第四十二話 賢者の卵
「ヴィムもシャキッとしなよ。賢者様もこう言ってるじゃないか」
「ハイデマリーさん! あなた!」
平然と立っているハイデマリーを神父様は慌てて嗜めようとする。
「賢者様、たいへんな失礼を。ちゃんと言って聞かせますので」
『いいよ、元気な子です。私に怖気づかないということは、相当の魔力量を見込めるよ。期待していい』
「はっ! ハイデマリーさんも、ちゃんと跪いて」
『そんなことより、警備はちゃんとあるんでしょうね? この子くらいの器だと攫われることもあります』
「はっ! 部隊が派遣されております! 十分かと」
『……ええと、ここは、リョーリフェルドですよね。なら大丈夫ですか』
賢者の依り代と神父様が応答したことで、斎場を支配していた恐怖感がすっと薄らいだ。緊張はほどよく保たれたまま、必要なやり取りができるくらいまで緩まった。
この場には二つの極があった。
一つは賢者の依り代。
神父様が入念に準備を重ねて恭しく用意した斎場を悠然と漂って、肩ひじを張らずに気ままな口調で、それで圧倒的な威厳を見せている。
そしてもう一つが、ハイデマリー。
こちらも、悠然としている。賢者の依り代の恐怖に支配された斎場を壊し、再構築したのは間違いなく彼女だった。
それだけで俺は妙に誇らしかった。見出したと言ったらあまりに偉そうで大げさだけど、俺が特別だと思った彼女が常人には不可能なことを成し遂げる様は爽快だった。
『では、孵化の儀を始めましょう』
そして賢者様は、自分の声が全部の号令になることをわかって宣言した。
神父様と護衛の人が、俺たち二人を置いて定位置と思わしき場所に整列する。護衛の人が道を作るように左右に並んで、神父様が賢者様の下で手帳を持って書記のような佇まいになっている。
俺たちが賢者様の方に歩み寄って施術を受けるということがわかりやすくなっている具合だ。
『……男の子の方から、いらっしゃい』
俺が呼ばれた。
もう儀式が始まるという実感が、突然性急に感じた。
心拍数が上がる。
こんなに待ち望んでいたことなのに、急に待ってほしくなった。
気持ちの所在が落ち着かない。呼ばれてしまった以上背中側からどんどん押し寄せてくるような感じがあった。視線をあちこちにやって、誰か誘導してくれまいかという気持ちでキョロキョロした。
「緊張すんなって」
振り返った後ろから、そう聞こえた。
ハイデマリーは俺を勇気づけるようにニヤッと笑った。いってらっしゃい、と言ってくれているみたいだった。
我に返る。緊張していると明言されて、冷静になれた。
助走をつけて、賢者様の下へ歩み寄った。
「よ、よろしくお願いします!」
見上げる格好。ハイデマリーが和らげてくれたとはいえ信じられないくらいの重圧。職業の取得なんて不可思議な魔術の儀式も、この存在が執り行うとなれば納得感があった。
『志望は?』
「ま、魔術師です!」
『わかりました』
俺の了承に応えるように、賢者のローブの左右に見えないはずの両手が見えた気がした。
『開胸』
賢者様の詠唱が聞こえて、ヒュッと口から空気が入った。
俺の胸部から一歩だけ進んだ空間に、淡い光のヒビが入ったのが見えた。それに親指が突っ込まれて開かれるような。
胸の底から風が逃げていくような変な感触。心配の間の中にある風船みたいなものに穴が空けられて、そこから空気が漏れ出ていくみたいに。
『……楕円体。歪み正に零・四。エー・ベー・エム・ピー、二十、三、二、零』
「あ、あの……それは」
『付与術師の適性が圧倒的に強いです』
付与術師、と聞こえてぎょっとした。
い、いや、俺の事だから、そういうガッカリする感じに落ち着くのはなんとなく想像ついてたけど。
『神官の適性はなし。戦士と魔術師にも多少の適性。戦士の方が優位』
「……じゃ、じゃあ魔術師は」
『おめでとう、取得できます』
「……へ?」
『魔術師の詠唱を発行して問題ないですか?』
「え? あっ、はい! よろしくお願いします!」
ゆっくりとかみ砕いて、呑みこむ。
適性、あったのか、魔術師の。
嘘なんじゃないかと思った。そもそも魔力に目覚めたときから現実感がなかった。それが適性まで望んだ通りにあるなんて。
『では覚えてくださいね。
──出でよ紺碧の獣よ 四方の扉を壊す獣よ
汝、彼の牙に砕かれる
座した切り株に鎖が流離う
素には解明
骨髄から骨へ 骨から肉へ 肉から皮へ
今諒解する
我は魔術師と成る』
そうだ。覚えなきゃいけないんだよな、詠唱。
「すみません、覚えられなかった、です……」
『安心して。書き写していますから。蛹化の儀までにゆっくり覚えなさい。それまでなら他の職業の詠唱も再発行できますから、よく考えてね。はい、次』
見えない手にとん、と肩を押されて、俺は神父様の方へ自然と歩を進めた。
「はい。これが詠唱です。どうしても覚えられなかったら書き物を渡しますから」
「あっ、えっと、ありがとうございます」
神父様から紙切れを渡されて、斎場にあった目が俺から俺の後ろ、ハイデマリーに移った。
あれ? もう、儀式終わり?
