人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

みろくの夜明け前-21 監視カメラやスマホに簡単にオーブ玉や霊が写り出して来た現象は?。この世の【型】が崩れ?。霊的世界との近接

 最近は超常現象の番組で無くても監視ビデオカメラに頻繁に【オーブ】玉が写るようになって来ました。そうしたオーブ玉が写ると、窓やドアが勝手に開いたり。家具やテーブルが移動するなどの【ポルターガイスト現象】の映像が投稿されて来ました。

 以前だと監視カメラにそうした現象が写し出されるなどは、ほとんど無かったと言えます。こうしたポルターガイスト等の霊現象は見聞しないと、霊界が存在することを理解することが出来ないがあります。

 その時、そうした画面では【オーブ玉】が物質界たる壁などを通り抜けて行く映像になっています。この世の壁を通り抜けるのは、その存在がこの世の物質では無く、その玉自身に【意思】そのものがあるなのです。ビデオカメラでオーブ玉が飛んでいても、それがこの世の物質体だと思うと壁を通過する物質体の意味が解らなくなるはずです。そこにオーブ玉はこの世の物質では無い?。と知ることが必要なのです。

 

 ビデオに飛ぶオーブ玉が写し出される映像から解る様に、それはニュートリノの様な微細な素粒子ではありません。人の肉視では見えなくても、ビデオカメラには写る。人の目には霊的世界が見えない特殊な仕掛けが造物神によりなされているのです。そうした一つに肉体人の目は開いているにも関わらず、その人の目の前に霊的シャッターを降ろして【太陽も月も星も輝かない暗闇の中に落とす。】ことも可能ではあるのです。

 

現在では多くの人がスマホでオーブ玉が写せます

 

オーブ玉はこの世の物質では無く、物質界を通過する

 

 人の魂とはそうしたオーブ玉と同様の玉で、人の肉体の心臓の部分に宿る人の命の根源のことです。為に魂は人の肉体の死を以て終わるではないのです。

 

人も死ねば霊魂となり、この世の物質界を抜けて行く

 

 私は大本教から【人は霊止(ヒト)だ】と出された教えは、宗教世界の画期的な教えだと言います。たった一言の【ヒト】からそこまで説明が出来るからです。

 お釈迦様やイエスの時代は本人の肉視でしか霊魂を見るなどは出来ませんでしたので、霊的存在からの情報は限られていたのです。私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊の声を聞き、神霊世界に修業に入り豊受姫や大国主命様等の姿を見て来たわけですが、自分のカメラに霊の写真を撮るなどはありませんでした。

 私が住む土地では三年間に渡る大ラップ現象に見舞われたのですが、そのラップ現象は霊能力者から伊勢神宮の神でも出雲の大国主命様でも稲荷神でも不動明王でも鎮められないと言われたものでした。そこにあったのは大本教霊界物語に記載される【国常立尊様は35万年前に御引退】につながることでした。

 

 私はあまり霊が見えない者なのでそんな土地にも住めたのですが、霊がよく見える者であればとても住めた土地では無いと言われて来ました。それでも多くの霊現象が出て来ました。

 その霊達を見た霊能者の方達は、それは今の世に出ておられる神々とは異質の姿の霊であり、まさに怪物的存在と言われます。そうした存在が全て人の目に写るであれば、人類は霊界に対して神に対して、もっと謙虚であられたでしょう。

 

 霊の写真等は【霊媒者】と呼ばれる人の媒介を経ないとフイルムカメラに写るような物ではありませんでした。がiPhoneだと簡単にオーブ玉が写ると聞いて、私も携帯をiPhoneにするとそれまでは肉視では見えなくても、iPhoneの画面を通してオーブ玉が飛んでいるのが見えるとなって来ました。

 そうしたことが先だって某テレビ番組で座敷童子大好きの俳優原田龍二さんがオーブ玉を撮る少女の自宅に行き、そこで自分のスマホのビデオ画面を通してオーブ玉が飛ぶ様を見るを体験されたがあります。それまではそうした霊的写真が撮れるのは特異な霊能力を保持した者でないと出来ないと思われていたのです。

 

 霊が存在しないところで霊魂の写真は撮れませんが、そこに霊が存在して居るとオーブ玉は監視カメラでも撮れるようになって来ています。それはこの世と霊界の関わりの中において、【重大な変化が起きて】いるなのです。

 

 今、一見すると何の変化も起きていないように思われます。それはスピリチュアルだ!。スピリチュアルだ!。と言っている人が何の変化も感じていないことからも解ります。その一方で、これまでオーブ玉の写真が撮れないタイプの人達にオーブ玉が撮れる現象が起きているのです。

