、旧約聖書で出て来るそうした天使名とは旧約聖書の神による策略と言えるのです。神の計画書たる策略は大本教で告げた三千年ほど前から始まっているのです。私が子供の頃に出て来られた旧約聖書の神と称する声は、【旧約聖書は我が書なれども暗号化した書で、そのまま読めば意味を間違えるように創ってある。】と述べられたなのです。

 それの天使長とか大天使と呼称してスピリチュアルに出て来る霊は非常に低い霊界世界の存在で、そのほとんどは霊界の【愉快犯】達と言えます。人を欺して喜んでいる。スピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と叫んでいる人達を見ていると、その霊界の【愉快犯】のことがまったく解っていないがあり、そこにスピリチュアルとは四次元スピリチュアルと言われるゆえんがあります。

 

スピで四次元界を知るでなく、もっと高次元界を目指す

 

 私が神霊界修業を積むに当たってお世話になった最初の師匠は、豊受姫の御代で稲荷行者としては当時の日本で№1とも№2とも言われていました。その師匠の元にスピリチュアル標榜者の様な霊能力の方が相談に来ると、その師匠はスピリチュアル的な霊能力を消していました。なまじ霊が見えたり、声が聞こえると霊に騙されてしまうです。

 

スピリチュアル的霊能力は、後々本人の災いの種になる

 

 スピリチュアル標榜者に関わる霊はあまりにも霊界次元が低く。そんな霊を見ていても霊界が在ると解るだけで、自分が霊界の高次元界には進めないが起きるからです。

 

人がこの世に降りて来るのは、より高い次元界に行く為

 

 キリスト教における悪魔とは、冥府の長官(閻魔大王)のみならず創造神に対して反逆した天使。俗に堕天使と呼ばれる存在を悪魔(サタン)と呼んでいるようですが、キリスト教で言うところの創造神はどこに見当たりますかとなります。

 キリスト教ではイエス一人が主の御子であり。イエスを通さないと創造神に出会えない?。と説きますが、そもそもイエスが霊界でどの程度の位置にいた霊なのか?。キリスト教の牧師でそれを語れるのかとなります。マリア霊と称している霊も然りなのです。

 

 一般的にスピリチュアルとは四次元界スピリチュアルと呼ばれている様に、中有界と呼ばれる霊界を主体に関わりその世界は四次元界とされているなのです。巷で自分が救世主ですと自称される方だと名乗りは七次元界位が多いとされます。

 かって自称救世主として五井野正博士とか本山博博士が知られていましたが、七次元界の方だと言われていました。が、単なるスピリチュアル標榜者とはその次元界そのものが違っています。

 

 私の元に自分は七次元格の素戔嗚尊の魂で自分が救世主です。三輪山の頭領たる神は六次元界の黒龍神で、その黒龍神がとぐろを巻いた状態が三輪山の大きさで、その配下である三輪山の黒龍神達は五次元界の存在で約20メートルから40メートル程度の大きさで、その数は400万騎に及ぶ黒龍神達だと言われます。

 私は龍神界に関して言えば、もっともっと高次元界に存在する龍神と呼ばれる存在を見ています。その方が言うところの三輪山の神たる頭領神は六次元界の黒龍神かも知れません。確かに一般的に言われている龍神とは、聖書に記載される【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とあるところの大蛇霊達のことで、霊界で年老いた大蛇霊だと高くて六次元界。五次元界位が多いなのです。しかし四次元霊世界に関わるスピリチュアルだと、その五次元界程度の龍神を見てもワーワーワーとなるのです。

 大本教の出口王仁三郎聖師は世に言われる龍神のほとんどは聖書で告げる霊界で年老いた大蛇霊だが、そうではない龍神があると残しておられます。それらの龍神とは五次元界とか六次元界ではなく、もっと高次元界に存在する巨大な龍たる存在なのです。

 

この地球は天人の苗床で、高次元の神が居るではない

 

自称救世主に七次元界は多いが、スピでは低すぎる

 