思ったよりもあっさりと終わって拍子抜けなくらいだった。
流れ作業みたいに瞬く間にハイデマリーの番だ。
しかし当の彼女の顔は俺の方に向いていた。
俺のことを心配してくれていたらしい。そうだ、もちろん、結果は共有して然るべきなわけで。
何より、自慢したかった。
親指を立ててみた。
ハイデマリーは顔をパッと明るくして、親指を立てて返してくれた。
それから彼女も賢者様の方に歩み寄って、ふんすと言わんばかりに欠片も緊張せず胸を張って立った。
『……名前を聞きたいですね』
「ハイデマリー」
『志望は?』
「う、うーん」
『おや、君のような子は勢いよく戦士だとか言うものですけどね』
「い、いやぁ、何かこう、しっくりこなくてね。戦士か魔術師の適性が高い方にするつもりだけれど」
『しっくりこない? 迷っているのですか?』
「あ、いやー……何かこう、迷っているんだけど、それ自体が間違っているというか、的外れな気がして」
『……なるほど。私も慎重に査定しなくてはね』
「うん。よろしくお願いします」
二人は俺のときより長い会話を交わしていた。
それは護衛の人、神父様にとっても特別なことらしかった。護衛の人はみんな慣れたふうだったのに、計算違いが起きている緊張が走っていた。
俺も変に緊張してきた。彼女のことだから心配なんて要るはずもないのだけれど、唾を呑んでそのときを待った。
『開胸』
──その瞬間、雷のような煌めきが映った。
ハイデマリーの体は浮遊を始めていた。
「わっ! 何!? 何!?」
彼女の胸を中心に同心円状の光の輪が広がって、それから天に届かせるように地を貫いて柱のように伸びる。
彼女は戸惑ってもがいていた。それに合わせて光も形を変えていた。
光の柱の源は、主は、ハイデマリーその人であることが明白だった。
コゥ、という音が響き続けていた。
「うぇ!? なんだこれ! 気持ち悪い!」
『真球。すべての職業の適性がある』
「お、おい! 賢者様よ! 何がどうなって──」
『──本当に、久しぶりですね。同胞よ』
こんな光景は話にも聞いたことがなかった。
時間を持て余して四つの職業について調べもした。だけど孵化の儀でこんなことが起こるなんて書いてもいなかった。
隣の神父様を見た。質問しようとした。
だけど、神父様は俺の方をまったく見ていなかった。
その目は戸惑いながらも大きく開いていて、みるみるうちに恍惚の表情へと変わりながら、そして呟いた。
「……賢者の、卵」
神父様は跪いた。周りを見れば、護衛の人たちも、この場にいる誰もが恭しく頭を下げていた。
それは賢者の依り代に向かってじゃない。光の柱の中で悠然と浮く、ハイデマリーの方に。
『儀式は中断です。これより再誕の儀を執り行います。祝いなさい、新たな賢者の卵が現れました』