 そもそもスピリチュアルという言葉は【低次元霊界】との交信と言う意味合いであり、高い次元界の神霊との交流を意味しません。

 

すなわち低い次元霊界とこの世が近接して来ている

 

 死後の世界も霊等も存在しないと頑迷に言い張る方でも、そうしたオーブ玉がビデオの画面で壁などの物質を通過することは見えるはずです。そうした映像を見ても、未だ頑なに死後の世界否定だけに走っていると、そうした人達は死後に生きている自分の存在に迷うことになります。この世の建物の壁や天井を抜けて行く自己の意識は、今日までの宗教の教えでは理解不能と言えるでしょう。

 

死後の世界の神仏を知るは、自分が死後に迷わない

 

 私が霊界修業をしていて驚いたのは、観音様から観音経。不動明王からは不動経を聞かされていて、その御経に息遣い(ブレス)が無いことでした。すなわち霊は人の様に空気呼吸を必要としていないのです。ですから空気が存在しない宇宙空間にも生きられるのです。真空世界にも居はられるのです。霊魂などの存在を否定する頑迷な学者達は、人は空気がある世界でしか生きられない。そこに視点を置いているので、空気を必要としない霊が感覚的に解らないとなるのです。

 だがそうした霊的映像をいくら見ても、ほとんどの人は我れ関せずで、死後の世界が在るとするならば、それはどういうことなのかと解ろうともせず、ただただ偶像に宿る神仏霊を拝んでいれば天国や極楽に行けるで、この世で学ぶ意義を捨てて【無知】を貫こうとしているなのです。

 

人は死ねば僧侶の御経で極楽に往生が出来るのか?

 

 世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だ!。と記しておられますが、多くの自称救世主達がその信徒達を地獄界に案内しています。それはイエスの教えにもあるこの世の終末には自称救世主達が多数出て来るが、それを救世主と信じてはならないなのです。

 しかもそうした自称救世主と称する霊能者の方達は、無知から自分が救世主だと名乗っているのではなくて、その背後に在る霊達が最初から地獄界に自分達の王国を創ることを目標に、自分達が使う肉体の者に救世主を名乗らせての信徒集めがあります。

 そこには【真理】を明らかにする姿勢は最初から無く、如何に自分達の霊力でその集団を巨大化させるかなのです。

 

自称救世主の目的は、その信徒達を奴隷とする王国創り

 

 今の神霊世界とは正義とか公平の概念では無く、勝てば官軍、負ければ賊軍で強い者が勝つの論理であり、大本教神諭に【この神(ウシトラ金神・国常立尊)が負けたならば、悪神達の家来として従ってやる。】的な内容がありますが、大本教から宣伝された【三千世界の大立替】とは、全宇宙に起きるであろう【神界の最終戦争】でもあるのです。その最終神界戦争でウシトラ金神国常立尊様が敗退されたならば、この宇宙は永遠に暗黒の世ともなるなのです。

 大本教霊界物語によれば三十五万年前に国常立尊様は【蛇霊の囁き】に憑依された神々達の多数決によって、地球の地上神界の主宰神の地位から追われたとありますが、その復帰とは容易なことではないのです。その復帰とは、【節分の煎り豆にも花が咲く】ような話でもあるのです。

 

三十五万年前など、今の人類以前の話で真偽が必要

 

が、35万年でないと、この世が成り立たなかった

 

 それは【神の時計】という問題であり、大本教神諭にある【神も時節には敵わない】の内容なのです。私は大本教神諭の神も時節に敵わないに触れて、創造神も敵わないとはどういう意味かと思っていました。その【35万年】の数字が謎を解くのです。

 

 私は鍾馗神の案内で中国で創造神ともされる盤古大神(木星神)に拝謁して、これはいったいどういうことなのかと頭を悩ましました。確かにこの地球を取り巻く神界の環境下は、その主宰神は【盤古大神】なのかも知れませんが、とても理路整然の御神霊とは思えない節があります。

 

何故に造物神は霊的世界が見えない人間を創造された?