 世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、自分は素戔嗚尊の魂でイエスに何等劣らずに同格だと言われていましたが、実際の霊界での地位はイエスよりはやや上でなかったかと思われます。

 優秀な霊能力者の追認では、大本教の出口王仁三郎聖師は神界を神の高山の合目で言う時、【八合目】と言われています。イエスも【八合目】格で、ムハンマドや弘法大師は【七合目】格と見る方が多いのですが、その合目を【次元】として見るのです。人の魂が【輪廻転生を外れる】とすれば、九次元以上で【卆】となるのです。 その意味で言えばイエスは未だ卆業段階には至っていなと言えますので、世に出て来る可能性があるのです。

 

 イエスの教えに自分の頬を叩く者があれば、その者に自分の反対の頬を差し出せという有名な教えがあります。では、自分の頬を叩いた者に反対の頬を差し出したら、どうなるかです。ほとんどの場合、そうか。そうか。それならば遠慮無く叩かしてもらうと反対の頬をボコボコに叩かれるのがオチなのです。

 このイエスの教えは一見すると意味がよく解らないようで素晴らしい教えだと、人を誤認させる教えと言えます。自分一人が犠牲者になれば、全ての事が丸く収まると思わせます。確かに自分を叩きたい者にいくらでも叩かせていれば争い事は起きません。そこにイエスが犠牲になったことで全人類が救われた等の誤った教えが世に起きたとも言えます。

 

イエス一人で全人類の罪は背負いきれるものでは無い

 

 そもそもイエスが処刑された時、この地球上の人類に何らかの危機があったのかと言えば何の危機もなかったでしょう。イエス一人の死をもって人類が助かったなどの要素は世界のどこにもなかったのが正解なのです。

 

人は他人から受けた理不尽な仕打ちを忘れる者では無い

 

 私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いていました。その内容はこの世の意味と、その中で個々の自分は何を主体に学ぶかです。世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、この世は【天人の苗床】と説かれました。そのこの世は天人の苗床とは、宗教の世界における我が宗派の教えを信じたら天国に案内と言う内容でありません。

 私はその旧約聖書の神と称する声から、日本名【巌窟王】を読みなさいと告げられました。その巌窟王とは日本における題で、本来は【モンテクリスト伯】です。岩窟王は何の罪も無い自分を落としいれた者達に対する【復讐劇】です。そこにはどうしてそれがどうして岩窟王かです。岩窟から抜け出して復讐するが基本なのです。

 

 霊界では自分に何の罪も無い場合、その自分を陥れた者達に対して【復讐】をしても、それで罪に問われることはありません。常に働いているのは【目には目を、歯には歯を】の五分と五分の原理原則の道なのです。それが【カルマ】として世に現れるのですが、スピリチュアル標榜者はその【カルマ】をほとんど語りません。その理解すら出来ていないのです。

 

日本神話の天の岩戸。そこに存在する光とは【岩窟王】

 

 この世のどこに【公正や正義】がどこにあるのだ!。悪いことをする者が威張っているではないか。悪い奴ほど枕を高くして寝ている。この地球に関わる霊界は、どこにも創造神と呼ばれる神の姿は見当たらず。勝てば官軍、負ければ賊軍で動いてる神霊達ばかりと言えます。

 

天の岩戸の光を出すは暴力であり、創造神による復讐

 

 そうした邪神達には屈せず、自分の良心神を育て来た者達はこの世に付随する霊界では無く、創造神が主宰する神の御国(大本教の出口日出麿霊が告げた分ちの国)にと入るなのです。

 

どうしてこんな世になってしまったのか?

 

 そこには人を自分が叩かれたならばその恨みを忘れないが、逆に自分が叩いた相手のことは忘れてしまう特性があるからです。

 

 人は自分が積んだ悪の事柄を忘れていても、創造神はカルマでその魂に償いを課す。人類は創造神から個々の魂がカルマの復讐を受けて、魂の汚れの清算が起きるなのです。

 

カルマの清算が終わった魂から、順次みろくの世

 

 

 

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