第三十八話 目覚められて
神父様が見守る中、俺は固唾を呑んで自分の指に針を刺した。
チクッと痛むけど、それどころじゃない。
指先が震えていた。
プクッと膨らむように人差し指の先に血の雫が溜まる。慎重に慎重に、何かで誤差が出ないように指を秤の上に持っていく。
そして、垂らした。
これが魔力検査の儀式。ここから賢者の秤が傾けば、それは血に魔力が宿っているという証明になる。
天秤は嫌になるくらい水平だった。
心臓が張り裂けそうだ。
もうこれで何回目だ。可能性が萌芽する期限は迫っていた。
瞬きをしていなかった。
傾くときってどんなふうに傾くんだ? いつまで傾かなかったら望みがないんだ?
考えても仕方のないことばかり考えて、来るなら早く来てほしくて。
そのとき、秤は僅かに、しかし確かに、傾いた。
ように見えた。
「うご、いた……?」
神父様の方を見た。
にっこりと、笑顔が見えた。
「動きましたね。一・三度。有意です」
「……へ?」
「魔力検査で、陽性です。あなたは魔力に目覚めました」
最後の「た」と言うまで、時間がゆっくりと流れていた。
柄にもなく教会の扉を跳ね開けて、俺は走り出していた。
祈るなんてことを初めてやった。
自力で変えられないことに精一杯の願掛けを繰り返した。
誰にも言わずに、もしかしたら無意味に身を危険に晒し続けた。
全部自分のためにやったのだから、噛みしめていればいいだけだ。
けれど俺が真っ先に取った行動は、いつものあの伝声管の下で叫ぶことだった。
「ハイデマリー! 出たよ! 魔力反応!」
既に昼。普段の彼女なら絶対に昼間に居るなんてことはないから、うっすらと聞こえるはずなんてないかもしれないと思っていた。
まるで待っていたかのように、彼女は窓から顔を出した。それから何を言ってか言わずか、二階からロープを投げて、落ちるようにサーッと降りてきた。
顔をグイッと近づけて、格好よく右の頬を吊り上げて、俺の肩に手を置く……
どころじゃなくて、抱き着いてきた。
「おめでとう! ヴィム!」
「……うん!」
恥ずかしさなど感じている方が野暮だった。こちらからも抱き着き返すくらいには嬉しさが爆発していた。
これまた柄にもなくぴょんぴょん跳ねて、喜びを動きで表現するなんてことをやってみた。
こんなに嬉しかったことなんてなかったかもしれない。
やり遂げたのだろうか。
いいや、偶然だ。最善の努力に見せかけた何か。言い訳みたいだったし当てつけみたいだった。単にやった気分になりたかっただけ。
それでも俺は、魔力に目覚めたのである。
行ける、行けるんだ。迷宮に。
資格が手に入る。力が手に入る。自分の力で冒険の続きに迎える。
「……うん?」
突然、彼女は不思議そうな顔をした。
「ヴィム、なんでずっと背伸びしてるの」
「……へ?」
「自分のチビさ加減が嫌になったのかい? やだねぇそういう態度が男をもっと小さく見せるんだぜ。魔力を得たんだ、堂々としてなよ」
「背伸び?」
「うん」
足元を見る。
別段、いつもどおりである。
「してないけど」
「……ほんとだ」
至極素朴に返すと、彼女も素朴に頷く。
「……え?」
そしてちょっと遅れて、素っ頓狂な声を上げた。
俺も言われて気付いた。誰も俺に興味なんてないし、そういう変化を言ってくれもしないので、まーったく自覚がなかった。
「私、もしかして身長抜かされた?」
「……たぶん、そういうことだと」
「はああああああ!?」
シュトラウスの人たちはそういうこと言ってくれなかったけど、そうかぁ伸びてたかぁと感慨深さに浸る俺の傍ら、ハイデマリーは石のように固まって、ついでに暴れそうになっている。
「お、おい、背筋を伸ばせ! そんなむにゃむにゃしやがって!」
「う、うん……」
グッと背筋に力を入れるといつもより一段目線が上がった。
お、おお、もしかして、結構な間、背筋を伸ばしてなかったのかな。
するとさっきより明確に、少なくとも頭半分くらいは俺の方がハイデマリーよりも身長が高かった。
「お、おまえ、いつの間に……」
「へへへ……」
な、なんか嬉しいな。
い、いや、そんなことよりも魔力だ。魔力に目覚めたんだ、俺は。
これで魔術師になれる。
魔力の多寡で言えば俺はきっと少ない方。だけど職業を習得するか否かではあまりに大きな差があるし、どんなに魔力が少なくとも魔術師の職業魔術さえ使えればいくらでも訓練や工夫のしようがあるのだ。それで名を上げた冒険者は枚挙に暇がない。
まったくの零と一の間で、一に振れた。
これがどれほど価値あることか。
考えるだけで嬉しさで震える。なんにもなかったはずの俺に、才能が目覚めたんだ。
一方で彼女は、さっきの祝福の満面の笑みと、ひどくショックを受けたような表情が混在したやたらめったら複雑な表情で震えていた。
つまり、わなわなとしていた。
「来月だ」
「……へ?」
「み、見てろ! 来月だ! 来月には抜き返してやるからな!」
そう言い捨てて彼女は「チービ! チービ!」と叫びながらロープを伝って部屋に戻ってしまった。
でも、窓を閉じるときにオメデトーと言っていた。たぶん魔力に目覚めた方で。
あっという間に祝われて、一人取り残された。
「……へへへっ」
我ながら気持ちが悪いと自覚している笑い方。でも今日ばかりは、人生で一番快い笑みが漏れていた。
開けた可能性の大きさに、ふわふわした。胸がドキドキして変に落ち着かない。
何度だって言いたかった。
俺は、魔力に目覚めたのである。