 

一部の優れた霊能者は、この地球は魂の更生場所と説く

 

 人は誰しも前世を持たずにこの世に人として生まれ出た魂ではありません。人で無くても、いろんな生命体でこの世に出た経験を持ちます。人がこの世での命の役割(魂の修学・更生)を終えて霊的世界に戻る時(仏教では対岸の岸の彼方に渡る)は、死後に渡る道に川とか大海原の様な世界が展開し、その川とか海の様な世界を船で対岸に渡ることになります。

 その行き先に天国や中有界や地獄の【三つの途】があることで、その川は古来より三途川と呼ばれて来ました。別に三本の川があるではないのです。一本の川が小さな川や大川や大海原にも変化するのです。

 俗に臨死体験が語られますが、この【三途川】を渡ってしまうとこの世の人間界に戻ることはあり得ません。もし戻っていると【黄泉帰り(蘇り)】と言い、それ以後は神仏の世界と関わることが要求されます。

 

黄泉帰り(蘇り)者には、霊力が非常に強い特徴がある

 

 とある夜、私の目に一人のインディアンの酋長が太陽(サン)ダンスをしている光景が見えて来ました。すると上空から声が響きます。その声は【人類の歴史において、この神のことが解っていたのは釈尊でもイエスでも無く。このたった一人のインディアンの酋長だけだった。】と告げられました。

 で、インディアンの酋長でそんな人物はと調べたところ、ホワイトイーグルと呼ばれる酋長でないかと思われました。その酋長がホワイトイーグルであるならば、ホワイトイーグルは【地球は貴方の故郷では無い。教育を受ける場であり、輪廻転生】を説いて来ましたので、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から告げられた【この世は魂の修学旅行のような場で輪廻転生をしている。】と、さほどの違いはありません。

 

 私自身が神霊世界に関わって知ったことは、

 

神社に鎮座する神霊も次元界の壁を越えられるではない

 

スピで低い次元界に関わると、高次元霊界は望めない

 

 霊学の分野で霊の声を聞ける者は千人に一人はあっても、そうした者が千人万人修業しても本物とは一人とされる中で、本物の霊能者など簡単には成れないのです。

 

 日本の神社に鎮まっている御神霊でも、お寺に鎮座されている諸仏でも、この世に住む人達とこの世に関わる霊界(中有界)には関与されているが、天国界に渡った霊とか地獄界に墜ちた霊に関しては関与が出来ない。私達が知る霊界とは、限定された次元界に在ることが解って来ます。

 

 それが日月(ひふみ)神示の岡本天明師から出された、

この世は【三四五(みよいづ)次元】の世界

ということになります。

 

 この世には霊界に帰れば神司(天使職)たる魂も多数出ており、そうした魂はこの世に生きていても【彼の岸】を渡った霊界との交信はあるなのです。

 仏教の彼岸の彼方は川として出て来る存在だけで無く、その山の頂に到達が出来ない【高山の壁】としても出て来ます。霊的世界とは形が在るようで型が無いので無限に山の頂きが展開して来るなのです。それはこの世に生きている時とは感覚がかけ離れており、その感覚を言葉で説明するのは難しいと言えます。

 私は霊的世界に関わって、仏教で説かれる【三途の川】はよいとして、この霊界の高山と呼ばれる【壁】は何だろうとなりました。世界の宗教書にはそうした霊界の壁が何も書かれていないからです。この壁が何かを知るのには苦労しました。それを体験した人はそれをどう考えるかです。まず翼を持った天使の姿に疑いを持たざるを得ないのです。そんな羽根で霊界の高山の頂きは越えられないからです。

 

翼を持って天使と称する者達は、本当は何者なのか?

 

日本では天狗霊を見ますが、天帝に仕えてはいない

 

 この世に住む者に霊的世界の存在がよく解らない原因として、この世に神仏として人類の指導に当たっている神霊を以てしても、霊的世界の全容がよく解っておられないがあります。それは霊界には【次元層】と呼ばれる【壁】があるとされていることからですが、その【壁層】の関係と言えます。

 そうした次元階層とは、お釈迦様やイエスは八次元霊界の方だったとする向きが多く、世に神仏として出られている神霊よりも高いとされています。仏教においてはそのお釈迦様の教えは絶対であり、他の後の諸仏はお釈迦様より下の方とします。為にどの神社の御神霊でも、お釈迦様の様な【法】が説けないがあります。それはお釈迦様ほど霊界での地位が高くないなのです。

 

お釈迦様が説かれた法とは、霊界の【原理原則】と言える

 

仏教で【因果応報(正負の原則)】や【縁起】の演技!

 

 そうしたことをこの世に神霊として出ておられる存在が、どれだけ理解されているかがあります。もしも理解されていたならば、今の様な何も解らない日本神道などあり得ないなのです。日本神道の世界でも死後に渡る三途の川は、仏教の教えを持ってこなければならないなのです。

 幸福の科学の大川総裁は最初は自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体たる永遠の仏陀で、自分は九次元界の者と称しておられました。それは四次元世界と関わっている一般的スピリチュアルでは無く、一部の霊能者間で言われていたお釈迦様やイエスは八次元霊界の人だったとすることから、自分はそれよりも上の界の者だと主張するのであれば九次元霊界の者だと自称しなければなりません。それが今では自分は十三次元霊界の者と称しておられるです。

 

 その次元界とは、その数字が多ければ多いほど高い霊界とします。が、中には自分は三千億次元界とか百万次元界とか称するバナナの叩き売りを起こしています。それをどうやって証明するのだ!。ですが、誰もそれを証明するなど出来ません。ただ勝手に名乗るなのです。

 日本では大本教や日月神示の岡本天明師から神界は百八十段あると出されましたが、それは日本神話の天の岩戸そのものが【一八十(イワト)】を意味しますので、中には自分は百三十段次元の者とか称される方もあります。が、神霊の位は何段あるのか定かで無く諸説あるので、神界を神の高山として、高山は合目で現すので【十合目】の神を頂上神と見るがあるなのです。で最高神は十次元が解りやすいとはなります。

 また神は言葉を創った申し示すの【神】だけで無く、厳(火たる縦の働き)と瑞(水たる横の働き)の組み合わせから、合わせて【火水(かみ)】と言う様に【正十字】形で表現します。西洋のキリスト教等では瑞霊魂は何一つ説かれていません。それはキリスト教の十字架の場合は長十字であることからも間違っているなのです。厳瑞霊が理解出来ないなのです。が、神を【正十字】形で現すのは西洋で在ろうと東洋であろうと同じではあるのです。

 

 その霊界にはそうした神霊を以てしても見通せない霊界壁があるので、為に死後の世界の理解がほとんど進んでいません。幸いこの日本では西洋の様な唯一神信仰ではなくて八百万(やおよろず)の神々信仰なので、そうした神霊を祭る神社に行けばそこには神霊と呼ばれる霊は鎮座しています。私達はそうした神霊を通して霊界の一部を垣間見ることは出来るのです。

 日本では蛇霊は【巳さん】。狐は【稲荷さん】として、人々に現世御利益を授けてくれる存在だと認識をされているわけです。実際にそうした霊が存在していて御利益を授けてくれるからです。

 私は神霊世界に修業の足を踏み入れた時、【蛇や狐は神として祭られているのに、死んだ人間はどうなっているのだ!。】となりました。だが誰もそうした意識を持たなかったとなります。人は自分に御利益を授けてくれる存在が蛇や狐であっても構わないなのです。自分に御利益を授けてくれる存在が何故に蛇や狐なのか?。何も不思議と思わなかったなのです。

 

 日本では蛇や狐も神様と呼ぶなど、イエス一人が主の神の御子だと思い込まされたキリスト教徒には驚きそのものでしょうが、逆にキリスト教の牧師などは霊界のことなどまったく知らない者達ともなるのです。イエスがこの世に出た時、地球上にこの世の終わりを意味するような事態がどこにあったのだとなります。何一つ無かったでしょう。それでイエスが救世主等あり得ない論理なのです。そこには造物神の仕掛けも存在しています。

 キリスト教ではイエスは「40」日間荒野をさ迷って悪魔を退けて【41】日目に主の一人御子となる。何故に【41】日目なのか?。

 

数字の【41】に、主の御子と呼ぶ意味が秘められる

 

蛇霊や狐霊の神と言えども、人界よりは上の界の上霊  

 

 しかしながら、そうした事柄は神社に出て鎮座されている神霊も、霊界のことがよく解っておられないがあります。それは次元界と呼ばれる世界の構造問題からですが、神社の鎮座する神霊と言えどもその多くは低次元霊界に在るなのです。お釈迦様やイエスは神社の御神霊達よりも遙かに格が高いと言われているのも、その魂の出身次元界の問題からです。蛇霊や狐霊も神霊として祭られていますが、本来の住む次元界が低い霊界なのです。

 

 そこに巨大な霊力を誇る龍神も【畜生の部類】とするなのです。それが法華経における【龍女の解脱】に繋がるなのです。しかしスピリチュアル等に走ってしまいますと、そうした龍男龍女からの解脱の意味も解らないとなるのです。

 

 

霊界の次元格を上げるのは霊がよく見えるでなく

 

自分が真理に基づく内容をどれだけ学ぶのか!

 

 

 

 

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